「特別なこと、普通なこと」
 
作:Q.Mumuriku




1.

「舞、もう決まったか?」
 一緒に古本屋さんに来ていた祐一が、棚の向こうから聞いてきた。祐一はもう選び終わったみたいで、手には何冊かの文庫本を持っている。岩波の白版。しゅむぺーたーとか、かーるまるくすと書いてある。大学の経済学部に行ってるので、きっとその手の難しい本なんだろう。本屋さんへ来る度に何冊か買っていくけど、ちゃんと読んでいるのか疑問だ。どうせ読まないならもっと他の本を買えばいいのに。
 今、二人で来ているのは大学からもアパートからも遠い初めての本屋さん。家の近所にもあるのに、この前、祐一と二人で絵本を買ってから連れて行ってくれなくなった。そういえば、店員さんが祐一に「お子さんはお幾つくらいでしょうか?」と訊いていた気がする。じっくり選びたかったのに、顔を赤くした祐一は適当に一冊選んでさっさと買ってしまった。
 それからそのお店には行ってない。散歩は嫌いじゃないけど、祐一はよくわからない。……店員さんもよくわからないけど。

「読みたい本はないのか?」
 そう言われても、このお店はあまり好きじゃない。だって、字ばっかりの小さな本しか置いていない。童話や昔話を読んでいて祐一によく笑われるけど、自分の好きな本を読むのが一番だと思う。
「おっ、これなんか良いんじゃないか?」
「?」
 下の方の段から抜き出して、祐一が私に渡してくれたのは「日本の昔話」著:柳田邦男……ん、良いかも知れない。祐一が持っている文庫本の上に、その本を載せる。
「うん?買うのか?」
「(こくこく)」
「わかった」
「会計もお願い……」
「…………」




2.

 電車に揺られながら、自宅へと戻る。自宅といっても、佐祐理と祐一と三人で住むそんなに広くないアパートだけど。結局、本の代金は自分で払った。祐一は意外とケチだと思う。たまにはプレゼントしてくれても良いのに。
 降りる駅が近づくにつれ、夕日の赤い色が電車の窓から差し込んでくる。綺麗だけど、なんだか寂しい。理由もなく泣きそうになるのをこらえて、うっすら雪が積もる外の風景を眺めた。電器屋さん、保険会社さん、銀行さん、大きなスーパーさん……
 あ、今日は私が食事を作る番だった。途中で買い物をしていかないと。

「……祐一、商店街に寄っていく」
「晩飯か?」
「そう、何がいい?」
「舞の作る物だったら何でも良いぞ」
「じゅあ、牛丼」
「舞、新聞は読んでるか?」
「どうして?」
「いまな、牛さんやニワトリさんは病気が流行して大変なんだぞ」
「そうなの?」
 あんなに美味しい牛さんも病気になることがあるんだ。可哀想。我慢していたのに、ちょっとだけ涙が出た。
「鍋なんて良いんじゃないかな、そろそろ寒くなってきたしさ」
「…………」
「どうした、舞?」
「なんでもない……」
「泣いてるのか?」
 電車の中で、祐一がいきなり私を抱きしめてきた。凄く恥ずかしかったので、気が付いたら涙は止まっていた。




3.

 家に帰って、早速晩ご飯の支度に取りかかった。鍋なので下ごしらえは簡単。ダシをとっておいて具を切るだけ。これくらいなら私にだってできる。
 キムチ鍋用の豚さんを切った剣を拭いて、台所の電気を消す。用意はできたけど、今日、佐祐理はアルバイトで少し遅くなるはずだからしばらく時間がある。祐一は真面目に難しい本を読んでいる……と思ったら寝ていた。寝てるくらいなら手伝ってくれても良いのに。私も買ってきた本を読もう。暖かいストーブの横、祐一の隣に寝ころんでページをめくった。

 米ぶくろ粟ぶくろのお話はシンデレラそっくり。柳田さんによると、いろいろな民話や言い伝えが混ざってそれぞれの地方で少しづつ変化しているという。表紙をめくってみると日本の地図が載っていた。何だろうと思って読んでみると、はなさか爺さんの分布図と書いてある。私たちの住む街の近くにも丸印がついていた。お爺さんは日本各地で活躍しているみたい。ちょっと嬉しい。いつか会えたら一緒にお花を咲かせてみたい。

