今日も疲れた。早く帰ろうとかなり無理して仕事を切り上げ、家路を急ぐ。といっても約束の時間はかなり過ぎてしまったけど。運転手に頼み込んで停留所の直前で長々と信号待ちをするバスから飛び降り、月明かりに照らされる通い慣れた道を走り抜ける。

「ただいま……」

 いまだに居候している水瀬家の玄関を開けた。




「つきのみや」
 作 Q.Mumuriku




              ――― 第1章 ―――


1.

「相沢、遅かったじゃないか」
 玄関で靴を脱いでいると、リビングから顔だけ出した斉藤が早く来いと手招きする。

 ”やっと帰ってきたみたいだよ”
 ”さんざん待たせおって”
 ”あはははーっ、お仕事なんですから仕方ないですよ〜”
 ”でも、約束に遅れるのは良くない……”

 部屋の中からは賑やかな話し声が漏れる。今日は、学生時代から仲の良い友達に集まってもらっていた。
「あら、お帰りなさい祐一さん」
 部屋に入ると、秋子さんがリビングのテーブルで紅茶を飲みながら微笑んだ。夜中に騒いでいても嬉しそうにニコニコしてる。 
「相沢、遅いぞっ!」
 高校を卒業してから近所で蕎麦屋をやっている北川は、香里と一緒に台所を湯気で一杯にしていた。こいつは店まで閉めて来たらしい。集まっているのは、北川、斉藤、久瀬。そして佐祐理さん、舞、美坂姉妹、天野、真琴、名雪。もう一人の主役であるあゆは、真ん中に座らせられてモジモジしている。

「ですから、アイスが重要ですっ」
 栞が真面目な顔つきで熱弁を振るう。
「二人の為には、真っ白なバニラアイスが絶対に必要なんです!」
 洋菓子店で働いている栞は、全高10メートルの巨大なアイスケーキを提案していた。
「お土産は肉まんっ!」
「デザートはイチゴ系が良いよ〜」
「あはははーっ、あゆさんはどう思いますか?」
「え? ボク?」
 恥ずかしそうにあゆが呟く。
「タイヤキがいいなっ」
「うむ、二人の出会いの象徴だからな……タイヤキに乗って登場というのはどうかね?」
「あはっ、それ面白そう!」
「久瀬、そんなに大きなの作れないよ」
「場所はもう押さえたのか?」
 北川が、茹で上がった蕎麦の湯切りをしながら訊いた。
「佐祐理が予約を入れておきましたよ〜」
「どこのホテルかしら?」
「香里さん、費用をかけたくないそうですから町外れの会館にしました〜」
「ああ、あそこですか……でも、少し狭くはありませんか?」
「天野さん、いざとなったら野外でも良いんじゃないでしょうか」
「挨拶は誰にするのかね?」

「友人代表はオレがやってやるぞ」
 そう言いながら、前掛けをした北川がお盆をもってやってくる。
「さあ、時間も遅くなったし腹が減っただろうから喰ってくれ。オレの自信作だ」
「海老天そばですか、美味しそうですね」
「北川、いいのかね?」
「お祭りみたいなもんだからな……ほら相沢、お前も喰え」
「気を遣って貰って悪いな、北川」
「そんなに悪くない」
「はぁ?」
「みんなのは車エビだけど、お前のだけブラックタイガーだから」
「なんでだよ」
「1匹足りなくてさ、どうせ味の違いなんて判らないだろ」
「判るぞ……」
「だったら、何で蕎麦屋のオレの店に来ていっつもカレー頼むんだよ」
「…………」
 ドンブリを受け取り、ネクタイだけ取ってあゆの隣に座り込む。
「祐一君、一口食べてみる?」
「いいのか? あゆ」
「もちろんだよっ」

 ”がぷっ”

「…………」
「えび天が尻尾だけになっちゃったよ……」
「祐一、極悪だよ〜」
「信じられません、人として不出来すぎます」
「月宮さん、やっぱり相沢君なんて止めといた方が良いわよ」
「うぐぅ……」

 みんな勝手にわいわい騒いでる。多分、今夜で話はつかないだろう。でも、忙しい中に集まってくれるだけでも嬉しいものだ。
 来月、俺はあゆと結婚する。




2.

 あゆは目覚めた。少しだけ大人っぽくなり、少しだけ髪が短くなったあゆ。直ぐにでも一緒になりたかったが、自分が大学を卒業して就職するまで待つことを二人で決めた。結婚するからには、それなりの責任と収入がなきゃならない。
 普通ならお互いの実家を訪れて正式に結婚を申し込まなきゃならないが、退院してからもあゆの両親は現れなかった。病院に問い合わせてみたが、一度も来たことがないという。親権者も、親戚も不明なので……退院時には、身元を引き受けに行った自分たちに医療費が請求された。子供の事故だから国費が入っているとはいえ、長期入院に対する費用は驚くほどの額だ。
 秋子さんは面倒を見ると言ってくれたが、病院には就職してから月々のローンで少しづつ払うことを了解して貰った。二人のことで、できるだけ迷惑はかけたくない。むしの良い申し出だったが、”奇跡の生還”と話題になっていたから病院側の態度はとても好意的なもので、事実、優秀な医者の居る病院だとのイメージが出来上がっていたし、患者も増えて良い宣伝になっている。俺たちにとってそんなことはどうでも良かったけど。
 捜索願や行方不明の事件がないかと警察へも行ったが、両親の手がかりは全くなし。そのせいで、数年間はあちこちの役所や裁判所を廻ったり、書類やら手続きで酷く煩わしい思いをさせられた。だけどあゆはここに――現実に俺の傍にいる。

 いまだに消し炭のようなクッキーをつくり、止めろと言ってるのに、”うぐぅ”の口癖を変えられず、もう二十歳過ぎだというのに、嬉しそうにパタパタと走り寄ってくるあゆ。そんな姿を見ていると、面倒なことも嫌なことも、どうでも良く思える。今は、きちんと代金を払って買ったタイヤキを食べながら一緒に街を歩く。タイヤキ屋の親父は、追い駆けっこができなくなって少し寂いと笑いながら話してくれた。その代わり、タイヤキに賭ける情熱を認められたのか、時々修行を兼ねて店番を任されるらしい。将来は看板を継ぐのかも知れない。まあ、それも悪くないだろう。

 ある時、あゆがこんな事を言った。
 ”祐一君、ホントにボクなんかで良いの?”
 自分のせいで金がかかったり、色々と面倒なことになっているのを気にしての事だろう。でも、俺はあゆが好きだ。どんなことがあったって。何処で生まれ、どんな家庭で育ち、両親が何処にいてどんな奴なのかも関係ない。
 あゆ自身は、学校も出ていないし世間の常識を知らないことをとても気にしていた。なにせ7年前、子供の頃の記憶と知識しかないのだから。そのせいもあってか、体調が良くなると秋子さんや名雪に教えてもらいながら中学校の卒業検定を受け、今は名雪のお下がりの制服を着て高校に通っている。あゆなりに7年の隔たりを縮めようと、みんなと同じ事をやってみたいと、一生懸命だったのだろう。毎晩のように部活や学校祭の事を楽しそうに話してくれた。
 あゆは、みんなの暖かい気持ちに迎えられて、今を生きている。自分の娘のように見守ってくれた秋子さんを始め、心から感謝したい。花嫁が現役高校生だと知られて、職場の同僚から質問攻めにあったのには閉口したが。




3.

