「北川、元気でな」

「頑張ってね〜」

「金持ちになって帰ってきたまえ」

「手紙くらいは送ってくれよ」

「お姉ちゃんをお願いします……」


 1934年、冬。
 横浜から出航したオレたちを見送ってくれた友達。あの頃は平和だった。

 それなのに――




「歴史の狭間で」
 作:Q.Mumuriku




 甲板から自由の女神が見えたとき、美坂とオレは本当にそれが新しい世界の象徴に思われた。この国には未開発の土地がたくさんある。国籍や宗教、皮膚の色が違う人たちがたくさん住んでるんだ。移民船に乗って遙々太平洋を渡ってきた乗客の顔は、みんな希望に満ちあふれてた。
 それなりに英語ができる香里が入国管理官に話しかけると、アメリカ人の大男はにこやかに対応してウインクさえして見せた。日本の官憲とは大違いだ。その時、ここには自由が、希望が、未来があると信じた。
 厳密にいえばアメリカ人という物は存在しない。ここに暮らしているのは、みんなどこか他からやってきた人たちなんだから。それほど手持ちがあった訳じゃないけど、通りにあるカフェでコーヒーを飲んだり、活動写真の看板を見たり、今は買ってやれないけどウインドショッピングだといって二人で街を巡り歩いた。古着屋で買った頑丈な布地のズボンをはいた美坂は、普段よりも凛々しく見えたものだ。ここでは女性だって働く。いつか、たくさんのお土産を持って相沢たちに会いに行きたかった。

 最初の5年は日系人の農場でがむしゃらに働き、少し金が貯まったところでチャイナタウンの近くにある店の権利を買った。近所の人たちとも上手く付き合い、休日にはパーティーに呼んだり呼ばれたりした。ここには人種差別なんか無い。頑張れば、一生懸命真面目に働けば目に見えて結果が出る。そしてそれは尊敬の眼差しで認めてもらえる。まさにアメリカンドリーム。東北の田舎でちっぽけな畑を耕し続けなくてはならない生活とは全く違う。この国が好きだ。オレはこの国を信じた。




 それは、十二月に入ったある日のことだった。
 少しだけ雪が残る店の前のストリートには電飾が灯され、この時期、街はどこもかしこもクリスマス一色に彩られる。日本でいえば、盆と正月が一緒に来るような騒ぎだ。改宗した訳ではないが祭りは大好きだし、売上も大幅に増える。向かいで玩具屋をやってる中国人は1ヶ月以上前から特別セールに忙しい。雑貨屋のうちでも包装紙やプレゼントに添えるカード、細かい装飾品を仕入れていた。
「kitagawa?」
 いつになく真面目な顔で店に入ってきたのは馴染みの男だった。2ブロック先にあるビルの地下室に住んでいて、よく買い物に来る。自称芸術家の彼は、日本の文化や美術について話を聞くためにやってくるらしい。
 しかしその日、彼の顔色は冴えなかった。
「ん、どうしたんだ」
「日本は本当に平和を望んでいるのか?」
「さあね、オレには偉い人たちの事なんて判らない」
 見せてもらった新聞には渡米した日本の外交団による和平交渉の記事が大きく載っており、全権大使が語った談話や論説が書かれていた。
「気を付けた方が良いぜ、Kitagawa。日本人への反感を持ってる奴が多くなってきた」
「そうなのか?」
「ああ、日本軍は破竹の勢いだ。それを脅威だと思い始めてる」
「遠い海の向こうの話だ」
「万が一、アメリカが参戦するようなことがあったら……」
「まさか、余程のことがない限りそんなことはあり得ないって」
「まあ、そう願いたいね」
「今日は何を?」
「ああ、クリスマスも近いから安酒でも買ってくか」
「安酒じゃ体に悪いぞ、ほら、こいつは店からのサービスだ」
「いつも悪いな、Kitagawa」
「気にするな、あんたが有名になって絵が売れるようになったら纏めて請求書を送りつける」
「はははっ」
「メリークリスマス、頑張って良い絵を書けよ」
「ありがとよ、Kitagawa。奥さんにもよろしくな」
 ただの噂だと思っていた。そんなことが実際に起こるなんて思ってもみなかった。太平洋の向こうから祖国が戦争をしかけてくるなんて。
 12月7日、日本の機動部隊が真珠湾を攻撃した。




