あの結婚式のあと、
多少忙しいけれど、毎日はなにごともなく過ぎていた。
近所への挨拶も済ませた。
今住んでいるところの大家さんにもお菓子をもって行った。
おなかの赤ちゃんも元気に育っている。
今日も、
ユキとの日々は、
何事もなく過ぎていく。
そう思っていた。
まだ馴れない商店街に夕飯の材料を買いに行った帰り道。
「良いものを見せてやろう」
そう言われたので、わたしはついていく。
途中でユキが、何もないところで転んだりしたけれども、目的地には無事到着した。
黙ってついて行った先には、
工事が始まったばかりの、家の土台があった。
「これは何ですか?」
「俺達の家だ」
「…」
一瞬頭の中が真っ白になる。
「ええと…もう一度、聞かせてくれませんか?」
「ここに俺達の家が建つ」
聞き違いではないようである。
「俺達というのは、わたしとユキのことを指しているのですよね?」
「あと、俺達の子供もだ」
「家というと、故人の写真や肖像画を指しているのではないですよね」
「それは遺影だ」
「それではやはり、家というのは人間が住める屋根のある家ということなのでしょうか」
「まあ、そうだが」
なんだろう、頭が働かない。
「つかぬことを伺いますが…代金の方は?」
「全額、借金して買った」
「…」
借金…。
借金をして買った…。
借金をしていなくても、わたしたちは貧乏だったはずなのだが…?
「そうですか…買ってしまったものは仕方無いですね」
「おう」
「でも、今度から買い物をするときには前もって言って下さいね」
「気を付けるぞ」
これからユキとここで生活をしていく。
そうだ。
二人の明るい未来のためには、前向きにならなくてはならない。
「前向きに考えると、節約ですね」
「前向きかな?」
「とりあえずユキは……飲まず食わずで一年間、頑張って下さい」
「たぶん、死ぬぞ」
「では、わたしが」
「それも、死ぬぞ」
「ではどうすれば良いんでしょう?」
「飯は食え」
それでもわたしは節約するために、頭をフル回転させる。
家計簿をしっかりつけて、食費を管理して。
白米を食べられるのかが不安になる。
「冗談だよ、冗談」
「冗談?」
「家を買ったのは本当だけど、借金したのは冗談だ」
「冗談だったのですか」
「そう」
わたしは胸を撫で下ろした。
「お前が取り乱すところを見たくて、つい嘘をついた」
「本当にびっくりしてしまいました」
「びっくりしてたなあ。初めて見たぞ」
ユキが嬉しそうに笑っている。
「もう…。意地悪ですね」
ふと、疑問が思い浮かぶ。
そうすると、どういうことだろう。
「お金はどうしたのですか」
「貯めていた。
子供の頃から貯めていたんだな、これが。
夢だったんだ、家を買うのが」
「もしかして、あのときからですか」
「そうそう」
「あのときから、ずっと貯めていた」
子供の頃ユキは、わたしに家を建てると言ったことがある。
壊れてしまったかまくらの前で、家を建ててわたしと一緒に住むと宣言した。
「そうですか…あのときのことを本当に…」
ユキはそういう人だ。
子供の頃から本当に変わらずに。
「俺って子供の頃から、家庭というのに憧れていたんだよな。
好きな人と一緒に住めることを信じて頑張ってきたんだよ」
わたしは、家の土台を見回してみる。
「ここがわたしたちの住まいになるんですね」
「ああ、ニ階建てだ」
「わたしたちと子供一人だけだと、広いですね」
「子供は六人だからな。狭いくらいだろう」
わたしは思わず笑顔になってしまう。
「それも、初耳です」
わたしは家の土台のある敷地に入っていく。
そして、その中心に立った。
「六人もいたら賑やかそうですね」
「ああ、きっとうるさいぞ」
「そうですね。そのうち、この場所ではわたしたちの子供の笑い声が絶えなくなるんですね」
「きっと、家の中を兄弟姉妹で走り回って俺達を困らせるな」
ユキが、子供達を追いかけている。
微笑ましい光景。
「そのときは、きちんとしかって下さいね」
「まかせとけ。男の子は何人がいい?」
「男の子三人、女の子三人がいいです」
「良かった」
「なぜですか?」
「男の子が多いと、秋子をとられてしまうかも知れないからな」
わたしとユキは、お互いの顔を見て笑う。
音と共に風が通り過ぎた。
草木が揺れ、枯葉が舞う。
時間が経ち、空気が冷たくなってきた。
風は、肌を刺すように冷たい。
わたしは、その冷たさに身を縮めた。
すると、ユキがとなりにやって来る。
そして、自分の上着をわたしにかけてくれた。
「もうそろそろ夜だな」
「はい」
上着に残っているユキの温かさを感じながら、もう一度、家の土台を見回してみた。
ユキとわたしと子供達が住んでいる家。
賑やかさは朝に起きたときから始まり、夜になって寝るときまで続く。
そして寝ている間も家族で夢を共有する。
当たり前のように、積み重ねられていく毎日。
それは思い出のかけらで、時がたつにつれて増えていく。
たくさんの思い出のかけら。
ユキとわたしで、そのかけらをずっと作り続けていく。
「…」
突然、ユキはバランスを崩して、わたしに寄りかかってきた。
「大丈夫ですか?」
「そんな顔しなくても平気だよ」
ちょっと心配だ。
ユキはたまに無理をする。
さっきも何もないところで、転んだし…。
顔色も良くない。
「もう帰りましょう」
「少しこのままでいさせてくれ」
少しだけ、熱っぽいな…。
わたしは体をずらしてユキが楽な姿勢をとれるようにする。
「悪いな」
「いえ」
わたしは、子守歌を口ずさむ。
昔の歌。
わたしが幼い頃、聞いていた歌。
ユキがわたしに体重を預けてくる。
「これで子供達、眠ってくれるでしょうか」
「ぐーぐーぐー」
「寝たふりですか?」
「ぐーぐー」
「ちょっと重くなってきました」
「ぐー」
「夕飯の仕度…」
「くー」
「あの…」
「…」
「…」
「…」
「あの…」
ユキが崩れ落ちるように倒れる。
「ユキ…?」
それからのことは、よく憶えていない。
ただ、ユキが救急車で運ばれていくところだけはしっかりと目に焼き付いていた。
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