――神様のように見えた
  
  後に、デュランダルのオペレーターの一人はこう語った。弾けた空間の向こう側
 
 から、地球を背に現れたのは――片翼の天使。
 
  その背に背負うのは白い金属の翼。その身体を支えるにはひどく頼りない、か細
 
 い翼。その概観は機械のようでそうではない、中庸の印象を与える天使を思わせる

 体。その周囲には灼熱のように燃える紅い機体のゲシュペンストを従え、その存在

 感をより現実のものに変える。

 「で、データ照合完了! あれは極東支部に現れたアンノウンと一致しました」

 「…あれが謎の『エレメンター』ですか…」

  報告を聞き、秋子は思考を走らせる。敵の目的は? これからの行動は? そも

 そも何故宇宙に現れた? 指揮官として判断せねばならない材料が山ほどある。し

 かし、相手には明確な意思というものが見えない。先手を取ろうとするのは危険と

 判断し、

 「各機、警戒態勢を…」

  怠るな、その言葉が発せられる前に、天使が動く。

 <………みつけた………あたしの……つばさ…>

  虚を突かれた事も相まって天使の動きはまるで電光石火の如き速さだった。誰も

 が呆気に取られ、硬直した隙を突いて天使は浩平のνガンダムに組み付いた。

 「なっ! くそっ、離せ!」

  浩平は慌てて振りほどこうとレバーを倒す。しかしビームサーベルを握った右手

 は動かせず、左手のライフルも狙いをつける事はかなわない。両腕をしっかりと、
 
 天使の腕で拘束され、広げられた翼が徐々に大きくなりνガンダムを覆い始める。

 <………あたしの……>

 「え…? 馬鹿な…そんな、そんなはず…そんな筈が……っ!!」

  その『声』を聴いた瞬間、浩平の動きが止まる。それは同時にνガンダムの動き

 も止まる事を示す。抵抗のなくなったνガンダムを、天使はその翼で愛おしそうに

 包み込んだ。

 「…浩平っ!」

  異常にいち早く反応した茜がνガンダムを天使に近づける。しかしその進路を、

 ゲシュペンストが立ちはだかり塞ぐ。行かせない、無言の圧迫はそう語っているよ

 うに聞こえた。紅炎がゆらめく体は漆黒の宇宙で一際存在感を放つ。しかしそんな

 事は、茜には関係がない。

 「……邪魔を、しないでください……っ!」

  即座にビームライフルを連射するνガンダム。茜は完全に目の前の浩平を救う事

 しか頭にない。茜のνガンダムは数機のゲシュペンストを前にして尚、速度を落す

 事はしない。その強行突破は危険だ。自らの身を省みない特攻は、単なる捨石でし

 かない。数の前に叩き伏せられる運命だけが彼女を待つ。

 「くっ、誰か里村さんの援護を!」

  天使の動きが鍵となったか、散開してデュランダルのメンバーに攻撃を仕掛けて

 くるゲシュペンストをあしらいながら、茜の無茶な特攻に気づいた住井が仲間に呼

 びかける。

  しかし無人機ながらしっかりとした連携を組み、数で攻め立てるゲシュペンスト

 にデュランダルの面々は苦戦を強いられる。奇襲で陣形を崩された各人は、自分達

 の相手だけで手一杯で、突出した茜機の援護に回れる余裕のあるものはいなかった。

 「わああっ! このゲシュペンスト…結構速いよ!?」

 「あゆさん!? 大丈夫ですか?」

  グラリとあゆのヴァイスリッターが揺れる。シールド越しとはいえ、高熱のジェ

 ットマグナムを真正面から受け止めたのだ。衝撃を緩和しきれないのは必然と言え

 る。アルテミスが援護に入り、ヴァイスリッターを襲っていたゲシュペンストを撃

 ち落すも、二機は他のゲシュペンストに包囲されていた。茜機は遠い。

 「どうしよう…どうしよう…このままじゃ里村さんが…」

 「………!」

  周囲を囲んでいるのは5機。あゆとの連携を駆使しても、素早く片付けられる、

 というレベルではない。だが――

 「あゆさん! 右から来ます!」

 「えっ? う、うん!」

  貫くどころか打ち砕かんとばかりに突き出されたゲシュペンストの右腕を、ヴァ

 イスリッターはかろうじて避ける。アルテミス側からは完全に隙だらけになった、

 ゲシュペンストにアルテミスは容赦なく光の矢を撃ち込んでいく。

 (時間はない…時間はないけど今は…!)

