――ノアシップ 艦長室
戦闘後、連邦軍極東支部の基地へと移動中のノアシップの艦長室。
信哉と祐一は、先程の戦闘での出来事についての説明を求められていた。敵方の
パイロットとの通信、そして会話内容から当然の処置である。
強いて隠す必要も無い事であったため、二人の口は軽かった。
「アザゼルでの被験者同士のつながりですよ。もっとも俺たちが最重要カテゴリー
の通称『カテゴリS』だったのに対して、あいつは『カテゴリB』の被験者でし
たから、あんまり親しいっていうほどの付き合いじゃないです」
頷きながら信哉の説明を聞く月詠。職務質問というよりは確認といった雰囲気が
彼女には出ている。問い詰めるつもりも無いのだろう、その視線は至って穏やかで
ある。
「一年前です、あいつともう一人の被験者がアザゼルから脱走したのは」
「お陰で俺達が脱出するときは二重、三重に計画を練らなきゃならなくなったんだ
よなー」
「何言ってるんだ。祐一は殆ど頭使ってないだろう」
「いやいや、計画をしっかりと実行できる優秀な相方がいたからこそ、お前の作戦
が生きたんじゃないか」
悪びれもせずそのように言い放つ祐一を半ば無視して信哉は話を戻す。
「まあそんなわけで一応北川とは顔見知りです。確かにカテゴリの違いがあるとい
う事を踏まえれば、親しいとは言えますけど…」
「いえ、事情は判りました。ところで彼が何故RGについているか…その理由には
心当たりはございませんか?」
「……元々アイツはスペースノイドだって聞いてます。アザゼルは基本的にコロニ
ーから被験者をさらったりはしてないはずですから…」
「移民ですか。珍しいですね、コロニーの生まれで地球に移る人というのも」
基本的に住む場所が分かれてから、よほどの事情が無い限りコロニーから地球に
移り住む人間は珍しかった。上の連中のような差別意識ではなく、単に環境適応
の問題だ。無菌状態で空気が清浄なコロニーに比べ、地球の空気は非常に汚れてい
る。
そのため、病気に対する免疫等、様々な環境適応能力を考えるとコロニーの生活
が長かった人間が簡単に移り住めるような状態ではないのだ。
もっとも、慣れてしまえばそれまでという話ではあるが。
「けど、アイツ世直しとかそういう類の事を考えるような奴だったか…?」
「あいつなりに、RGの中に何かしらの正しさを見つけているのかもしれない…。
祐一、お前はあいつと話したんだろう? 何かわからないのか?」
「知らん、ストレートな割にもったいぶった言い方するから」
「どこか悟ったようで…何も考えてなさそうな所があるからな」
結局のところ、理由については憶測の域を出ない。そんな意味を込めて、信哉は
首を横に振った。
「分かりました。では最後に一つだけ聞かせてください」
「はい、何でも」
「……お前少しは躊躇しろよ」
「こんな美人の頼みを断るなどという選択肢は俺の辞書にはない!」
「あら、お上手ですね相沢様」
誰かこのアホを止めてくれ、と言わんばかりに信哉は頭を抱えた。ある意味この
場でお世辞を飛ばすとは祐一も大物である。それをさらりと流す月詠も月詠だが。
冗談はほどほどに、月詠は厳しい視線を二人に向ける。さしもの祐一もこれには
ごくりと唾を飲み込んで押し黙った。
「あの指揮官とお二人の関係は分かりました。それで、再び彼が現れたとき……撃
てますか?」
二人はその質問に顔を見合わせた。そして、二人とも静かに頷いた。
「撃てます。俺達の前に立つなら撃つまでです」
「……次は撃たれないように撃ちます……」
『相沢』
「へっ? 香月博士!?」
どこからか――艦長室のスピーカーから何故か香月博士の声が流れ始めた。実に
嬉しそうな声が、祐一の第六感を刺激した。これはヤバイと。
『声だけでわかってくれるなんてお姉さん嬉しいわ』
「あの、どこから聞いてたんでしょうか?」
『全部。あんた、私がただの科学者だと思ってたの?』
「香月博士、艦内に盗聴器を仕掛けるのはやめてください」
月詠はとりなすが香月博士は意に介さない。
『ふふふ、安心なさい艦長。この艦の平和は私が守る』
盗聴のどこが艦の平和を守る事なのか。ツッコミどころの多すぎる台詞である。
「……月詠艦長」
「……こういう方なのです」
祐一は救いを求めて月詠を見たが無駄だった。そして無情にも残酷な宣告が告げ
られる。
『相沢、あんた今すぐトレーニングルームに来なさい。そんな馬鹿なジョーク飛ば
す余裕なんて全てぶっ潰してあげるわ。まあ呼び出される理由は判るわよね?
