「彼らの Summer Festival」
 作:猫竹林(Q.Mumuriku)




 ――ああ、今年もこの日がやってきた。

 お盆。

 遠く離れた親戚が集まり、故人の懐旧を語り、へべれけに酔っぱらって、面倒だからスーパーで総菜買って来いや、と誰か言い出し、不景気でもちょっとだけ財布の紐が緩む特別な日。だから店は何処でも大盛況だ。
 夜には浴衣がけの恋人たちが出店を覗くんだよな、うん。綿菓子、かき氷、チョコバナナ、リンゴ飴。今川焼きにモダン焼き……モダン焼きってどんなのだっけ? 金魚すくい、亀すくい、カラーひよこ……あれって動物虐待のような気がするけど。で、最後にはやっぱり花火だよなぁ〜
「はぁ……」
 現実に引き戻された北川が、汗を拭いながら溜息をつく。普段はあまり作られない5人前の寿司やパーティーパック。フライヤーはけたたましく電子音を鳴らし、ベテランも忙しさのあまり柳刃包丁で指を刺す。冷房のない調理場は50度を突破した。8月15日、お盆。白衣を着た北川は、ガラスの向こう側で黙々と助六寿司を詰めていた。
「これじゃ、クリスマスやバレンタインと一緒じゃねえかぁ!」

 彼女のいない北川は、ケーキ屋と並んで商店街にあるスーパーでアルバイトに励んでいた。時給の割り増しに釣られたのだが、むちゃくちゃ暑い。本店であるこの店で、市内4店舗分の惣菜をすべて作っていた。自分の作っている物が食べ物だという意識はとうの昔になくなっている。1人のバイトは暑さで馬鹿笑いをしながら海苔巻きを油で揚げようとしたため、居合わせた社員が事務室に引きずっていった。パートの奥さんは何も乗っていないまな板に包丁の音を響かせている。そろそろヤバイ。
”パーティパックL、35個追加お願いしま〜す”
”うおーっ!”
”別注で上生12人前、おつまみセット25個”
”うおっしゃぁーっ!”
 無情にも注文は殺到し、売れ行きに調理が間に合わない。何故か極限状態に置かれると、男は体育会系の乗りになってしまうものだ。そう言えば、自分以外の臨時バイトはがたいの良い奴が多い。
「あ、あ、あ、うっきーっ!」
 とは言っても人間には限界があるようだ。一際高らかな叫びが聞こえ、がっちりとした大男がフライヤーの前でぶっ倒れた。
「大丈夫かっ!」
「おい、泡噴いてるぞ!」
「出してくれ!此処から出してくれ!」
「殴って正気にさせろ!」
「いや、水だ、水ぶっかけろ」
「冷房のある部屋に連れ行けっ」
「コイツにフライはもう駄目だ、少し休ませたら刺身に廻せ!」
 暑さと激務によって、一人、また一人と貴重な戦力が離脱していく。

 そんな修羅場と化した調理場から覗く店内に、見慣れた奴が居た。
「野郎……」
 涼しげな浴衣姿の美少女たちを引き連れた相沢だった。そんな光景を見せつけられて、北川の目からは血の涙が流れてきた。手に持った包丁を投げつけたくなるのを必至でこらえる。そして通用扉に突貫し、店内へ駆けだした。
「あ〜い〜ざ〜わ〜 貴様っ」
「うわぁ! な、何だよ北川!」
「くそっ……」
 やり場のない怒りに、北川は手に持った熱々のフライドチキンを握りつぶした。230℃の油で揚げたばかりの肉片がもわもわと湯気を出す。
「いつもいつもオレの前に女連れで現れやがって! 嫌みか?自慢か?それともそんな生活に慣れちゃった倦怠感から新鮮な刺激と幸せをかみしめるために哀れなオレを見に来やがったのか!」
「意味解らないぞ、北川」
「ここからいなくなれぇ!」
 北川の周りから何かどす黒いオーラが発生しているように見えるのは、気のせいではない。
「わかったよ」
「さっさといなくなれぇ!」
「またな北川……あ、そうだ」
「え?」
「例のゲーム手に入ったけど、お前もやるか?」
「……貸してくれ」
「ははは、じゃあ来週持っていくからな」