 結婚式を前に開かれた発起人会から数日、水瀬家に今時珍しい電報が届いた。

《イトシイアユニチヨウムカエニイクチチ》

 あゆの親父さん?レタックスじゃない本物の電報なんて初めて見た。
「あゆちゃんのご両親は健在だったのですね」
「でも、今更迎えに来るだなんて……変じゃないですか、秋子さん」
「なにか理由があったんじゃないでしょうか」
「あゆ、お前の親父さんって何してる人なんだ?」
「うぐぅ……」
「年がいもなく”うぐぅ”は止めろ」
「うぐぅ……良く覚えてないよ……」
 首を傾げて考え込むが、なにせ十数年前、それも子供の頃のことだ。寂しそうに笑うあゆが思い出せないのも仕方ない。
「あゆちゃん、電話してみれば?」
 リビングにいた名雪が、あっさり言った。
「え?電話番号知ってるのか?」
「わたしは知らないけど、前にあゆちゃんは自宅に電話しようとしていたはずだよ」
「ええ、初めてあゆちゃんがこの家に泊まった時のことですよね」
「あの時は繋がらなかったけど、もしかしたら」
「あゆちゃんが退院したときにも電話してみましたけど、結局一度も繋がったことがありません」
「もう一回試して見ろよ、あゆ」
「うーん……」
 名雪が持ってきてくれた子機を受け取って、あゆが記憶を辿りながらボタンを押し始める。おいおい、やたら長いな。そんな番号あるのか?

 プルルルー、プルルル―― プチッ

 あれ?今回は通じたのか?呼び出し音が途切れ、電話が繋がると同時に中年男の大声が飛び込んできた。
「あゆっ!あゆなのかっ!」
「うぐぅ!」
 大声に驚いたあゆは、電話を放り出して座っていた椅子ごとひっくり返った。
「あゆ!おい、どうした!」
 床に転がった受話器から、せっぱ詰まったような怒鳴り声が漏れている。仕方がないので床から子機を拾い上げ、代りに電話へ出た。
「あー、もしもし?」
「貴様は誰だ、我が娘はそこにいるのか!」
「あゆの親父さんなのか?」
「馴れなれしく呼び捨てになどするなっ!娘は居るのかと訊いておるのだ!」
「ここに居るぞ、何年も前から」
「おおっ、するとお前たちがあゆを助けてくれたのだな。礼を言うぞっ!」
「そんなことは別に良いけど、何で今頃現れたんだよ」
「儂は信じておった。ずっと探していたのだ」
「はあ?どんな事情があったのか知らないけど、理由を教えてくれないか」
「それには訳があってな……よろしい、あゆを今まで保護してくれたのだから話してやろう」
 横で通話を聞いている秋子さんと名雪にも聞こえるように電話のモードを切り替え、スピーカーに相手の声を流す。

「夏休みに、家族で地球へキャンプに行ったのだ」
「はあ?」
「森や川を見せたくてな。忙しい仕事を何とかやりくりして1週間くらいの予定だった。その時、試験中の空間移転機を悪戯したあゆが行方不明になってしまったのだ……」
「…………」

 ”お母さん、空間移転機ってなに?”
 ”さあ?”

「運の悪いことに本国から呼び出しがあり、儂は戻らねばならなくなった。そのため軍の一部隊に捜索を任せたのだが……マイクロチップからの発信を辿れば、時間がかかっても発見できるはずだった」
「えーと、あゆの体に何か埋め込んであるとでも言うのか?」
 このおっさん、X−failとか妖しいテレビの見過ぎなんじゃないだろうか。
「可愛い娘にそんなことをするわけ無いだろうが!迷子にならん様に、身につけた物に生体熱で充電しながら発信するチップを装備しておいたのだ。捜索報告を聞いた儂がどんなに落胆したことか……発信ビーコンが突然途絶えたと言うのだから。もしかして、あゆは死んでしまったのかとも思った」

 ”お母さん、マイクロチップってなに?”
 ”名雪、最後まで聞いてから考えましょう……”

「親父さん、身につけた物って何だよ」
「見た目は我が娘に相応しく、可愛らしい羽根型で作らせた」
「あのリュックサックか?」
 そういえば高校に通い出してから、参考書やなんかの荷物が重いからといってまた使い始めてる。恥ずかしくないのかと思ったが、クラスメートの女子高生にはカワイイと好評らしい。
「あれはただのリュックサックではない。我が子を守るために技術の粋を尽くして造らせたものだ」
「技術の粋って……大げさだな」
「万一の際には膨らんで快適な居住空間となり、非常用食料も備えておる」
「…………」
 出会った頃のあゆはリュックサックに住んでいたのかよ。




4.

 あゆの父親だというおっさんの話はかなりおかしい。本物なんだろうか?迷子になるなんてあゆらしいが、どんな家庭環境で育ったのかとても気になる。
「数年前になって再び微弱な電波を受信し、ようやく居場所を特定できたという訳なのだ」
「あのリュックはしばらく押入に仕舞い込んでたし、病院じゃ医療機器に影響する電波を遮断するらしいからな」
「病院だと?」
「ああ、あゆは7年も入院してた」
「ど、どこか体を悪くしたのか!」
「木から落ちたんだ」
「なんだと!そんな危ない真似をさせたのは何奴だ!」
「えーと、自分でやったんじゃなかったかな?」
「儂の娘が、そんなおてんばなはずがない。あゆと代わってくれ!」
「ちょっと気絶してるから駄目っぽい」
「一体何が起こったのだ!」
「親父さんがそんな大声出すから、驚いて椅子ごとひっくり返ったんだよ」
「…………」
「嬉しい気持ちは判るが、いきなり大声で怒鳴るのは止めた方が良い」
「ま、まあ、なんにせよ長い間あゆが世話になった。電報のとおり来週迎えに行くが、それ相応の礼はさせて貰う」
「礼なんていいけど、病院の借金を少し払ってくれるとありがたい」
「その様なはした金は、儂が綺麗に払ってやる」
「それと、来たときに改めて話したいことがあるんだ……」
「何だ?あゆの恩人の希望ならば、大抵のことは聞き届けてやる」
「そういってもらえると話しやすい」
「電話で構わん、言って見ろ」
「そうか?じゃあ……」
「さっさと言わんか、儂はこれでも忙しい身なのだ」

「来月、俺とあゆは結婚する」
「な・ん・だ・とぅ」

 絞り出すような親父の声には、はっきりと怒りが感じられる。
「あゆも結婚に同意してくれた」
「馬鹿を言えっ!」
「真面目な話なんだ」
「いかん いかん いかん!月の宮のれっきとした姫を貴様のような庶民にやるわけには絶対いかん!」
 姫?庶民?やっぱりこの親父はおかしい。
「さっきから変なことを言うと思ってたけど、親父さん大丈夫か?」
「煩いっ!王に向かってその様な侮辱を働くとは重罪に値する!」
「何処の王様なんだよ……」

「月だ」
「はぁ?」

 ”お母さん?……”
 ”…………”

 名雪が覗き込む秋子さんの表情はいつもの微笑みで固まっていた。リビングに妙な雰囲気が漂い、お互いが目を見合わせる。外国じゃこう言うときに”天使が通った”と表現するんだろうが、今、みんなの頭の中を通り過ぎたのはタコ型の宇宙人だ。
「今は荒れ果てておるが、太古の昔は緑溢れる星だったのだ」
 水瀬家の住人が呆れているのも知らず、親父が話を続ける。
「戦争が起こり、天候や大気の大規模な異変があって我々は地下に潜った。有害な宇宙放射線も強くなっていたからな」
「マジですか? 親父――いや、お義父さん」
「貴様にお義父さんなどと言われる筋合いはないっ!」
「だけど、月に行った宇宙船が撮った写真じゃ……」
「ああ、よくあんな原始的な宇宙船で来たものだと驚いたわい」
「原始的?」
「我々の基準からするとな。我々は地球などとは比べものにならない科学力を持っている」
「どういうことだよ」
「古代、我々は地球人に様々な知識を授けてきた。お前たちの理解を超えた遺跡があるのもそのせいだ」