「えっ?」
 知らなかった!慌てて祐一を揺り起こす。
「ん……」
「祐一、大変っ」
「え、なんかあったのか舞?」
「たまごさん」
「はい?」
 ずっと、猿蟹合戦は臼さんと蜂さんと栗さんだと思っていた。だけど本によると、灰さんや畳針さんやたまごさんまで活躍していたらしい。勇敢なたまごさんが割れてしまわなかったのか、とても心配。私はよく落として割ってしまうから。
「舞……お前は昔話研究家にでもなるつもりか?」
 呆れたように祐一が言った。むかしばなしけんきゅうか?知らなかった、初めて聞くお仕事だ。そんな職業があるのだろうか。あるなら是非ともなりたい。どきどきしながら祐一の顔を覗き込む。

 ……この顔は嘘をついたときの顔だ。かなり悲しい。




4.

 夜の8時過ぎ、ようやく佐祐理が帰ってきた。お肉は足りるだろうか?ちょっと目を離した隙に、お腹が減って待ちきれなかった祐一に下茹でしたお肉を食べられてしまった。祐一はお行儀が悪い。
「ただいま〜」
「お帰り、佐祐理さん」
「佐祐理……遅かった」
「お店で棚卸しがあったんですよ〜、ごめんね、舞」
 玄関で靴を脱ぐ佐祐理の横に、色のない姿で寂しそうに立つおばさんが居た。その人は……多分、私にしか見えないのだろう。視線が合うと、驚いたように私を見た。

(私が見えるんですか?)
(こくっ)

「佐祐理さん、ご飯にするか? 風呂が先か?それとも俺?」
「あはははーっ」
 いつもの冗談に佐祐理が笑って応える。
 その日の晩ご飯は、三人で炬燵を囲みながら食べた。野菜が多い鍋を、祐一はみんなの健康のためだと力説する。せっかく上手にできたと思ったのに、豚さんが少なくて物足りない。




5.

 深夜、コートを羽織って外へ出た。だんだん力は弱くなってきているけど、私には色々な物が見える。墓地まで来ると、お墓の前で待っていたおばさんが話し始めた。
「良く来てくれたねぇ」
 おばさんが言うには、結婚したばかりの娘さんが心配でしかたがなく、こんな形でこの世に残ってしまったそう。
「親として心配でならないんですよ」
「なら……見に行けばいい」
「それがねぇ、幽霊って誰かに憑いていかないと出歩けないのよ」
「じゃあ、私と一緒に行く」
「いいの?」
「こくっ」
 おばさんの気持ちは良くわかる。佐祐理たちと住むようになってからも、私のお母さんは毎週のようにやってきた。この間、気配を感じたのでアパートのドアを開けたら、コートを羽織ってサングラスをかけた佐祐理のお父さんが、コップを壁に宛てていた。内緒にして欲しいと頼まれたので良くわからないままそうしたけど、せっかく来たのだったら、上がっていけば良いのにと思う。
 祐一の親戚の秋子さんは、毎月のように食材を届けてくれる。どうしてかはわからないけど、いつも私たちにわからないように祐一が押入へしまってしまう瓶が山ほどあった。秋子さんは料理が上手だ。きっと美味しい物だから隠してるんだろう。

「悪いわね、お礼に何もできないんだけど」
「気にしない……」
「寒いでしょうから、これでも飲んでちょうだい」 
 おばさんは、お墓に上げられているお酒を飲めと言う。せっかく勧めてくれたのだから、飲んだことはないけど一気に口に入れた。
「?」
 体の奥が熱くなる。目が回ってくる。おかしい。どうしようと思っていると、後ろで祐一の声がした。
「舞、こんな所で何やってんだ!」
 後をつけてきたらしい。祐一らしいけど、良い趣味じゃない気がする。あ、瞼が重くなってきた。とても眠い。ここで寝てしまったら風邪を引くだろうか?
「お、おい、ふらふらしてるじゃないか」
「だって、お礼に飲めって言うから……」
「一気に飲んだのか?日本酒」
「こくこく」
 だめ……首を動かしたら気持ち悪くなってくる。
「何してたんだよ」
「話を聞いていただけ……」
「顔が赤いぞ」
 自分で触ってみると、熱い。立ち上がろうとしたら転んだ。足に力が入らない。
「祐一、助けて……」
「話は済んだのか?」
「……もう、帰る」
「ん?」
「なんか変」
「酔っぱらったんだろ」
 自分で歩けないので、祐一が背中に乗せてくれた。目の辺りがとても重く、それに凄く眠い。朦朧としながら、祐一の声を聞いた。
「なあ、頼むからこいつに酒飲まさないでくれよ」
 あの人が見えるのだろうか?いや、そんなはずはない。やっぱり祐一は変な人だと思う。



6.

