「はるたび」
 作:Q.Mumuriku




1.学校

「北川、明後日から春休みだよな」
「どうした相沢?」
「3年になったら、本格的に受験勉強しなきゃならない……」
「そりゃそうだ」
「なんかさ……」
「ん?」
「なんかこう、虚しいんだ」
「おい、オレに喧嘩売る気か?」
 昼休みの教室。祐一は名雪に弁当を食べさせてもらいながら、メランコリーな気分に浸っていた。
「手作りの弁当を―― それも食わせてもらいながら言うことかよ」
「相沢君、五月病にはまだ時期が早いわよ」
「美味しくなかったの? 祐一」
「いや、そう言う訳じゃない……」

 ぼーっと祐一は窓の外を見る。教室中を、春のぬくぬくとした暖かさが惰眠を誘うように包み込んでいる。
 この街に来てから色々な事があった。7年の歳月を経て名雪と再会した。こいつがたまらなく好きになり、いつまでも一緒にいると約束した。名雪は応えてくれて、それはとても嬉しかった。手作りの弁当はもちろん美味い。だけど……
 香里の言うとおり、俺は早すぎる五月病なんだろうか?あの頃は平凡な生活を望んでいたはずだったのに、なんだか物足りない。一生懸命全速で走り続けた後の倦怠感というか……このままで良いのかという気持ちになる。
 ぬるま湯に浸ったような生活。平穏無事に、あたりさわらず普通に暮らして行くのも悪くはないが、今しかできないことがあるんじゃないだろうか?もう後悔はしたくない。俺は大切な時間を無駄にしているような気がする。
 何か、そう……

「旅に、出よう」

 ぽかんと口を開けて、景色を眺めていた祐一が呟いた。
「はあ?」
「祐一、温泉旅行にでもいくの?」
「違う。気の向くままに旅して、見たことのない風景を探しに行くんだ。今しかない……」
「相沢君って免許持ってたの?」
「そんな物は無い」
「歩いていく気なの? 祐一」
「春だからって、ちょっと変になっちゃったのかしら?」
「祐一、良くわかんないよ〜」

「気に入った!」
 そう言いながら、がっしりと祐一の肩を掴んだ北川がうんうんと頷く。
「え?」
「相沢、お前の考えは完全に理解したぞ!」
「変なのがもう一人増えたみたいね……」
「美坂っ、こいつは男のロマンだ」
「はいはい」
「?」
 名雪が不思議そうに祐一の顔を見つめる。
「相沢っ、その話オレも乗った。放課後作戦会議と行こうぜ」



2.始動

「なんで僕まで?」
「良いじゃないか、どうせ暇なんだろ? 斉藤」
 放課後、祐一たちは屋上へ上がる途中の踊り場に集まって、密談めいた会合を開いた。
「で、早速だが旅の計画を考えようぜ」
「気の向くままに出掛けるんじゃなかったのかい?北川」
「近所に遊びに行くんじゃないんだぞ、移動手段が必要だろ」
「そうだな」
「JR使えば良いんじゃないの?」
「斉藤、お前は全く解ってないっ!」
 憐れむような表情で、北川が一喝する。
「だって、僕たちは免許も車もないよ」
「それに金もあんまりないな」
 購買で買ってきたパックジュースに、ストローを差しこみながら祐一が言う。
「わかってる。だが旅の趣旨からいって公共交通はダメだ」
「えーと、あとは自転車?」
「斉藤、真面目に言ってんのか?」
「イメージが違い過ぎる……俺は遠くに行きたいんだ」
「そんなこと言ったって僕たちには無理だよ、相沢」

 何も考えず旅に出ようなどと言い出したものの、現実はかなり厳しい。貯金を下ろしても、使えるのは2万円くらい。誰かに車を出して貰ったとしても、これじゃあガソリン代にしかならないだろう。
「やっぱり無茶か……」
「ふふん? オレはちゃんと考えたぞ、相沢」
「え?」
「原付はどうだ?」
「北川、原付だって免許要るんじゃないかい?」
「ああ、だけど原付の免許って1日で取れるんだ」
「マジか?」
「おう、実はオレはもう免許持ってる」
 薄っぺらい財布から、北川がカードを抜き出して見せた。
「本当だ」
「いつ取ったんだよ、北川」
「去年だ。バイト先のソバ屋で、出前用のバイクに乗るために取った」
「幾らかかった?」
「申請と印紙代で9千円くらいじゃなかったかなぁ」
「それくらいならなんとかなるっ!」
「うん、そんなに安いなんて知らなかったよ」

「じゃあ決まりだな」
「バイクは北川のを貸してくれるのかい?」
「オレが3台も持ってる訳ないだろ」
「じゃあどうするんだよ」
「前にちょっとバイトした事があるんだけど、新聞屋には配達用のバイクが何十台もある」
「見たことはあるけどさ……」
「斉藤、来週の月曜日は新聞休刊日なんだ」
「ってことは?」
「ああ、日曜の朝刊を配達し終わってから月曜の夕刊まで、バイクは倉庫に置きっぱなしってことになる」
「借りられるのか? 北川」
「たくさんある内のたった3台だ。オレが頼んでみる」



3.荷物

 北川は、首尾良く3台のバイクを借りることに成功した。条件として、月曜日の午後3時までに必ず返さなくてはならない。出発は日曜の9時だから丸一日と6時間、30時間使える。これだけあれば結構楽しめるだろう。登山もするという斉藤が、寝袋なんかを手配してくれた。まだちょっと寒いけど、どっかで野宿したって構わない。いや、むしろそんな旅の方が面白い。
 春休みに入って直ぐに斉藤と運転免許試験場に行ったが、あっけないほど簡単に合格した。秋子さんには、北川たちと出掛けるとだけ言ってある。細かいことは何にも聞かずに了承してくれると思ったが、その通りだった。

 行き先や目的は特にないが、取りあえず北に向かって日本海を目指す事だけは決めた。荷づくりをしながら、にやけている自分に気付く。何が起こるのか、どんな景色に出会えるのか。名雪には何も言ってない。黙って出掛けて怒るだろうか?