 確かにそんな話を聞いたことがあるけど、あれってインチキだったんじゃないのか?靴の痕が付いた三葉虫の化石とか、宇宙船の破片とか。そもそも、月に人が住んでるなんて常識的な理解を超えている。
「あんな所に人が住める訳が……」
「月は原始地球に天体が衝突し、軌道面に飛び散った破片から出来たのだ。二重惑星といっても良い。だからほぼ地球と同じ鉱物資源が存在しておるし、極地の地下には凍結した100億トン以上の純粋水がある」
「はぁ……」
「儂らはずっと地球の歴史を眺め続けてきた。野蛮な地球人に娘を嫁がせるなどもってのほか」
「俺たちが野蛮だって?」
「それすらも自覚しないとは哀れな生き物だ。あゆは月に連れて帰る」
「そんなの……嫌だ」

「嫌だ?誰も貴様の意見など聞いておらん。お前たちがどんなに抵抗しようとも無意味だ」
「勝手にあゆを行かせはしないっ」
「ほほう、地球人が何をほざく。我々が技術を指導してやったお前たちが勝てるはずがないではないか。憎しみ合い、戦い続け、我らが差しのべた手にも近視眼的な利己主義から離れられないお前たちがどうする気だ?」
「…………」
「無駄なことは止めた方が身のためだ。己に相応しい振る舞いをしろ」
「あゆが連れ去られるのを黙ってられるかっ!」
「我々の社会は知識も道徳も人々の考え方も、貴様ら地球人を超越しておる。地球などいつでも征服できるのだぞ。お前たちは我々の温情で生きていることをわきまえろ」
「今度は脅迫かよ」
「わはははは、せいぜい足掻くのだな。しかしあゆは必ず連れて帰る!」

 電話は切れた。
「ゆういちくん……」
 ぶつけた後頭部をさすりながら、あゆが心配そうに訊いた。
「お父さんと喧嘩しちゃったの?」
「……拙かったかな」
「あゆちゃんって、月に住んでたの?」
「うぐぅ……」
 大きな溜息をついた秋子さんが、頷きながら言った。
「やっぱり、あゆちゃんは何か特別だとは思っていました」
「?」
「今までたくさんの方に料理を教えてきましたけど、あゆちゃんの様に独創的な作品を作る人は初めてでしたから」
「もしかして秋子さんボクのこと……」

「大好きですよ」




              ―― 第2章 ―――


5.

 日曜日、水瀬家は天野によって貼られた護符だらけになっていた。とても怪しい。これって逆に人目を惹くんじゃなだろうか? 不気味なので止めさせたかったが、折角の好意なので秋子さんも黙認していた。
 玄関前では、斉藤が地味なスーツを着込んだ男たちを連れて辺りを警戒しており、目つきの鋭い男たちは懐に右手を突っ込んでいた。
「相沢、NORADは何も情報をつかんでないみたいだよ」
「はあ?」
「大気圏内に何かが接近してくれば、奴らが気付くはずなんだけどね」
「斉藤、一緒に来てくれた人たちって何者なんだ?」
「えーと、ザ・ファームの訓練所を出たばかりの新人だけど、僕の部下だよ」
「ザ・ファームって?」
「あ、ごめん相沢。それは話せないんだ」
「…………」
「NASAの方にも手を廻しておいたから、何か来れば直ぐにわかるよ」
「斉藤、お前の仕事って……」
 その時、無線機に通信が入った。 
「こちら久瀬だ。今のところ異常は認められん」
 町から望む小さな港には、久瀬率いる海上自衛隊の艦隊が集結している。
「相沢、護衛艦隊グループ全ての艦船を動員したから安心したまえ」
「そんなことして大丈夫なのか?」
「これが我々の仕事だからな。入国の方法や経緯を問わず、意志に反して国民が連れ去られるのを座視する訳にはいかん」
 嬉しいが、本当に良いんだろうか?船上で指揮をとっているらしい久瀬の話し声に、波の音や隊員たちの声が混ざる。

《久瀬司令!統幕本部からの連絡です!》
《うむ……なにぃ!》
《司令、どうなされました?》
《しかし……そんな弱腰で……》
《司令?》
《撤退しろ?左遷だ?拉致は貴様らの頭の中で起こっているのではないっ!我が
 方面隊の守る日本海で起こっているのだ!》

 なんか、バックノイズに混ざって聞こえちゃったんだけど。

 家の中では一仕事終わった天野がフヱキ糊と余った紙束をカバンに仕舞い、佐祐理さんと舞が秋子さんお手製のクッキーをつまんでいる。
「あはははーっ、久瀬さんは男っぷりを上げましたねぇ〜」
「……ちょっとだけ見直した」
「相沢、ホントに来るのかなぁ」
 前掛け姿の北川は、手持ちぶたさでキッチンの椅子に座っている。
「わからない」
「電話の方が、あゆさんのお父様だって言う確証も無いですしね〜」
「月に人なんていない……」
「あはははーっ、舞の言うとおりですよ」
「住んでるのはウサギさんだけ……」
「はえ?」
 ノイズ混じりの通信に、変な音が混ざった。

 ”ゲロゲゲゲロロロ、ゲゲロ!”

「誰だ?」
「こちら偵察中の名雪だよ〜」
「じゃあ、さっきのはケロピーか……」
「ものみの丘上空を、さっき何か飛んでいったんだよ」
「何っ!」
「ゲロロッ、ゲゲロロゲオロロゲゲ」
「……名雪、通訳してくれ」
「遠くで光ったと思ったら、凄いスピードで家の方に向かって行ったって」
「いよいよ来るのか!香里、あゆを頼んだぞ」
「わかったわ」
 そう言って香里と栞、真琴も一緒にあゆを守りに二階へ上がって行った。




6.

 天野の眉がぴくっと動く。舞が、紅茶のカップを取り落とした。

 ”ぴんぽーん”

 呼び鈴が鳴った。って、正面玄関から来たのか?
「気を付けた方が良い……」
「相沢さん、かなりの使い手のようです」
 この二人には特異な感覚があるのだろう。緊張のため、ごくりと喉を鳴らしてドアを慎重に開ける。
「へ?」 
 思わず間抜けな声を出してしまう。玄関には、スーツを着込んだおっさんが一人。酒を飲んで、深夜、家に帰るお父さんといった格好だ。ご丁寧にストライプのネクタイを頭に巻いている。
「誰だよっ!今、取り込んでるんだ!」
「儂があゆの父親だ」
「はあ?」
 月に住んでるってのに、何でそんなに普通なんだよ……。
「お土産を持って家に行くには、この格好が正式では無かったのか?」
 ちょっと地球人に対して誤解があるようだ。って、外の斉藤たちはどうしたんだ?玄関先から外を窺うと、斉藤たちが文字通り固まっていた。拳銃を引き抜こうとしている斉藤も、体格の良い同僚たちも、必至にもがいているが体が利かないようだ。
「相沢ごめんっ、そんな格好だし、咄嗟のことで何もできなかったよ!」
「ふふん、愚かな地球人たちよ。儂を止められるとでも思っていたのか」
 誰が見たって、あんたが月の王様だなんて気付かないって。
「貴様らは何故動けるのだ?」
「結界をはらせていただきました」
 天野が答える。信じられないが効き目はあったようだ。
「ほう……なかなかやるな。しかし、本気で儂を怒らす前に早く娘を連れてこい」
「あゆは俺と結婚するんだ!」
「煩いっ!絶対に認めん!」

