「Aの輝跡」
 作:Q.Mumuriku




 雪が降っていた

 重く曇った空から、真っ白な雪が轟々と吹きつけていた

 凍り付いた木のベンチ

 雪に埋もれた駅、広場の時計

 視界がゆっくりと遮られる

 雪、つもってるよ……

「アンテナ?」
「わたし、人間の女の子」



1.

「名雪、それは癖毛なのか?」
 手渡された缶コーヒーを飲みながら訊いてみた。
「違うよ〜」
「じゃあ、なんなんだ?」
「流行ってるんだよ〜、コレ」
 名雪が嬉しそうに頭を振る。気になっている物が、ぴょこぴょこと揺れた。
「面妖な」
「祐一も買った方が良いよ〜」
「買う物なのか?それ?」
「きっと似合うよ」
「そうかな……」
「大人気なんだよ〜」
「…………」

 7年ぶりに訪れた街。
 少々違和感を感じながら、きゅっきゅと鳴る雪を踏みしめて微かに記憶が残る街を歩く。小さい頃には良く遊びに来ていたはずだが、不思議なことに、思い出は不鮮明にぼやけている。思い出そうとする度に、見えない幕がそれ以上の思考を遮ってしまう。でも、まあ子供の頃の事だ。そんなことはどうでも良いじゃないか。
 軽い頭痛を感じながら、名雪の案内で水瀬家に向かう。玄関のドアを開けると叔母である秋子さんが迎えてくれた。相変わらず綺麗だ。だけど……

「いらっしゃい、祐一さん」

 靴を脱ぎながら見上げる秋子さんの頭にも……あった。



2.

 転校なんてするもんじゃない。家族と離れ、自由な新しい生活を想像してたっていうのに。電車を降りて、この街に踏み込んだときから続いている漠然とした居心地の悪さ。それに加えて登校初日から気になっているモノ。
 遅刻ぎりぎりに着いた学校の廊下を、薄くなった頭にアンテナを乗せた教師が歩いてくる。教室のドアを開けると、色とりどりのアンテナが40本。今日から通常の授業だというのに、気になってしょうがない。

「あー、席に着け」
 1時間目は担任の授業らしい。
「あ……そう言えば、俺まだ教科書無いぞ」
 慌ただしくて忘れていたが、まだ届いていない荷物があった。
「わたしの見せてあげるよ〜」
「それは遠慮しとく」
「でも、ないと困るよ?」
 名雪は素直に心配してくれてるが、一緒に住んでるだけでも変な目で見られそうなんだから、ちょっと勘弁して欲しい。
「教科書だったら、オレのを見せてやるぞ」
 後ろから声をかけられた。
「誰だ?」
「昨日、挨拶したぞ」
「そうだったか?」
「祐一、北川君だよ」
「…………」
「覚えたって言ってたのに」
「すまん」
「まあ、いいけど。それで教科書見るんだろ?」
「ああ頼む」

 前の学校と進み具合が違うせいか、ちんぷんかんぷんで退屈な授業。やる気が無いので、シャープペンシルを回して暇を潰す。隣の北川も、暇そうに……って、おや? もとい、もう寝てた。子供のようなあどけない顔で、すやすやと寝息を立てている。
 
 そろそろ授業も終わる頃になって、ようやく北川は目を覚ました。むにゃむにゃと呟きながら、大きく伸びをして欠伸を漏らす。
「北川、ずいぶん気持ち良さそうに寝てたな」
「うん?」
 北川が、爽やかな笑顔で振り向いた。
「この頃忙しくってな」

「なあ、相沢」
「何だ?」
「お前さ、まだ買ってないのか?」
「お袋が注文してるはずだ」
「おっ、いい親を持ったな〜」
「教科書買うのは当たり前だろ」
「誰がそんな話をした?」
「お前だ」
「オレが言いたいのは、コレのことだ」
 北川が、自分の頭を指さす。
「…………」
「付けてないのはお前くらいだぞ、恥ずかしくないのかよ?」
「無いと恥ずかしいものなのか?」
「当たり前だ。悪いことは言わないから、さっさと買った方が良いぞ」
「でも、何処で売ってるんだ?」
「ちょっと判りづらい所だから地図を書いてやるよ。商店街の裏の方だ」
「悪いな、北川」
「良いって事よ」



3.