 いよいよ明日だ。 

 地図を持っていこうかと考えたが、思い直してやっぱり止めた。

 ******

「潤っ、そんな所で何してるのっ」
「ち、ちょと捜し物だっ!」
 夜中に物置の奥をごそごそ探っていた北川が、慌てて母親に答えた。確かまだとってあったはずだ。

「おっ、あったあった〜」
 プラスチックの大きな箱に入れられた部品や整備用具。そこには、ちょっとだけほろ苦い想い出が詰まっている。中学生の頃からバイク好きだった北川は、よく無免許で深夜の街を走り回っていた。全てのことがなんとなく面倒くさく、嫌だった。風を切って進んでいるときだけ、自分が生きている気がした。暴走族とかそんな物ではなかったが、運悪く警察に捕まってから深夜の彷徨は終わりを告げた。
「バカだったよなぁ、あの頃は……」
 今は笑ってそう思える。そういえば、美坂にめちゃくちゃ怒られたっけ。あの時のことを思い出すと、今でも美坂に蹴られた膝の裏が疼く。正義感の強いやつだ、あいつは……。
 コツコツ頑張ることや一生懸命なんて格好悪い気がしていたけど、本当はそうじゃない。勉強もできるが、体の弱い妹を精一杯支えている美坂を知ってオレの考えは変わった。辛くても、大変でも、正しい事は強い事だと思う。

 美坂と同じ大学に行けるかどうかわからないけど、頑張ってみたい。オレは頭悪いから、この旅が終わったら猛勉強しなくちゃならないだろう。踏ん切りを付けるためにも、最後に思いっきり楽しもう。出掛ける前に、バイクはちょっと整備した方が良い。途中で故障なんて様にならないからな。

 ******

 明日だね……
 斉藤は、自室の机に向かってぼんやりと写真を眺めていた。写真立てに挟んで大切にしている一枚の写真。そこには、にこにこ笑う水瀬さんとちょっと緊張した自分が居る。
 溜息をつきながら引き出しを開けた。中には、渡せなかった手紙がお菓子の空き缶に詰めてしまってある。こんなに書いたんだ。なんとなく抜き出した一枚に目を通し、自分の文章に赤面する。恥ずかしすぎるよ……。
 でも、僕は本気で水瀬さんが好きだった。あの笑顔が、大好きだった。

 相沢と水瀬さんは、悔しいけどお似合いだと思う。ちょっと変わってるけど、相沢はいいやつだ。きっと水瀬さんを幸せにしてくれる。お母さんが事故にあった水瀬さんの笑顔を取り戻したのは、相沢だった。自分にもできただろうか?それはわからない。でも、僕は何もしなかったんだ……。いつまでも、うだうだしてたってしょうがない。

 少し前から、気になっている生徒会の後輩がいる。近寄りがたい感じがするけど、ちょっとカールしたショートカットが可愛い子だ。一緒に行事の準備をしたり、少しだけ話したことがある。久瀬に相談したら、とてもおしとやかな人で特に付き合っている人は居ないみたい。
 部屋には、明日持っていく荷物が纏めてある。うん、それが一番だ。これは、あした何処かに捨てていこう。そして帰ってきたら……勇気を出して言わなきゃ。



4.出立

 出発の朝がきた。天気は上々。明日は少し悪くなるみたいだが、まさか雪が降ったりはしないだろう。秋子さんはしきりに弁当を持って行けと言ったが、なんとか断った。俺が思う旅はそんなんじゃないんだ。
 日曜なので、名雪は上手い具合にまだ寝ている。いろいろ訊かれるのは面倒だ。自由気ままに俺は出掛けたい。

 チャイムが鳴り、ドアを開けると玄関先に3台の原付が止めてあった。荷物を背負った斉藤と、バイクを持ってきてくれた親父さんにお礼を言ってる北川が居る。
「わざわざ持ってきてくれたのか?」
「ああ、配達のルートが近いからって一緒に来てくれたんだ」
「ん? ゴム紐が付けっぱなしだぞ」
「はははっ、固定するにはこれが一番効くぞ」
「荷物は三台に分けて積めるように纏めてきたからね」
 早速乗ろうとした祐一を、笑顔で北川が制した。
「そう慌てるなって。出発する前にちょっと説明させてくれ」
「相沢、始めて乗るバイクなんだからちゃんと聴いた方が良いよ」
「わかったよ」
 北川が、バイクのシートをぽんぽんと叩きながら話し出す。
「業務用で使うのは3速ロータリー式が多いんだが、何台かカスタム4速の奴があったからそっちにした。7000回転で4.5hp、制限速度は60q/h。それとこいつはリターン式だ」
「リターン式ってなんだ?」
「相沢、それで良く学科受かったな……ギアを上げたら今度は逆に戻さないとニュートラルに入らないって事だ」
「ふーん」
「まあ、最初はゆっくり乗ってみて覚えるんだな」
「北川、燃料はどうなんだい?」
「一応満タンにして貰ったから、しばらく持つぞ」
「燃費はどれくらいなんだ?」
「乗り方にもよるが、150qくらいだ」
「え? 1リットルでそんなに走るのかい?」
「ああ、だけど燃料計がついてないから気を付けろよ」

 斉藤が荷物を荷台に固定し出発しようとすると、手を振りながら路地の角を曲がってくるバイクがあった。
「ちょっと待ちたまえ〜」
「ん? なんだ?」
 久瀬?
 朝日にカブをピカピカさせながら、久瀬が三人の前に新車を乗り付ける。
「僕も参加させてもらう」
「なんでお前が知ってるんだ」
「斉藤から聞いてな。僕だけ置いていくとは酷いではないか」
「だけどいきなり現れて……わざわざバイクまで買ったのかよ?」
「いかんっ!」
「どうした?」

