――極東支部 管制室

  突如、極東支部を襲撃した謎の部隊に、管制室にも動揺が走っていた。形状不明、

 情報不足、新たな勢力の出現に上層部は混乱に陥っていた。

 「司令! 敵の分析完了しました!

 「わかった、報告を聞こう」

 「敵の中心と思われる大型の機体に関しては全く情報が得られません。使われてい
  る素材、機能、全てがアンノウンです…」

 「ふうむ、中々ロマンチックだね。天使とはやはり人には計り知れぬものという事
  かな」

  司令こと、珠瀬長官はこの非常事態のさなか、実に落ち着き払った態度で報告を

 聞いていた。その堂々さたるや、慌てている者たちに逆に焦るのが間違っているの

 かと思わせるほどだ。

 「新たに現れたものについてもほぼ同様です。ですが形状は取り込んだゲシュペン
  ストをベースにしているのか、似通った部分がいくつも確認されています」

 「兵力を現地調達…という事かな?」

 「敵の目的は不明です。ですが、そちらの方に関しては気になる点が一点」

 「何だね?」 

 「…強い熱源反応に加え、金属反応がありませんでした。まるで…炎が意思を持っ
 てゲシュペンストを形作っているような…」

 「雪像や氷像ならぬ炎像か。夏場にはご退場願いたいものだ」

  さほど表情を変えずに頷く珠瀬長官。さすがにその態度が気になったのか、一人

 のオペレーターが尋ねた。

 「…司令、随分と余裕がおありなのですね…」

 「何、戦場では私の半分の歳にも満たぬ兵が戦っておるのだ。ここで私達がみっと
  もなく動揺などしている暇もなかろう?」

  上層部の動揺は、兵の士気や部隊の統制など、様々な部分で影響を及ぼす。彼は

 一部隊を預かる身として心構えにしたがっているに過ぎない。

  その威厳ある一言に司令部は徐々に落ち着きを取り戻した。周辺の基地への警戒

 や伝達など、滞りなく連絡が伝わっていく。

 「それに娘にみっともない姿を見せられんのでな。写真もあるが見るかね?」

 「は? し、しかし司令のお嬢さんは確か…」

 「今年で18になる。やはり父親として無様な姿は見せられんからなあ」

 「は…はあ…」

  18にもなった娘の写真を持ち歩く父親というのは随分と珍しい、とそのオペレ

 ータは思った。というより、めったにそんな父親はいないはずだ。

 (た、単なる親馬鹿なのか、百戦錬磨のベテランなのか…判断に悩む)
  
  若き司令室のオペレーターは、突如ぶち当たった人生の不条理に頭を悩ませなが

 ら、モニターを睨む。

 「…! 第四区画にも同型の敵が出現! 数は少数!」

  その声に娘の写真を見て緩みかけていた長官の顔が引き締まる。こう言っては何

 だが、どちらかの顔で統一して欲しい。

 「そちらには駐留部隊を向かわせろ! 基地正面の敵の主力と合流させるな!」

 「第六区画にも出現! 真っ直ぐに敵の中心部隊へと向かっています!」

 「数が足りんな…止むを得ん、本部周辺からいくつかの部隊を向かわせろ」
 
 「しかしそれでは本部が手薄になりますが…」

 「敵の動きから察するに彼らには軍事的な目的はない。但し、この機に乗じてRG
  や他勢力の動きがあるかもしれん。周辺の監視を強化しろ!」

 「は、はい!」

  モニターの地図上には先程よりも敵の数が増大していた。しかし、そのいずれも

 最初に敵が現れた地点へと向かっている。

 (…不可解だな。一体何が目的だ…?)

  敵の目的を推測しようと、長官がモニターから目を放したその時だった。

 「司令! 基地に接近する艦が…これはノアシップです!」

 「む、彼らが間に合ったか!」

  長官は再びモニターに目を移す。本部からの援軍も効いたか、四、六区画の敵は

 見事に足止めをくらっている。

 「よし、ノアシップに第一級戦闘配備と伝えろ。但し敵戦力は不明、くれぐれも注
  意してあたれとな」

 「了解!」

  くるりと背を向けた長官の姿を見て、オペレーターは思った。ああ、やはり司令
 
 は頼れる、と。

 (ノアシップが来たという事は…たまが乗っているに違いない。さて菓子折り等は

 あったかな…?)

