「人を殺すなど、現代では容易な事です」
「しかしそれは殺人だ」
「昔は、純粋に行為として大変な作業だったでしょう。棍棒で息の根を止めるのはなかなか骨の折れる難事です。刃物で致命傷を与えるためには、何度も切り付けなくてはなりません。その様なときに、突き刺した刃物が抜けなくなるのも珍しくないのです。ですが、引き金やボタンを押すだけなら子供にでもできます。それに現在、私たちの身の回りにある化学物質は、殆どが低い毒性を持っているのですよ。一定以上摂取すれば人を一人殺すのに充分な薬品が、誰でも自由に買えます。まあ、江戸時代には余興で醤油を2升飲んで死亡した人間がいるそうですが」
「それは自殺になるんですかね、先生」
「大福を食べ過ぎて、翌日死亡したという記録もあります。周りの人間が無責任に囃し立てて」
「……そんな死に方をするのは馬鹿ですよ」
「そうかも知れませんが、私はあなたの言う”殺人”に近いと思いますよ」
「先生、あなたは何を仰りたいんで?」
「人間の生命は、それほど儚い物なのですよ。通常は」
「は?」
「血液中の塩化物濃度が数パーセント高まっただけで深刻な症状が現れます。消化器系に詰め込まれた食品が腹腔を圧迫し、死に至ることもあるのです。最もデリケートは脳は、呼吸を数分止めるだけで機能が損なわれます。数センチの水たまりでも溺死するケースがあるのはご存じでしょう。医者として言って良いことか判りませんが、人間が生きていることはある種の驚異だと思いますね」
「私には、医学的なことはよく解らんですよ」
「別に難しく考える必要はありません。単なる物質の組み合わせでしかない人間が生命としての機能を充分に発揮し”生きている”ことの方が異常であり、限られた時間しか継続できないことをご理解いただければ」
「込み入った表現ですな」
「そうでしょうか」
「私のような現場の人間には難しすぎますな。ただ、どう裁きをつけるか専門的な意見を頂ければそれで良いんですよ、先生」

「……人が人を裁けるのでしょうか。それこそとても難しい問題です」
「では、意図されない死亡事故、過失致死だと仰るので?」
「そうは言っておりません。彼は周到に殺すことを計画し、結果を予期し、確信の上で行為に及んでいます」
「では、殺人だと先生はお考えなんですね」
「そこが難しいところなのです。刑法による殺人罪の構成要件は、私も存じておりますが……」
「殺意は立証できたとしても、責任能力がないと?」
「いいえ、彼の精神は全く正常です。それは私が保証いたします」
「では何故?」
「それでも私には、彼を裁くことができないような気がするのです」
「理解に苦しみます」
「刑事さん、あなたもご覧になれば解ると思いますよ。この報告書が、彼の口述をまとめた物です……」




「kiseki」
 作 Mumuriku




 俺は約束を果たせなかった。誕生日のその日、夜の公園で水柱を上げる噴水を見ながら彼女は逝った。誕生日おめでとうの言葉は、伝えられなかった。淡い雪に抱かれた彼女の体は、とても白く、雪よりも真っ白だった。細い腕と色をなくした薄い唇。眼を瞑った彼女の睫毛をそっと撫でてみた。もう一度その瞳で語りかけて欲しかった。
 どうしてこんなに冷たい雪の上で、たった十数年で、出会ってから僅かな時間で別れなければならなかったのか。不条理を嘆きつつ、俺は彼女の体を抱きかかえ病院へ向かった。その後、覚えているのは線香の匂いだけ。

 葬儀にはたくさんの人たちが参列したが、俺は現実を受け入れることができなかった。だから一人、隅で泣いていた。最後に一目見てその姿を永遠にとどめようと、通夜の晩に隠れて小さな棺を開けた。自分がどうしてそんなことを思いついたかは解らない。ただ、彼女と別れたくなかった。
 最初は自分の思い違いだと考えた。彼女の顔は生きていたその頃のまま、綺麗だったから。だがその時、ドライアイスと花びらに囲まれた彼女の唇が微かに動いた。本当に。その時は驚いた。自分の名前を呼んでいるような口元へ顔を寄せて、浅い呼吸を感じた時の喜びは、泣きたくなるほどの喜びは、今でも鮮明に覚えている。彼女は生き返った。俺は彼女の手を握りしめ、別室に詰めている家族を呼んだ。