「ぼっちゃん、お待ち下さいっ〜」
 酷くふらふらしながら、初老の紳士がよたよたと走ってくる。
「誰だ? あのおっさん」
「家の執事だ。まさか追いかけてくるとはな」
「金持ちは違うねぇ〜」
「追い付かれると煩わしい。早く出発しようではないか」
「え?」
「ほらほら、早くしたまえ!」
 久瀬に急かされて、三人がエンジンをかけヘルメットを被る。

「ぼ、ぼっちゃ〜ん、お戻りを〜」
「わはははは〜、爺よ、そんなに無理をすると体に毒だぞっ」



5.続く道

 慌ただしい出発から暫く経ち、ようやく市街を抜けた。高速道路を使いたいところだが、金もないし、そもそも原付じゃ通れない。渋滞でも脇をすり抜けられるので楽だったが、スピード自体が遅い。でも、そんな速度がなんとなく楽しい。別に急ぐ旅じゃないんだし。
 ビルや建物に遮られていた視界が開き、郊外の開放的な道路をひた走る。爽快だ。エンジンや道路から伝わる振動が、心地良く体に響く。

 先頭を走る北川が手を振ったと思ったら、ウインカーを上げてコンビニに入った。
「どうした、休憩か?」
「それもあるが、ちょっとエンジンを冷ましていこう」
「人間の方も水分補給していこうよ」
 駐車場にバイクを止め、自販機でジュースを買う。ジャンケンに負けた久瀬が硬貨を入れ、ふてぶてしく”どれでも好きな物を買いたまえっ”と言った。斉藤が選んだカフェラテが、120円ではなく130円だった事に不満らしい。
 全員が地べたに座って、久瀬のおごりで喉を潤した。あまり体裁のいい物じゃないが、こうしないと見えない景色がある。ヘルメットのせいで、変な形に癖が付いた髪の毛をごしごし擦る。ニヤニヤしながら乳酸飲料を飲む北川の頭では、いつも通り飛び出た一房が揺れていた。
 なんでだ?

「そろそろ行こうか?」
 飲み終わった瓶を捨ててきた斉藤が言った。
「うむ」
「あ、そうだ。これから速度も上がるから、ちゃんと位置取り考えてくれよ」
「何のことだ? 北川」
「追突しないように、交互に間隔を取って走れってことだ」
「なるほどね」
「それと、山道もあるからブレーキに気を付けろよ。元々実用車だから、すぐ加熱して効かなくなる」
「あ、学科の教科書に書いてあったよ」 
「エンジンブレーキを使えと言うことかね?」
「そうだ。相沢と違って久瀬たちはちゃんと勉強してるな」
「俺だってそれくらい知ってたぞ!」
「はははっ、事故だけは勘弁してくれよ。下り坂のカーブで、いざっていうときにブレーキ効かなくなったら冷や汗ものだ。驚くってよりも、何だかわからない内に突っ込んじまう。ホント走馬燈みたいに記憶がゆっくり流れるぞ」

「…………」
「ん? みんなどうした?」
「北川、なんか話がリアルなんだけど……」
「実体験かね?」
「あ……」
「事故った事あるのか? 北川」
「まあ、その、なんだ。腕の骨折だけで助かった」
「あはははは、やっぱり北川らしいね」
「はははっ、そりゃあ俺たちに安全運転をうるさく言う訳だ」
「的確な指導もそのせいだったのだな、わはははっ」

「おまえら笑いすぎだっ!」



6.隊列

 再び走りだすと、建物はどんどん少なくなり工場や畑が見えてきた。車の少なくなった広い道路を、調子に乗ってどんどん走り続ける。カーブのライン取りも我ながら決まってきたと思う。先頭を走る北川は、初心者の三人が慣れてきたと判断したのか少しずつ速度を上げている。
 バイクの旅は不思議だ。みんなで出掛けているのに、走っているときは一人きり。話す相手も居ないし音楽をかけることもできない。自然の音を聞き、仲間が走る姿を見ながら自分自身と対話する。
 風圧を受けて、空気がこれほど重い物だと始めて知った。たるんだジャンバーの裾が、バタバタと引っ張られる。ヘルメットの中では、自分の呼吸がいやに大きく聞こえた。
 最高速度に近い速さで走っているが、ひっきりなしに四輪車が隊列を追い越していった。まるで邪魔者扱いの態度で。何をそんなに急いでいるんだろう。

 後ろを走る斉藤も、かなり慣れてきたようだ。振り向くと、片手を上げて手を振り返す余裕さえある。と、斉藤が加速してこっちに寄ってきた。ちょっと危ない。見ると、斉藤が自分の手首の辺りを指さしている。

 腕時計?

 自分の時計を見てみると、もう12時を過ぎている。そうだな、そろそろ昼飯を食べるところを探した方が良い。
 下りを利用して先頭を走る北川の前に出た。そして、斉藤がやったようにジェスチャーで合図してみる。だが、北川は”はぁ?”というような手つきで首を捻る。こっちの意図が伝わってない。仕方ないので、飯を食う格好や箸を使う真似をしてみせた。ようやく北川が納得して頷くまで、二度ほど転けそうになりながら。
 
 数分後、前方にしなびた定食屋をみつけた。北川が腕を伸ばして店を指さし、振り向いて”どうだ?”と身振りで訊いた。全員が了解の合図を返す。鈍いやつもいるが、言葉を使わなくても仕草や性格からなんとなく意図することは伝わるものだ。



7.スロー

 渋い造りの店だった。こういう所には付き物の婆ちゃんが、少々遠い耳で注文を取りに来た。手打ちうどんが付いた定食を頼んで、畳敷きの小上がりで足を伸ばす。心地よい疲れと、のどかな田舎屋に心が和む。