 翌日。今日は午後からの講義がないので、軽い頭痛をこらえてアルバイトに行く。水泳教室で子供たちに泳ぎを教えている。佐祐理も一緒なら良かったけど、大学のゼミがあるみたい。祐一は……いらしい目つきで見るから当分の間は誘わない。おばさんは、私の後ろについて珍しそうにきょろきょろしている。お仕事が終わった後で、おばさんと隣町まで行く約束だった。
 いつものように更衣室で着替えようとすると、水泳教室の人に今日は休みだと言われた。小学生の水泳大会があるらしい。すっかり忘れてた。確か、私が教えている子も何人か出場しているはず。おばさんも興味があるようなので、様子を見に行ってみた。
「!」
 そこには魔物が居た。とても大きく膨れあがった魔物が。驚いて身構えようとするとプールにスタートの合図が響き、選手の子供たちが一斉に水にはいると魔物は消えた。
 私の勘違いだったのだろうか?

(おばさん、見た?)
(ええ、悲しそうな化け物でしたねぇ……)

 決勝戦だったらしく、選手の子供たちがゴールして水から上がると地方紙の記者やテレビカメラが押し寄せた。でも、なぜか優勝した人じゃなくて2位の子を取り囲むようにインタビューを取っている。
 再び気配がした。小さな女の子の背後で、更に大きくなった魔物が私とおばさんを見下ろしていた。

 なんだか引っ掛かるものを感じながらプールを出て、バスに乗って娘さんに会いに向かう。おばさんはあまり喋らなくなった。

(寂しそうな目をしてましたね……)

 降りるバス停が近づくにつれ、おばさんが落ち着きをなくす。でも、そんな心配は必要なかった。こっそり窓から覗いた家は、とても幸せそうだった。嬉しい反面、ちょっとだけ悲しい瞬間だ。だって……
 ……?
 どうしておばさんは消えないのだろう。この世の思いが叶えば、いつも居なくなってしまうはずなのに。

(どうして?)
(えっ)
(心配なことはもう無いのに……)
(あら? どうしてなんでしょ?)




7.

 その日の夜。結局、一緒に帰ってきたおばさんとリビングで本の続きを読む。祐一は台所で夕食を作っている。また失敗してカップ焼きそばになるのかもしれないけど、一生懸命頑張っているので手を出さないでおく。

 チャイムが鳴ったのでドアを開けると、佐祐理がお客さんを連れて帰ってきた。今度は佐祐理にも祐一にも見える。今日、プールで逢ったあの子だった。
「佐祐理さん、この子どうしたんだ?」
 台所から嫌な匂いをさせながら、祐一が訊いた。
「道に迷ったそうですから、一緒に帰って来たんですよ〜」
「通い慣れた道が工事で通れなかったんです……」
「はあ?」
「えーと、視力が良くないそうなんですよ」
「そうです……」
「全く見えないのか?」
「いえ、でも暗くなるとほとんどわかりません」
「あはははーっ、取りあえず上がってください。電話で家族の方に迎えに来てもらいましょうね〜」
 祐一のデリカシーの無い言葉よりも、女の子の後ろに居る物が気になった。おばさんも気付いている。小さな魔物が、私とおばさんを睨みつけていた。

 そんなことは知らずに佐祐理が電話をかける。
「もしもし……はえ〜、そうですか……はい、お待ちしてますよ〜」
 女の子の両親は共働きで、まだ帰ってきていないらしい。電話に出たおばあさんは車の運転ができないので、お母さんが帰ってきて迎えに行くまで預かって欲しいという。
「お客さんはいつでも大歓迎ですよ〜」
 ぽんっと手を打った佐祐理が、ニコニコと紹介を始めた。
「佐祐理の自己紹介はさっきしましたから……こっちがお友達の舞です〜」
「よろしく……」
「あ、はい」
「それから、お夕食を作ってるのが祐一さんですよ〜」
「今日の晩飯は4人分だな。俺に任せといてくれ!」
 そんな返事が返ってきた。
「家の中も案内しましょうね〜」
「えっ、えっ?」
 とまどう女の子の手を引いて、佐祐理が家の中を案内しはじめた。
「ここが台所ですよ〜」
「佐祐理さん、出来上がるまで見ちゃ駄目だっ」
「お風呂です〜」
「はぁ……」
「寝室です〜」
「…………」
「トイレです〜」
「…………」
「はえ?どうかしましたか?」
「あの、どうしてわざわざそんな説明をするんです?」

