気がついたら俺はそこにいた。思い出せるものは何もなく、目の前には自分を不
思議そうに見つめる少女が一人。俺の手を引く人が「新しい友達だよ」と説明して
いるのを、ぼんやりと眺めていた。
夕焼けの差し込むステンドグラス、その光を背に立ちそびえる巨大な十字架。周
りにいるのは自分と同じくらいの子供達ばかり。向けられる視線は、様々。
「ねえ、おなまえは?」
目の前にいる少女が自分に向かって問いかける。けれど俺は答えられない。それ
は簡単な理由だ。俺には名がなかった。知らなかった、自分の名前なんて。知らな
い事なんて答えようがない。けれど、無口を無視と取ったのか、その少女の隣に立
っていた少年には俺の態度は気に障ったようだった。
「なんだよ、なまえくらい言えよ」
「………」
結局この日のことが原因で、最後までこいつとは和解できなかったが…。今とな
ってはどうでもいい事だった。
だが不機嫌に詰め寄る少年の態度に俺が気分を害したと思ったのか、少女は、
「だめだよ、ほうじょうくん。そんなこわいかおしたら」
俺を庇う様にそんな事を口にした。しかし少女が俺を庇った事が気に食わなかっ
たのだろう。少年――北条一樹はふん、と鼻を鳴らして去っていった。
「ねえ、おなまえは?」
「……しらない」
もう一度同じように尋ねる少女に、俺は先程とは違う返答を返した。黙っている
と何度でも尋ねてくるのでは、と思わせる態度だったからだ。それが鬱陶しいとか
そんな理由じゃなかった。ただ…何度も少女に同じ質問をさせるのが気の毒だった
のかもしれない。
「んー、じぶんのおなまえしらないんだ…。じゃあ、わたしがつけてあげるね!」
「え……」
正直、この提案には心底驚いた。理由を問いかけるより先に、名前をくれるとい
うのだ。呆気に取られ、俺が何も言えないでいるうちに少女はいい名前を思いつい
たのか、ニコニコと嬉しそうな表情で俺の手を取った。
「きょうから、あなたはしんや!」
「しんや…?」
確かめるように呟いた。不快感はない。少女が口にするその名の響きが自分に向
けられたものである事を実感すると感じるのは幸福感だけだった。どうしてそんな
感情を抱くのだろう。今もそれはわからない。
「わたしはまりな、っていうの。よろしくねしんや」
「まりな…」
「うん!」
どうしてそんなに嬉しそうな笑顔を見せるのか。何がそんなに楽しいのか。わか
らないままだった。しかも俺の意思は確認せずに決めた名だと言うのに、否定する
気持ちすら沸かなかった。ひょっとしたら元々そんな名前だったからかもしれない。
その時は俺のもう片方の手を引いていた神父さんが、何故か苦笑いをしていた理
由はわからなかったが後に俺はその理由を知る事になる。
「しんやは、ヒーローなの! けんをもっておひめさまをたすけるヒーローなの!」
当時、子供達の間で人気のあったアニメの主人公の名だと知った時は嬉しいやら
気恥ずかしいやら、複雑な感情を抱いたものだった。心の中に聖剣を宿し、魔神と
戦いを繰り広げる孤独のヒーロー。けれど聖剣を通し彼は人々の心と想いを武器に、
荒野の旅路の果て、魔神を滅する事に成功する。
「剣の英雄」と言う名のアニメはそんな王道の話だった。
「ねえ、しんや。わたしがこまったときはしんやがたすけてくれるよね?」
無邪気に見上げる真理奈の視線は真摯だった。当時、近所の子には孤児という事
で親がいないことを理由にいじめを働く不届きな子供も少なくなかった。真理奈は
子供心にそんなヒーローを求めていたんだろう。俺は、真理奈に頼られることは、
嫌じゃなかった。だから、
「わかったよ。かならず…たすける」
そう、約束した。子供の他愛もない約束と思うなかれ。俺のこの誓いは15の夏、
アザゼルによって拉致されるまで、破られる事なく守り続けた俺が俺である証だ。
あの日、真理奈に名を呼ばれたその日から俺は緋神信哉になった。
近所の悪ガキ共を相手に幾度となく真理奈を庇って暴れた春。
夏休みの工作が上手くいかないと泣きつく真理奈を宥めながら四苦八苦した夏。
木に登った子猫を助けようとして降りられなくなった真理奈を抱きとめた秋。
屋根から落ちて来た雪に埋もれた真理奈を掘り出した冬。
そして――
エクシードブレイブス 第21話
過去の風景 現在の景色 未来の展望
「あれ? おかしいなあ…」