「本人同士が良いっていってんだから、気持ちを尊重してやれよおっさん」
 だらしなくテーブルに頬杖をつく北川が、猫っぽい口で呟く。
「いかんいかんっ!仮に結婚するにしてもそれ相応の人物でなくては許さん!それにあゆはまだ子供だ!」
「月宮さんは、もう二十歳過ぎですけど?」
「あはははーっ、両親の了解が無くてもご結婚できる大人ですよ〜」
「その様な野蛮な法律など、儂には通用せんっ」
「駄々っ子みたい……」

 湯気が出そうなほど真っ赤になって怒る親父に、秋子さんがいつもの微笑みで声をかけた。
「あなたがあゆちゃんのお父様ですか?」
「そうだ」
「ようこそいらっしゃいました。こちらにどうぞ」
「ああ?」
 笑顔のままの秋子さんが、不審がる親父をリビングに招き入れる。
「私は水瀬秋子と申します。退院したあゆちゃんと一緒に暮らしてきました」
「娘が世話になって感謝しておるが、誰が何と言おうと連れて帰る」
「お気持ちは判りますが、私もあゆちゃんが大好きなんです」
「あんたも親なら、解るだろう」
「……ええ、お気持ちはお察しします。ですが、落ち着いてお話しした方が宜しいのではありませんか?」
「そうだな、少し感情的になってしまった様だ」
「自分の子供のことですから当たり前です。こちらに掛けてください。さあ、祐一さんも」
 テーブルを挟み無言で対峙する二人に、秋子さんがコーヒーを差し出す。甘党らしい親父は、大量の角砂糖をカップに入れてかき回した。
「十数年……ようやく我が娘と会えるのだ」
「さぞ嬉しいでしょうね」
「してやれなかったことがたくさんありすぎる……月に帰ってもう一度やり直したいのだ」
「でも、あゆちゃんはもう大人なんですよ」
「解っている。だがな、もう少しだけあゆと一緒にいる時間が欲しいのだ」
「なら、そうすれば良いじゃありませんか」
「どういう意味だ?」
「祐一さんと結婚して月で生活すれば良いんです。ちょっと寂しくなりますけど、たまに遊びに来てくれれば結構です」
「…………」
「どうですか?」
「……駄目だ」
「何故です?」
「こんな無礼で教養のない男に、娘はやれん」
 親父が憎々しそうに俺を指さした。
「こんなんで悪かったな!」
「祐一さんとあゆちゃんは、二人で結婚を決めたのですよ」
「もっとふさわしい男が幾らでもいる。それがあゆのためだ」
「あゆちゃんはどう思うでしょうか?」
「…………」

 落ち着いて話せば、結構理解のある良い人みたいだ。秋子さんから話してもらって、なんだか迷っているようにも見える。よし、ちゃんと言おう。もしかしたら渋々でも認めてくれるかも知れない。
「親父さん……」 
「なんだ?」
「俺はあゆを愛してる。幸せにする。だから、あゆを……俺にください!」
「…………」
「お願いします!」
 両手をついて深々と頭を下げた。
「……(ぷちっ)」
 頭を上げると、一旦収まった怒りが親父の顔にふつふつと湧いていた。
「いかん いかん いかーんっ!」
 ぷるぷると顔を振るわせて、立ち上がった親父が俺を見下ろす。

「あらあら……頑固な方ですね」
 そう言いながら、秋子さんが今度は茶菓子を持って来た。 
「お二人とも、冷静になってお話ししてください。宜しければこちらもどうぞ」
「ほう、手作りのお菓子か」
「ええ」
「儂は甘い物に目が無くてな。いただこう」
 年の功なのか、秋子さんに対しては親父もおとなしい。
「たくさんありますからご遠慮なくどうぞ」
「食べることは食べるが、娘の結婚は絶対に許さんからな……」
 親父が、数枚のクッキーを鷲づかみにして口に入れた。
「うっ!」
 親父さんの顔色が変わり、その場に突っ伏す。……挟んであったみたいだ。秋子さんが親指を立てて小さく合図する。やっぱり自分でも気付いてたんだ、アレ。

「祐一さん」
「え?」
 秋子さんが、瓶を隠しながら俺の目を見据えて言った。
「今の内に、あゆちゃんを連れて逃げなさい!」




7.

 二階に駆け上がろうとすると、玄関からどかどかと兵士たちが水瀬家に乱入してきた。どうやら、会話を盗聴しながら近くで待機していたようだ。
「国王!どうなされたのですか!」
「貴様ら何をした!」
 数人が白目をむく親父に駆け寄る。
「だから、話をしても無駄だと言ったんだ」
「お嬢様をお連れして、さっさと帰ればこんな事には……」
「こうなったら、国王の弔い合戦だ!」
 いや、死んでないって。

 武器を構えて威嚇する兵士たちに向かって、舞が自慢の洋刀を抜く。自分は木刀、北川は1メートル以上もある伸し棒を構えた。
「誰でも……希望を奪うことは許さない……」
「人の恋路を邪魔する奴は、オレに伸されて、とっとと帰れ!」
「あゆを渡すもんか!」
 啖呵を切ってしまったが、俺たち三人に対して敵は十数人もいる。本気でかかってこられたらひとたまりもないだろう。何か手を考えないと……。そんなことを思っていると、じりじりと距離を縮め近づいてきた兵士たちがざわめいた。数人の兵士が北川を見て驚愕の表情を浮かべる。
「貴様の頭は!」
「伝説の剣士かっ!」
 はい?北川って有名人だったのか?
「”その者、蒼き衣を纏いて金色の癖毛を風になびかせる――”こんな所でお前に出会うとは……」
「は?なに言ってんだ?」
 呆れたような表情で、北川が伸し棒を一振りした。  
「俺たちが敵う相手じゃない……」
「まさか地球に居たなんて……」
「おーい、何ごぞごそ話してんだよ?」
「先生を呼ぼう」
「我が王国一の達人だ、前にだって負けはしない!」
「だから、オレはそんなんじゃねぇって、それに……」
 北川が続けて何かいいそうになるのを、背中を突ついて止まらせた。勘違いだろうが、時間稼ぎにはなる。

 貴重な時間を利用して、この危機を脱する手段を色々と考えるが良い案が浮かばない。目の前にいる兵士たちの他にも、もう家の周りは取り囲まれてるのかも知れない。
 数分の緊張とにらみ合いが続き、そこへお互い膠着した状況をうち破る音がした。

 ”ぴんぽーん”

 玄関で呼び鈴が鳴る。が、誰も出ようとはしない。気を抜いた瞬間が負けるときだ。兵士たちもそう思っているのだろう、剣を構えて微動たりともせず鋭い視線を俺たちに向けている。 

 ”ぴんぽーん ぴんぽーん ぴんぽーん”

 ”ぴーん、ぽんっ………… ぴっぴぴぴっぴぴぴぴぴぴぴぴぴ”

 ”ぽ〜ん” 

 ”……………………”

 ”どがっ!”