  緩みに緩みきった顔で、娘をもてなす事しか既に頭が働いていない珠瀬長官を見

 ても、彼の信頼に揺るぎがないかは不明である。

 

エクシードブレイブス 第9話


空っぽの天使




――屋外演習場

  姿形は多少異形のゲシュペンストだが、武装面では舞人達の予想を上回るもので

 戦闘を仕掛けていた。

  超高温を宿したジェットマグナム、周囲にまとっている太陽を思わせるほど輝く

 炎は、容易くシールドを破り機体よりもむしろ中のパイロットを高温で蝕む。

  高温の使い方としては実に有効な手段である。有人機限定ではあるが。

  直撃を避けるため、距離を取った戦闘に切り替えて対応しているのだが、遠距離

 主体の武装が殆ど装備されていない、つばさのグルンガストが大いに苦戦を強いら

 れていた。

 「んー、まいったねこれは」

  の割に全然参ってないようなのは本人の性格だから仕方がないとして、つばさの

 コメント以上に実は状況は危ない。

  中心の天使型の機体の動きが読めないのもさることながら、圧倒的に数で押され

 ているのだ。舞人のパニシュメント、牧島のジガンスクードがそれぞれ敵を押し留

 めているが、圧倒的に物量不足である。

 「こら、八重樫! お前も参加しろ!」

 「や、ゴメン。私、そう言うキャラじゃないし」

 「この際キャラは関係ないだろうが! ていうかアッチ! アッチィっての!」

 「さくっちもうチョイ頑張ってねん〜」

 「だああ、ぷじゃけるな貴様ぁぁぁ!」

  と、舞人に余裕をかまして見せるが、つばさのグルンガスト予想以上に消耗して

 いた。後、一発でコックピットを貫かれるほどに。肩や、脚部の装甲は焼けるを通

 り越して融解していた。ジガンやパニシュメントにそういった跡が見当たらないの

 は意外にパイロットの二人が直撃を避けているからである。

  とはいえ、それが前線で戦わない理由にはならないのだが、つばさはこの状況下
 
 を打破する手段がない限り、自分がが今出たところで無駄死にするだけだと判断し

 た。

  そんな路傍の石のような扱いはつばさには我慢ならない。やる気はないが、やる

 なら有効的でもっとも効率的な手を打つ。

 「ヤマ、援護よろしく」

 「相変わらずいきなりなんだな、八重樫さん」

 「ま、さくっちにやれって言っても無理でしょ」

 「そうだなあ、あいつには絶対無理だ」

 「ということでよろしく」

 「了解しました」

  山彦が返事をするが早いか、つばさのグルンガストは手に巨大な剣を持ち、手近

 なゲシュペンストへと接近する。

  ブースターを全開にし、高速で移動し、その突進力をそのままを乗せた剣戟に必

 殺のエネルギーを乗せて放つ、グルンガストの大技。

 「天に二つの禍つ星…後、なんだっけ? ま、いいか」

  凶星より来たりて、不幸をもたらす羅喉の剣。そして示すは…!