「どうした?」
鞄を漁りながら首を捻る真理奈。その表情は心底困っていた。
「キーホルダーがないの…。どうしよ…信哉がくれたものなのに…」
「キーホルダー…ってもしかして、俺が小3の時に縁日で取ったアレか?」
「そうそう、カエルのキーホルダー」
「…あれまだ使ってたのか」
俺は少し呆れがちに答えた。普通なら、何かしら違うものに興味が沸いてもいい
と思っていたからだ。それに、真理奈が別段物持ちがいいというわけでもなかった。
別に粗末に扱うわけではないが、それほど年季の入った持ち物はなかったはず。
「だって…あれって一応信哉から初めて貰った物だし、そう思うと捨てられなくて」
不安げな表情で真理奈はそんな事を言った。言いつつも視線はカバンの中に向け
られている。相当気になっているらしい。
…相変わらず恥ずかしい事をいう奴だ。もう中学二年になったというのに、相変
わらず俺にべったりだし、こいつに思春期というものはないんだろうかと疑いたく
もなる。
真理奈に言わせると俺は特別らしいが…。まあ冷やかされても慣れたものだし、
真理奈が不快に思わないのであればと、放っておいている俺も俺だが。
比喩でも誇張でもなく、この世界で俺という存在に意味を与えてくれたのは真理
奈だ。だから、本能的に彼女から離れられなかったのかもしれない。『信哉』は真
理奈が傍にいて初めて意味のある名前だからだ。そんな事を考えながら真理奈を眺
めていると、ふと思い出した。
「真理奈、さっきの公園でお前カバンを開けただろ。その時に落したのかもしれな
いぞ」
「そうかな…? 覚えてないけど…」
「或いは、家にあるかもしれない。今日、キーホルダーを見たのは何時だ?」
「ええっと…今日は確認してない」
「だったら尚更家にあるのかもしれないぞ。もう遅いから公園は俺が見てきてやる
から、お前は家に帰ってろ」
「うん、わかった。信哉気をつけてね」
「心配するなってちゃんと帰るから、じゃな」
手を振りながら見送る真理奈に背を向けて俺は走り出す。公園はさほど遠くない、
急げばすぐに帰れる距離だ。全く、キーホルダー一つであんな顔されたら、放って
おける方がどうかしてる。そう考えると俺も大概真理奈に甘いらしい。腐れ縁って
こんな感じなのかな。
そんな事を考えながら辿り着いた公園。子供の時には幾度となく死闘を繰り広げ
た場所だ。砂場も滑り台もジャングルジムも、そこかしこに戦いの後は見られる。
さっきまで真理奈が座っていたベンチを見る。ふと、見るとベンチの上にぽつん
と見覚えのあるキーホルダーが乗っている。やはり、先程開けた時に落したのだろ
う。これを見せれば真理奈も安心するに違いない。全く世話の焼ける…。
そう思って手を伸ばす。キーホルダーを掴んだところで、
「うっ…!」
後頭部からの激痛で俺はたまらず呻いた。世界が回る、目の前が歪み、視界がは
っきりしない。意識がぼんやりとする中、俺は聞いたこともない男の声だけを聞い
ていた。
「………確保………了解」
身体が持ち上げられる感覚を感じたところで俺の意識は途切れた。ただ、泣きそ
うになる真理奈の顔を見た気がしたが、それを確かめる術はなかった。
――ノア・プラチナム 信哉の私室
「……夢か」
鬱陶しげに呟き、信哉は身体を起こす。夢見が悪かったからか、気分は最悪だっ
た。寝起き特有の頭の重さも通常よりひどく、鏡を見たら「誰に喧嘩を売る気だ」
と自分でツッコミを入れたくなるようなひどい顔をしていた。
信哉が過去の夢を見るのは久しぶりだった。それこそアザゼルに拉致され、小さ
い非常灯の明かりだけが差し込む黒い部屋に閉じ込められていた頃は幾度となく戻
らない過去を振り返る日々が続いた。いつしか必死に生き延びる為の日々に追われ、
過去を追想する日は減っていった。そのアザゼルで過ごした日々ですら今は過去の
物となった。
現在の自分を客観的に判断する。アンリミテッドに所属する兵士。契約は自由契
約、衣食住の保障付だが給金は無し。だが、戦いが一区切りつけば当面の生活を保
障できるだけの金額を提供すると言う形で契約は成立した。
変われば変わるものだ、と信哉は改めて思う。こうして想いに耽っている間にさ
え現在は通り過ぎ過去となっていく。そう考えると時の流れにおいて現在という時