だってフラムがあんな姿になってるものねえ?』
「いやあああああああっ!!」
絶叫して祐一は艦長室を飛び出した。だが向かう先は逃亡ではない、一刻も早く
辿り着かなければ、その思いだけが祐一を走らせていた。
あっけに取られていた二人だが、気を取り直した月詠が告げた。
「とりあえず事情は承知しました。お二人は大変かもしれませんが…」
「いえ、気遣いは要りませんよ。大丈夫です」
そう言って信哉は艦長室を出た。その足取りはしっかりと自分の成すべき事を理
解してる者のそれだった。
予断だがその後、ノアシップが極東支部上空に到着するまでの間の二時間。祐一
の姿を艦内で見た者はいなかったという。
エクシードブレイブス 第8話
罪という名の追憶の罰
――極東支部 廊下
ダンボールが廊下を歩いていた。否、人が見えないほどの高さまで、積み上げた
ダンボールを運んでいる人間が歩いていた。
「うおお…前が…前が見えん〜」
「何をしている、桜井舞人」
顔を横にずらせば解決するものの、それもせずに見えないなどと呟きながら歩く
男、桜井舞人の奇行を止せばいいのに、ツッコミを入れる牧島麦兵衛。
「おお、その声は牧島か? お前の目は節穴か、これが雫内音頭を踊っているよう
に見えるのか?」
「ふん、相も変わらず低次元極まりない発言だな。どうして声をかけてしまったの
か、自分でも不思議で仕方が無い」
「何だ、雪村が出向中で機嫌が悪いわけじゃないのか」
「…ッ! そ、それとこれとは関係ないっ!!」
だが真っ赤になって否定する牧島の姿に説得力は無い。もっともその姿も舞人に
は見えないわけだが。
「まあ知っての通り、俺はあまり相手をしてやれないんだからもっとどっしり構え
ろよ。紳士たるもの懐の大きさも大事だ、たかだかちょっとの間の出向だろ?
男の器を見せるときじゃないのか、ええ? 牧島君?」
「貴様に言われずとも理解している。余計なお世話だ」
「そうかよ、それじゃ俺は行くぞ。こんなところで紳士について語っている暇はな
いからな」
よたよたと左に右に揺れながら舞人はダンボールを抱えて廊下の向こうに歩いて
いく。と、そこで突然舞人の目の前の視界が開けた。目の前にあったダンボールが
二つどけられたのだ。
「何の真似だ」
「貴様とは既に敵対する意味は無い。情けで手伝ってやると言っているんだ」
「…相変わらず難儀な奴だな、お前…」
牧島麦兵衛、彼は育ち故か義侠心や正義感といった感情に溢れ、一時期、とある
事情で敵視していた舞人に対しても、どこか非情に徹しきれず、こうして手伝った
経緯がある。一言で言えば、お人よしなのである。嫌いな人間である事は間違いな
い。けれど自身の信じる信念の為には、たとえ桜井舞人という憎い人間であっても
見捨てる事ができない。不器用極まりない男、それが牧島麦兵衛という男であった。
「さあ、さっさと終わらせるぞ、どこヘ運ぶんだコレは」
スタスタと舞人を追い抜いて歩いていく牧島を舞人はため息をつきながら追い
かけるのであった。
――極東支部 休憩室
「よう、舞人。お疲れさん」
「そう思うなら言葉ではなく、物で労え」
「ああ? そもそも最初にじゃんけんで負けたのお前だろ?」
椅子に腰掛けながら舞人の発言に正論を返したのは相良山彦。舞人の数少ない友
人の一人である。舞人の奇行に冷静に対処できる数少ない人間にも数えられる。
非常にモテる容姿を持ち、実際複数の女性とのツーショットを見かけられている
が特定の人物と深い仲になる事は無いらしい。
「違う、アレは俺の魅力に嫉妬した天の嫌がらせに違いない。ああ罪深き男だ、神
をも嫉妬に狂わせる。さあ君達庶民も、俺を崇め給え、敬い給え」
「そういえばこの間の試験の結果出てるぞ、舞人」
髪をかきあげるポーズまで取り、全身全霊で魅力をアピールした(つもり)の舞
人をさらりと流す山彦の発言。やはり彼は舞人という人物の扱いを心得ている。
「えー? どれどれ、どうなったの結果?」
「ああ、この間の適正試験の結果ねー、どれどれ〜?」