 計都羅喉剣 暗剣殺


  脅威の一刀両断がゲシュペンストに炸裂する。スピードとパワー、その両方を兼

 ね備えた一撃が、容赦なくその無人の兵器を斬り捨てる。

  グルンガストが剣をしまうと同時に、その後方で爆発音が響く。しかし、斬り捨

 てたのは所詮一機。動きを一時的に止め、無防備になったグルンガストに後続のゲ

 シュペンストが襲い掛かる。

  だが、その一撃がゲシュペンストに届く事はなかった。上空から降り注いだ一撃。

 グルンガストとゲシュペンストの間に入るように落ちた閃光は、近寄るゲシュペン

 ストを確実に射抜き、足を止める。

 「さんきゅー、ヤマ」

 「いえいえ、どういたしまして」

  飛行形態のビルトラプターのアンダーキャノン。グルンガストの上空を旋回しつ

 つ敵機の足を確実に止める攻撃という少々厄介な仕事を、山彦は容易くやってのけ

 たのである。

  おまけに対地用ミサイルをばら撒きながらゲシュペンスト郡の上空を飛び回りつ

 つ、グルンガストの退路を確保するという丁寧な仕事ぶり。伊達に女性のエスコー

 トに慣れているわけではない。ちょっと違うような気もするが。

  一方、前線を二機で押し上げているパニシュメントとジガンスクードだが、バリ

 ア搭載機という事も手伝ってか、善戦していた。

  その圧倒するほどの重量と大きさのシーズアンカーユニットで、群がるゲシュペ

 ンストを蹴散らすジガンスクードに、機体とほぼ同サイズの50mクラスの騎士剣

 を振り回すパニシュメント。

  だが、的確に相手との距離を保ちつつ戦うジガンに比べて、パニシュメントは力

 任せに振り回しているとしか見えなかった。その為、攻撃の動作に無駄が多く、一

 向に敵が減る気配はない。

 「舞人君、右、右から来てる!」

 「ああもう! 次から次へとゴキブリかあいつらは!」

  叫びながら舞人は手前にレバーを倒す。パニシュメントが構えた剣は、鋭く振り

 下ろされゲシュペンストの形を与えられたものを切り裂いた。

  形を維持できなくなったそれは、エネルギーの放出と爆発とともに消える。どう

 やら大半をエネルギーで構成されているとはいえ、許容以上のダメージを蓄積され

 ると破壊されるという事は変わらないようだ。

  やや敵と間合いを取りジガンとパニシュメントは背中合わせに立つ。

 「ふん、確かに貴様の言う事に同意するのは不本意だがこれではキリがないな…」

 「おーい、牧島。ガンドロのあれでやっちゃえよ」

 「さ、桜井! 何だそのガンドロとは!」

 「ジガンスクード・ドゥロ、略してガンドロ。いいじゃん呼びやすくて」

 「勝手に人の搭乗機の名前を縮めるな!」

 「それはいいけど、やるなら早くやってくれ」

 「ええい! 貴様後で覚えていろ!」

  不本意だ。牧島の心情はそれで埋め尽くされていた。だが、舞人の言う事もまた

 事実な訳でそんな現実が余計に彼を苛立たせる。往々にして人生とは不条理で出来