(やっぱり、私は特別なんだ)

 女の子は、黙ってしまった。ぴきぴきと音を立てて、魔物が一回り大きくなった様な気がする。
 ようやく料理を完成させた祐一が、人数分の皿に盛りつけて持ってきた。
「さあ、晩ご飯だ。みんなテーブルに付いてくれ」
 仕方なさそうに女の子も食卓の椅子に座る。テーブルの用意をしながら、祐一が言った。
「さっきのことだけどな」
「はい?」
「佐祐理さんは、家に始めて来たお客さんにはみんなああするんだ……」
「え?そうなんですか?」
「おかしいだろ?」
「…………」

「ふえ?祐一さん、これは何でしょうか?」
 料理を目の前に置かれた佐祐理が、きょとんとしながら訊いた。匂いを嗅いでみても元の材料が何なのか判らない。それに、煮たのか、焼いたのか、揚げたのか……ただ、茶色っぽく丸められた何かがお皿に載ってる。佐祐理が作る料理みたいに綺麗な色の野菜はついてない。ただそれだけ。
「今日は、生きのいい魚が安かったからな」
 祐一はそう言うけど、誰もこれが”生きのいい魚さん”だったとは思わない。
「ま、まあ、見た目は悪いけどさ……」
 見た目で味もわかりそうな物だけど。
「あはははーっ、肝心なのは味ですからね〜」
 一口食べた佐祐理は、無言で隣の部屋から段ボール箱を持ってきた。
「不合格です〜」
「やっぱり?」
「あはははーっ、もっと頑張りましょうね〜祐一さん」
 晩ご飯は、予想どおり買い置きのカップ焼きそばになった。



8.

 食後、迎えが来るまでテレビを見る。ドラマが終わって、次の番組までの間に短いニュースがあった。
「はえ?これはあなたじゃないですか?」

 ”ハンデを背負った小学2年生の女の子が、市の大会で2位になりました”
 ”障害を乗り越えて、好きな水泳に打ち込み……”
 ”目が悪いのに凄いですねぇ”
 ”当テレビ局では、引き続き応援していこうと……”

「ん、どうした?」
「なんでもありません……」
 女の子の背後で、魔物がムクムクと大きくなる。私のとは違う。この子の魔物は、周りの大人達が創りだした物なのだろう。何をやってもこの子は特別扱いされている。頑張っても、一生懸命結果を出しても、普通とは違うと見られてしまう。
「水泳が好きなんですね〜」
「はい……」
「今日、見た……かなり速い」
「テレビに出るなんて凄いな」
「…………」
「ん?嬉しくないのか?」
「凄いですよね〜」
「凄くなんかありませんっ、私は二位だったんです!」
「ふえ?」

 俯いていた女の子が、泣きそうな顔で言い切った。水の中に入れば立場は同じはず。競技として自分なりに練習した成果を出して入賞したはずなのに。周りの人たちは軽薄に凄いとか偉いねと言っているけど、それは努力に対してじゃない。結果でもない。それは障害があるから。
 この子は二位だった。優勝した人は、何も言わずに、誰にも声をかけられずに、ロッカールームに引き上げていった。この子は、一人の人間として自分という生き方を求めているのに、目が不自由だという事がこの子になってしまっている。どんなに平等な立場で挑んでも、自分がこうありたいと願っても。周りの大人たちは、きちんとそんな気持ちを理解し受け入る事ができないのだろうか。ただの好奇心から、この子の何を解ろうとするんだろう。
「でも、小学生の大会なら上級生も出場してるんだろ?」
「今、何年生ですか〜」
「2年です」
「あははははーっ、やっぱり凄いじゃないですか〜」
「体の大きい子に混ざって、立派だと思う……」
「そうだよな」
「何年か練習すれば……きっと優勝できる」
「ふえ〜、オリンピックなんかに出ちゃうかも知れませんねぇ〜佐祐理はそんなに速く泳げる人を尊敬しちゃうんですよ〜」