山彦の持っている用紙を見て、傍に座っていた黒髪の少女、星崎希望に、セミロ
ングの少女の八重樫翼も山彦の傍に集まってくる。
「舞人君? 変な格好して何やってるの?」
「へ、変とはなんだ! 見ろ、この溢れんばかりの美を! にじみ出る魅了の雰囲
気! そりゃもう美の神様も裸足で逃げ出すっての!」
「えー? 全然そんなの見えないよー。ありえないありえない」
「希望、お前はもう本当男の何たるかをわかってない。わかってないよお嬢さん」
名前で呼び合いながら半ば漫才にも似た会話の二人。普段こそこんな感じだが、
れっきとした恋人同士である。だが、元来素直じゃない性格の舞人は友人達の前で
は極力、カップルっぽい事を避ける傾向がある。他にも理由はあるのだがそれはそ
れとして。
「いいから舞人、お前もこれ見てみろよ」
「そうそう、さくっちの魅力なんてわかるのはゾンミだけだからさ」
「ばっ…あ、あのな俺はそう言う事が言いたいんじゃなくてだな」
反論は突きつけられた用紙に防がれた。舞人の目の前には驚くべき結果が記され
ている。ちなみに舞人の視界に入らない場所で希望が顔を少し赤く染めていた。
「はい? 参式のメインパイロット…桜井舞人…。ってどういう事?」
「や、見たまんまだけど?」
翼は何言ってるの? と言わんばかりの口調で言った。
「要するにさくっちは今度配備されるグルンガスト参式の一号機のパイロットに見
事選ばれました、って事」
「ちょ、ちょっと待て! 確か一号機って…」
「ご名答♪」
気付くと翼も山彦もいやなニヤリ笑いを浮かべている。自然と顔が赤くなるのを
舞人は感じた。
「複座だよ、複座。勿論サブパイロットは星崎さん。よかったな舞人」
「ば…俺がそんな、ははそんな事で喜ぶって? バカ言え、俺たちはな戦場に行く
んだぞ。わかる君? 戦場だよ? 生きるか死ぬかの闘いにそんなあれだ、喜ぶ
何て感情はだね」
「さくっち、顔にやけてる」
「に、にににににやけてなんかいませんっ!!」
と、勢い込んで否定するものの、口元に締りがない状態では意味が無い。当然そ
んな舞人の虚勢も付き合いが長い希望からすれば看破するのは容易い事で。
「大丈夫だよ、舞人君。私がしっかりサポートするから」
「いや、ちょっと待て。俺が言っているのはだな、俺は決してにやけてなどいない
という事だ。ほれ希望、俺の目を見ろ、近う寄れ」
「目? 目を見ればいいの?」
そう言って無防備に近づく希望。顔が近づきふわりと揺れた髪に香るシャンプー
の甘い香り。濁りの無い瞳で自分を見つめる希望の無垢な笑顔に舞人はすっかり舞
い上がり動揺する。
(ま、待て落ち着け俺)
いつもの癖であわやキスに突入しかけた思考を慌てて戻し、希望の肩を掴んでゆ
っくりと押し戻す。
「ち、近づきすぎだ、馬鹿者」
「えー、感じ悪ぅ…自分が近づけって言ったのにー」
膨れ面をしつつも上目遣いで希望は舞人を見上げていた。バカップルここにあり、
そう確信した翼と山彦はさらに追い討ちをかける。
「いやいや参ったな八重樫さん」
「だね。あたしらは退散しよっか」
「待てい、お前ら。そんなあからさまな気遣いをするな。ていうか気遣いになって
ないし」
「いやあ…どう考えてもお邪魔だろ俺ら」
山彦はニヤニヤ笑いながら舞人をからかう姿勢を崩さない。
「要らぬ世話だ。それより希望、後で演習があるんだろ、さっさと俺様の愛機を見
に行くぞ」
希望の手を掴み、足音荒く舞人は休憩室を抜け出そうとする。照れ隠しの八つ当
たりのような行動にもかかわらず希望は舞人に引かれるままについていく。実に息
が合った二人である。
「もう舞人君ってば…。じゃあね八重ちゃん、相良君。後でねー」
「ああ、また後でなー」
閉まったドアの向こうでまた二人はまたいつものように漫才を始めるのだろう。
そんな姿を見かけられるうちに星崎希望のファンは少しずつ数を減らしていったの
だが、未だに彼女を信望するものは多い。そして彼らにとって桜井舞人は怨敵にも
等しい。舞人が出来るだけ人目につく場所でイチャつくのを避ける第二の理由であ
った。
――極東支部 屋外演習場