 喪服で居合わせた担当医の指示で、病院へ連絡が飛んだ。駆けつけた救急車から色々な機械が降ろされ、白衣の人たちが彼女を囲んだ。彼女は棺桶からストレッチャーへ移され、病院へ搬送された。俺が語りかける言葉に、手を握り返しながら。 
 嬉しかった。奇跡に感謝した。理由は判らないが、最愛の彼女が帰ってきた。その日の晩は一日中泣きつづけた。目が腫れて、鼻が赤くなるほど泣きじゃくった。嬉しい涙は止まらなかった。

 ただ、一つだけ問題があった。それは彼女の病気はそのままだったこと。そして死の数日前の記憶を失っていたこと。自分と出会ったことは覚えているようだが、それからの記憶は思い出せないと言った。
 しかしそんなことはどうでも良かった。恋人としてではなくても、彼女が生きていることは幸せだ。毎日、いや日に何度も見舞いに行った。そして俺は二度目の約束をした。彼女と向き合あう約束を。そして今度こそ大きな雪だるまを作ろうと誓った。

 幾分元気になった彼女は、学校へも来るようになった。弁当を食べ、他愛のない話をし、普通の高校生活を続けた。一緒に商店街へ出かけたり、隣町まで遊びに行った。願いが叶った嬉しさから、俺は有頂天になっていた。それも仕方なかった。次の誕生日を迎えられるか判らないのも、そのままだったというのに。
 日に日に彼女は無理をして笑うようになっていた。そんな彼女を連れ回し、俺は身勝手に想い出を作ろうとした。雪だるまを作った。十メートルは無理でもできるだけ大きなのを。ジャンボデラックスパフェを一緒に食べた。不器用に愛を語った。彼女を抱き口づけを交わした。
 そして数ヶ月後、再び危篤に陥った彼女は俺を見つめながら病院のベッドで逝った。

 担当の医者は俺を慰めるように言った。もう助からないはずだったのに数ヶ月を過ごせたのは奇跡だと。幸せな時間を過ごせた彼女は、きっと満足だったろうと。
 だけど俺は、いつまででも一緒にいたいと願っていた。まだまだやり残したことがあるような気がした。そして自分の行動が彼女の体力を奪ったのではないかと、密かに悩んだ。もう一度やり直せるなら、そう、もう一度を願った。もっと大きな雪だるまを見せてやりたいと思った。弾けるような笑顔を、あの瞳を、もう一度。
 病院の霊安室で、俺は彼女を眺め続けた。

 二度目の葬儀は奇妙な雰囲気だった。同じ人間の葬儀に二回も出席するなど、普通では考えられないことだ。葬儀会社の人間は困惑していた。普通の挨拶や印刷した定型文では対処できなかったから。
 なんとなく慌ただしく落ち着かない葬儀は、最後に大変な騒ぎとなった。彼女が再び目覚めたのだから。
 彼女の死亡診断書を書いた医者は、露骨に嫌な顔をした。今回も病院へ運ばれることになったが、病院職員や医者の態度は前よりも乱雑な感じがした。姉の顔は蒼白だった。二度も妹を亡くす悲しみを受け、そして生き返った様を見せつけられて気が動転していた。それでも俺は嬉しかった。

 それから、春になって何度か一緒に学校へ行った。昼休みには中庭で弁当を食べた。今でも大切に仕舞ってあるが、自分の似顔絵を貰った。背景は初夏の日差しを受ける噴水。あの日、最初の死が彼女を襲った場所。彼女のお気に入りの場所だ。
 生き返った彼女は、やはり体調が優れなかった。俺は彼女の身を思い積極的に治療を勧めた。早く元気になって、一緒に色々なところへ行こうと約束した。お腹をこわすくらいアイスを奢ると約束した。
 だが数ヶ月後、少し体調を崩したと思っていたら、そのまま彼女は息を引き取った。

 葬儀に集まった数少ない人間が棺を担いだ。長々とクラクションが鳴らされ、車列が進み始める。その頃は運転免許を取っていたので、自分の車に友人たちを乗せて霊柩車に続いた。元はと言えば、彼女を乗せて出かけるためだった。体の弱い彼女とドライブをして、たくさんの物を見せてやりたかった。ほとんどこの街を離れたことがないと言っていたから。
 ハンドルを握りながら、俺は間に合わなかった彼女との時間に想いを馳せていた。そして、あり得るだろうかと。
 火葬場へ向かう途中で前を走る霊柩車が止まり、あたふたと運転手が後部の扉を開けた。そこには、きょとんとした表情の彼女が座っていた。

 三度生き返った彼女は、今まで入院していた病院から体よく転院させられた。担当の医者は診断を拒んだ。しかしそれでも現に彼女は生きていた。海沿いにある小さな診療所では、彼女のスケッチブックが色とりどりの自然で満たされた。
 夏になり、姉と三人で海水浴へ行った。秋、落ち葉を集めてたき火をした。冬、今年も雪だるまを作った。

