「この雪玉をどうすればいいの?」
「こうだ」
男の子は、雪玉を坂に転がす。
坂といっても、その傾きは崖のようだ。
雪玉は、転がりながら加速していく。
転がりながら雪がくっついて、大きくなって楕円形になっていく。
雪玉が、わたしの身長の半分くらいの大きさになったとき、木にぶつかってこなごなになってしまった。
「うわー」
「面白いね」
「面白いだろう?
どっちが、大きいやつを作れるか勝負だ」
わたしも雪玉を転がしてみる。
どんどん大きくなっていく。
転がりながら、どんどん、どんどん。
「うわー」
さっき男の子が転がしたのよりも、もっと大きくなって、木にぶつかる。
「やるなあ」
男の子が悔しがる。
「負けない!」
男の子は掛け声と共に勢いよく雪玉を転がす。
わたしもそれと同時に、転がす。
すると、今度もわたしの方が大きくなった。
男の子の雪玉は、大きくなる前に木にぶつかってしまう。
「ちくしょー」
次こそはと言い、何回も雪玉を転がす。
長い時間、そんなことをしている。
ときどき、どちらが大きいかで言い争ったり。
男の子が、雪玉を転がすのを邪魔したりしたけど、とっても楽しい。
夢中になっている間に、森は夕陽の光に染まっている。
「よーし、今日はこれくらいにしておいてやろう」
ちなみに勝負は、わたしが112勝、男の子が12勝。
100勝差。
「次はあれで勝負だ!」
男の子が指をさした先には、そりが二つある。
ひとつは男の子の物で、もうひとつはわたしが男の子から借りた物だ。
「あれで、この坂を速く下った方が勝ち」
「うん、いいよ」
わたしたちは、坂を滑るための準備をする。
こんな急な坂を滑ると思うと、どきどきする。
「用意はいいか」
「うん」
「よーい…どんっ!」
坂に向かって勢いをつけて、飛び込む。
もの凄い速さ。
そりが雪を弾いて、顔に雪がぶつかってくる。
息ができない。
滑っているのではなくて、空を飛んでいるように感じる。
気が付くと、もう坂の下にいた。
今度もわたしの勝ち。
でも、男の子はもう一回やろうと言うだろう。
わたしは坂を上り始める。
坂を上っている途中に、ごつごつとした岩を見つけた。
「あぶないなぁ」
こんな岩があったら、そりで滑り降りて来るときに、ぶつかって怪我をしてしまう。
「えいっ」
そりの先の尖った部分で岩を一突きする。
めりっ。
…。
手応えが少し変だった。
何だろうかと思っていると、そりで突いた部分の雪が落ちる。
その雪が落ちた部分を覗いてみる。
すると、男の子が泣きながら鼻血を出して、恨めしそうにこちらを見つめている。
「あ…
ごめんなさい」
「…ごめんって言われても…この痛みは消しがたいわーっ!」
鼻血を出しながら叫んで、男の子は飛びかかってくる。
「あれ? 逃げないの?」
わたしは重ね着している下のズボンのポケットからティッシュを取り出す。
そして、目の前で拍子抜けしている男の子の顔を見る。
「大丈夫ですか」
「あ、うん」
「本当にごめんなさい」
そう言ってから、わたしは男の子の鼻血を拭く。
静かに、だまって拭かれる男の子。
良かった。
もう血は止まっているみたいだ。
「もう大丈夫ですね」
男の子の顔が真っ赤だ。
「ありがとう」
「すみませんでした」
「もういいよ」
ごほんと、男の子が咳払いをしてから、こっちを見て笑う。
「とは言え、さっきのは痛かった…。痛かったぞっ!」
わたしは振り向いて、走り出す。
夕焼けが映る木々の間を、わたしは走る。
男の子が、わたしを追いかけてくる。
こだまするわたしたちの笑い声は、声を吸いこむ雪を超えて、森中に響いている。
楽しいときが終わり、男の子が帰り際に言ったこと。
「もう一回、遊ぼうな」
果たせずにいる、約束。
「いいお天気…」
抜けるような青空には、真っ白な雲が三つだけ。
視線を落とすと、ビルの窓ガラスにも一つだけ雲は映っている。
ゆっくりと動くその雲を見ていても、わくわくする気持ちは収まらない。
日曜日。
今日は約束の日。
街の中で、わたしは待っている。
あの人が来るのを待っている。
街を行き交うたくさんの人々。
ショーウィンドウに映るその横顔は、楽しげな笑顔。
たくさんの人々の弾むような気持ちが街全体を包んでいるような気がする。
そのたくさんの中の一部に自分がいることを感じて、わたしの胸は高鳴る。
そんな日曜日の朝の待ち合わせ。
落ち着くために空を見上げる。
「はー」
そして、大きく息を吸いこんで深呼吸。
「溜め息なんかついて、どうした」
突然の声。
「おはようございます」
「おはよう」
ユキは笑顔で挨拶してくれた。
「で、溜め息なんかしてどうしたのって…」
「もしかして、やっぱり嫌だった?」
「そんなことはないです」
「嬉しいから。だから深呼吸してたんですよ」
「そっか。良かった」
そう言ってから、ユキは道路を歩き始めた。
わたしも一緒に歩き始める。
「足の具合はどうですか」
「平気」
ユキの歩く速度はゆっくりだ。
わたしに合わせてくれているのかもしれない。
「あの」
「どちらに向かっているのでしょう?」
ユキは立ち止まって、くるりと振り返る。
そして人差し指を顔の前で立てて、にこっと笑う。
「知らん」