 翌日、香里と一緒に雑音が混ざるラジオで大統領の議会演説を聴いた。

 Yesterday December 7.1941 A date which will live in infamy.
 The United States of America was suddenly and deliderately attacked by naval and air-forces of the empire of Japan.
 It is obvious that planning the attack began many weeks ago. During the intervening time the Japanese government has deliberately sought to deceive the United States by false statements and expressions of hope for continued peace.
 The attack yesterday on the Hawaiian Islands has caused severe damage to American military forces. I regret to tell you that over 3,000 American lives have been lost.
 No matter how long it may take us to overcome this premeditated invasion the American people,in their righteous might will win through to absolute victory.
 Because of this unprovoked,dastardly attack by Japan.
 I ask that the Congress declare a state of war.

 WAR。開戦、日本との戦争。どうなってしまうのか全く解らなかった。何故こんな事になってしまったのか理解できなかった。それでも逆らいようのない現実はオレたちを飲み込んでいく。
 大統領演説のすぐ翌日、ガラスが割られ店は壊された。地元の警察は力になってくれない。何年も付き合っていた会社が、今後はもう商品を卸さないと伝えてきた。買い物に来る客はほとんど居ない。クリスマスセールの飾り付けが寂しく見えるがらんとした店内に、ガラスの割れたウインドウから寒風が吹き込んだ。
 オレが日本人だから。
 誰も来ないと解っているのに、香里はガラスの破片を片づけていつものように店の掃除を始めた。そんな香里の後ろ姿を見つめながら、オレは決心した。もうやめよう、日本人であることを。もう一度認められるには道は一つしかない。ようやく香里と二人で築き上げた生活を守るためには、そうしなければならなかった。生まれた国と今住む国。自分には二つの祖国があったが、その内一つを捨てた。オレは軍に志願した。




 最初に配属されたのは通信関係の部署だった。日本語の交信や暗号を解読したり、微妙な発音やイントネーションからその真意を探って情報官に報告する。対日本軍の無線傍受施設では、たくさんの日本人が働いていた。オレと同じように、必至に国への奉仕と忠誠を誓ってみせなくてはならない男たちが。アメリカに住む家族のために故郷日本を捨てた男たちが。
 仕事は楽な物ではなかったし、それに徹底的に不快だった。日本人はここでも信頼されない。ジャップの仲間だと何度も蔑まされ、日本軍に殺された兵士の家族から面と向かって罵倒されたこともある。オレは市民権を持つアメリカ人なのに、この国のために志願して入隊したっていうのに。アメリカ軍兵士として戦っているのに。まだ不足だというのだろうか。もっと献身的な犠牲を献じろと?

 オレを含め、日系人の多くが危険な前線への転属を希望した。香里に相談すれば反対されただろうが、数年後それは承認され、オレは戦闘部隊への編入が決まった。通信兵として向かった最初の前線はギルバート諸島。その後ソロモン諸島からニューギニアへ。戦場は悲惨だった。ジメジメと湿度の多いジャングルは、敵の銃弾と同じくらいに熱帯性の病原菌を警戒しなくてはならない。日本人もアメリカ人もバタバタと死んでいった。
 対する日本軍は手強かった。しかしミッドウェイ海戦で日本の空母がかなりやられたとの噂が流れ、その後しばらくして日本軍の進撃が止まり、そして後退を始めた。双方とも多大な犠牲を出し、毎日のように激戦が繰り返されるなかで実感は無かったが。
 味方の兵力はどんどん増強された。だが戦争の行方などどうでも良かった。ただ、早く終わって欲しいと願っていた。二つの国の間で戦うこと自体、自分には耐え難い苦しみだ。戦闘が終わって夜になると、決まって香里のことを想った。オレはここでアメリカ人として戦っている。それを誇りにして欲しい。店を守って、いつかまた平和に暮らそう。南十字星を見上げながら、それだけを希望に日々を過ごした。
 毎日が行進、戦闘、缶詰の食事に臭い服、伝染病予防の苦い薬。そして雨、雨、雨…… 何ヶ月、いや何年経ったのだろう、それすらも良くわからなくなっていた。長く続いた熾烈な戦いだったが、戦況は有利になってきていた。オレたちは阻止・持久戦から、攻勢に転じた。日本軍は絶望的な交戦や切り込みをかけてきたが、圧倒的な物量を前に押し潰されていく。彼らには補給も、人員も、銃弾も無かった。そんな蛮勇を見ていると心が痛む。
 自殺的な攻撃に手を焼き、実際の被害に加え米兵の精神的な衝撃を苦慮した司令部は宣伝ビラを作成したり、立てこもる兵士に投降を呼びかける作戦を進め、オレはそこへ、日本人に降伏を説く任務を与えられて最前線の激戦地へ異動させられた。
 1945年、輸送船に詰め込まれたオレは再び日本の地を踏んだ。