間は星の瞬きと等しいほどに僅かな時間でしかない。
「……やっぱ物足りないというか…」
寂しさ、からなのか昔を振り返るのは。随分と感傷的になったものだと信哉は自
嘲する。大切なものは失ってから初めて気がつくと言うが、失う形が二度と取り戻
せない形ではなくてよかったとも信哉は思うのだった。
「さて、飯、飯」
愛用の紺のジャケットを着込み、信哉は部屋を出て食堂へと向かった。その足取
りは普段より軽い。
――ノア・プラチナム 食堂
長テーブルに数個の椅子が並べられた、食堂と名のつく場所であれば見慣れた風
景が広がる。テーブルの上には出し巻き卵、ウインナー、プチトマトとサラダ、鮭
の切り身を焼いた物など、一般家庭に並びそうな朝食の品々がバイキング用の皿に
どん、と盛られていた。
アンリミテッドの人員は決して多い方ではない。その為、パイロットの中には、
率先して食事当番を引き受けている者も何人かいる。今日の当番は希望や美凪達が
厨房に入っていたようだ。
本人達もすでに調理を終え、席について食事をしていた。信哉が食堂に着いた時
一部を除いて、平和な朝食風景が目の前に広がっている。
「わ、往人さんの顔が見えないほどお皿が積まれてる…」
「ああ、生きるって事は戦いだからな。食えるときに食う、基本だぞ」
しかしいくら遠慮の要らないバイキングとはいえ、二十枚以上の皿を積み上げ、
尚且つ貪る様にパンを口に頬張る往人は少し遠慮を覚えた方がいいのかもしれない。
苦笑交じりに観鈴は往人を見ながら、ドクドクと喉を鳴らす。手に持つ飲み物のパ
ックは「どろり濃厚ピーチ味」だった。余談だがアンリミテッドの食糧の中で最も
消費率の少ない品の一つである。というか、観鈴が愛飲している以外は、罰ゲーム
用にしか使われてないという説もあるくらいのいわく付の品だった。
信哉は適当に皿に料理を盛ると席に着いた。往人の隣は食べる前から胸焼けがし
そうだったので意図的に避けた。精神状態というのはとかく食欲に影響する。朝の
ただでさえ、食欲の沸かない時間にさらに食欲を減退させるのは健康的とはいえな
い。よって、火急速やかに方向転換し別の席に着いた。
「あら、緋神君おはよう」
「信哉さん、おはよう〜〜」
「おはよう、榊に珠瀬。二人とも早いな」
椅子に座りつつ、信哉は目の前の二人に挨拶した。二人は自然と信哉が置いた皿
の数と料理の方に目を向ける。
「緋神君って意外と食が細いのね。少食なの?」
千鶴がそう尋ねるのも無理はない。信哉の皿には、サラダとバターロールが二つ、
もう一つの更にはウィンナーが数本乗っているだけであった。千鶴が知る限り、他
の男連中の半分にも満たない。
「ああ、朝は身体が動く程度に食べる主義なんだ。抜いても身体が動くようには訓
練しているけどね」
「でも、往人さんはいっぱいたべてるよ〜?」
信哉の発言に不思議そうに往人を指す壬姫。その先にはさらに食事済みの皿を増
やす往人の姿があった。見るだけで周りの食欲を減退させそうな勢いだ。というか
あれを毎日毎食繰り返すのだから、彼の周囲はいつも席が空いている。
彼の傍で平然と食事ができるのは付き合いの長い観鈴や美凪か、或いは細かい事
を気にしない大雑把な性格に分類される人間のみである。昼食や夕食時はさほどで
もないが、朝食のような比較的各人が席に着くのがバラバラの日は、こぞって往人
の傍の席は空いている。
「…珠瀬、あの人は例外だ。国崎さんは基準にならない。大体なんであの人親の敵
でも殺すような鬼気迫る顔してるんだ? 食事中なのに」
「…そうね、その意見には同意するわ。あれは食事と分類される行為じゃない」
二人は顔を見合わせてため息をつく。とりあえず信哉はコーヒーで喉を潤す。パ
ンに噛り付くと、隣に誰かが座る気配がしたので見ると山彦がやはり朝食を載せた
盆を持って座るところだった。
「よう、おはよう」
何気ない挨拶だったが、山彦のそれは他の同年代の男に比べてやや爽やかさが強
調されている。
「おはよう相楽君」
「おはよう〜〜山彦さん〜」
律儀に挨拶を返す二人に頷きながら山彦は席に着いた。途端にあくびを噛み殺す。
「どうした、相楽。眠そうだけど」
「ああ、本当はもう少し寝てようかと思ったんだが…廊下からの大声で起こされて
なあ…」
「大声?」
怪訝そうな顔で聞き返す信哉に千鶴がああ、と頷いた。