「だろうな」
 祐一が、ぼそっと言った。
「えっ?」
「佐祐理はカナヅチだから……」
 私から女の子に説明した。
「一緒に泳ごうとしたこともあるんだけど、ホントに沈むんだよ佐祐理さんは」
「あははははーーーーっ」
 ちょっと顔を赤くしながら、佐祐理が笑ってごまかす。
「泳いでるのか、溺れてるのか判らない……」
「どうしても水が口の中に入って、苦しくなっちゃうんですよ〜」
「水の中でもにこにこ笑ってるからな、佐祐理さんは」
「頑張っては居るんですけどねぇ〜、あははははーっ」

「ぷっ……」
「はえ?」
「あははははは」
「あ〜、佐祐理は笑われてしまったみたいです〜」
「お姉ちゃん、ちゃんと基本から練習すれば誰でも泳げるようになるんだよ」
「そうでしょうか?」
「私が誘っても、この頃は練習に来ない……」
「じゃあ、私がお姉ちゃんに泳ぎ方を教えてあげるよ」
「はえ?」
「佐祐理さん、良い先生が二人も付いてくれて良かったな」
「当分プール通いが続きそうですね〜、あははははーっ」
 佐祐理の明るい笑い声に、少女の背後にいる魔物の顔が奇妙に歪んだ。
 と、チャイムが鳴った。

”ぴんぽーん”

「お母さん!」
 ようやく迎えが来たみたい。頬を赤くする女の子の顔に喜びが浮かぶと、魔物が不思議な変化を始めた。あちこちにぱりぱりとヒビがが入り、体を震わせ大きく天をを仰ぐ。そして、中からの眩しい光とともに、醜い姿がバラバラと崩れ落ちる。粉々になった破片がキラキラと輝いた。その瞬間、魔物の顔は、確かに満足げに笑っていた。自分の姿を恥じ入るように、ようやく解き放たれる喜びを感じているように。
 さようなら、魔物さん。いつかこの子も全部受け入れることができるようになると思う。そしてあなたの力を借りなくても、一人で歩いていくことができるようになる。もうすぐ、そう、もうすぐ。

(子供って言うのは、素晴らしいわね)
(…………)
(希望や将来の夢、自分で進む可能性がたくさんあるんですもの)
(こくっ)
(じゅあ、これでさよなら……)



9.エピソード

 だんだん力は弱くなっているけど、私には色々な物が見える。生きている人間は、みんな何かを背負っているんじゃないかと思う。魔物だったり、他にもいろんな物。背負っているというのはちょっと違うかも知れない。自分も含めて、たくさんの想いが作り出した力。
 確かに醜い物もある。だけど、そこには希望や願い、そして優しさも含まれている。大きくなりすぎて重圧を感じたりもするけど、そんなものに励まされたり見守られているんじゃないだろうか。それは大切な家族や友達かも知れないし、もしかしたら、見ず知らずの人の良いおばさんかも知れない。
 一生懸命頑張れば、正しい生き方をするのなら、一度は見失っても再び見つけられる。そう思いたいし、そうあるべきだと思う。完全な人なんて居ない。たくさんの出来ないことや、諦めたこと、自分の弱さや限界を受け入れて、それでも自分らしく歩いていこうとする強さ。その強さを教えてくれた、ありのままの私を認めてくれた二人。二人のおかげで今の私がある。

 暖かいストーブの横、本を読みながらそんなことを考える。あ、祐一が帰ってきたようだ。
「ただいまー」
「お帰り……」
「あはははーっ、お帰りなさい祐一さん」
 プールから戻り、疲れ切っている佐祐理と小さい男の子が出迎える。毎週のように出掛けていくけど、いまだに佐祐理はほとんど泳げない。何をしているのかと思ったら、いつも女の子と水鉄砲で遊んでいるそうだ。
「ご飯にしますか?それともお風呂が先でしょうか?」
「いや、先ずは佐祐理さんだ〜!」
「きゃーっ」
 祐一の言葉に、小さい男の子が凄い剣幕で祐一の脛を蹴飛ばす。育ちは良いはずなのに、結構腕白になってきた。顔の辺りを囓られながら、祐一が「ははは」と笑う。

「大丈夫、祐一の悪い冗談……」
「ふえ?舞、誰に話してるんですか?」
 佐祐理には内緒だけど、私には色々な物が見える。辛いことや悲しいことがあっても、もしも、もう二度と会えないとしても、私たちは今を生きていく。
 さようなら、私の魔物さん。もう私は大丈夫だから。これから行く先には、希望が、幸せが待っているはずなんだから。ページをめくって、私たち自身が物語の先を作り続ける。

 誰かが誰かのはなさか爺さんで、花は一生懸命咲こうとしているんだから。





 END