  目の前の敵を殲滅する他はない。真理奈は眼前の敵から目を逸らさない。見るの

 は無数の敵の向こう。

 (折原さん…里村さん…無事で!)

  敵陣に孤立した二人の仲間の姿をその目に焼き付けるのみ。



エクシードブレイブス 第20話


海鳴り、潮騒の午後




 (ああ…ここは)

  浩平は『ここ』がどこだか知っていた。そして同時に何故自分はここにいるのか

 と自問する。

 (オレは…もう、決めたんじゃなかったか)

  たとえ、向かう先に待つのが滅びでも、絆を信じて歩いていこうと、そう望んだ

 のは他でもない浩平自身。けれど、自分の身体はあそこにある事を教えている。

  ゆらゆらと不確かな場所を浩平は確かな足取りで歩く。戻らねばならない、もう
 
 しがみ付くのはやめたはずだ。己の意思を確かめる。迷いはなくその意思は不変。

 それを感じると浩平は、再び歩み始める。そこに彼女はいた。

 <………来てくれたのね、あたしの…たいせつなつばさ>

 「いや、お前が無理やり呼び寄せただけだ。ここに来たのは…オレの意思じゃない」

  違和感を感じる。何かが違う。ずれた筈の歯車が何故か回り続けているかのよう

 なありえないものを見る時の違和感を、浩平はその少女に感じる。

 <……どうして…そんな目であたしを見るの>

 「…何で…お前がここにいる?」

 <……理由なんていらない……望まれたから、あたしはここにいる>

 「違うっ! オレは…オレはお前なんか望んでいない!」

  確かな答え、それを拠り所に浩平は激昂する。馬鹿だ、と自嘲する。こうして取

 り乱している事が、まるで自分が何かに怯えていると告白しているようなものだ。

 自分で判っているからこそとても滑稽に感じた。そしてそんな自分を客観的に見れ

 たからこそ、落ち着きを取り戻す事も出来た。

  そして見る。少女の向こうに迸る、目を覆いたくなるような悪意の存在を。

 「…お前は…誰だ」

 <どうしてそんなことを聞くの? あなたは知っているのに>

 「……ああ、そうか。お前は……」
 
 ぞくりと悪寒が走った。

 (何だ? 何を言ってるんだオレは? こいつの名前なんて)
  