 いきなりドアが蹴破られた。
「何故、さっさとドアを開けないっ!」
 中世の甲冑みたいな装備を付けた長身の男が、せっかちそうにカチャカチャ音を立てながら入ってくる。せわしなく長い髪を気にしながら、いらいらと言い放つ。
「だから、地球のような低俗な星には来たくない」
「先生!」
「此奴らが国王をこの様な目に遭わせて……やってしまって下さい!」
「わざわざこの私を呼び出すほどの……はっ!」
 先生と呼ばれる男の視線が、一点に集中して止まった。

「……美しい」

「先生?」
「う、うーん……女性を傷つけるのは私のプライドに反する」
「え?」
「突然で失礼だが美しい貴女のお名前を伺いたい。私は王国付きの近衛隊長。以後、お見知り置きを」
 いやに儀礼ばったお辞儀をしながら、男が言った。
「私は天野美汐と申します」
 恥ずかしそうに天野が答える。
「お嬢さん、私は隣の凛とした彼女にお聞きしたのですが……」
「そんな酷なことは無いでしょう。ですが”お嬢さん”なら、まあ許します」
 後ろを振り向くと、不思議そうな顔をして舞がぼそっと言った。
「舞……川澄 舞……」
「そうか。では、舞さん……」
「?」
「今度オリエンタレ・ベイスンに新しく出来た店で、ご一緒にディナーなどいかがです?」
「こんな状況でデートに誘うんじゃねえ!」
 北川が、舞を庇うように前に出る。
「佐祐理と一緒なら、良い……」
「駄目っ、川澄先輩。そんな軽々しく返事しちゃ!」
「あはははーっ、楽しみですね〜」
「倉田先輩まで……」
「巻き込まれて怪我でもしたら大変です。貴女たちは下がっていてください」

 白い歯を見せて笑いながら、男が北川に視線を移す。
「さあ伝説の剣士よ、手合わせを願おう!」
「気障な奴だな」
「俺は無視か?」
 当事者って俺じゃなかったのか?
「お前になど用はない、私の相手はこの金髪の剣士だ」
「だからさ、その伝説って何なんだよ……」
 北川が訊いた。
「我が王国2億2,492万7千、とんで13年の創始者。後の王家を扶けて、何でも願いが叶うという奇跡の宝物を探し当てた気のいい男の事だ」
「……微妙にオレのことじゃねえか」
「ははは、認めるのだな?」
「普通、そんなに生きられるわけねえだろ!」
「問答無用!」
「クソッ、常識のない奴らだ!」
 北川がベランダのガラスをぶち破って庭に逃げる。

「ふぉっ」

 と、上空から声がした。
「爺さん!」
 見上げると、雲間から落下傘降下する爺さんが見えた。
「信州で隠居してたはずだろ!」
「国際電話でお前の親父から連絡をもらってのう、孫のために無理して来てやったわい」
 いや、頼んでないって。
「煩い地球人どもめ」
「こいつら、月の民である我々が怖くはないのか?」
 新手の登場に、兵士たちが口々に罵り合う。
「怖いだと?南方ジャングルで死線を彷徨い、メナド空挺の生き残りである儂が怖い物は一つだけ」
「爺さん、そりゃ何だ?」
「老齢年金の引き下げだけじゃ!」
 九九式歩兵銃を持った爺さんがゆっくりと降りてくる……と思ったら、庭の木に引っ掛かった。
「しからば……日本陸軍御用達、急造爆弾”火炎丸”じゃっ!」
「椰子の実?」

 ひゅー
 ぽてっ、ころころ〜

「何だこれ?」

 しゅーしゅー……

「?」

 ぼふっ!

「火噴いた! 火っ!」
「意外と強力じゃねえか」
「おい、消えないぞ!」
「火事になるっ、消せ! 早く消せっ!」
 火勢を踏みつけながら、北川(伝説の剣士)がもの凄い剣幕で叫ぶ。
「何ぼーっとしてんだよ、お前らも手伝え!」
「ああ?」
「水だ、水っ」
「わ、わかった……」
 腑に落ちないまま消火の手伝いを始めた兵士たちに、秋子さんがベランダへ出てきて言った。
「お願いしますね、ホースは物置に入ってます」




8.

 一方、二階では。
「一人のヒロインを守るために闘うなんて、ロマンチックです、ドラマみたいです!」
「栞、あなたねぇ……」
「あこがれちゃいますうー」
「前に真琴が読んだ本みたい」
「竹取物語ね、沢渡さん」
「えーとね、お爺さんやお婆さんやかぐや姫が好きなみんなが、月に帰っちゃわないように頑張るの」
「ボクはそんなの嫌だよっ」
「そうね、かぐや姫は結局帰ってしまうのよね」
「うぐぅ……」
 目の前に置いてある好物のタイヤキにも手を付けず、あゆが唸る。
「愛する人をとるか家族をとるか。難しい選択ね、月宮さん」
「お父さんには会いたいよ、だけど」
「問題は結婚を許してもらえないって事ですよね」
「うん。栞ちゃん、ボクどうすればいいのかな?」
「私もそんなヒロインになってみたいです」
「ボクは真剣に悩んでるんだよっ!」

「ねえ、月宮さん。月ってどんな所なの?」
 香里が優しく訊いた。
「良く覚えてないよ」
「もし月宮さんが帰りたくないんなら……」
「えっ?」
 香里が、脇に置いてあったハードケースの鍵を開けながら言った。
「2〜30人くらいは、あたしがぶちのめしてあげるわ。だけどね……」
「?」
「月宮さん自身がどうしたいのか、聞かせて欲しいのよ」
「そうよ、結婚したいなら何ではっきり言わないのよっ!」
 真琴が肉まんを頬張りながら加勢する。
「でも……これ以上みんなに迷惑かけちゃ、駄目じゃないのかなって」
「そう思うんなら、そうすれば良いわ」
「うぐっ」
「お姉ちゃん、冷たすぎますうー」
「あゆが居なくなっちゃったら寂しいじゃないのよっ」
「自分で決める事よ。大切な人を忘れてしまうのも、決断を避けて逃げることもね」
「お姉ちゃん?」
「でも、どんな結果になっても後悔だけはしないでね。あなた自身が決めたことなんだから」
「…………」
「あたしたちがどんなに頑張っても、結局は月宮さん次第なのよ」
「ボクだって色々考えて……」
「考えるだけじゃ不十分なのよ、それに悩んでいられる時間はもうあまり残ってないわ」
 辛そうに話す香里の手を、妹の栞が握っていた。 
「いくら想っていても、言葉や行動で現さないと伝わらないことがあるのよ。例えそれがいつも側にいる家族や、解り合えた人だとしてもね」
「お姉ちゃん……」
「栞、ありがと」

 部屋のベッドに腰掛けて話を聴いていた真琴が、鼻をひくつかせた。
「沢渡さん、どうかしたの?」
「なんか焦げ臭いと思うんだけど」
「そうかしら?」
 香里が、窓に人影を写さないよう慎重に床を這い、カーテン際の壁にぴったりと身を隠しながら外を覗いた。
「月宮さん、大分派手にやってるみたいよ」




              ―― 第3章 ――


9.

