「When a woman loves a man」
 
作:Q.Mumuriku




 ――JR駅前。高架下を廻って、少し引っ込んだ所にその店はある。

 時間は午前0時過ぎ。終電から、酔客と、疲れ切った人たちが降り立つ。自転車置き場に向かう者、タクシーを求めて足早に駆け出す者。一人の女性が人波を離れ、項垂れたまま店に向かって歩き出した。
 4月とはいえ、北のこの街は夜中になるとかなり冷え込む。きちんとしたスーツに春物のコートを羽織っているが、数分歩いただけで寒さに身がこたえた。ことに今日は天気が悪い。自慢の髪は湿度のせいでごわつき、落ち込んだ気分と相まって無性に惨めな気がする。
 あたしは、やっぱり今の仕事に向いてないのかも……。
  
”がらがら〜”

 不機嫌な表情のまま、暖簾をくぐって香里が店へ入る。店内には誰も居ない。

「……おっ、いらっしゃい」

 しばらくして、前掛けをした北川がのそのそと出てきた。居眠りをしていたのか、いつも以上に癖毛が目立つ。  
「北川君、あなた商売する気あるの?」
「うん?」
「お客さん誰も居ないじゃない」
「ああ、そうだな」
「そんな暢気でいいの?小さいお店って経営大変なんじゃない?」
「趣味みたいなもんだからな、喰っていければ充分だ」
「ホント変わらないわね、北川君って」
「なにが?」
「悩みなんて無いでしょ?」
「はははっ、失礼な奴だなぁ。オレだって少しは真面目に考えてる事くらいあるんだぞ」
「そうなの?」
「ああ」
「どんなこと?」
「そいつは秘密だ。で、今日は何にする?」
「いつもので良いわ」

「あいよっ!」

 深夜にそぐわない威勢の良いかけ声とともに、北川が厨房へ戻っていく。
 地元の大学を卒業した香里は、地方都市にある商社に勤めていた。故郷を出てから数年、責任のあるポストに就いて大きな契約を任されていたこともあるが、景気低迷で会社の業績は低下、リストラや業務整理が続く中で懸命に自分の居場所を探している。
 働いても、働いても報われない。今日のプレゼンテーションも失敗だった。上司からは冷たい視線で嫌みを言われ、給料はまた引き下げられる。辞めちゃおうかしら――何度そう思ったかわからないが、他にできる事なんて見あたらない。

 数年前から、ずっとこんな感じだった。帰宅はいつも終電。帰って一人分の食事を作るなんて面倒なので、北川がこの街に店を出してから、毎日のように遅すぎる晩ご飯を食べに寄るようになっている。 

「美坂、おまちどーっ!」

 妙に明るい声で、北川がお盆を持って現れた。温かい蕎麦に、炊き込みご飯と漬け物がついた定食。

「北川君、いつも思うんだけど早過ぎない?」
「早い方が良いだろ」
「作り置きかしら」
「オレはそんな手抜きしないぞ。これでもこだわりを持ってる」
「どの辺が?」
「蕎麦は手打ち。最後の水洗いは毎日汲んでくる天然の湧き水だ」
「ふーん」
「少しは感動してくれないのかよ」
「まあ、美味しいけどね」

 早速割り箸をとって、食べ始めようとした香里が気付いた。
「あら、これなに?」
「フキノトウだ。そろそろ時期だからな」
「北川君が採ってきたの?」
「ああ、美坂が旨いといってくれたらメニューに追加する」
「責任重大ね」
「美坂、今日は一段と不機嫌そうだけど、何かあったのか?」
「うん……」
「実家には帰ってるか?」
「6時間もかかるし……それに、あんまり良い想い出もないしね……」
「そうか……」
 ためらいがちに、箸で山菜のお浸しをつつきながら香里が話し始めた。
「会社、辞めちゃおうかな……」
「そう思ってんなら、辞めればいいじゃないか?」
「北川君、簡単に言わないでよ」
「なんで?」
「もう、真面目に話してるのに」
「入社した頃は、やり甲斐のある仕事だって言ってたじゃないか」
「そうなんだけどね、この頃疑問に思うのよ」
「美坂は真面目すぎるからな」
「北川君が不真面目なだけよ。勤め人は色々大変なんだから」
「オレにはよくわからない世界だなぁ」
「普通は頑張れとか、慰めるとかしてくれるものじゃないの?」
「自分で決めることだろ?それに、そんなのオレの柄じゃない」
「優しさの欠片もない人ね」
「そんなことないと思うけどなぁ」
「充分そんなことあるわよ」
「美坂の方が頑張りすぎなんじゃないか?そんなに無理しなくたって良いんだよ」
「はぁ……なんだか真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきたわ」
「そうか?」
「でも、北川君と話してるとなんだかストレス解消になるのよね。ごちそうさま、美味しかったわ」

 話しながら香里が定食を食べ終わる。と、横に座っていた北川がぽんっと手を打った。
「なあ、明日は日曜日だけど休みなのか?」
「1ヶ月ぶりの休日よ」
「じゃあさ、気分転換にオレと出かけてみないかな」
「え?どこに?」
「フキノトウを採りにさ」
「…………」
「どうだ?たまに自然を満喫するってのは?」
「そうね、良いかもしれないわ」
「よし、決まりだ。途中の運転くらいは交代してくれよ」
「それくらいなら良いわよ」
「なら、6時頃に美坂のマンションまで迎えに行くから待っててくれ」
「わかったわ」
 食器を片付け、北川が厨房の火を落とす。
「じゃあ、今日の営業はこれで終わりだ。美坂、悪いけど暖簾降ろしてくれないか?」
「もう閉めちゃうの、北川君?」
「美坂、客なんて来ないぞ、こんな時間に」
「え?だって……」
「この店の営業時間はな、美坂、お前が帰って来るまでだ」

 店の掃除を始めた北川が、視線を落としたまま呟いた。
「……いつでも、帰って来いよ」



 数日後、ソバ屋の前には立て看板が登場した。
『春の香り、ふきのとう始めました』
 深夜、そこだけぽつんと明かりが灯る小さな店。看板をちらっと見て、微笑んだ香里が暖簾をくぐる。

「ただいま」

「お帰り、美坂」

 ――あなたの住む街。高架下を廻って、少し引っ込んだ所にその店はある。





 FIN