  自分が何を喋っているのかも理解できず、浩平は戸惑いを覚える。しかし、少女

 は暇を与えなかった。

 <ねえ、あたしは誰?>

  瞳の奥を見透かすように少女が浩平を覗き込む。

 「……みずか」
  
  思考という過程を経ることなく、無機質に三つの音が浩平の口より発せられた。

 しかし、その瞬間、その三つの音は連なり意味をなす。少女がにこりと笑って頷い

 た。

 <うん、きっとあたしはみずか。おかえり、浩平>

 「……っ!」
 
  反射的に差し出された手を払う。あってはいけないことだ。知らないはずの名前

 を知っているなんて。この少女はここにいるはずのない少女。いてはならない少女。

 少年が求めた、記憶の残滓。


 「オレは……お前の名前なんて知らない! 知ってるはずがない!」

  違和感が確信に変わる。そして目の前の存在がとても恐ろしい物に感じる。手の

 震えが止まらない。その深い瞳を見ているだけで、戻れないと怖気つく。この世界

 は冷たい。かつて浩平が望んだモノとは違う。目の前の少女も、自分の足元も、こ

 の世界の存在意義も、何もかもが違う。浩平だけが、知りえる世界の情報と全てが、

 食い違っている。

 <……それは本当に正しいの? あなたの知る世界は正しいの?>

 「オレの…世界?」

 <……辛いことがあったよ。悲しいことがあったよ。それがあなたの世界>

 「……っ…!」

  事実だ。浩平は胸の張り裂けそうな悲しみも、忘れたい程の辛い思い出も。まる

 で今の自分は剥き出しの神経だ。風が触れただけで痛み、全身がいっそなければい

 いのにと叫びたくなるような痛みが、言葉を通して浩平を苛む。

 <えいえんはあるよ>

 <ここにあるよ>

  今、再び差し伸べられる小さな手。一度は手に取り、そして拒絶した手を浩平は

 魅入られたように見つめる。虚構の世界と偽りの平穏。

  閉じた時の中のえいえんという名の安息を再び求めるのか。

  決めた筈だった。

  そして否定した筈だった。

  長く重ねた時の中で、知った筈だった。

  永遠なんて何処にもない。

 『……浩平ーーーーっ!!』

 「……ぁ…っ…!」

  それは自分を呼ぶ声。

  何故だろう。間違いなく助けを、自分に助けを求める声だというのに。こんなに

 も自分が救われた気がするのは。浩平は自嘲気味に笑って立ち上がる。痛みはない。

 いや、あるけれども我慢できる。仮初の平穏などいらない、今の自分は胸を張って

 そう言える。

 「前にも言ったよ、みずか。えいえんなんてなかったんだ何処にも」

 <………わたし…は……>

 「オレは歩くと決めた。たとえ先に待つのが滅びだとしても、その瞬間まで歩き続
  けてみせる、あいつと一緒に」

  時間がない。大切な人が呼んでいる。前のように時間をかけて待たせるわけに行

 かないのだ。もう目の前の少女の視線に惑わされない。その向こう側に見える、怖

 気の走る『悪意』を浩平は睨み付ける。

 「だからオレは…テメエをぶっ壊す!!」

  雄叫びが力を生む。それは決別を告げる慟哭。かつて生み出した物を壊す為に。

 偽りを否定する真実の輝きをその腕に抱く。出会いと絆が浩平を変えた光。そして

 確かに浩平の中にあったえいえん。どちらもそれは浩平の心。今、浩平が渇望する

 ものを光は具現化する……!