「ホ〜 ホケキョ〜」

 北川が、前触れもなく言った。ああ、気持ちは良く解る。

「そう言えばさ、大丈夫なのかい? 久瀬」
 お冷やを注ぎ足しながら、斉藤が訊いた。
「何のことかね?」
「ほら、出がけに追いかけてきた人が居たじゃないか」
「過保護というか、しきたりや体面ばかり気にする男だ」
「それでもお前のことを心配して来たんだろ?ちょっと可哀想になるくらいの格好だったぞ」
「北川、僕だってもうそれなりの年なのだ。いちいち構われるのはあまり好きではない」
「でも、生徒会長が校則で禁じられてるバイクに乗って良いのかよ」
「公安委員会が良いと言ってるのだから問題なかろう」
「校則っておかしいよね」
「斉藤、誰だってたまには少し羽目を外さないとやってけないぞ」
「北川はいつもだと思うけどね」
「年取って、なんにも思い出す事がなかったら寂しいじゃないか。無茶したり、意地になったり、失敗したって……後から振り返ってみると懐かしい自分の姿なんだ。責任が持てるなら、オレは自分のやりたい事をするべきだと思ってる」
「やけに雄弁に語るな、北川」
「おう、オレは当たっちゃったら砕けても真っ直ぐ進みたい。周りがどう思うとか、本当にできるかなんてうじうじ悩んで結局あきらめちまうなんてどうかしてる。少しずつでも自分の信じることに近づければ、それで良いじゃないか」
「そうだな……全くどうかしておる……」
 久瀬が小さく呟いた。普段は強がっているこいつも、この旅に何かを求めているようだった。

 とりとめのない雑談をしながら、かなり時間が経った事に気付く。しかしまだ昼飯が来ない。時計を見ると、店に入ってから30分以上過ぎている。
「……まだできないのかな」
「斉藤、ちょっと厨房覗いて来いよ」
「結構歳の婆ちゃんだったからな、もしかしたらぶっ倒れてるかも知れない」
「脅かすなよ、北川」
「いやいや、充分考えられる事ではないかね?」
 心配になってきたのでみんなで覗いてみたら、笑みを浮かべながら緩慢な動きでうどんを踏んでいた婆ちゃんが、ようやく延ばす作業に取りかかっていた。注文を受けてから打つとは、凄すぎるスローフードだ。どうりで他に客が居ない訳だ。俺たちの原付の旅も、もしかしたらそんなものなのかも知れない。
 婆ちゃんに踏まれた腰のあるうどんは、とても旨かった。



8.出会い

 幾つかの峠を越え、米所の水田地域にさしかかった。非力なエンジンは上り坂で悲鳴を上げ、一番体重が重い久瀬はずっと遅れて走っていた。
 良い米ができるところは良い酒ができるらしく、酒蔵の看板が幾つか目に付く。久瀬の強い要望で、酒蔵の見学をしてみることになった。時期的に、醸造が終わって今年の新酒ができたところらしい。麹臭く薄暗い倉で日本酒ができるまでをざっと眺めた。折角寄ったので、お土産としてそれぞれ一本ずつ小瓶を買った。
 それから道の駅で地元の名産を試食したり、目にした面白そうな所を気ままに訪ねまわった。夕方近く、牧場に人だかりができていたので寄ってみた。何かの祭りらしく、いい匂いを漂わせている。参加料は1500円で食べ放題らしい。受付のテントで訊いてみると、牛一頭を丸焼きにしたり、鍋が振る舞われるそうだ。

「なんだこりゃ?」

 料金を払って会場にはいると、異様なモノが見えた。大鍋……っていうかでかすぎだ。直径5メートル以上はある。農協女性部とか書いてある法被を着た婆ちゃんたちが、二三人がかりでそれぞれ大きなへらでかき混ぜている。呆気にとられていると、パワーショベルが特産だという里芋を鍋に投入した。
 料理の常識を覆す光景だ。ギネスブックにも載った鍋らしく、他の地方で真似されてから意地になって毎年鍋を大きくしているそうだ。汚くないのかと思って聞いたら、重機は徹底的に洗って機械油じゃなくてサラダオイルを塗っていると言う。
「もう料理じゃないよね、これって」
「食べ物という気がしないな」
「相沢、今度は味噌入れるみたいだぞ」
 パワーショベルが唸りを上げ、粘っこい茶色のペーストをくっつけたままバケットが鍋の中に沈んでいった。
「豪快な祭りだな、今年の学校祭で是非催してみたいものだ」
「久瀬、止めとけよ……」
「そうかね? 僕は良いと思うが」

「そうだ、みんなで写真撮らなかい?」
 唐突に斉藤が言った。
「鍋の前でか?」
「カメラ持ってきてるのかよ、斉藤」
「うん、好きだからね」
 そう言って、斉藤が首からかけて上着の内側に入れていたカメラを引っ張り出す。
「なんか古そうなカメラだな」
「でも、ちゃんと写るよ。ここに来る途中も何枚か撮ってきたんだ」
「斉藤、作業の様子がわかるように周りも撮っておいてくれたまえ」
 久瀬は本気でやるつもりのようだ。

 写真を撮り終えて、ちょっと早い晩飯となった。ワインもあって勧められたが、もう少し先まで行きたかったので我慢する。未成年のくせに酒好きらしい久瀬は渋い顔をしていた。



9.海

 駅の構内ででも野宿しようと思っていたが、久瀬は小さいテントを持ってきていた。それならばと、どっぷりと日が暮れてから海岸のキャンプ地に向かった。シーズンを外れているのでだれも居ない。浜辺は俺たちの貸し切りだ。今日の走行距離は約300キロ。一度も給油しなかったのに揺すってみるとまだガソリンが残っていた。恐ろしく燃費が良い、エコロジーで地球に優しいバイクだ。
 その辺に落ちてるゴミから、燃えそうな物を拾ってきて火を付けた。これでも立派なキャンプファイヤーだ。火を見ると何故か心が落ち着く。大昔の原始人から伝わるDNAのせいなのかも知れない。