「困りましたね」
わたしは、人差し指を立てて笑っているユキを追い越して、歩いて行く。
「おーい」
後ろでユキが呼んでる。
「軽い冗談だっていうのに」
なんて、ぶつぶつ言いながら小走りにわたしを追いかけて来る。
わたしは微笑んでしまう。
「どうしたんですか」
「行き先は決めてないこともないぞ」
「どこですか」
「まずは…」
あの後、わたしたちはいろいろなところに行った。
喫茶店に入ったり、服を見てまわったり、服に合わせて眼鏡をかけてみたり。
和菓子を食べてお茶を飲んだり、昼食をレストランでとったりした。
その都度、
ユキはお金を持ってなくて、
「よし、逃げるぞ」
とか言ったり、
眼鏡を落として、
「うわ、重力が勝手に眼鏡を!」
とか言ったり、
和菓子を喉に詰まらせたりして本当に倒れたりもしたが、
何事もなく楽しかった。
「いやー、今日は本当に死ぬかと思ったよ」
「楽しかったですね」
「うむ」
「これで……約束の一つは果たせました」
嬉しかった。
ユキの思い出の中では、わたしとの約束はなくなっている。
それでも、約束が果たせて嬉しかった。
夕陽が綺麗。
あの約束したときの夕陽よりも綺麗に思える。
わたしは、夕陽をよく見るために一歩だけ前に進む。
わたしの視界からユキがいなくなる。
そのとき、黙っていたユキが口を開いた。
「もう一度遊ぼう…だったかな」
「あ…」
嬉しい。
「そうです。もう一回遊ぼう、と約束しました」
憶えていてくれた。
「酷いよ、気付かない振りなんかしちゃって」
「それはユキもですよ」
わたしはユキの方へ振り返る。
「何やってるんだろうね、お互い」
そしてユキと顔を見合わせて笑う。
ユキは憶えていた。
そして、わたしも。
相手を意識するあまり、特別な何かを期待するあまり、ずっと何も言えなかった。
でも、それは逆に証明になる。
今もまだ相手を想っていることの。
わたしは、ユキと会うようになっていく。
映画館に行き、
ショッピングをして、
食事をして、
手を繋いで歩いて帰る。
そんな毎日が続いている。
結ばれては果たされていく、約束。
再び築かれていく思い出。
そして出会ってから幾つかの月日が流れた。
ユキとの約束があり、いつもの公園で待ち合わせ。
しかし、もうすでに陽が沈みかけている。
今日は夕ご飯だけ一緒に食べてお別れだろう。
「待ったか」
「少しだけ待ちました」
ユキが来た。
3分間の遅刻。
「ユキが遅刻するとまたひかれてるのではないかと、心配です」
「あれは、冗談だ」
「…」
故郷のお父さん。
わたしの彼は、チャレンジャーです。
「今日の弁当もうまそうだな」
わたしたちは、よくこの公園に来て夕ご飯を食べている。
いつも誰もいないので、気にせず食事ができる。
「しっかし、よくもまあ……
毎度こんなに違う種類のものばっかり、作るよな」
「ユキは違うものを食べたいって、いつも言うじゃないですか」
「だから、いつも喜んで作らせてもらってます」
笑顔で言うわたしに、ユキが照れている。
ユキの食べ方は見ていて気持ちが良い。
「よく噛んで食べて下さい」
「フォフォフォひゃひゃひ」
子供じゃない、と言いたいらしい。
そんなこと、言いながら…。
「口の周りべとべとですよ。拭いてあげますね」
ユキはいやいや、と体を引く。
「じっとしていて下さい」
「ん…」
目を閉じて、じっとがまんしているのがなんとも…。
「はい、終わりました」
ユキは顔を真っ赤にして照れている。
「子供じゃないって」
「食べ物を口の中に残して、話してはいけません」
「うぐ」
今日あったこと。
昨日あったこと。
明日のこと。
そんなことを話しながら食べる。
いつも同じ。
いつもの幸せ。
わたしは知っている。
この日常が特別なことを。
約束と想いの上に成り立っていることを。
食事も終わろうとしている。
「おまえの口の周りにもソースがついてるぞ」
「そうですか?」
「よし。今度は俺の番だ」
「では、お願いしますね」
ユキが、わたしの顔に、
「ん…」
それは、
ユキらしい、
優しさがあった。
「ははは、おまえが赤くなったのは、初めて見た」
自分でも顔が赤いのがわかる。
「そういうユキも真っ赤です」
「ははは」
夕ご飯の帰り道。
「明日はどこへ行きましょうか」
「新作の映画」
「明後日はどうしましょう」
「夕方の弁当だけ」
「三日後はどうですか」
「昼休みにでも会うか?」
「四日後は?」
「いつもと同じ」
「五日後は?」
「……そんな先までわからん」
楽しい繰り返す日常。
平凡な毎日。
ユキとの日常は、まだまだ続いていく。
「聴いてるこっちが恥ずかしくなってきた」
「あら、そうなの? 祐一さんと名雪はしてないんですか?」
「してませんっ!」
「…」
「…」
「…」
「…」
「なんですか、その沈黙は!」
「……そう言えば……たしか棚の奥にクッキーがありましたね」
「いったい、何を知っているというんですか!」
「食べますか、祐一さん」
「…はい」
祐一さんは溜め息をつく。
「それからどうなったんですか」
わたしは祐一さんの湯呑みに、お茶を注ぎながら、続きを話す。
「それから、しばらくして…」
次へ
SSのTOPへ