 ようやく鎮火に成功したものの、庭はまだ焦げ臭い匂いが充満している。水浸しになった地面と同じように、水を被りぐちゃぐちゃに濡れて疲れ切った者たちが縁側に座って茶を飲んでいた。秋子さんが淹れてくれたジャスミンティが、冷えた体を内側から温めていく。
「それまでだ!」
 テーブルで突っ伏していたはずの親父さんが、よろよろと庭へ出てきた。
「国王っ、生きておられたのですか!」
「どういう意味ですか?」
 秋子さんが、涼しい眉間に皺を寄せる。

 兵士の一人が、敬礼しながら進言した。
「お嬢様をお連れして、早く帰国しましょう」
「ああ、話し合いはここまでだ」
 親父が、懐からテレビのリモートのような物を取りだしてボタンを押す。
「お前たちの行動には、ほとほと呆れた……」
「親父さん、いま何したんだ?」
「ふん、どうせ忘れるのだから教えてやろう。月の本国から高エネルギーを持つ兵器を発射させた」
「俺たちを殺す気かっ!」
「儂らはそのような方法はとらん。これ以上の面倒は御免だ……だからお前たちには、全て忘れてもらう」
「忘れるだって?」
「ここへ来るまでに準備はしておいたのだ。儂らが現れた数時間のことと、あゆに関わるお前たちの記憶を全て消し去る」

 記憶を、消す?
 幸せな夢が覚めるように、全てを失うのか?俺は、あゆと出会わなかった俺になって、俺は悲しみも喜びも忘れて、それでも俺は俺であって生きていくのか?愛した人のことを思い浮かべることも出来ずに……彼女の顔も知らず……柔らかい栗毛の感触も、口癖も聞くことができずに……
 それでも俺は俺なのだろうか?大切な物を奪われてまで。
「やめろ、やめてくれ」
「そう悲観するな、始めから何もなかった事になるのだ」
「そんな……」

「祐一っ、退くのじゃ!」
 上の方から声がした。見ると、木上で爺さんが構える歩兵銃の照準がこちらを向いている。
「撃つ気か?」
「…………」
 にわかに殺気だった兵士たちが武器を構えた。
「いや、そんなことはさせない」
 爺さんの弾道を遮るように、親父の目の前まで歩み寄る。
「何をするんじゃ、祐一っ!」
「爺さん、ちょっと待ってくれ。俺は親父さんにお願いしたいことがあるんだ……」
「言いたいことがあるのなら、さっさと言え」
「想い出まで消されるなんて……俺には耐えられない。考え直してもらえないだろうか?」
「無駄だ。これ以上騒ぐならば、命の保証はせん」
「…………」
「話はそれだけか?」
「俺は、あゆと一緒に居たかった。俺の望みはそれだけだった」
「だから、それは儂が許さんと……」

「結婚できなくても良い…………」

「何だと?」
「だから頼むっ、あゆと一緒に居た想い出だけは消さないでくれっ!」
 取り囲む兵士たちにも構わず、親父の襟元を掴んでおもいっきり握りしめる。高ぶる感情が、俺の腕を、足を、全てを、ぶるぶると振るわせた。吐き気のようにこみ上げる何かが、硬直した口から出る俺の言葉を不明瞭な嗚咽に変える。自分の頬に、生ぬるいものを感じた。
 あゆと出会ってから、色々なことがあった。とりとめのない会話や、水瀬家の生活。散歩に出かけた街の出来事や、夜中に二人で語り合った将来のこと。ふくれたあゆ、からかっていじけたあゆ、恥ずかしそうに困るあゆ、笑顔のあゆ、嬉しそうにパタパタと駆け寄ってくるあゆ。俺は愛していた。心から。
 もし離ればなれになったとしても、想い続けていたい。どこかで幸せに暮らしている。そう想い続けたい。ここではなく、何処かで。
「貴様……本気か」
 そんな親父の言葉が、かすかに耳に入る。気が付くと俺は、苦しそうな親父の襟元を掴んだままその場に蹲ってしまっていた。血の気が引いて白くなった手――自分の物じゃないように引きつる手を開いて親父を離した。
「それで、それだけでも良い……」

「お父さんっ!」

 地面に両手をついて動けない俺の耳に、聞き慣れた声が届いた。あれは、あゆの声だ。もっと聞いていたい。ずっとずっと……。
「あゆなのか?」
 俺の前から離れ、歩み寄ろうとする親父の動きが止まった。香里を後ろに従えたあゆが、首を横に振りながら後ずさって行く。
「あゆ、どうした……お父さんだ、なぜ儂から逃げるのだ」
「ボクは……もう大人なんだよっ」
「家に帰れば、母さんが旨いタイヤキを沢山作ってくれるぞ」
「そんなのっ、ボクは一生タイヤキなんて食べられなくても良いんだよ!」
「なにっ!」
「お前は、それほどまでに愛しているのか?こんな男を?」
 そうさ、俺は”こんな男”だ。大見得を切ったのに大切な人を守れない、結局地面に這いつくばって泣くような男だ。
「ボクは祐一君が好きなんだよっ、それに秋子さんやここにいる友達のみんなもっ!」
 あゆ、嬉しいよ。
 でも、どうやら俺とお前じゃ身分に違いがあり過ぎるみたいだ。

「相沢祐一とやら……」
「…………」
 親父が、俺の首根っこを捕まえて体を引き起こす。酷い顔を見られたくなかったが、体に力が入らない。へなへなと、されるがままに親父の顔を正面に見た。
「お前に見所があるとは、到底思えん」
「…………」
「しかし、たくさんの人たちがお前たちを祝福しているのだろう……」
 口元を歪めて親父が俺に言った。 

「娘を頼む」

 木の上で銃を構えた爺さんが、そっと照準を外した。




10.

「えっ?」
 一度真っ白になってしまった俺の頭では、直ぐには意味が理解できなかった。娘を頼む?それは……えーと、つまり?
「結婚を、認めると言っておるのだ……」
「マジかよ! 親父っ!」
「お前は、まず言葉遣いから直さんとな」
「あ、ありがとうございます!」
 さっきまでのふるえが嘘のように止まり、体に力が入る。嬉しさが沸き上がるなか、俺は深々と頭を下げた。
 
「お父さん……」
「あゆ、幸せになってくれ」
 見ると、親父さんの目の縁が赤く腫れていた。
「うんっ」
「だがもう一度……子供の頃のように、儂の胸におもいっきり飛び込んで来てはくれないか?」
「うんっ!」
「さあ!」
「ありがとう! お父さん!」

 ”だだだだだだ〜”

 聞き慣れた音だった。って、あゆ。本気で突っ込んだら危ないって!お前はもう大人だ!

 ”どすっ”

 受け止めやがった……。あの、頭から突っ込む攻撃を軽くいなして、親父があゆをがっちりと抱きしめる。親子だ。間違いない。

「お嬢さま……」
「国王、ようやく願いが叶いましたな……」
 感涙した兵士たちは、滂沱の頬を住宅街に差し込む日光に照らしながら万歳を唱える。ようやく木から降りてきた爺さんが、親父に向かって言った。
「出来の良い孫ではないが、こちらこそ宜しくお願いする」

 いつもは曲がっている背筋が、ぴしっと伸びていた。




11.