 ――宇宙空間

  茜のνガンダムは、浩平を包み込んだ天使のすぐ傍まで来ていた。機体の表面は

 敵の猛攻を受けボロボロだ。それでも四肢を失わず、武装の半分を維持したまま、

 天使の傍まで接近できた事は賞賛に値する。まさしく愛は強しと言ったところか。

  しかし目の前の敵はそんな甘い戯言が通用する相手ではない。そして、機体の状

 態から時間をかけることも出来ないと判断した茜は、短期決戦に賭ける事にした。

  普段の彼女からは考えられないほどの無茶だ。それほどまでに彼女の浩平に対す

 る愛は深かった。そして同時にそれは失う事への恐怖の大きさにも比例する。

  茜にとって浩平という存在が全てだった。喪失した恐怖を知るが故に、抗う事を

 止めないのは、愛と恐怖の感情ゆえの事だった。

  未だ天使の周囲に群がる敵をビームライフルの弾幕で蹴散らし、バズーカを撃ち

 突破口を開き、フィン・ファンネルで、近寄らせる前に撃墜する。獅子奮迅の活躍

 で敵の包囲網を突破したνガンダムは、次は天使の本体へ総攻撃を浴びせる。

 「…浩平を…返して…っ!」

  周囲に敵の姿はない。狙うは天使本体。翼を攻撃すれば浩平のガンダムに害が及

 ぶ可能性も考慮しての事だ。

  ビームライフルから絶え間なくビームが撃ち出される。等間隔で無造作に撃ち出

 されるビームは、その軌道上にある天使に向けて一直線に飛び交う。ライフルを撃

 ちつくしバズーカを構えるνガンダムは同時にフィン・ファンネルも射出する。

  ビームが着弾する前に放たれる実弾の嵐。そしてその間を縦横無尽に駆ける、フ

 ィン・ファンネル。まさにビームと実弾が入り乱れる弾幕の坩堝の中心に、天使は

 追いやられた。

  最初のビームが着弾するのがまるで合図のようだった。バズーカ弾が辺り爆炎を 
 
 撒き散らし天使の姿を覆い隠す。それでもなお、ファンネルの攻撃は止まず、煙の

 向こうに存在するだろう敵機に、容赦のないメガ粒子砲を撃ち込んでいく。

 「……これなら…」

  使える武器をほぼ全て使った隙のない総攻撃。並の機体ならそれこそ跡形もなく

 消し飛ぶという程の威力はあった。それでも、茜は晴れていく煙の向こうから来る

 悪寒が消えない事を不安に思っていた。そして――殆ど傷のない天使の姿が、そこ

 にはあった。

 「……嘘……」

  茜がそう呟くのも無理はない。所有する武器の殆どを費やしたと言うのに、天使
 
 の機体には、目だった損傷がない。多少外装が剥がれたり、体のあちこちが削れた

 りしているから、まるっきり効果がなかったと言うわけではない。

  だが、撃ち込まれた弾丸とビームの量を考えれば、あの程度の損傷で済んだ相手

 に大して畏怖を抱かざるを得ない。そして茜は見た。天使の表情がまるで、何かを

 得た時のような充足に満ちた表情をするのを。
 
 「あ……」

  まるで、何かをもぎ取られたかのような喪失感を茜は感じた。雨の日に、彼の温

 もりが背中から消えた時と同じ。彼女の脳裏に支えを失った傘が力なく落ちる風景

 が浮かび上がった。
 
 「……嫌だよ…っ…浩平…浩平ーーーっ!!」

  失う。

  消える。

  三度奪われる。

  目の前から、また消える。

  激情に駆られたまま、そんな想いを否定したくて茜はあらん限りの声で、愛しい

 人の名を呼んだ。

  想いが現実を変える、そんな事は稀だ。どんなに努力しても、どんなに願っても、

 どうしようもない現実に打ちのめされる事は多くある。現実は冷たい。だが――

 
 「呼んだか? 茜」

  
  人が人から託された想いに答える事は決して稀ではない。その声と同時に、眩い

 光が天使の翼から溢れ出る。

 「な、なんだ!?」

 「眩しい!」

  デュランダルの面々の目も眩むほどの光の洪水が宇宙空間の黒を一瞬で白に染め

 上げる。そして、光の波が引いた後には天使と見たことのない機体が相対していた。

 「そんな風に呼ばれちゃ来ない訳にいかないだろ?」

  その機体からは確かに浩平の声がした。外観のベースはガンダムなのだが、微妙

 に崩れたデザインになっており、直線よりも波打った不定形な形状に変わっていた。

 フィン・ファンネルもまるで長い槍の穂先のように先端が鋭くなり、刺々しい印象
 
 を見るものに抱かせる。

 「……エーヴィヒカイト・νガンダム…長いな。エーヴィヒカイトでいいか」