「ふう……」
 飲料コーナーに向かった相沢たちを見送り、溜飲を下げた北川はホッと息を吐いた。白い前掛けで手を拭きながら、一体この格差は何故なんだろうと考える。相沢と自分に何か大きな違いがあるとでも言うのだろうか。いや、そんなモノはない。ただ、高校生の息子に充分な小遣いを与えない親のせいだ。つまりは家だ、家系だ、先祖代々北川家にくっついている劫だ。カルマとかって奴? オレだって両親の海外出張で親戚の家に居候すれば、スーバラシイ出会いがあるはずさ。ああ、そうに違いない。そうでなくちゃおかしい。おかしいんだよ! ……ゲーム楽しみだなぁ。
 オレが親戚の住む街に行ったら、ねぼすけの女の子が迎えに来てくれたりするんだよな、うん。転校先ではもうなんかみんなの好意を一身に受けちゃって、昼休みは手作り弁当を食べさせてもらうって嬉し恥ずかしシチュエーション? タコさんウインナー、良し。兎の形をしたリンゴ、それもまた良し。三段重ねの和風重箱、上等。やっぱりその、なんだ、可愛らしく愛情一杯でお願いしたい。
 二人で街を歩いて、たまには喫茶店に寄ったりしてさ、ちょっと喧嘩するようなことがあっても「あはは、こいつぅ〜」って拗ねた顔を小突いてやる。いやいや、モノミの丘かどこかで追い駆けっこだ。きゃあきゃあ言わせながようやく捕まえると、どきどきした胸の鼓動が伝わってきて、緑の芝の上でゆっくりと瞳が閉じられる……そうか、ああ、そうなのかって解っていても、焦らすように黙っていると、下から伸びてきた細い腕がオレを抱き寄せて、その後は……あはは、いや、ダメだって。こんな所じゃ誰かに見られてるかもしれないって。それにオレには心に決めた人が……うん、君のことは嫌いじゃないよ、だからそんな顔でオレを見つめないでくれ。いやはや、困った。困っちゃうなぁ〜 あははは、美坂、悪い。オレ陥落しそうだ。
「あははははははーっ」

 妙に明るい笑い声を上げながら油揚げを煮込む北川を、数人のバイトがどんよりとした目で眺める。「コイツもそろそろ危ない」と、まだ若干の余裕がある者は考えた。余裕のない者は目の前の作業に追われてそれどころではない。
 へらへら笑いながら今度は太巻きを油で揚げている高校生バイト、真面目な顔で蒸し器にトマトを入れる体格の良い男、虚ろな目つきで高野豆腐をスポンジ代わりにバケットを洗っているおばちゃん、チャーハンを作っている主任は機械的な正確さでフライパンを振っているが、殆どこぼしている。さっきの奥さんはまな板もないステンレスの調理台に包丁の音を響かせている。もう駄目だ。
 ふと我に返った北川は、菜箸で転がしている油揚げがカラカラと音を立てるのを聞いた。煮汁が蒸発しきった鍋の中で、乾き、縮こまった油揚げが、眉間に皺を寄せて何か言いたげに焦げつつあった。

 北川の儚い夢をぶち壊すように、むっとした熱気が籠もる調理場に無情な註文が続く。
”中オードブル欠品してます〜”
”天ぷらセットも20個追加!”
”東支店から定番寿司15種3ユニット大至急!”
 この人数でどうしろっていうんだ……午後5時を廻り、買い物客のピークを迎えようとしている。と、社員が熱気に顔をしかめながら調理室に入ってきた。
「新しいバイトを連れてきたぞ!」
 白衣にマスク、衛生帽を被ったおばさんがぺこっとお辞儀する。
「えーと取り敢えず持ち場は……フライヤーに付いてもらおう」
 また、ぺこっとお辞儀した。律儀というか、おばさんにしては礼儀正しいようだ。油を使うため、一段と過酷な部署なんだが大丈夫だろうか? 意外と体の線が細いみたいだし。さっきは3時間ぐらいで大男がぶっ倒れた。