 猛烈な艦砲射撃によって破壊尽くされた岬に、オレたちは上陸した。こんな形で日本に帰ってくるなど誰が想像できただろう。感慨に浸る暇もなく、内陸部への進軍が始められた。日本軍の守備隊は山岳部に立てこもっているという。その日、4月1日。沖縄アイスバーグ作戦が開始された。18万人の兵士が北谷・嘉手納・読谷に上陸。それを支援するのは1,500隻の軍艦とB−29など延べ900機による9時間にわたる激しい空襲。対する日本軍は正規の陸軍8万人と義勇隊が2万人程度。勝ち目はない。島のほとんどは焼き尽くされた。オレたちは地理に詳しい島民を連れて慎重に行軍していった。始終ぶるぶる震えている島民は皆殺しにされると教え込まれていたらしい。

 数時間の後、小さな村に到着したところで部隊は休憩することになった。住民は居なくなっていたが、のどかな景色に生まれ故郷を思い出す。みんなはどうしているんだろう。戦場に在って、ふと昔のことを思い出した。神社の境内で走り回っていた子供の頃、相沢や斉藤と一緒に釣りに行った小川、そんな色鮮やかで優しい風景が蘇る。
 そんな空想に浸っていてはいけなかった。懐かしい思い出に別れを告げて辺りを見渡すと、案内役の村民が消えていた。拙い、そう思ったときには遅すぎた。地鳴りが響き、爆発音と乾いた銃撃音が聞こえる。包囲された。肩に熱を感じ、触ってみるとべたべたする。もう一発、足首のあたりに衝撃を受け、畑に倒れ込むと同時に意識が混濁して闇に落ち込んだ。あっけないものだなと、冷静にそう思いながら……。




 闇。いや、違う。星空が見えた。情けないことにオレは気絶していたらしい。気が付くと既に辺りは夜。味方はどうなったのか解らない。と、ゆっくり近づいてくる足音が聞こえた。銃を構えようとするが体が利かない、もう本当におしまいだ。
「誰かいるのか」
 その声に、聞き覚えがあった。頭痛の酷い頭で記憶を呼び起こす。
「相沢?」
「……北川なのか」
 泥だらけの姿で歩兵銃を構えた相沢が、驚いたような顔で動けないオレを見下ろしていた。
「北川、お前はなんでこんな所に……」
「撃たれて動けないんだ」
「その服装は……米兵なのか?お前」
「……通信兵だ」
「お前、見つかったらどうなると思ってるんだよ」
 そう言いながら、相沢はオレの傷口の手当を始めた。
「悪いな、今の俺たちには薬も包帯も無いんだ。だが止血くらいはやってやれる」
「オレを助けるのか?」
「斥候に出たのは俺だけだ。誰にも気付かれない内に逃げろよ」
「…………」
 今、相沢は軍人じゃなかった。最初に見た恐ろしいような顔ではなく、あの、日本で暮らしていた頃の友人だった相沢に戻っていた。一緒に田んぼの畦道を歩いて学校に通った相沢、若い内に水瀬さんと結婚してもう二人も子供が居る相沢、オレと香里の出航を見送ってくれた相沢――。
「こんな所でお前に会うとはな」
「オレだってそう思う、何年ぶりだろう……」
「…………」
 お互い話したいことはたくさんあるはずなのに、上手く言葉が見つからない。おかしいじゃないか。オレたちは何年も離れて暮らしてきて、ようやく再会できたのにどうして感情を隠さなければならないんだ。なぜ、ぎこちなく言葉を選ぶ必要があるんだ。こんな軍服なんて脱ぎ捨ててしまえば、また一緒に笑い合えるだろうか。戻りたい、あの頃に。
「……北川、お前はアメリカで成功したのか?」
「ああ、オレは良い店を持ってる。香里と二人でようやく持てた店だ」
「良かったな」
「お前の方は?」
「あれから何年もしない内に徴兵された。中国、インドシナを転戦して今度はここだ。斉藤や久瀬も一緒だった。俺くらいの年の男はほとんど軍に入れられたよ」
「あいつらは元気か?」
「…………」
「そうか……オレはいつかお土産を持ってみんなに会いに行きたいって、そう思ってたのに」
「俺たちも楽しみだったよ」
 寂しそうに相沢は笑った。久瀬も、斉藤も……。もしかしたらオレが撃ち殺したのかも知れない。いや、それは解らないし、戦争なんだ。そう、それが戦争なんだ。でも、そう自分に言い聞かせてみても涙が出てくる。嫌だ、そんなの嫌だ。敵味方に別れていたとしても、オレたちは親友で、仲間で、何年も同じ町で一緒に過ごした友達なんだ。