戦艦の発着所に近い屋外演習場。かなりのスペースが取ってあり実戦を想定した
訓練にはよく使われる場所である。
演習場には既に舞人達様に用意された機体が配備されている。いないのは、舞人
と希望の駆るグルンガスト参式のみであった。
八重樫翼の駆るグルンガスト壱式。
相良山彦の駆るビルトラプター。
そして異彩を放っているのが牧島麦兵衛の駆るジガンスクード・ドゥロである。
元々、拠点防衛用の大型人型機動兵器なのだが、その特異な性質ゆえ、連邦軍で
もあまり乗り手のいない機体である。
「マックスー、ちゃんと動かせる、それ?」
「大丈夫ですよ八重樫先輩。稼働率も98%、問題なく動かせます」
答える牧島の返事には気負いや、強がりは感じられなかった。つまり、彼の技術
ならば癖の強いジガンであっても問題ないということである。
「にしても八重樫さんもまたグルンガストとはね…」
「そう? やっぱこういうロボットの方がカッチョイイじゃない?」
八重樫翼が意外とスーパー系の特機を好む事を山彦は知らなかった。そのため、
彼女がはっきりとこういのが好きだと聞いたときはその意外性に少し驚いたものだ。
「それ言ったらヤマだって凄いんじゃない? 整備、改良もしながらパイロットな
んてやってんだし」
「いやー俺の場合好きだからっていうだけだからな」
「あたしもそれは一緒。だからお互い様なんじゃない?」
山彦はパイロットの他に機体に精通し、整備改良もこなせる特技を持っている。
実際、彼のビルトラプターは彼の改良案が取り入れられた新型なのだ。
その案が採用されたという事は、山彦のアイデアはしかるべき人物に評価される
に値する物だった事を語っている。
「お、どうやら本命が来たようだな」
山彦の言葉を合図代わりに演習場に、グルンガスト参式が降臨する。大型戦闘機
Gラプターと大型戦車Gバイソンに分離可能な複座型の一号機。
元来一号機は、開発当時はT−LINKシステムを搭載したサイコドライバー仕
様だったらしいが、今回はリバイバルという事でT−LINKシステムはオミット
されている。
「よう、舞人。試験の時より動きがいいんじゃないか?」
「ば、バカ別に希望がいるからって…」
「いや事実だろ。だって操縦の負担半分になってるんだから」
「あ、ああそう言う意味か」
「何だと思ったんだよ?」
「う、うるさいな。それよりも演習用の敵が用意されたみたいだぞ!」
照れ隠しに叫んだ舞人だったが、実際に彼らの前に演習用ゲシュペンストの配備
は済んでいた。
「お、それじゃ行きますか」
「さくっちは正面、ヤマは上から、マックスは横から。オッケー?」
翼が瞬時に敵の配置を見切り、的確な指示を出す。彼女、こうみえて戦術眼を備
えており異議を唱える者はいなかった。
「よし、それじゃ…!」
舞人がいち早く先陣を切ろうとしたその時、演習場に光が降り注いだ。眩い光の
柱は演習場のあちこちに降り注ぎ、まるで光の洪水の如く演習場を覆い尽くした。
「な、何だッ!?」
「くっ…敵の奇襲か!?」
視力が戻り辺りを見回すと、演習場に被害は無かった。ただ、配備されていたゲ
シュペンストが、少し変形、いや融解しかかっている姿に変わっている。
「何? 溶けちゃったのあれ?」
「いや、ちょっと違うぞ星崎さん。あのまんま固まってるみたいだ」
ゲシュペンストは溶鉱炉に入れられた鉄のような赤さを帯び、表面が半ば溶けか
かっているにもかかわらず、その姿を維持しているのだ。希望が勘違いするのも無
理は無い。
まるであれでは炎で形作られたゲシュペンストのようにも見える。
「熱源反応は高い…ヤマ、あれマジに燃えているよ」
「ちょっと待てよ、八重樫。あんな状態で形を維持できるわけ無いじゃん」
「さくっち…あたしは事実を言ってるんだけど?」
実に当たり前の反論。返す言葉をなくした舞人は正面のゲシュペンストに視線を
戻す。それまで沈黙を保っていたゲシュペンストの前に、突如また光の柱が一本降
って来た。
「またかっ!?」
牧島は叫んだが、今度のそれは違った。光の柱の中から、天使を象った何かが出