 放課後、余計判りづらい地図を参考にとりあえず商店街へ向かった。路地の奥の方、目立たない片隅に金髪の男が座ってる。布を敷いて、あぐらをかいて座っている妙に青っぽい制服の男が、猫みたいな口でにやにや笑っていた。

「おっ、いらっしゃい」
「お前……北川だろ」
「いや、違う。決して違うぞ」
 こいつはこんなところで何してるんだか……。無視して通り抜けようとすると、腕を捕まれた。
「まあ、そんなに慌てるなよ。ちょっと見て行くぐらい良いじゃないか、相沢」
「やっぱり北川だろう!」
「さてね」
 変な野郎だ。
「お前、何してるんだよ。何か売ってるのか?」
「よくぞ訊いてくれた!」
 北川が大げさに喜ぶ。見ると、横に立てかけてある木の札に下手くそな毛筆でこう書いてあった。

『あんてなや』

「は?ここが発売元なのか?」
「おう、そんじょそこらのまがい物とは訳が違うぜ。これさえあれば無病息災、家内安全、色即是空空即是色、春風鋭利に電光が切れるって言う凄げえ代物だ」
「はあ?」
「もちろん、万病に効く効く!」
 どうやら、こいつは少しおかしいらしい。軽いところもあるが、良い奴だと思っていたんだが……。

「じゃあな」

「ちょ、ちょっと待て〜」
「なんだよ」
「お前のためだ。買えよ」
「幾らなんだ?」
「消費税込み、2万9800円のご奉仕価格!」
「絶対買わないっ!」
「買え」
「買わん」
「買えば、買うとき、買えれども?」
「はあ?」
「買ゆ、買やる、買よえ、か、か、かわねばならぬ、何事もって訳で、つまりお前はそーゆー運命なんだから諦めろ」
「あのなあ……」
「今なら、もれなくもう一個付けてやる」
「テレビショッピングかよ」
「どーしても、買わない気か?」
「ああ、金も無いしな」
「仕方ない。無料試用の特別サービス扱いにしてやろう」
 俺の意向を無視して、北川が何やら伝票を書き始めた。良いチャンスだと思って、そっとその場を離れようとしたら足を払われた。

”どてっ”

 派手にこけて、地面にしたたか打ち付けられる。
「サービスだ、サービス!」
 意外なほど身軽な北川が、笑いながら俺の両腕を捻り上げた。全く動けない。
「ほら、さっさと頭だせ!」
「おい、何するんだ!止めろ北川っ!」
「で、何色が良んだ?1677万色から選べるぞ」
「いらねーって言ってるだろーが!それにそんなにあるのかよっ!」
「好意を受け取らないなんて素直じゃないな、相沢」
「絶対、おまえ北川だろ!」
「そりゃ思い違いだ」
 一体、何でこんな目に遭わなきゃならないんだ。
「うーん、じゃあ一番オーソドックスだけど、これで良いか……」
 北川は、独り言を言いながら頭を地面に押しつけやがった。

”ぱちっ”

 変な音がして、頭に何かがくっつくのが解った。それと同時に今まで忘れていた記憶が甦ってきた。
「どうだ、相沢?」
 なんて事だ……どうして今まで忘れていたんだ……。
「やること有るんじゃないのか?」
「ああ……」
「行けよ、代金は何時でも良い」
「俺は……」
「グズグズするなよ。ほら、これも持ってけ!」
 北川が渡してくれた物を握りしめ、俺は走り出した。




4.
 
「病室は何処だっ!」
 病院に駆け込んで、手近な白衣の人間を捕まえて訊く。
「3階の320号室です……」
 看護婦が怯えながら教えてくれた。エレベーターを待つのももどかしく、階段を駆け上がる。病室には、眠り続けるあゆと親父さんが居た。

「確か、相沢君だったかな?」
「はい」
「大きくなった……思い出してくれたのかい」
「…………」
「あれから7年。ずっとこのままなんだよ」
「すいません、俺が……」
「君のせいではないよ。うん?何だいそれは?」
 俺が握りしめていたのは、栗色のアンテナだった。
「ああ、この頃流行ってるらしいね。お見舞いに持ってきてくれたのかな?」
「こんな物で良ければ」
「そうか、折角だからあゆにもつけてやろう」
 親父さんが、優しくあゆの髪を撫でながらアンテナを取り付けた。

”ぱちっ”

 何かがはまるような音がした。そして……

「うぐぅ?」

 あゆは目を覚ました。



5.

 名雪は、イチゴサンデー7つで許してくれた。狐が人間の姿になってひっこり現れ、一緒に住むようになった。秋子さんは事故に遭わなかった。
 弱さを認め、少女が剣を捨てた。過去を思いながらも、自分の道を歩き始めたお嬢様がいた。香里が嬉しそうに妹を紹介してくれた。
 おばちゃん臭い下級生が明るくなった。生徒会長が、なかなか筋の通った事を言い始めた。斉藤にはようやく彼女が出来た。
 だって、みんなの頭にはアンテナがあるから。

 アンテナのおかげで、寝たきりだった爺さんが十数年ぶりに起きあがり、驚いた婆ちゃんは朝っぱらから電話をかけてきた。
「祐一っ……お、お爺さんが、お爺さんが立った!」
 テレビの占いは、毎週同じ事を繰り返している。
「ラッキーアイテムは、アンテナ!」
 ニュースキャスターにも、アイドルにも、ロックミュージシャンの頭上にも、それはあった。映画ではアンテナを付けたアクションスターが活躍し、ネコ型ロボットにも装備が追加された。

 真っ昼間に公園に集まる老人たちにも、喫茶店で仕事をサボっている営業サラリーマンにも。幼稚園児、主婦、ティッシュ配りの姉ちゃん、生意気な女子学生、ブルジョワジーにプロレタリアート。
 大学教授に、評論家。
 有閑マダム。
 たい焼き屋の親父。

 ありとあらゆる人たちが、頭上に風を感じていた。



6.