 「そ、そんな名前よりそれは…?」

 「貰った。人様の過去を蒸し返した慰謝料ってとこかな」

  そう言って浩平は何でもないことのように笑って見せた。そのあっけらかんとし

 た態度に、メンバー達も何と声をかけたものか言葉に詰まる。

 「それよりも…茜。アレにどれだけぶち込んだ?」

 「殆どの武器を全部…」

 「成程な、ま、世界一つ変えられるんだ。反則の一つや二つ当たり前ってか。住井!」

  まるで判りきっていると言わんばかりの浩平の言動に、茜は混乱するばかりだっ

 たが、突然浩平は住井を呼んだ。

 「今からオレが攻撃を仕掛ける。何が起こっているのか分析頼むぞ!」

 「やれやれ、心配かけておいて言うのがそれかよ。まあ頼まれたからにはやるけど
  な!」

  エーヴィヒカイトは、νガンダムを遥かに上回る機動で一気に天使の傍まで詰め

 寄った。その機動力は現在のMSでは実現不可能な速度にまで達していた。それだ

 けでも十分に住井を驚かせるには足りたのだが。

 「さあ…手品の種明かしと行こうか!」

  高機動で移動したまま、左手のビームライフルを撃つエーヴィヒカイト。それに

 対し天使は、回避行動どころか防御する気配すら見せなかった。撃たれたビームは

 天使の周囲で突如捻じ曲げられたように、空間に吸い込まれた。不可視の壁のよう

 なものに波紋が広がり、僅かに小さくなったビームが一発だけ、天使の顔の傍を掠

 めた。

 「……冗談だろ…あの機体の周りで空間断層反応だって!?」

 「空間断層…ですって! ちょっと住井! それってマジなの!?」
 
 「マジもマジ! 大マジですよ姐さん!」

 「って誰が姐さんよ! っとそれどころじゃないわね。空間を削ぎ落とす力を自由
  に操る機体? 洒落になってないじゃないの…あれは!」

  こんな時でも突っ込みを忘れないひかりはともかく、確かに空間を制御できる術

 があの天使に備わっているとすれば、こちらの攻撃が殆ど無力化されたことには筋

 が通るわけだ。

  最初にあの天使が登場したときの異様な現象も、その力の一つと考えれば、疑う

 余地はない。緊迫した空気が広がる中、
 
 「空間断層…ね。原理はよくわからんが、オレには通用しないぞ?」

  などとのたまう自信満々な男が一人いた。もちろん、折原浩平その人である。こ

 の状況下でその余裕。その笑みに浮かぶのは虚勢ではない。確信に満ちた自信が彼

 の自信の裏付けとなっている。その根拠が無言のままに問われている事を感じた浩

 平は、茜に声をかける。
 
 「茜! フィン・ファンネルだ、二人で同時に仕掛けるぞ!!」

 「は、はいっ」

  茜は呆気にとられつつも浩平の指示通りフィン・ファンネルを射出する。そして、

 形は変わったが浩平のエーヴィヒカイトのフィン・ファンネルも射出された。

 「お前の虚構は…オレが砕く! 行けっ、D・ファンネル!!」

  浩平の叫びに連動してエーヴィヒカイトが紫色の光を発し始める。そしてそれは

 ファンネルにも伝わり、エーヴィヒカイトのファンネルから、νガンダムのファン

 ネルにまで伝染する。まるで紫電の流星雨の如く、闇を切り裂く羽が天使に向かっ

 て飛来する。

  そして始まる一斉射撃。すでに逃げ場のないよう配置されたファンネルから、波

 状攻撃の如くメガ粒子砲が放たれる。それは本来ならば削ぎ落とされた空間に巻き

 込まれ、天使の機体を傷つけるに至らないはずだった。しかし、その攻撃はまるで

 空間断層などなかったかのように、天使の身体に届きその整った外観を次から次へ

 と打ち砕いていく。衝撃が、光が、怒涛の如く天使に押し寄せる。その様は猛禽類

 が小鳥を襲う様に酷似していた。圧倒的な護りを砕く圧倒的な力の具現がそこにあ

 った。

 「これは…」

 「ちょっと住井どうしたのよ?」

 「いや…今の折原達の攻撃が起こった時、空間歪曲反応が発生してた」

 「はい!? 断層の次は歪曲!?」

 「いや結城さん落ち着いてください。歪曲っつても微量です。丁度…ファンネルの
  攻撃が届くくらいの小さな範囲ですから」

  それでもこの短時間での変貌に住井とひかりは驚かざるを得ない。一体浩平は何

 をどうしたというのか、二人の疑念は尽きなかった。しかし、今は目の前の敵を打

 倒する力を浩平が得たと言う事の方が重要だった。

 <………どうして……?>