てきたからだ。サイズは特機サイズ、純白の白で統一され、神話に謡われるような
神々しさを兼ね備えたその造形は、文字通り天使と称するに相応しかった。
だが、奇妙な事に完成に近いその姿も、一つだけ不完全なものがあった。
――片翼
その天使は、最初から持たないのか、或いは無くしたのか、それとも全く別の理
由からか。左の翼しか持っていなかったのである。完成された姿の中の唯一つの、
「不完全」な翼。
<こえを……>
幼い少女を思わせる声が響いた。何かを切望するような、迷子のようなか細い声。
「……あれには誰かが乗っているんでしょうか?」
「んー、生命反応は無いんだけどね」
緊張をはらんだ牧島の問いかけにあくまで翼はマイペースに答える。炎と化した
ゲシュペンストを背後に、奇妙な緊張感が演習場を支配する。
基地からは既に攻撃命令が出ている。だが、仕掛けようにもあの天使の存在が大
きく、先程勢い込んで攻めようとした舞人ですら、たたらを踏んだ。
だが、そんな舞人を見るように天使は視線をグルンガスト参式に向ける。
「……なあ、希望。こっち見てないか、あれ?」
「あまり…考えたくないけど…そうかも」
僅かな沈黙。数秒にも満たない時間の空気を変えたのは天使の言葉であった。
<あなたは……>
あなたとは誰を指すのか。目の前の舞人か、それとも別の人間か。わからないま
ま少女の声はただ、言葉を紡ぐ。
<あなたはこないの?>
やはり意味はわからない。肯定も否定も出来ないまま、ただ時だけが流れていく。
やがて意を決したのか、少女の声は宣告した。
<そう…なら、きえて>
天使が左手を掲げる。それと同時に変質したゲシュペンストもどきは一斉にグル
ンガスト参式に向かって動き始めた。
「何だアレ、見た目より速いぞ!」
山彦の驚きは最もだ。何しろ元となったゲシュペンストよりも遥かに早く動いて
いるのだ。そしてその動きが一定である事に気がつき山彦は叫ぶ。
「マズイ、舞人達を狙ってるぞ!」
「マックス、あたしに続いて!」
「は、はいっ!」
あっという間
にグルンガストの三方に位置取り、正面からは天使が迫る。
背後には基地があり下がるのは不可能。まさに絶体絶命、これ以上無いピンチを
舞人は迎えていた。
「ええいっ! こうなりゃやけだ! 希望、手薄そうな右手側を突破して八重樫達
に合流するぞ!」
「う、うんっ!」
そしてグルンガストが一歩を踏み出したその瞬間、突如グルンガストが淡い光に
包まれた。そして、舞人の意識は急速にに失われていく。
外から、誰かの叫び声が聞こえるが、舞人の耳には届かない。
――思い出の丘
「ここは…」
どこかを思い出す必要はなかった。二度と帰らぬ場所、帰れぬ場所。希望を選ん
だ舞人が二度と踏むはずの無い世界。そこに舞人は何故か立っている。
桜の散る丘で、舞い散る花吹雪をくぐり、ただ一つ立つ木の影にやはり、舞人の
予想した人物は立っていた。
「やあ、二度と会う事はないかと思ったのにね」
「俺もそう思ってたけど」
「イレギュラー、なんだよね。人間の想いも存外馬鹿にできないかな」
自嘲するように、その少年は笑った。自虐的な笑みだ、彼は人間を信じる事は無
かった。だが、二度目である、自分の予定調和を破られたのは。それも他ならぬ人
間に破られたのは。苛立ちを覆い隠すようなシニカルな笑みがそこにある。
「地球上に存在する『僕達』の願いを叶えているモノがいる」
「願い?」
「まあ僕は興味が無かったんだけどね。けれど人間に対して少なからず望んでいた
のもいるんじゃないかなあ」
「何をだよ…」
「復讐」
復讐と、少年の言う僕達が紡ぐ意味を舞人は何となく悟った。成る程、ならば先
程のゲシュペンストもどきはそういう存在なのだ、と。
「構わなければいいのにね、どうせ遠くない未来に人間なんて滅ぶのに。わざわざ
労力使うこと無いのになあ」
「それは…どうして」
「決まってるだろう? 人は飽くなき欲望、自己の利益のためにしか他人を求めな
い。声高に理想を掲げても、その心中に渦巻くのは醜く汚い自己中心的な交わり