「なあ、相沢」
「なんだ」
「頼む、投降してくれ」
「…………」
「知ってるかどうか解らないが、日本はもう負けた。サイパンも、硫黄島も陥落した。20万近い米兵がこの島に上陸したんだぞ、支援してる海軍や航空隊を含めれば50万人以上がこの作戦に投入されてる。このままじゃお前たちは皆殺しにされてしまう……」
「……そうか」
「そうかって、それだけか」
「久瀬や斉藤に、何て説明すればいいのかな」
「だが、無駄に死ぬことはない」
「……考えてみるよ」
「本当だな、相沢。オレが戻って上官にちゃんと伝えてやる。死ぬな、生きてくれ」
「お前に会えて嬉しかったよ、北川」
「いつかまた会えるさ。そうだ、お前にこれをやろう」
「ん?」
「オレのお守りだ。店でクリスマスに仕入れた残りだけど、この天使の人形はオレを今まで助けてくれた」
「北川、クリスマスってなんだ?」
「その日、神様が生まれたんだ。人々を苦難から護り、暗黒の世の中に一縷の光明をもたらし、たくさんの人を救うために地上へ降りた神様の誕生日だ。みんなが祈りを捧げる。天使っていうのは、その神様の使いなんだ」
「…………」
「御利益があるぞ、きっと」
「……じゃあ貰っておくか」
 相沢の肩を貸してもらい、ふらふらと立ち上がる。傷は痛むが、添え木をしてもらったおかげで少しなら歩けそうだ。
「北川、米軍の野営地は4〜5キロしか離れてないが……行けるか?」
「無理にでも行かなきゃならないだろ」
「お前に会えて、本当に嬉しかったよ」
「うん?」
 大きく天をを仰いだ相沢が、呟くように言った。
「……なあ北川、その神様は最後にどうなるんだ?」
 その横顔は、厳かにさえ見えた。

 ”ヒュン”

 低い唸りが微かに聞こえた。空気を切り裂く音。途端に大量の照明弾が打ち上げられ、辺りの風景が昼間のように映し出される。
 相沢の顔つきが変わった。
「米軍の攻撃かっ、北川さっさと此処を離れろ!」
「お前はどうするんだ!」
「もちろん戦う」
「なんでだよ、オレの話を聴いてくれないのかよっ!」
「お前とまた話せただけで、充分だ」
「駄目だ、行かないでくれ相沢っ!」
「北川、俺のやってることは間違いなのかも知れないが……日本に残してきたみんなを護らなければならないんだ。みんなを救わなきゃならないんだ。みんな俺を頼りに祈ってる。もし倒されると解っていても俺は逃げる訳にはいかない、愛する人や家族を……名雪や子供たちを護るために!」
「相沢っ!」
「北川っ、その神様は最後にどうなるんだ!教えてくれ。誰かを護ろうとした、たくさんの人たちを救おうとした奴はどうなってしまうんだ!教えてくれ、俺に教えてくれ!」
「相沢ーっ!」
 オレの叫びはもう届かない。相沢は銃を構えて走り去った。大馬鹿野郎……。なんでだよ、どうして自分から命を捨てたがるんだ。頼む、生き延びてくれ。もう一度ゆっくりお前と話がしたい。あの頃のように、冗談を言いながらぶらぶらと一緒に街を歩きたい。みんなで笑いあいたい。オレとお前、何が違うって言うんだ!
 相沢……。
 オレのそんな願いは届かない。空に爆音が聞こえた。大編隊の爆撃機が上空を旋回し、目の前を業火で焼き尽くす。オレはその光景に目を覆いたかったが、その場から動くこともできずに、ただ、呆然と見守った。東北の寒村からやってきた第二〇九三聯隊沖縄守備部隊の最後を。悲しい宿命と運命に翻弄された天使は、人間の手で焼き殺された。その神様は最後にどうなったんだ……