 家の中に戻ってみると、佐祐理さんたちがティータイムのひとときを楽しんでいるところだった。
「gyu−do−n?」
「あはははーっ、”牛丼”ですよ〜」
「美味しい……」
「美しいお二人がそう仰るんでしたら、とても高級な料理なんでしょうね」
 なんか、妙に意気投合して会話に花が咲いている。
「それにしても、これほど美しい貴女が剣術をたしなむとは。今度ぜひ手合わせをお願いしたいものです」
「川澄さんは強いですよ」
 天野が真面目に忠告する。
「怪我をするから……止めた方が良い……」
「私がですか?はははは、今度、伝説の剣士さえ逃げ出す私の実力を見せて差し上げましょう」

 テーブルの上に置きっぱなしだった無線機から、声が聞こえた。
「わははは、相沢。大口を叩いていた奴らだが、我が艦隊に恐れをなして近寄れなかったようだな」
 久瀬だった。あ、すっかり忘れてた。
「久瀬、あゆは今もここにいる。俺たちは結婚できるんだ!」
「そうか! おめでとうと言わせてもらおう」
「無理してくれてありがとうな、感謝してるぞ」
「らしくない気持ちの悪いことを言うな、相沢。それにこれが我々に課せられた任務なのだ」
 今も海上で警戒しているらしい久瀬の声に、波や周りの音が混ざる。

《諸君、敵は我々に恐れをなして卑劣な作戦を中止した模様だ》
《おおーっ!》
《我々は国民を守り抜いたのだ!》
《司令っ!》
《一発の弾も撃たず、一人の戦死者もなく我々は勝利した!自衛隊の歴史上、今
 日は……》

 久瀬の演説はまだまだ続きそうだったが、ボリュームを絞りそっとスイッチを切った。台所ではやっと動けるようになった斉藤たちが、炎天下でからからになった喉を潤そうと台所で蛇口の取り合いをしている。
 みんなには本当に面倒をかけてしまったみたいだ。でも、もう終わった。今度集まれるときには、みんなに晩飯でも奢ってやろう。そう思う。 

 ” ピッ ピ ピ ピ ”

 キッチンの椅子に座って溜息をついていると、変な電子音が聞こえた。なんだろ? 携帯とかじゃないみたいだけど。音がしている方向を見ると、親父があゆの栗色の髪を撫でている。
「親父さん、何か鳴ってるみたいだぞ」
「…………」
「おーい、変な音がしてるって」
「ふむ?」
 ようやく気が付いた親父が、懐から何かを取りだした。顔つきが変わった。
「いかん! 忘れとった!」
「どうしたんだ?」
「先程発射したミサイルがこちらに向かっておる。あと数分しかないっ!」
 親父の命令に、慌てて兵士たちが無線機を引きずってくる。 
「儂だ、静かの海にあるミサイル基地に連絡し、急ぎ照準を外すように伝えろ!」

「なにっ! もう間に合わんだと!」

「ぶっ!」
 おいおい、ようやく終わりだと思ったのに。
「月の科学力は凄いんだろ、なんとかなるよな親父さん」
「あれは標的からある程度の距離に近づくと、妨害されぬよう外部からの信号は全く受け付けぬのだ」
「え?」
「先程の発信音が、その知らせだった……」
「じゃあ、さっさと逃げよう!」
「無駄だ。兵器の効力は半径50qにわたる。急いでももう間に合わん」
「親父さんの乗ってきた宇宙船でもか?」
「エンジンをかける時間すらない」
 なんてことだよ。
「こ〜く〜お〜」
 がちゃがちゃとうるさい音を立てながら、剣士が親父に詰め寄った。
「折角、美しい方々と知り合えたと言うのに……あなたの忘れっぽさには呆れます!」 
「こら、隊長。離せ」
「いいえ、今日という今日は言わせていただきます」
「ケンカしてる場合じゃないだろ!」

「相沢、ちょっと電話借りても良いかな?」
 変に落ち着いた斉藤だった。
「いや、構わないけど……」
「緊急事態だからしょうがないけど、話した内容は忘れてね」
「え?」
 斉藤は、受話器をとってやたらと長い番号を押した。

CIAのライアン副長官を。あ、僕だ。斉藤だよ。ちょっとお願いがあるんだけどね。それどころじゃない? 未確認の飛翔体が地球に向かってる?そう、それのことなんだ。詳しくは話せないんだけど、落としてしまっても安全なんだ。だけどちょっとだけ軌道を変えて欲しくてね。ほら、SDI計画で打ち上げた衛星があるだろ、あれのレーザーでさ。うん、あの作戦のことは良く覚えてるよ。じゃあ、頼んだよ』

 電話を切った斉藤が、振り向きながら言った。
「現代のかぐや姫はもっと幸せにならなきゃ。そう思わないかい、相沢?」
「斉藤、お前の仕事って……」
「あんまり詮索されると困るんだけど、僕たちだってさ、使い様によっては人を幸せに出来る技術をもう持っているんだよ」




              ―― 第4章 ――

12.

「良いわよ〜 あ、ちょっと左よ左っ!……そうそう、そのまま真っ直ぐ!」
「運転の下手な方ですね、場所が限られてますからきちんと止めて欲しいのですが」
 夕闇の迫るものみの丘では、赤色灯を持って結婚式の参列者が乗った宇宙船を誘導する美汐と真琴がいた。

 丘のあちこちにはカンテラが置かれ、探照灯が夜空を照らす。ひっきり無しに宇宙船が着陸する丘から会場へは、祖父であるあの爺さんの戦友たちが街道を全て封鎖し、来賓の移動を助けた。黒服の男たちと警護にあたった斉藤は、国王一家にぴったりと張り付いて非の打ち所のない要人警護を行っている。
 会場には10メートルのアイスケーキが鎮座しており、参列者を驚かせていた。甘党の国王と栞は、何故か大いに意気投合してバニラビーンズや和三盆について話し合っている。香ばしい匂いが漂うのは、威勢良く自慢のタイヤキを焼く親父がいるから。久瀬が率いる自衛隊員が礼砲を撃って景気をつける。左遷させられそうになったはずなのに、何故かお咎め無しだったそうだ。と言うか、全く何も無かったらしい。多分、照準を外れたミサイルが、良い所に落っこちてくれたのだろう。

 あの日、水瀬家に突入した近衛部隊の隊長が舞と親しそうに話している。聞き耳を立てると、どうやら舞に弟子入りしてしまったみたいだ。ぎこちない動きと利き腕を使わない所から見て、実力を見せつけるはずの試合で舞に負けたんだろう。
 と、会場の照明が落とされた。高砂に一人座っている俺に向かって、スポットライトに照らされた花嫁が入場してくる。名雪に付き添われて、純白のドレスを纏ったあゆが。

 綺麗だ……。

 月と地球、どちらかのしきたりに合わせる訳にはいかなかったので、式は人前で行われ、親友の北川が司会進行を勤めた。本人はタキシードで正装しているつもりなのだろうが、インチキ臭いことこの上ない。
「司会進行をさせて、い、いただだ、きます発起人代表の北川潤です。今日、こ、この日。この大役を……」
 らしくもなく緊張したのか、北川の声が震えている。

 ”ぱさっ”

「あ……」
 おまけにカンニングペーパー落としやがった。
「えーと」
「北川、普通にやってくれ」
「晴れ舞台だと思って、昨日徹夜して練習したのに……」
「聞いてて気持ち悪いぞ」
「やっぱり? ははは、オレもなんだ」