  そこまで追い詰められて、ようやく天使の中にいた少女――みずかが口を開いた。

 浩平にはその表情を知る由もないが、彼女が少しばかり動揺しているのは感じ取れ

 た。いや、本当に動揺しているのは『みずか』だろうか。それとも――

 「言ったはずだ。お前を壊す。その為に躊躇う事はしない。いい加減に『そっち』
  から出てきたらどうだ?」

 <………破滅をつげる時……ただ願う者がそれを喚ぶ…>

  しかし、浩平の問いに『それ』は答えることなく謎めいた言葉を残して消えた。
 
 それに続くように残っていたゲシュペンストも次々と消えていく。そこに残ったの

 は宇宙を支配する静寂のみ。

 「終わった…の?」

 「…今はな。けどまだ次がある…」

  呟くような茜の問いに浩平は力なく答える。今でも思い出すだけで背筋が凍る。

 とてつもなく巨大な悪意の片鱗。あのみずかの中に見たアレは自分の想像を遥かに

 超えている。浩平は気づかないうちに自分の手が震えている事に気づいた。けど、

 退くわけに行かない、退けない理由がある。拳を握り締め、その震えを無理やり抑

 える。

 「全機、帰還してください」

  浩平を我に返したのは、そんなオペレーターの言葉だった。

 
 ――マザーバンガード リビング

 「折原、ここにいたのか」

 「住井か。何だよ、悪いが今のオレは剃刀だ。触れると火傷するぞ?」

 「何で剃刀に触ったら火傷するんだよ。脳は大丈夫か?」

 「案ずるな、何時も通りIQ180をキープしている」

 「その何処からか叩かれそうな数字はやめとけな。せめて140くらいにしとけ、
  それならお洒落だ」
 
 「む…確かに妬まれずかといって非凡の数字か。くそ、やるな住井」

 「やっぱりいつもの折原のキレが無いみたいだな」

  今までの会話でこんな結論に至るこの二人の思考回路を一度見てみたいものであ

 る。とりあえず発言はさておき、珍しく二人揃って真面目な顔を突き合わせている。

 こんな表情で話すのは滅多に無い事だ。

 「そうそうお前のガンダムの事だが…」

 「何か判ったのか?」

 「精神感応金属『サイコフレーム』が解析不能な変化を起こして結晶化というか、
  機体の中心にコアみたいなものを形成してる。何であのガンダムだと空間断層を
  無効化できるのかは判らず仕舞いだったが、お前の意思を通してあのサイコフレ
  ームが何らかの力を与えているのは間違いなさそうだ」

  一息おいて住井はため息をつく。
 
 「まあ一弥にも分からんものが専門外のオレに分かるはずもない」

 「ふーん、性能は?」

 「とりあえずνガンダムと比較してかなりの向上が見込まれてる。今の技術じゃあ
  れだけの運動性を持ったMSは作れない。大事に使えよ」

 「判った」
 
 「後、これは直接関係ないがデザインが微妙に変わっちまった事で里村さんが少し
  落ち込んでいた。お前がきちんとフォローしとくように」

 「はい? 何で茜が落ち込んでるんだ?」
 
 「……何でお前のような奴が彼女持ちなのか全く不可解極まりないが、お前と揃い
  のMSじゃなくなったからだと思うぞ」
 
 「あー…そういう事か。わかったフォローを入れておく、流石乙女回路の持ち主だ
  な、住井」

 「人に変な回路を埋め込むな!」

 「よし、お礼にこいつを食べやすくしてやろう」

 「こらっ! シュークリームの皮をめくるな!」

  住井の忠告は意に介さず、浩平は住井の前にあるシュークリームをフォークで皮

 をめくって分解する。

 「後、長森さんと柚木さんが次のステーションで合流するとさ」

 「へえ、検査終わったのか。ってちょっと待て、何で柚木の奴まで来るんだ」

 「倉田重工でのテストパイロットの仕事が終わったから、試作機と一緒に来ると」

 「……アイツが戦力になるのかねえ…」

 「いいじゃないか、女性が増えるのは大歓迎だ」

 「そうだなあ…」
 
 「って、あーっ!! こら折原っ、オレのシュークリームがもう原型を留めていな
  いだろうが! いい加減フォークで弄るのはやめろぉぉぉぉ!」

  しかし住井の制止も聞かずに浩平はフォークで皮を弄る、クリームをどかすと、

 およそ食べ物を粗末にしているとしか思えない行為に没頭していた。その目は、虚

 空を見つめ、目の前の風景など一切映っていない。

 (……みずか…か。長森…瑞佳…偶然…だよな…?)
 