 戦場のまっただ中で、もぬけの空のように蹲るオレを見つけた衛生兵は、そこから立ち去ろうとしないオレを物を扱うみたいに味方の陣地へ引きずって行った。傷は痛むが、もっと大きな痛みが、治癒することがない痛みがオレの心を蝕んだ。
 野営地まで連れてこられるとお決まりの抗生物質の注射を受け、テントに寝かされた。軍医は治療の手を休ませずに優しく言った。これで家に帰れるよ、と。帰れる。家、店、香里、帰国。友人の死を悼みながらも、そんな言葉がオレの頭の中で何度も繰り返し響いた。郷愁を誘う安堵と喜び。そう、喜びだ。オレはようやく終わった自分の戦いを、記憶を、身勝手に閉ざそうとした。生きていることに感謝した。帰れる、香里の元へ。自分の店に――。
 たくさんの物を失い、かけがえのない物をなくし、友人の死を止められなかった自分。しかし、オレはアメリカのために戦った。この国の自由と正義のために戦ったんだ。もう望みなんてほとんどない。ただ、一刻も早く帰りたい。それだけだった。




 数ヶ月後、ようやく順番が回ってきた輸送船に乗せられ、帰国の途に付いた。傷病兵として名誉負傷の略章を胸につけ、再び日本を離れアメリカへ。サイパン、マーシャル諸島、ハワイを経て西海岸へ。
 港には帰還を迎える大勢の人たちが集まっていた。目で探すが……香里は居ない。岸壁で抱き合い、キスして再会を喜んでいる人たちから離れて、暫く待ってみた。軍楽隊の勇壮な音楽が奏じられ、辺りはお祭りのような騒ぎだ。だがそれも一時のこと。1時間ほど群衆は去り、誰も居なくなった。
 オレは自分の店に向かってみた。何かの手違いで香里へ手紙が届いていないのかも知れない、そう思って。
 懐かしい町並みを眺め、何度も歩いた路地を抜け、オレと香里が築いたアメリカンドリームの象徴、オレたちの夢、全てを失ってようやくその手の中へ僅かに残った希望……
 そこは、アメリカ人の経営するバーガーショップになっていた。
「すいません」
 静かに店内へ入る。
「what's?」
「ここに雑貨店があったはずなんだが」
「日系人は西部の収容所に連れて行かれた。あんた、帰還兵か?」
「そうだ……」
「そうか、ならご馳走するぞ。あの生意気な日本人の奴らをやっつけてくれたんだからな!」

 命をかけて戦ったオレに、アメリカが――自由と正義の国が与えたのは資産凍結と強制収容所、そして好意としてのハンバーガーが一つだけだった。オレは帰るべき場所を失った。祖国はもうどこにもない。
「ガルバシオン、生きて帰れて良かったな!」
 厨房から陽気に話しかける店主を無視して店内を見渡すと、壁にかけてある真新しい絵が目にとまった。勇壮で、それこそ絵に書いたような姿の海兵隊が上陸し、日本軍へ攻撃を行っているシーンを描いた物。
 画家のサインを見た。
 店主は気に入っているようだが、やはりあいつは三流の画家でしかない。だがオレはその絵に描かれた凶悪そうな、矮小な、冷酷な顔つきで歩兵銃を握りしめ、撃たれ、血を流し、それでも一歩も引かずに死んでいく一人の日本兵の姿に――護るべきもののために悲しみを渋面の陰へ隠した一人の男の顔に、この世に降り立った愚直で心優しい天使を見た。




 END