「良いよな、こう言うの」
「そうだね」
「僕は、こんなに綺麗な星空を見たことがなかった」
 ぱちぱちとはぜるたき火に照らされて、少し笑顔に見える久瀬が言った。
「都会じゃ星なんてほとんど見えないからな」
「実際はそこにあるんだけどね、他の明かりで見えなくなっちゃうんだよ」

「波の音が聞こえるな……」
「ああ……」
「静かだ……」

 会話が途切れる。みんなあまり喋らなくなった。気まずい訳でもないし、話すことがない訳でもない。たき火を囲んで座る全員が、ぼーっと何もない空を眺める。

 いきなり立ち上がった久瀬が何処かに行ったと思ったら、自分のバイクの荷台から小瓶を取って戻ってきた。そして栓を開け、コップがないので直に口を付けて飲みはじめる。
「君たちは飲まんのか?」
 普段なら断っただろうが、各々が買ってきた酒の封を切った。今日はここで寝るだけだ。小腹が空いたので、途中で買ったお菓子や漬け物に手を付ける。本当はお土産として持って帰るはずだったが。

「北川……」

「ん? なんだ、久瀬」
「ぶち当たったら、痛くはないのかね?」
「はあ?」
「君の、あまり上手くない例え話の事だ……」
 酔いが回ってきた久瀬が語り出した。
「伝えなくてはならない事があるのに、その人は遠くに旅立ってしまう。どうするべきか悩み続けたが、結局決断から逃げて旅立ちを送ることさえしない。どうしてかはわからん。許してもらえるかどうか不安だったのかもしれん。最後の最後に悲しい思いをするよりかは、想い出として心に畳んでしまえば良いのではないかとな」
「何のことだ? 久瀬」
「僕は……痛みに耐えれらるほど強くはないのだよ。悪いが先に寝させてもらう……」

 寂しそうにテントへ向かおうとする久瀬を、北川が引き留めた。
「まあ、ちょっと待てよ久瀬」
「なにかね?」
「何やら深刻そうだが、取りあえず……ほら」
 そう言って、北川が自分の酒を久瀬に渡す。
「…………」
「細かいことに立ち入りはしないが、元気出せよ」



10.星空の下で

「がはははははは!」
「おい……」
「わはははははは!」
「なあ……」
「北川っ、酒はもうないのかねっ!」

「やっぱり飲まさない方が良かったんじゃない?」
「ああ……」
「悪いな、オレが勧めたばっかりに……」
 落ち込んだ久瀬を慰めようと無理に北川は飲ませたのだが、舐めるように口を付け始めてから十数分後、久瀬はただのオヤジと化していた。

「はっはっはっは〜」

「こんなに人格変わるなんて、きっとかなりストレス溜まってたんだろうね」
「だけど、変わりすぎだろ……斉藤」
「居酒屋で暴れるサラリーマンじゃないんだからさぁ」
「おいっ、斉藤、君も飲みたまえっ!」
「いや、俺はもう充分だよ」
「なにぃ、僕の酒が飲めんというのかっ!」
「わかったよ」
 仕方なさそうに斉藤が自分の瓶を差し出す。顔を赤くした久瀬が、自分の酒瓶から中身を移そうと瓶を傾けた。自分の体まで妙に斜めにしながら。
 しかし、中身が出てこない。久瀬はどんどん角度をつけ、妙な格好になってきた。もう地面に顔が付くと思ったら、斉藤が小声で言った。
「久瀬、もう空だよ……」
 また大声で文句を言うのかと思ったら、返事がない。揺すってみると、久瀬はそのままの姿勢で鼾をかき始めた。

「寝ちまったのか?」
「はははっ、騒々しい奴だな」
「どうする北川?」
「そんなに大量に飲んでる訳じゃないし、テントに運んで寝かせてやろう」
「それが良いね。僕もそろそろ寝るよ」
「オレも寝るか……相沢はどうする?」
「もう少し外の景色を見ていたい」
「わかった、だけど風邪引くなよ」
 そう言って、北川と斉藤が久瀬を引きずっていった。

 暫く外にいた祐一だったが、一人になると何故か途端に寒さが気になりだす。やっぱりもう寝よう。そう思い直してテントをめくると、中では男三人が酒臭い息で折り重なっていた。
 組み立ててるときから小さい気はしてたが……。

 仕方ないので寝袋を引っ張り出し、たき火のそばで眠りについた。固い地面に背中を丸めながら、ふと思う。名雪は、今頃何してるだろう……。



11.目覚め

 寒い。凍えるようだ。俺はここで何をしているんだろう?誰かを待っている?早く来て欲しい、早く。暖かい声がかかるのを待っている。
 ……雪?

 ゆっくりと視界が遮られた……

「のわっ!」
「相沢、寒くないのかね?」
 目の前には久瀬の顔があった。早朝、顔を出し始めた太陽が微かな熱を送っているが、潮位が上がったのか寝袋は半分海水に浸かっている。
 どうりで寒いはずだ。しかし、気付いてたんなら助けてくれても良かったんじゃないか?