 その間、彼女は二度死んだ。

 姉の態度は、明らかに変わっていった。妹の死を認めたくなかった姉は、妹が生きていることを認めなくなった。しかしそれでも妹が死んだ時には涙を流し、息を吹き返した時には少しだけ嬉しそうに微笑んだ。俺は、姉を責めることができない。その頃には、俺と彼女を見て目を逸らさない人間など一人も居なかったのだから。 

 また冬がやってきて、彼女は死んだ。
 春になって、彼女は死んだ。

 耐えられないのは、病状が進んで苦しそうに息を付く姿を見ている時。譫言のように自分の名を呼ぶ彼女。小さな体で激痛に堪えている彼女。汗ばみ、熱を持ち、赤く染まった顔。助けを乞う瞳。
 そんな時の彼女は、食事も喉を通らず吐いてしまう。俺はお粥や消化の良い料理を作り、果物や野菜をジュースにして飲ませた。彼女は一生懸命ひと匙ごとに小さく喉を動かす。しかし飲み込むことができずに、ぴちゃぴちゃとこぼす。そして折角苦心しても、数時間後には全て吐いてしまう。
 そんな彼女の姿を見て、いっそ楽にしてやりたい。そう思った。

 その年の暮れ、俺は初めて自らの手で彼女を殺した。

 彼女は生き返り、僅かな時間の邂逅を経てまた殺した。
 殺すことで、苦しむことなく彼女は生き返った。
 生きるために、殺した……。

 もう一度、奇跡を信じて。





「どうです?」
「あの男は狂ってるんだ……」
「いいえ、最前も申し上げたとおり彼の精神は正常です」
「こんなことが起こるなんて、信じられんですよ」
「そうです、普通は。ですが本当に奇跡が起きたとしたら……」
「まさか!」
「私には、彼を裁くことができない気がするのです。彼は生き返ることを確信して殺しているのですから」
「そんな馬鹿な理屈が通るわけありません!」
「そう、奇跡を否定するなら……」
「先生まで狂ってしまわれたんですか」
「まだ確信が持てないだけです、私は」
「しっかりして下さいよ、先生」
「私は危惧しているのです」
「は?」
「……彼はもう70歳です。代わりに彼女を殺してくれる者は居ません。そして希望を与えてくれる者も」
「希望、ですと?」
「容疑者の相沢祐一は、口述の最後にこう言ったのです。それでも自分の一生は幸せだったと。約束は果たせたと。私は人を殺すなど簡単だと申し上げました。作業としては、物理的には非常に簡単です。しかし、愛する者を殺すのにはどれだけの覚悟を必要とするでしょうか。彼は愛する人の命を奪う行為に、いつも罪悪感を感じていたそうです。それでもなお、彼は行為に至った。全ては希望を求めて。再び彼女――被害者である美坂栞が微笑む姿を望んで」
「彼と被害者の彼女が愛していたなど、なぜ解るんですか」
「その報告書にもありますが、被害者が生き返る際には数日から数週間の記憶が欠落するそうです。初めて彼と出会った際の記憶は持ち続けるようですが、それ以降の記憶は無くしてしまうのです」
「と、仰いますと?」
「ですから……彼は被害者が生き返るたびに、再び出会い、約束し、愛を語り、そしてお互いの気持ちを確かめ合い、僅かな時間を共有し、全てを受け入れて別れるのです。何度も何度も、くり返し一人の女性を愛し続けたのです。私にはその様なことはできません。どんなに相手を想っていたとしても。彼は不完全ながら、永遠に彼女と生きたのです。それに見て下さい!」
「な、なんですかあれは!」
「雪だるま、です。10メートルを遙かに超えた。収監してからずっと、彼は所内の中庭で黙々と作っていました」

「先生、まさかあなたまで馬鹿げた口述を信じているんですか!」
「……私は危惧しているのです。疑念が晴れてしまうことを」
「そんな事はあり得ないと……」
「実は昨日、彼から妙な事を頼まれたのです」
「…………」
「死んだ彼女のスカートのポケットに、数日収監されるはずの此処の住所を書いた紙を入れて欲しいと」
「先生もしや……」
「はい……私はその申し出を受けました。彼の分析担当医である私の署名を添えて。ですから……」



 夕日の差し込む狭い事務室。見つめ合う二人の男の耳には、数分前から廊下を歩く足音が聞こえていた。戸惑いながら何かを探すような、小さな足音が。

 そして、ノックの音が――




戻る