「んじゃ、改めて」
 そう言いながら、蝶ネクタイを弾いた北川が話し始める。
『どう言ったらいいのかなぁ、こいつって変な奴でさ。皮肉っぽいし、我が儘だし、ソバ屋のオレの店に来ていっつもカレー頼むような奴なんだ』
 北川、それは関係ないだろ。
『でもな、こいつはちゃんと何が大切なのかをわかってるんだと思う。好きな人のためには、何だって……馬鹿じゃねえのかとオレが思うくらい純粋にがんばれる。勉強が出来るとか、几帳面とかそう言うんじゃなくて、妙に純粋で真面目な奴だ。嫁さんと一緒にオレの店に来てくれるんだが、なんか見ててほのぼのしちまうんだよ。今時無いぞ、こんな二人は』
 もう止めてくれ。北川、恥ずかしいからそれ以上言うな。
『だからオレたちはみんなで祝福してやろうと思った。そこにあるケーキは、栞ちゃんが3日間も冷凍倉庫に籠もって造ったものだ。たい焼き屋の親父は手弁当で駆けつけてくれた。これから出される料理は、秋子さんと水瀬さん、倉田さん、川澄さんとオレの美坂……いや、美坂香里が午前中から仕込んだ手作りなんだ。会場設営は、沢渡さん、天野さん、斉藤、久瀬とその同僚や部下が手伝ってくれた』
 え、そうだったのか?
『みんな、この二人を祝福してくれ!』

 北川の挨拶が終わると、誓約書が運ばれてくる。 
「会場にいる参列者全員が立会人だ。二人とも、みんなの前で宣誓のサインをしてくれ」
 渡された万年筆を取って、名前を書き込んだ。

 ”相沢祐一”

 そしてペンとホルダーを渡し、あゆが自分の名前の下に書き込む様子を眺める。

 ”あゆ”

「祐一君……」
 名前を書き終わったあゆの瞳に、涙がにじんでいた。泣き虫だからな、コイツは。でも、自分の目の端にも、スポットライトの熱による汗ではない何かを感じる。
「では、誓いの口づけを……」
 ニヤニヤしながら北川が言った。ここまでくるのは本当に長かった。もう離さない。絶対に泣かないと決めていたのに、やっぱり涙が頬を伝って流れる。それに気付いたのか、俺を抱きしめるあゆが両手に力をこめてきた。
「あゆ……」
「祐一君 ……」
 口づけを交わした瞬間は、会場から割れんばかりの拍手が聞こえた。が、30秒、1分、5分とそのままでいると、さすがに北川が寄ってきて、俺の小腹をつついて言った。
「おい、相沢。さすがに長過ぎるって……」
 小声で呟く北川の声を無視して、あゆを抱きしめ続ける。
「まだかよ……」
 もう少しだけ、このままでいたい。いや、ずっとでも良い。ようやく掴んだ瞬間なんだから。

 埒があかないと思ったのか、やれやれといった表情の北川が叫んだ。
「久瀬、斉藤っ!台車借りてきて、二人とも載っけて控え室に運んじまえ!」
「わはははは」
「了解!」
「新郎新婦は色直しのため一時退場”させる”。みんな、盛大に送ってやってくれ!」

 そして俺とあゆは抱きしめ合ったまま――久瀬や斉藤の他、発起人のみんなが押す鉄の台車に乗せられ、がらがらとバージンロードを運ばれていった。
 参列者のライスシャワーや花びらが舞う中を。



 その後の披露宴は、用意してあった酒が足りなくなって慌てて商店街の酒屋へ買いに行ったほど盛り上がった。ミニスカポリスの格好をした北川や、嫌々チャイナ服を着せられた斉藤が飲み物を注いで廻り、天野と真琴がてんとう虫のサンバを歌い、久瀬率いる1コ小隊が御輿を担いで会場に乱入した。

 親族席では、あゆの学校の友達が国王を囲んだ。
「ねえねえ、あの可愛いリュックって月宮さんのお父さんが作ったんだって!」
「えーっ、あたしも欲しぃ〜!」
「お父さん、私にも作ってよぉ」
「おねがーい!」
「わはははは! わかったわかった〜」
「本当っ! ありがとうパパ!」
「パパ〜、大好きっ」
「わはははははははははっ!」
 女子高生に囲まれ、この上なく上機嫌で親父(国王)がにやついている。

 俺は側に座るあゆの手を握った。そして、忙しく、めちゃくちゃで、未だによくわからないながらも少しだけ懐かしい数週間を振り返る。
 数週間の出来事の主要な登場人物たち――親父さんや秋子さん、爺さん、それに友達のみんなが、多少羽目を外し過ぎなほど盛り上がって、叫び、飲み、喰い、俺たちのことを祝ってくれている熱気が籠もる会場。その天井、割れた窓ガラスからのぞく夜空に輝く星と、ぽっかり浮かぶ月を見上げながら。




12.エピローグ

 それから、俺とあゆは月の新居で暮らしてる。数週間に一度は地球に遊びに行くが、それほど頻繁にもいけない。だから、毎日のように直通線の電話をとる。衛星経由でAT−Tの回線に忍び込ませてあるラインを使って、電話一本で北川が出前に来てくれる。38万4,400qなんて十数分しかかからない。
 王宮――といっても庶民派の国王が用意してくれた住処はただの一戸建てと変わらない。茶の間でコーヒーを飲んでいると、庭に轟音が響いた。もう来たらしい。

「たまには蕎麦頼めよ、何でいっつもカレーなんだよ」
 前掛けに絞りの鉢巻き姿の北川が、タラップを降りてくる。
「良いじゃないか、旨いんだから」
「3つで税込944円だ」
「北川、ここじゃ消費税はかからない」
「金持ちになったってのに強引に値切るんじゃねぇよ」
「宇宙船やったじゃないか」
「仕方ねえなぁ……」
「領収書も頼む」
「経費で落とす気かよ」
「仕方ないだろ、王族の支出は全部管理されてるんだから」
「全く……」

「飯が来たのか?」
 そう言いながら、二階でテレビを見ていた義父が家の階段を降りてくる。
「うんっ、お父さんの分もあるよ」
「まだ奥さん怒ってるのか?」
「それはもう、結婚以来初めてと言うくらいにな……」
「お父さんが悪いんだよっ」
「あゆ、それを言うな。儂だって反省しておる」
「若い女の子に囲まれて、嬉しそうだったけどな」
「……しかし、何ヶ月も家に入れてくれないとは、さすがに酷い仕打ちではないか」
「そうだよな」
「おお、解ってくれるか祐一?」
「祐一君は、お父さんみたいな事はしないもんっ!」
「当たり前じゃないか、あゆ」
「…………」

「あんたも大変なんだな。ほら、コイツは店からのサービスだ」
「ああ?……」
「特製昆布巻きだ。喰って元気出せよ」
「人の暖かさが心に滲みるわい……」
「あ、そうそう、嫁さんにこれを預かってきたぞ」
「ん? なんだ、北川」

 ”タイヤキセット−屋台の頑固親父謹製−”
 ”自宅でプロの味。ベースの粉から、本格鋳鉄製の焼型、業務用の粒あんがセットになって登場しました!”

「ネットの通信販売で売り出すらしい」
「祐一君っ、早速作ってみようよ!」
「あゆ、儂も……一緒に喰って良いかな?」
「もちろんだよ、お父さんっ」

「毎度あり〜」

 おか持ちを付けた出前用宇宙船が、ツィオルコフスキークレーターを超えて帰っていく。ここには緑も、海も、青空もない。”海”という名前は、固まった溶岩の痕だ。地表の温度は昼間で130℃、夜は−170度にもなる。地球で生活していた俺たちにとって、それはとても寂しいものだ。

 でも、あゆがいる。

 これからもずっと。

 新居に転がり込んできた義父(国王)がちょっと邪魔だけど……。







「ん、どうした祐一。カレー喰わんのか?」

「…………」

「あゆ、冷蔵庫から儂の福神漬け出してくれんかな」

「うん、お父さん」

「祐一も食べるだろ?福神漬け」

 まあ……いろいろと言いたいことはあるけど、食べてから考えようか。







 終 章