 ている、彼が悟りを開くのもそう遠い日ではないのかもしれない。

  ゲシュペンストは特攻してきたジガンスクードに群がるように集まってくる。逆

 にジガンは基地周辺、味方機を巻き込まないようどんどん戦線から離れていく。

  やがて後ろから集まってきたゲシュペンストが一丸になり始めたとき、ジガンは

 急反転しその群れの中に突っ込んでいく。

 「G・サークルブラスター、開放!!」

  高めたエネルギーを機体を中心に放射状に一気に放つジガンスクードの大技。ジ

 ガンスクードの周囲からゲシュペンストが纏う高温をも遥かに上回る高熱のエネル

 ギーが放たれ、それに伴う衝撃波が一瞬にして円周上に開放された。

  上から見れば半円状のエネルギーの放出が確認できる。そしてその衝撃の奔流に

 ゲシュペンストたちが飲まれていくのも、また。

 「おおー、相変わらず派手な事で」

  そんな現状をのん気に見つめていた舞人だったが、

 「舞人君! まだ! まだ後ろから来てるよ、もう!」

 「うわっとと!」

  希望の反応が早かったか、パニシュメントは後ろから接近してきたゲシュペンス

 トのジェットマグナムの一撃をかろうじて回避する。

  反転するように避けたパニシュメントは、反射的に右手の剣を振り下ろす。垂直

 に振り下ろされたそれは、ゲシュペンストを容易に切り裂いた。

  ふと、舞人が周りを確認すると、先程結構な数が吹き飛ばされたはずのゲシュペ

 ンストがわらわらと湧き始めていた。

 「うん、ちょっとヤバイね。とりあえず神様にでも祈るか?」

 「いや、舞人。どうやら救いの神様はいるみたいだぞ」

  その言葉と同時に演習場に影が差す。巨大な戦艦の影、そして――

 『こちら、アンリミテッド、これより援護に入ります』

  そしてハッチが開き、次々と降下してくる機体郡。そして武の戦術機の降下点は

 舞人のパニシュメントの傍だった。

 「ああ、間に合ったのかー。いやはや惜しいな、これからナイト桜井の華麗なる反
 撃のお時間が」

 「ほう? そんな余裕があったのか、舞人? 声を聞く限り結構一杯一杯みたいな
 気がするんだがなあ?」

 「そそそそそんなことありません!」

  鋭い武のツッコミにそう返すも、舞人が嘘をつく際に敬語になるという癖は、山

 彦によって明らかになっている。

  苦笑いをしつつも武は残ったゲシュペンストにマシンガンを叩き込む。弾丸は飲

 まれるようにボディに突き刺さるも、ダメージは与えているようである。

  中破したつばさのグルンガストを庇うかのように、上空から降り注ぐ対艦刀の一

 撃が眼前の敵を一刀両断にする。冥夜の戦術機、武御雷だった。

 「しかしこの奇妙な敵は一体なんだというのだ? 八重樫、一体ここで何が起きた
 のだ?」

 「ん、んー、あたしらにもよくわかんないのよねー。ただ、あの真ん中の天使?
 あれが来てから、さくっちのグルンガストが変身したり、ゲシュちゃんがあんなの
 になったりで」