 顔を擦りながら立ち上がり、浜辺の方を見ると湯気が上がっていた。斉藤が朝食の用意をしている。何処から集めてきたのか、流木や紙の束のような物を燃やして飯盒をかけていた。
「斉藤、北川はどこ行ったんだ?」
「向こうで釣りをしてるよ。相沢も目が覚めたらこいってさ」
「飯盒使ってご飯が炊けるなんて凄いな」
「え?」
「俺は料理が全く駄目なんだ。カップ麺ぐらいしか作れない」
「僕にだって、得意なことくらいあるよ」
 妙に爽やかな表情で、斉藤がそう言った。
「おかずは何なんだ?」
「これからだよ。相沢も頑張って釣ってきてくれないと困るよ」

 岩場を廻ると、竿を構えながらぽつねんと座る北川が居た。 
「相沢、ようやく起きたのか?」
「釣れるか?」
「いいや、全くダメだな」
「朝飯どうするんだよ」
「その事について、ちょっとお前に相談があるんだ」
「はあ?」
「相沢、アレ見えるか?」
「ん?」
 北川が指さす方を見る。ウニだ。手が届きそうなくらい近くに結構転がっている。
「食べたいよなぁ」
「そうだな……」
 とは言うものの、海に入らないと採るのは難しい。4月の海は、泳ぐのは勿論つま先だって入れたくない温度だろう。さっき半分浸かって、身にしみててわかってることだ。
 
「じゃーんけーんー」
 見つめ合っていた北川が、にやっと笑うと明るく言った。
「はあ?」
「負けた方が採りに行くっ!」

 ******

「クソっ」

 トランクス一丁になった北川は、決心すると一気に海に飛び込んだ。そして獲物をこっちに放り投げて寄越すと、がたがた震えながら、カクカクした動きで一目散にたき火に向かって走っていった。



12.朝

 戻ってみると、斉藤はご飯とみそ汁まで用意していた。暖かいご飯に、ヨクワカラナイ海藻とみそ汁に使った残りのネギを敷く。メインは勿論採りたてのウニだ。醤油をかけただけの味付けなのに、とても旨い。

 北川は、体を温めようと危ないくらいたき火にくっついて飯をかき込んでいる。濡れたパンツは脱いでしまって、パンツ無しで服を着ていた。暖かいみそ汁の椀をいとおしそうに押し頂く北川の横で、乾かそうと火にかざされた派手な布地が、ぱたぱたと風にはためいている。
「北川、大丈夫か?」
「寒みぃーよー、相沢〜なんとかしてくれよ〜」
「エンジンかけて、バイクにくっついてたらどうだ?」
「熱い風呂に入りて〜よ〜」
「じゃあ、行こうよ」
「え?」
「確かこの辺に温泉があったんじゃないかな?」
「ホントか!斉藤っ」
 にわかに元気になった北川が聞き返す。
「あれ? 海岸に降りるときに看板見なかったかい」
「それでは食べ終わったら探して見ることにするかね」

 ******

「ぬるいよぉ〜相沢〜」
「わがまま言うなよ、北川っ」
「だってさぁ〜」
 情けないような顔つきで北川が湯船で縮こまる。

 北川が言うとおり、確かにぬるい。一応、脱衣所らしいものはあった。料金の要らない露天風呂だったので、喜んで入ったのだが何かが違う。
「此処は本当に温泉なのかね?」
「うーん、ちょっと微妙な気がするよ……」
 何故かと言えば、海との境がヨクワカラナイ。海岸に湧いているらしく、窪みにたまっている水は暖かかったが、波が容赦なく押し寄せるので、海水と混ざってかなり肌寒い。
「ひーっくしょんっ!」
 北川が、なんか引っ張られるようなくしゃみをした。
「入ったばっかりだけどもう出ようよ、逆に風邪引きそうだよ」
「そうだな、斉藤」
「いかんっ!」
「あああっ!」
「ん?どした?」

『ざばーん!』

 大波が退いた後には、一人だけ逃げ遅れた北川が岩にしがみついていた。



13.旅立

 風呂から上がり、北川は大量のカイロを買って体中に詰め込んだ。それでようやく人心地付いたらしい。もこもこふくれた北川を先頭に、再びバイクを走らせる。
 もう少し遊んでいける時間があったので、近所に何か面白い物はないかと駅に向かってみた。多分観光案内や地図があると思って。駅には、就職や進学のためなのか大きな荷物を持って旅立つ人たちが居た。みんな出掛けていく。そんな季節なんだ。

 久瀬が悲壮な表情で改札を見ていた。

「久瀬、どうかしたか?」
「……今日、倉田さんが進学のため街を出るのだ」
「え?」
「そんなこと聴いてないぞ?」
「確かに……今日なのだ……」
「どこに行くんだ? 東京か? 大阪か?」
「イギリスだ」
「海外かよ!」
「海外留学か、しばらく帰って来れないね」
「最後に言いたかったのに、勇気がなかった。僕は……彼女が好きだ」

「え!」

「おい! 佐祐理さんが海外に行くって本当なのかよ!」
「本当だ。会うと寂しくなるからと誰にも言っていないらしいがな……」
「久瀬、好きなのかい?」
「ああ!こんな時になって何だが、僕は彼女が好きなのだっ」
「気に入った!」
 男らしい久瀬の告白に、北川が大きくうんうんと頷く。
「久瀬、倉田さんの出発は何時なんだ?」
「午後2時の列車だ。空港近くに泊まって、明日の朝早い便で飛んでしまう」
「今何時だ?」
「北川、9時半を少し過ぎたところだよ」
「ちょっと厳しいかも知れないな」
「もう、間に合わん……」
「久瀬、それで良いのか?」
「良くはない……だが……」

「行こうよ!」
「当たり前だっ、よしっお前らにもこれをやるっ!」
 北川が、懐からカイロを差し出した。



14.旅の目的

 北川は、全てのバイクのスピードリミッターを解除した。あちこち寄りながらだったが、約10時間かけて来た道を急いで戻る。これから4時間半でたどり着けるだろうか……。
 先頭を走る北川は、全く止まろうとしない。朝飯が早すぎたせいで腹も減ってきたし、喉がからからだ。ずっと風を受けたままで、ノンストップで走り続けている。北川に言われたとおり、長い坂道ではニュートラルにしてエンジンを冷まそうとしたが、温度計はずっと上がりっぱなしだ。