  理由のわからない謎ばかりが頭を悩ませる。まるで先の見えない迷路を歩いてい

 るような、或いは何処が上で何処が下なのかもわからない空間を走っているような。

 疑問だけが浩平の胸を埋め尽くす。

 「オレのシュークリームーーーーっ!!」

  とりあえずフォークだけでも止めてやったらどうだろうか。





 ――???

 「美坂君。全員に出撃の準備を」

  椅子に座っていた少年はおもむろに立ち上がり、机の前で控えていた少女に告げ

 た。ウェーブのかかったロングヘアーを右手で払いながら少女は立ち上がり、訝し

 げに尋ねた。

 「全員? また随分大がかりね。目的は?」

 「アンリミテッド母艦ノア・プラチナム。これを破壊し、彼らを宇宙に上げるなと
  いう総帥のご命令だ」

  コツン、と少年は机の上に乗っていた戦艦風のフィギュアを指で弾く。それは慣

 性に逆らうことなく、机の上に横たわる。

 「なるほどね。で、勝算はあるのかしら? 相手はエース部隊にして、最新鋭の兵
  装を揃えている強敵よ」

 「北川君たちと合流して、僕らユーゲント全員で任務に当たる。無論、策はそれだ
  けじゃないけどね」

  押し殺した笑い声を上げる少年。その笑みは勝利を確信し、己の策に酔いしれる

 愉悦の表情に満ちていた。

 「……彼を使うのね」

  対して少女は気だるげに答えた。いや、気だるげと言うよりは感情が表に出てい

 ないようなと言った方が正しい。彼女にとって手段や目的、結果すら感情を揺さぶ

 られる要因にはならない。幾多の過程を達成し、最後に手にする結果だけが、おそ

 らく彼女に初めて感情の起伏と言うものを与えるだろう。それ以外の事は全て作業

 に過ぎない。

 「もうそろそろ使ってもいい頃だろう? それに、まさか破壊する艦に彼を置いて
  おくわけにもいくまい」

 「分かった。準備をしてくる」

 「ああ、そうそう。つい最近入った情報だけど」

 「何かしら?」

  何かありそうだと思わせる笑顔を浮かべた少年の言葉に、少女はぴたりと足を止

 めて振り返った。

 「アンリミテッドに強力な新兵器が加わったらしい。その新兵器のパイロットに面
  白い名前を見つけた」

 「…………」

  詳細を示した報告書。その中に、少女にとって見覚えのある名があった。しかし

 それを見てなお、少女の表情は揺るがない。

 「美坂栞。これ、君の妹じゃなかったかい?」

 「……そんな名前もあったわね」

 「なるほど。いや、失礼。どうやら、僕の杞憂だったみたいだね」

 「見くびらないでちょうだい。ここに身を置いた時から、覚悟は出来てるわ。あた
  し達の理想に刃を向けるなら、神仏でも叩き伏せるまでよ」

  そんな言葉を少年に叩きつける瞬間、彼女の目には僅かに感情が宿ったのを少年
 
 は見逃さない。言うだけ言うと少女は今度こそ部屋を退室した。

 (まるで、自分に言い聞かせるようだったな)

  少女が去ったドアを見つめながら、少年は小さく息を吐いた。机の上にはまだ、

 幾多の報告書がある。それに目を通した時、とある一点が久瀬にある感情を抱かせ

 た。

 「ふふふ、アンリミテッドか。随分楽しませてくれそうだ」

  様々な思惑の交差する中、また一つの運命の歯車が噛み合おうとしていた。

                             第二十話に続く

2005年 10月17日 加筆修正

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