 気にはなっていたものの、自分もてんてこ舞いなのですっかり忘た頃、隣のおばちゃんがふらふら揺れだした。
「おばちゃん、大丈夫か?」
「…………」
「おい!」
「…………」
「辛いなら代わってやるぞ」
「じゃ、ない……」
「はぁ?」
「おばちゃんじゃ……」
「しっかりしろ!」

「事務室に運べっ!」
「早く、早く外に出してやれ!」
「仕方ないな、オレが連れて行く」


 ******


「で、なんでバイトなんかしようと思ったんだ?」
 ようやく涼しくなってきた夜道で、北川が話しかけた。
「あの店に親戚がいて、電話で急に頼まれたのよ」
「あんまり無理するなよ」
「あたしは大丈夫」
「さっきはそうは見えなかったぞ」
 勝ち気に意地を張ってみせるが、まだ少しふらついている。
「ねえ、わざわざ送ってもらわなくても……仕事残ってたんじゃないの?」
「気になるから送らせろ」
「…………」
「美坂が弱ってる所なんて、滅多に見れなしな」
「あたしって、そんなに強そうに見えるわけ?」
「ああ」
「…………」
「それにしても、帽子が取れて美坂だってわかったときは驚いたぞ」
「髪は全部帽子に入れなさいって言われたから……」

「あ、そうそう」
「ん?どうした、美坂?」
「あたしのこと、おばちゃんって呼んだわよね、北川君」
「…………」
「何か言い残すことは?」
「ゴメンナサイ……」
「良いわ、今日は特別に許してあげる。その代わり何か冷たいものをご馳走してくれないかしら?」
「それくらいならいつでもOKだ」
「熱中症には、水分を取って涼しいところで休むのが良いのよね」

”シュルシュル〜 ドドーン”

 二人が見上げる夜空。ビルや民家の間から、光の輪の端が微かに見えた。
「あ、もう始まる時間か。今日は花火大会だったんだよな」
「そうね」
「なあ、美坂」
「なに?」
「花火を見ながら夜店でかき氷食べてかないか? オレが奢るぞ」


 ******


「で、お姉ちゃんは北川さんとお祭りを楽しんだという訳ですね」
「喉が渇いて氷が食べたかっただけよ」
「お姉ちゃんはかき氷を食べるのに3時間も掛かるんですか、そうですか」
「…………」
「それも二人っきりで。あの洗面器に入れてあるのは何でしょうね?」
「金魚と緑亀です……つい、その、やってみたくなったのよ」
「机に載ってる物はなんですか?」
「綿菓子の残りと、射的でとったぬいぐるみ……」
「玄関に脱いであるのは?」
「えーと、北川君がその方が涼しそうだからって、買ってもらった草履」
「お姉ちゃんが着てる服は!」
「花火を見上げてたらチョコバナナが付いちゃって、北川君に貸してもらいました……」

「はぁ……」
「どうしたのよ、栞」
「それでも北川さんとは何もなかったんですか」
「え?何が?」
「今時、付き合っていたってそんなベタなデートなんか珍しいですよ」
「そ、そうなの?」
「……もう良いです」
「栞?」

「私に、そんな鈍感なお姉ちゃんなんかいません……」



 ちなみに、バイトの途中で抜け出してしまった北川は今回も給料が貰えなかったが、そんなことはどうでも良かった。自宅に帰り、盆提灯の青白い光の中に浮かぶ仏壇の前に座った彼が先祖へ何を報告したかは定かではない。




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