「どうせ白銀君と鑑さんでしょ」
「ああ、榊さん正解。ていうか鑑さんどっから声出してるんだ?」
「あの人は白銀君が絡むと常人ならざる力を発揮するのよ」
半ば呆れつつ千鶴は言葉を返す。全体的に諦めムードというものが漂っている。
信哉でなくても過去に何かあったと思わせる態度である。というよりはトラブルに
巻き込まれたというか。
「今朝もすごかったんだぜ…」
頭を抱えつつ山彦は三十分前の出来事を語り始めた。
――ノア・プラチナム 三十分前 白銀の自室前。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!」
発音しづらい悲鳴のようなモノを上げながら何者かが武の部屋の前でドアをノッ
ク、というか殴打している。
「起きてーーー! タケルちゃん起きてーーーー!! ていうか開けてぇぇぇぇ!」
ノックという名のドアへの乱打は続く。一応室内のドアも合金製でそれなりの強
度があるのだが…何者か、というか純夏なのだが純夏は意にも介さずガンガンと激
しい音を立てつつドアに拳を叩きつける。
室内はそれなりに防音がしっかりしており、ドアの前からくらいしか室内には音
が届かないのだが、これだけの大声と金属音で武が気づかないというのは万が一に
もありえない。
「…んだよ…うっせーな……って純夏か…」
鬱陶しそうに目を開きかけるが、僅かに届く声と音くらいなら、何とか我慢して
二度寝が出来そうなので武はベッドから身体を起こさない。
要するに居留守を決め込んでいるのである。この男、素直に幼馴染からの要望で
起床した事はない。ありとあらゆる手段でもって純夏の攻撃に無視を決め込んでき
たのだ。実に子供じみた男である。
「ここを開けてわたしをぜひ中に入れてぇ……うわ〜〜ん、パスワードロックなん
てずるいよぉぉぉぉ……」
「ずるいもくそもあるかっ」
いつの間にか自分の部屋の合鍵…というかスペアキーカードを作っていた純夏に
対抗すべく武は自分の部屋にパスワード式のロックシステムを取り付けた。
何故高々一兵の部屋にそんな大層なものがついているのかというと、武が冥夜に
頼んでつけさせたものである。冥夜も「純夏が武を起こす事ができなくなる」とい
う、自分に不利なアドバンテージを純夏から一つ奪う事ができると即座に計算し、
武の部屋に五秒でロックシステムを取り付けた。この騒動の裏には武を巡る女同士
の戦いが絡んでいたのである。
「くぉのおおおおっ! まじ本気だすぞー!」
さらにノック音が激しくなるかと思いきや、途端に静寂が帰ってくる。
「ふう、ようやく諦めたか…」
時計を確認し、後三十分は寝ていられる事を確認すると武は再び夢の世界へ向か
った。だが、その眠りは――
「ようし、こうなったらこれで………やった! タケルちゃん! 朝だよほら起き
てー!」
僅か数秒後に破られた。ドアは正しきパスワードを告げたものを等しく迎え入れ
る。そう、それが部屋の主の望まざる客であってもだ。
「ぬあっ!? す、純夏! 何故オレのパスワードを見破れた!?」
「ふっふーん、甘いよ、だだ甘だよタケルちゃん。何年一緒にいると思ってるのさ。
タケルちゃんがパスワードに使いそうな数字なんてすぐにわかるんだから」
「くっ…どうせなら複製不可能な鍵にしてもらうべきだったか」
そうすると部隊としては円滑な活動が出来なくなると言う事は武の頭にないらし
い。大体室内で非常事態に陥ったらどうするつもりなのか。
「さあ、絶対起きてもらうからね?」
結局観念して武は起きざるを得なくなった。そして隣室の山彦は被害を被ったと
いう訳である。
「…という訳でさあ」
「あの二人も…幼馴染っていうのはわかるけど部隊内の風紀とか規律とかもう少し
考えて欲しいのよね」
ため息をつきながら千鶴は心底呆れた。なんだか話の方向性が堅い方向へ向きそ
うだったので信哉は軽くフォローを入れる。
「いや、榊もそこまで厳しく考えなくてもいいだろ。軍じゃないんだ、ある程度の
事は目を瞑ってやれよ」
「私だって頭ごなしに規律で縛りたい訳じゃないわよ? けど、あの二人は少し周
りに迷惑をかけすぎで…」
そう言いかけた所に当の本人達が入ってきた。純夏は武を起こせて上機嫌のよう
だが、武はやや不機嫌らしい。
「ったくよ…もう少し周りの迷惑も考えろっての。廊下でギャーギャー騒ぎやがっ