 「…すまぬ、どうも的を得ぬのだが」

 「気にしないで、あたしもよくわかんないから」

  それ以上は話せることが無いとばかりに二人の会話は唐突に切れた。アンリミテ

 ッドの合流以降、すでに勝敗は決したかに見えた。その状況から他のメンバーにも

 余裕のようなものが感じられる。

  だが、そんな中で緊張感を解かずにある人物に視線を注ぎ続ける人間がいた。そ

 の視線は戦場で本来向けられるはずの敵ではなく、友軍に向けられている。

  その視線の主は信哉だった。信哉は、尊人の駆る疾風の一挙一動を逃すまいとば

 かりに注意を払っていた。いや、釘付けにされていたと言った方が正しいだろうか?
 (…俺の気のせいか…? あいつの戦いを見てると、何故か悪寒が走る。それに、  この感覚、どこかで……?)   尊人の闘いは敵に対して容赦の無い攻撃の嵐だった。距離を取り、リボルバーで  相手の部位を確実に破壊しつつ、決して自らの射程を外さずつかず離れずの距離を    維持している。   高速で相手の周囲を旋回し、常に敵の的を外すように動きそして確実に仕留める。  その計算された的確な戦闘だからだろうか、彼が背後にいるだけで信哉は妙な胸騒  ぎを抑える事ができなかった。   だが、そんな戦闘も唐突に終わりを告げられる。  <まだ、たりない…>   その声はか細く静かな声、けれど戦場に響くどんな轟音よりも確かに響き、パイ  ロット達の耳に届いた。   気がつけばゲシュペンストたちはすでに姿を消している。倒しつくしたのかある  いは、あの天使の『彼女』が何かをしたのか。いや、そもそもはじめ舞人達の訓練  用に配置された数は倒した数よりはるかに少なかったはずだ。   いずれにせよ、天使の存在感はあまりに異質で不気味だった。特にそれを感じて  いたのは、直に向き合った舞人と希望だろう。彼らは天使を敵として戦おうとして  いたはずなのに、気付いたら眼前に天使の姿はなくゲシュペンストもどきの雑魚掃  討に追われていた。そう、まるで天使の存在がこの瞬間まですっぽりと抜けていた  ように。いや、確かに天使はいた。だが、何故か攻撃意思の対象として、すなわち  『敵』としての知覚が出来なかったのである。そうかと思えば、天使が一言発した  だけで何よりも大きなものがそこにいるかのような存在感が場を支配する。   自然と――パイロット達は天使に注意を向けていた。  <みつけた…>   突如、片方しかない天使の翼が広げられる。そして天使の周囲から凄まじいほど  のエネルギーが放出され始める。   そして天使は一瞬だけ信哉のクラウ・ソラスに視線を向けた。   まるで、それを通して中の人物? に見つめられているようで信哉もまた視線を  逸らせない。  <あなたの波動は剣。全てをこわし、全てを断ち切る刃。じゃあ、この流れは?>  「え…」   その言葉の真意を、意味を、確かめることも出来ないまま、それと同時に天使は  その右手を掲げる。  <なにがみえる?>  <あなたのすがたは?>  <あたしのすがたは?>  <あなたのせかいは?>  <あたしのこえは?>  <あなたのこころは?>  <あなたのいのちは?>  <ほら、なにもないでしょ?>   その言葉が終る刹那、右手から天使の周囲を旋回するような一筋の閃光が流れ  た。その軌跡から地面を抉るような光のエネルギーが立ち上り、近づこうとして  いた信哉達の機体を牽制する。   視界を埋め尽くす白、しろ、白。その場にいた全員が、まるでこの世を白で埋  め尽くされたかのような光景を見た。何も見えない。敵と思しき天使の姿も、味  方の姿も、そして自分の姿さえ。   やがて光が止むと天使の周囲はまるでそこだけ爆撃があったかのように土砂が  抉れ、冷たいアスファルトで舗装された滑走路が見るも無残に剥がされていた。   ほんの一瞬だった、自分達の範疇の越えた想像以上の力。その破壊の傷跡を目  の当たりにし言葉もない信哉達を尻目に、  <流れは止まらない。あなたたちには止められない。あたしは、時が満ちるのを   漂いながら待つだけ>   そう言葉を残して消えた。まるで、自分に挑む事が無意味であるかのように。    「なっ…!? 消えた…!?」   信哉は驚愕の声を漏らす。ほんの数秒前にそこにいた天使は、姿を消していた。  「追跡は!?」  「ダメです、完全にロストしています!」   月詠はすかさずオペレーターに尋ねたが足取りを掴む事は出来なかった。何か、  釈然としないものを感じつつもこのままでいるわけにも行かず、月詠は、  「ノアシップ着艦します。各自帰還せよ」   ただこの戦闘が終った事を告げる命令を下した。  ――極東支部 ブリーフィングルーム  「いやあ、アンリミテッドの諸君よく来てくれた」      軍属らしからぬ気さくな人柄を出しながら初老の軍服の男性がアンリミテッド、     そして極東支部に残っていた舞人達の前に姿を現した。  「あのアンノウンについては以前調査中ということだ、そこで…ん?」   