 爆発的な需要の増大によって、アンテナ関連銘柄が高騰。エネルギーを盛り返した株式市場は145%の上昇を示し、日経平均は再び2万円台の大台に乗せた。製造業を中心とした経済指標が一気に上向きに転じ、雇用状況は改善。凶悪犯罪が激減するとともに、治安がかつてないほど良くなった。
 国会で、不況は脱したとアンテナ首相が演説を打ち、質問に立つ老練な野党党首には、黒々とした見事なアンテナがあった。二流週刊誌の伝えるところによれば、テレビ写りを考慮して専属のアンテナコーディネータがついているらしい。

 アンテナが買えない人への配慮として、与野党が珍しく協調しアンテナ特別措置法が記録的な早さで可決。これにより、日本全国の工場でアンテナの生産が開始され、機械油のしみ付いた町工場、大企業の生産ラインから、どしどしアンテナが出荷された。

 数ヶ月の後、アンテナは海を渡った。

 ガットの議場で武器転用可能な品目と疑われたため、多少の遅れが出たものの、ユーラシアへ、アフリカへ、アジアへ、オセアニアへ、南北アメリカへ、砂漠に水が浸み入るように世界中へ広まっていった。
 ダースごとに梱包され、貨物船やトラック、僻地ではラバや駱駝に乗せられてアンテナは普及していった。人類70億の全てに行き渡るのに、それほどの時間はかからなかった。

 子供が生まれると、先ずアンテナが与えられた。成人して初めて大人用アンテナの使用が認められ、結婚式ではアンテナの交換が行われる。
 そして人生のおわり、臨終に際して医師が厳かにアンテナを抜き去った。

 ******

 芸術家を目指して上京した若者は、夢破れて故郷を目指していた。駄目になった才能。叶わない希望。失意に沈みながら列車の窓を見ると、闇に反射したガラスに情けない自分の顔が映っている。そこには、弱々しくも一房のアンテナが揺れていた。そうだ……俺にはまだコイツがある。全てを失ったわけじゃない。

 多重債務に陥った主婦が、闇金融の社長に切り出した。
「もう、お金は用意できません……」
「あんた、今更何言ってんだ!こちとら商売だ、返せねえってんなら覚悟決めてもらうぜ!」
「こ、これで、お許し下さい……」
 債務者は、自分の頭からアンテナを引き抜いた。
「あんたぁ!何て事を……」
 裏世界に住む非情な男の頬に、涙が流れた。

 ******

 数年前からイラクに展開していたアメリカ兵が、不審な人物を発見した。銃口向けた先、怯えるイラク人には同じアンテナがある。
 米兵は、引き金を引けなかった。

 過激派の男が、神の名を唱えながら爆弾を背負ってイスラエルの大使館に突入した。しかし、そこに居合わせた異教徒の少女のアンテナを見て、自分の娘を思い出した男は、どうしても爆弾を起爆することが出来なかった。

 アッラーも、イエスも、仏陀も、アンテナを容認した。アンテナを持つイマームが友愛を説き、司祭が博愛を説く。そして坊主頭の僧は……にこやかに微笑むラビと共に、一房のアンテナを春風にたなびかせた。

 チベットの奥地で数十年にわたって苦行を行っていた高僧は、アンテナを付けてたちどころに悟りを開いた。
「私は、今まで何をしていたのだろうか……」
 民族組織のリーダーが、群衆に向かって語りかけた。
「我々には大きな相違点がある。だが、アンテナを持っている」
 先進国からの援助や支援も、今までになく活発化した。
「彼らは私たちと同じなのだ」
 核兵器の削減も進んだ。
「将軍、一体何故こんな物を保有しなくてはならないのかね?」

 世の中は変わった。人類は一つの共通した概念を持つ事で、ようやく次の世代へ成熟した。 ただ、アンテナによって。



8.
 
 やっと追いついてきた授業を受けながら、祐一は思う。隣に座っているクラスメート。こいつは一体何者なんだろう。そんな祐一の思いをよそに、めっきり髪の薄くなった北川がスヤスヤと寝息を立てていた。






 終  劇