だけだ」
「今も…そう思ってるのか…朝陽?」
「まさか、君がそれを証明したとでも? 笑わせないでくれ、リメイク版の映画の
結末だけが変わっただけだ。あれで人間を証明など出来る筈も無い」
静かに丘に風が吹く。冷たい風だ、舞人と朝陽の間に吹くそれは、決して埋まら
ない二人の距離感を現しているようだった。
「君をここに呼んだのは、忘れ物を返すためさ。いつ取りに来るかわかったものじ
ゃないからね」
そういうと朝陽は光輝く『それ』を投げて寄越した。舞人はそれを当然のように
受け取る。
朝陽はそれを見届けると舞人に背を向けまた木の影に隠れた。深い深い、闇の中
へ。彼が選んだ世界へと。
「さようなら、もう面白いゲームは始まらないようだ。今度こそ君の顔も見納めだ
ね」
舞人が人を求めた事が、罪ならば。舞人の受け取ったそれは罰である。決して忘
れてはならぬ、捨ててはならない追憶の罰。
その証が、舞人の手の中にある。結局、朝陽は最後まで人を信じる事は無かった。
そして、彼がその後何を選んだか、もう自分は生涯知ることは無い事を舞人は悟っ
た。
もう、この丘に来る事は無い。彼が最後に何を選んだのか、知る術はもう残され
ていない。
無言のまま、舞人は丘を降りる。かつて、そうしたように真っ直ぐと前を向いて。
そしてその手の中に、失ってはならないものを握り締めたまま――
そして異変が起こる。グルンガストを覆っていた光が粒子となり、グルンガスト
の表面に付着する。
「い、一体何が起こるというんだ…」
固唾を呑んで見守る牧島の目の前でグルンガストが一際激しく輝いた。一瞬の閃
光の後、そこに立っていたのは…。
「何…あれ?」
翼は呟きながら目の前の機体を見た。
銀色に輝く甲冑のような装甲、斜線を中心に作り変えられた鋭利なフォルム。サ
イズこそグルンガストと同サイズに近いが、スピードをイメージさせるそのデザイ
ンはグルンガストとはまた対極の位置に合った。
「…パニシュメント…」
舞人がぽつりと呟いた。目の前には先程と変わらぬ天使がいる。
<やっぱりいらない。あなたはいらない>
「俺も何だか知らないけどいらねえよ。よかったな、意見が一致したぞ、天使様」
未だ呆然として状況の掴めない希望に舞人は檄を飛ばす。
「希望! 動かし方わかるよな!」
「えっ? えっと…うん、大丈夫だよ、何でか知らないけどわかるよ」
「ふん、まあこれくらいはできないと俺様の相棒は務まらないからな」
「えへへ、褒められちゃった」
「褒めてない褒めてない。大丈夫か、希望、頭病んでないか?」
「ああーっ! ひっどーい、それが可愛い彼女に言う台詞!?」
敵の前、しかも状況の掴めない状態で、全く変わらない二人のやり取り。そんな
二人を見てて、山彦たちは思わず笑ってしまった。
「ったくあいつらは人の気も知らないで…」
「何かいつも通りだね、やってらんない」
「不謹慎なんですよ、桜井は」
ぼやきつつも、舞人のパニシュメントを筆頭にそれぞれがフォーメーションの位
置につく。
「さくっちー、準備はいい?」
「愚問だな、八重樫。俺を誰だと思っている?」
「や、御託はいいから。とりあえず先に行ってくんない?」
「…お前は敵地に挑む友人にかける言葉を学べ」
ブツブツ言いつつもパニシュメントはその巨体に似合わぬスピードで前進する。
右手に騎士の片手剣を思わせる装飾の施された長剣を作り出し、横凪に一閃を放つ!
「どうりゃああ! 縦一文字斬りぃぃぃ!」
重ねて言おう、パニシュメントは横凪に一閃を放った。近くにいた赤いゲシュペ
ンストもどきは見事に両断され爆発する。
「ねえねえ、舞人君。今の横切りだよね。横一文字」
「……深くは突っ込まないでよろしい」
たとえ、この道が永遠に続く罰の道だとしても、自分の後ろで明るい笑顔を浮か
べる大切な人がいるから。
桜井舞人は歩いていける、桜舞うあの丘を降りた道を。
第九話に続く
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