て…何かあったら文句を言われるのオレなんだぞ?」
「ふーんだ、だったら武ちゃんが素直に起きればいいんじゃない。あんなロックま
でかけちゃってさ。どうせ冥夜に頼んだんでしょ?」
「おまえがオレの安眠時間を奪おうとするからじゃねーか!」
「タケルちゃんを起こすのはわたしの仕事なんだから!」
「誰も頼んでねーーーー!」
なんとかは犬も食わない、とばかりに言い合いをしながらも互いに皿を取り、料
理を取っている。その間も言い合いは続くのだが、それで手元が狂わなかったりし
ないのは長年の付き合いゆえなのか。
「仲がいいんだか悪いんだか、だな。まあ幼馴染なんてそんなものかもしれないけ
ど…緋神? どうした?」
山彦が手の止まっていた信哉に声をかける。心ここにあらずと言った表情で虚空
を見つめていた信哉は、山彦が声をかけてから僅かに遅れて返事を返した。
「あ…悪い。考え事してた」
「そうか、まあお前も色々あるんだろうけど、しっかりな」
「ああ、サンキュ」
今朝の夢といい、今の武と純夏のやり取りといい、どうしても昔というか、とあ
る少女を思い出させる事柄が続き、信哉は少し感傷に耽っている自分に気がついた。
今、考えても仕方がないことだ、機会はある、必ず。そう信じるしかないのだ、自
分に出来る事は。
「ところで、次の目的地って何処だっけ?」
だから気分転換もかねて信哉は話題の方向性を変えた。
「確か御剣重工の施設の一つに向かっているはずよ。オーストラリア地区の」
「でもオーストラリアって早々に避難勧告が出たんで、無人じゃなかったか?」
「相楽君、それは一般市民の話よ。あそこには元々御剣の施設があったから、技術
者を集めて、新兵器の開発に勤しんでいるらしいし」
感心したように頷く山彦。しかし、今の発言に疑問が浮かんだ信哉は言葉を続け
る。
「へえ、けど御剣って戦術機の技術だけじゃないのか?」
「緋神君…今のこの状況で戦術機の研究だけでどうにかなるはずないでしょ? あ
くまで戦術機は御剣が開発した最先端の機動兵器だけど、当然他の分野にだって
力を入れているわ」
「ふーん…」
椅子に浅く腰掛けなおし、信哉はコーヒー片手に頷いた。
「オーストラリア地区では確か変形合体の特機の開発が進められていたはずよ。私
達に出向くよう指示が来たってことは、完成の目処がついたんじゃないかしら」
「完成すれば即座に激戦区に送られる、か。まあ、お世辞にも戦力としては厳しい
からな、ここは」
「そうね、散発的な襲撃には柔軟に対応できるけど、総合的な戦力で戦ったらおそ
らく数で押されるでしょう」
「質は量を凌駕する…って訳にはいかないからな。出来る事からやらないと」
そう言って信哉は立ち上がる。すでに皿は綺麗に片付いていた。トレイを持って
下げ口の方へ歩いていく。その道すがら、まだ言い合いを続けながら食事を続ける
武と純夏の姿が目に映る。
(……俺はどうしてたかな)
真理奈との食事、そんな当たり前すぎた日常は記憶に残るような事ではなかった。
当たり前すぎて意識すらしなかった当然の風景。けれど当たり前であったはずの光
景は今自分の傍にはない。
まだ――アザゼルに奪われたものを全て取り戻したわけではない。そして、それ
が本当の意味で帰ってくるのは――
(……アザゼルという組織を潰し、戦いから解放されてから、かな)
改めて己の戦う意義を見出した気がした。そんな当たり前のことでいい。それを
望む心がある限り、自分は決して折れずに戦い続けるだろう。
(それをあいつらのじゃれ合いで確認したってのは笑い種だけどな)
信哉は苦笑する。けれど気分の悪い苦笑ではない。理由なく戦いに身を投じるよ
り個人的でも価値を見出せる理由があるほうがずっといい。
奪われたものを取り戻す為の戦い。それを誰が責められようか。自分に必要なの
は大層な大義名分でも、壮大な理想でもない。ただこの手に抱く大切なモノを取り
戻す為、それだけでいいと信哉は胸を張れる。万人に誇れる己の存在意義。
(俺は――アイツの為だけのヒーローでいい)
幼き日に胸に刻んだ誓いは、今も此処にある。成長した少年の心に変わらず。
第二十一話に続く
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