 同じ姿勢で腰掛けたままなので、体中が強ばってきた。とても辛い。でも、行かなきゃならない。久瀬の目的を果たすために。結果がどうなるかはわからないのに、必至に走り続ける。

 必至に……あの時の俺のようだ。心を閉ざした名雪をなんとかしてやりたかった。もう一度微笑んでくれるなら、他には何も要らないと思った。それなのに。
 平凡に過ぎる生活に飽きていた?毎日作ってくれた美味い弁当にも、いつも隣にあった笑顔にも慣れてしまった?俺はなんてわがままだったんだろう。約束したはずだったじゃないか。すまない、帰ったらちゃんと謝る。名雪ならきっとわかって許してくれる。俺があいつをわかっているように。

 ******

 くそっ、ケツが痛い。というか感覚がもう無い。せめて250ccだったら良かったんだが。初心者を引き連れて先頭を走るのは、かなり神経を使う。次のカーブは結構きつそうだ。オレは大丈夫だが、奴らには少々危ないかも知れない。減速するか?

 後ろを振り向くと、鬼気迫る表情の久瀬がぴったり付けていた。速く行けってか?だが、ダメだ。危険なことは絶対させない。無謀と勇気は違うし、一生懸命と夢見ることは違う。オレたちは現実の中に生きてるんだ。自分が持ってる力で精一杯やるしかない。

 もしかしたら間に合わないかも知れない。だけど、お前はぶち当たろうとしてる。そんな気持ちだけでも、彼女に伝わればいいじゃないか……。いや、そんな消極的な事じゃダメだ。きっと間に合う。大丈夫だ。どんなことがあったって辿り着いてみせる。想いを伝えさせてやる。
 オレだって、どんなことがあったって美坂と同じ大学に合格して何時か弁当を作って貰うんだっ!

 ******

 久瀬も、恋愛となるとあんな風になるんだね。僕だけじゃないんだ。北川も、相沢も、本当に良いやつだ。だれも無茶して帰るのは嫌だなんて言わなかった。友達として尊敬するよ。あ、言い出したのは僕だっけ。

 帰ってこんな旅の話をしたら、あの子は何て言うかな?荒っぽい人だと思われて嫌われるだろうか?でも、話してみたい。だって、これが僕なんだから。

 もしも間に合ったら……もしも不可能が可能になるなら……僕も勇気を出して変わろう。うん、できるはずだよ。

 ******

 僕のために、こいつらは無理して一緒に走ってくれている。折角の旅も途中で切り上げて。普通に考えれば不可能だというのに、馬鹿な奴らではある。だが、僕も賭けてみたいのだ……

 もし、間に合うならば……言えるか?一度は逃げたというのに?こいつらの心意気に応えるためにも、覚悟を決めなくてはな。いや、これは自分が決めることだ。結局は皆一人なのだ。自分の道は自分で開かなくてはならん。僕は言う。必ず。駅のホームでは恥ずかしいだろうが、それでもだ。何故、早く気が付かなかったのか。
 
 僕を変えてくれた、気付かせてくれた、今、一緒に走っている三人の友人。少々言いにくいが……ありがとう。
 不思議だな、素直にそう思える。



15.帰着

 へろへろになった隊列は、ようやく見慣れた景色を目にする。帰ってきた。自分たちの住む街へ。待っている人たちが暮らす街へ。そして、旅立つ者へ最後の言葉を伝えるために。
 先頭を走る北川が、市街地に入ったところで腕時計を確認した。時間は1時半を回った。残された時間は、30分もない。駅までは数qしかないが、街に入ると信号などで時間がかかる。昨日は、街を出るまで一時間もかかっていた。

 くそっ、折角頑張ったのに間に合わないのかよっ!もうだめだ。残念だが諦めるしか……
 いや!此処で引いちゃ、オレは何にも変わってないじゃないか。一生懸命頑張れば、目の前に道は開かれると信じている。久瀬だけのためじゃなく、オレのプライドが許さん。考えろ、マイコンピュータ!

 と、後ろを走っていたはずの祐一が横に寄ってきて大声で叫んだ。

 え? マジかよ相沢?

 ******

「舞、元気でね」
「やっぱり寂しい……」
「夏休みにはちゃんと帰ってきますよ〜」
「でも……」
 駅のホーム。佐祐理さんを見送る舞が、最後までだだをこねていた。
「佐祐理だって舞と一緒にいたいですけど……」
「……じゃあ一緒にいる」
「ずっと一緒に居るわけには行かないんですよ」

 どうしても別れたくない舞は、ブンブンと首を振って佐祐理さんにすがる。発車まであと数分。その時、向かい側のホームに快速列車が到着した。
「ちょっと!君たち待ちなさいっ!」
 快速列車のドアが開くと、中からバイクに乗った少年たちが飛び出した。
「手荷物だ、手荷物っ!」
「自転車は良いのにどうして駄目なんだよっ!」
「ちゃんと運賃は払っておるぞ!」
「みんなでたらめすぎるよ〜」
 久瀬を先頭に、祐一、斉藤、そして、いずい尻をもみながら北川がホームに降り立った。
「佐祐理さんたちはどこだっ!」
「相沢、あれじゃねえか?」
「おお、倉田さんと川澄さんに違いないっ」
「もう3分しかないよ!」
「隣のホームか……面倒だ!どけっ、どきたまえっ!」
 久瀬に続いて、3人がバイクに乗ったまま階段を一気に下りる。そして、急いで隣のホームに上がるエスカレーターに乗り上げた
「なぜこんなに遅いのだっ!」
「だからってあんまりふかすなよ、久瀬!」
 ホームに出た。あと十数秒。一気にスロットルを開く。
「倉田さんっ!」