早速現状説明かと思いきや、椅子に腰掛ける一人の少女に目を向けるや否や、  「おお〜、たま〜!」   まるで娘に久しぶりに会った、父親の如く壬姫に駆け寄った。いや、実際その通  りなのだが。その事を知る人物は、    (ってアンタもたまだろうが!!)   と心の中で同じツッコミを浮かべ、事情を知らぬ者は長官の豹変振りに目を丸く  するだけであった。  「あ、ぱ…じゃなくて長官、お久しぶりです!」  「うんうん、たまも立派になったなあ。でも、パパと呼んでくれないのは淋しいな  あ」  「えっと…一応皆の前だし」  「うむうむ、そうだな公私の区別はつけんとなあ」   ちょっと待て、今がその時だ。   その場の全員の想いが一致した瞬間だった。いくら多少面識があるとはいえ、違  う部隊で各々の活動をしていた人間の思考を一瞬にして統一させるとは恐るべしは、  長官か。しかし、何かが激しく間違っている気がする。      名残惜しそうに壬姫から離れると、再び長官はボードの前に立ち、    「さて、今後の君達の活動についてだが…」   と、先程の緩みきった顔とは一転してりりしい表情に変わっていた。この変わり  身の速さはさすがだ。もっとも威厳の回復とまではいかなかったようだが。  「先刻、宇宙にいるデュランダル隊より連絡がありRGの部隊との交戦があったそ  うだ」  「知っての通り、現在こちらの通信系統は著しく制限されています。RGが宇宙か  らの妨害を行っているからです」  「然様、お陰で近距離での通信しか行えぬ上、機密保持もままならん。宇宙軍との  通信も、コロニーをいくつか経由してやっと行える現状である」   珠瀬長官と月詠は交互に現状を説明していた。  「そこでだ、アンリミテッドの諸君とこの基地の訓練生達は共に宇宙に上がっても  らうことになった。宇宙での指揮は、デュランダルを預かる水瀬大佐に執ってもら  う」   水瀬大佐、その名を他人から口にされることで祐一はあの優しい叔母をはじめ、    従兄妹達も戦場にいるのだということを実感した。  「しかし、珠瀬長官。よく上が納得しましたね、アンリミテッドはいわば私兵団で  すよ? 上層部の連中が黙って納得したとは思えないんですけど」  「なあに、君達はそんな大人の事情など気にせんでくれ。ただでさえ君達のような  若い兵士達を戦場に送っていると言うのに、そんなつまらぬ争いなどで心労を負わ  せたくないのでな」   武の質問に気持ちの良い笑顔で答える珠瀬長官。結局はぐらかされてしまった訳  だが、そういった事情に深く突っ込むつもりもない武は頷いた。  「ノアシップの改修作業が終わり次第、君達には倉田研を経由して宇宙に上がって  もらう。以上だ!」   そこで会議は解散となった。しばしの自由時間を満喫するため、思い思いの場所  へと移動を始めた。  「さて、たま〜。おいしいお菓子があるんだが」   後ろから聞こえてくる声を皆が皆、聞こえないフリをして通り過ぎた。  ――極東支部 ドック   ノアシップは一応戦艦という名目を保ってはいたが、輸送艦を改造した程度のい  わば間に合わせの戦艦である。   今後激化する戦闘に耐えうるには対宇宙、対地上用の様々な武装に大量の機体を  輸送可能にするための大型化など様々な問題を改善する必要があった。   そこで、珠瀬長官がスペースノア級の大型艦への改修を提案したのだった。私兵    であるアンリミテッドにそこまで出来たのは、上層部が指揮を取った対RG戦での  失敗を盾に、珠瀬長官が上をねじ伏せたからに他ならない。   改修作業を眺めていた信哉だったが、思ったより時間がかかりそうだったので、  他の場所へと移動する事にした。   誰もいない通路を歩いていると、角から誰かがこちらへやってきた。それが、誰  であるかを知るや否や、信哉は身構えるくらいの緊張感を感じた。   鎧衣尊人、彼がこちらに向かって歩いてきていた。ただそれだけのはずなのに、  どうしてこうも心が焦りを感じるのか。   わからない。ただ通り過ぎるだけなのに、まるでこれから剣を合わせようかとい  う様な押しつぶされるようなプレッシャーを感じていた。   すれ違うまで、後三歩、二歩、一歩。肩も触れない距離で何事もなくすれ違い、  信哉は信哉はやや早足気味に角を曲がった。   そこから後ろを振り返る気力は起きない。ただ、一刻も早くこの押し潰されそう  なプレッシャーから逃れたかった。だから、駆け足とも思えるくらいの足取りで通  路を通り抜けていった。   角を曲がった先で、尊人は何も言わず、通ってきた道を振り返る。足早に遠ざか  っていく足音を耳にしながら、彼はいつもの笑顔を絶やさない。   その瞳も、口元にも変化はない。いつも通りの鎧衣尊人がそこにいた。だが、人  が見れば、いつも通りであることがむしろ酷くいびつに見えたかもしれない。                                   第十話に続く

エクブレTOPに戻る