「はえ?」
 もう列車のデッキに上がっている佐祐理さんが振り向いた。
「あなたに話したいことがあるっ、僕は……僕は……」
「久瀬さん、一体どうしたんですか?」
「あなたが街を出る前に言いたかったのだ……」
「はえ? 何でしょうか?」

 ”北川、なんとか間に合ったな”
 ”ここまで盛り上げてやったんだ、久瀬、さっさと言っちまえ”
 ”見てる方が気を揉むね”

 佐祐理さんの上着の裾を掴む舞は、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「あなたと川澄さんの友情は良く知っている……別れなくてはならないとは辛いことだ……」
「佐祐理も舞のことが心配です」
「倉田さん、あなたは優しい方だ……だから……」
「はい?」
「だから……倉田さんっ!川澄さんのことは僕に任せて安心して行ってくれたまえ!」

「はえ?」

 発車を告げるブザーとともに、列車のドアが閉まる。振り向きざま、続けて久瀬が言った。
「川澄さんっ、僕はあなたのことが好きだ!」


 …………

 …………

 …………


 ”へ?”
 
 ”久瀬、今なんてった?”

 ”倉田さん……じゃなかったの?”


「川澄さん、僕の後ろに乗りたまえっ!」
 よく解らない表情のまま、舞がちょこんと原付の荷台に腰掛けた。
「ちゃんと捕まって」
「……こう?」
「北川、相沢、それに斉藤も、この恩は忘れんぞっ!」
 そう叫びながら、久瀬はプラットホームを走り抜けていった。祐一は思った。かなり違うが、昔見た映画のラストシーンみたいだと。

 酷い倦怠感に襲われていると、後ろから腕を捕まれた。振り向いてみると、顔を引きつらせた鉄道公安官だった。



16.旅の終わり

 その後、俺たちは駅の事務所でさんざん絞られた。学校や家に連絡されて、ようやく解放されたのは夕方近く。結局バイクを返すのが遅れてしまい、新聞屋で3ヶ月のただ働きを課せられることになった。
 だが、そんな結末も俺としては満足だった。いつだって俺は準備ができている。何があったって、こいつを守っていく自信がある。名雪は隣にいてくれる。多分、これからもずっと。

 あの旅から数日……昼休みに食べる弁当は、いつもより格段に美味く感じた。
「名雪、これ美味いな」
「え? いつもと同じだよ、祐一」 
「そうなのか?」
「でも、美味しいって言ってくれて嬉しいよ〜」
 俺も嬉しいぞ、お前の笑顔にまた会えて。

「美坂っ、弁当っ、昼飯っ!」
 教室中に北川の声が響いた。あれから、昼休みになると毎日のように北川が吠える。香里の弁当を食べたかったはずの北川だったが、自分で作ってくる作戦に切り替えたようだ。新聞配達のせいで朝早く起きるため、時間をもてあましたのも理由らしいが。
 香里が言うには、北川の作る弁当はかなり旨いそうだ。
「美坂、今日は腕によりをかけて作ったぞ」
「はいはい」
「特製オムライス〜」
 秘密道具でも出しそうな勢いで、北川が包みを開けた。
「なあ、水瀬さんみたいに食べさせてくれないか?」
「恥ずかしいからそんなことしないわよっ!」
「じゃあ、俺が食べさせてやろう。美坂、ほら、あーん〜」
「え……」
「ほらほら、こぼれちまうから早くっ」

「名雪、食べると思うか?」
「どうかな〜」
「斉藤はどう思う?」
「うーん、相手が美坂さんだからね、かなり手強いんじゃないかな?」

 あ、食べた。

 ******

 放課後、誰も居なくなった生徒会室の隅っこで、斉藤はフイルムを纏めていた。
「斉藤さん、何をなさっているのですか?」
「この間行った旅行の写真だよ、写真部の暗室を借りてさっき現像してきたんだ」
「自分で出来るものなんですか?」
「うん、ちゃんとした設備があればそんなに難しくないんだよ」
「見せていただいてもよろしいですか?」
「え?いいけど……」

「……楽しそうですね」

「ふふっ」
 写真を見ながら、彼女が笑った。大鍋を背景に撮った記念写真。もうもうとした湯気にぼやけながら、両手でピースサインをする北川、はねた味噌がかかって渋い顔の久瀬と、ちょっと呆れたようにそれをみる相沢。そして……セルフタイマーをかけて慌てたものだから、つまづいて変な格好で転んでいる自分。

「斉藤さんって、意外と楽しい方だったんですね」
 写真から視線を上げた彼女が、僕を見つめる。
 
 言おう。

「ね、ねえ、天野さん……」
「はい?」
「今度、一緒に行かないかい?」
「ええ、喜んで」



エピソード

「あはははーっ、それでは皆さんの卒業を祝って乾杯ですよ〜」
 春休みに帰国した佐祐理さんが乾杯の音頭をとる。
「佐祐理……私は卒業じゃない」
「私もあと一年ありますけど」

 斉藤と天野はそろってスクーターでやってきた。誕生日の早い北川は、家の車で香里と佐祐理さんを乗せてきた。久瀬は側車付きの輸入バイクで舞と一緒に乗り付け、自動二輪の免許を取った祐一は、後ろに名雪を乗せてここまで走ってきた。
 あれから一年、祐一たちはまたここに集まった。辺りには、いい匂いが漂っている。
「みんな、また写真撮ろうよ」
「斉藤、前みたいに転ぶんじゃないぞ」
「……だけど、転んだ方が良いときもあるよ」
「うん?」

「用意できたよ、みんなカメラの方向いてっ!」
 たくさんの笑顔の後ろに写る大鍋は、一段と大きくなっていた。数十q先の海岸には、砂地に差し込まれた枝に括り付けられた派手な布切れが、今でもはためいているのかも知れない。







 終 劇




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