「遠い空の向こうへ」
 作:Q.Mumuriku




「かおり、学校がおわったら、ものみの丘にいこうよ!」
「どうしたの?じゅんくん」
「へへー、ひみつだよ」
「おしえてくれてもいいじゃない」
「しょうがないな〜、これだ!」
 自信満々に小学生の北川が差し出したのは、手作りのロケットだった。それっぽい尾翼がついているのでそんな感じもするが、やはり、10歳の子供の工作の枠を出ていない。
「じゅんくん、それって本当にとぶの?」
「あったりまえだ、ロケットはなび20コ分のかやくをいれたんだ」
「あぶなくない?」
「だいじょうぶだよ。行こうよ、かおり」
 ペンライトの筒に火薬を詰めただけのロケットは、点火すると、いきなり爆発した。物凄い音に泣き出してしまった香里を連れて帰った北川は、両親からこっぴどく叱られた。

 ******

「香里、打ち上げを見に来ないか?」
 中学生になった北川が香里を誘う。
「別に良いけど、一回も成功しないわね、北川君」
「今度は大丈夫だって、本も買って研究したんだ」
 ボール紙で出来たロケットには、硝酸カリウム・硫黄・木炭の混合物が詰められており、斜めに飛び出して、空中で大爆発した。落っこってきた残骸を拾いながら、北川は1ヶ月の苦心を振り返り、一体何が悪かったんだろうと落胆した。
「うーん、やっぱ燃焼ノズルが悪かったのかなあ」
「北川君、ちゃんと本の通りに作ったの?」
「いや、実はオレにはちょっと難しすぎてあんまり理解できなかったんだ」
「はあ……仕方の無い人ね。じゃあ、ちょっとその本を見せてみて」

 ******

 高校生の夏。
「美坂ーっ、今日の3時に打ち上げだ!」
「ようやく完成したの?」
「おう、アメリカ製の上級キットモデルだぞ〜。バイト代全部つぎ込んだ」
「本当に好きねえ」
「栞ちゃんも連れて来いよ」
「そうね、体の具合さえ良ければ一緒に見に行くわ」
「相沢や水瀬さんたちも来るからな〜」

「あはははーっ、凄いですね〜」
「飛ぶの?……」
「北川さん、格好良いですっ」
「え、オレが?」
「ロケットがですう〜」
「はははっ。酷いな、栞ちゃん」
「二人とも何馬鹿なこと言ってるのよ、準備はいいの?」
「北川、早く始めろよ」
「相変わらずせっかちな奴だな、相沢」
「名雪が待ちきれないで寝ちまうぞ」
「くー……」
「って、名雪もう寝てるわよ!」
 真琴が呆れる。
「よーし準備完了だ。カウントダウン開始!」

 発射主任をまかされた栞が、楽しそうにカウントダウンを始める。
「5.4.3.2.1……」
「発射ですうー」

『どしゅーーーーーーーー』

 薄い煙を吐きながら、ロケットは一気に空へ吸い込まれていった。
「すげえ……」
「わ、びっくり」
 のんびりと、それでも目を見開いて名雪が言う。
「うぐっ!」
 あゆは、驚いてタイヤキを喉に詰まらせたようだ。
「凄いですっ。何キロも飛んで行きますっ!」
 栞は無邪気に大喜びしている。

「大成功だな、美坂!」
「北川君、少しだけど姿勢にブレがあったわね。重量バランスが今一だわ」
「はははっ。美坂には敵わないな」
「でも、結構上手く行った方よ」
「ああ、いつかあそこまでぶっ飛ばして見たいなぁ」
 ものみの丘で北川が見上げる先には、午後の青空にぽっかりと浮かぶ月があった。
「北川さん、よく許可が下りましたね」
「へ?」
「これほど大規模なロケットの打ち上げには、市町村の許可が必要なはずですけど?」
「そうなのか、天野さん?」
「常識だろ」
 祐一が言う。
「捕まっちゃうんだよー」

「あはははーっ、逃げましょうか〜」
「捕まるのは嫌……」
「あうー、真琴は何にも悪いことしてないもん!」
「いいから、さっさと逃げるぞ」
「行きましょう、栞」
「はい、お姉ちゃんっ」
「うぐぅ、待ってよ祐一君!」

 名雪を先頭に、歓声を上げながらものみの丘を後にする高校生たち。北の、短い夏の日差しが降り注いでいた。 



1.種子島宇宙センター

『ギア・ダウン』
『大気速度210ノット』
『ランディング』

「成功。全く完璧だ」
 コンピュータのモニターの中で「HOPE」は滑走路のど真ん中を捉えた。
「さすが美坂は優秀だな」
 後ろで、シミュレーションの様子を見ていた北川が声をかける。
「あら、ありがとう北川君」
 ふーっと、ため息を漏らしながら、香里がヘッドセットを外す。日本版スペースシャトルとも言える「HOPE」。その初打ち上げが来月に予定されており、北川と香里は操縦担当として訓練を行っていた。あの、高校時代の打ち上げに参加した全員が、遠い空の向こうを目指し、宇宙飛行士としてそれぞれ専門分野の訓練を行っている。
 H2Aロケットの成功から10年。日本も本格的な宇宙ステーション建設の為、再利用可能型のシャトルを保有するに至った。

「よーし、午後からはオレの番だな」
「北川君、一昨日みたいに墜落させないでね」
「あの時は、シミュレーションの設定が厳し過ぎたぞ」
「でも、実際故障することもあるし、悪天候だって考えられるわよ」
 北川は前回の訓練で再突入に失敗し、想定上では機を黒焦げにしていた。
「アメリカじゃシャトルを『空飛ぶレンガ』って言うそうよ。コンピューターの指示どおりやらなきゃダメよ」
「戦闘機の操縦なら、自信あるんだけどなあ」
 負け惜しみを言う北川から見ても、香里の技術は一流だった。

「ところで美坂、この後なんか予定はあるのか」
「え?次の訓練まで3時間くらいあるけど」
「だったら……えーと、オレと一緒に昼めしどうだ?」
「北川君の奢りで?」
「おう、ハリセンボンでも海蛇でも豚の耳でも、何でも好きなものを奢るぞ」
「普通の定食屋でいいわよ」
「でも、せっかくこんな南の島に来てるんだからさ」
「そうね、栞もブルースターアイスを買い込んでたわ」
「ははっ、栞ちゃんらしいな」
「でしょう?」
 香里が嬉しそうに笑う。



2.宴

「だからさ、日本人初の宇宙飛行士はそいつじゃないんだ」
「じゃあ誰なんだよ、北川」
「日系人のな、チャレンジャーの事故で亡くなっちゃった奴なんだ」
「ふえ〜北川さんって物知りなんですね〜」
「……マニア?」
「知ってて当たり前だと思うけどなあ」
「お前って、ロケットのことになると異常に詳しいよな」
「ああ、子供の頃からロケットを手作りしてたからな」
 自慢げに北川が胸を張る。
「でも、成功したことなんて無かったわよね」
「え?いや……まあ、そうだったったか?美坂」
「いっつも大爆発させてたじゃないの」
 祐一が大笑いしながら言う。
「まったく北川らしいな。でも、日本初のペンシルロケットだって最初っから上手くいった訳じゃない」
「相沢……日本初の打ち上げは、戦時中に戦艦の40センチ砲の火薬を手掛けた人が1934年に打ち上げた手製のロケットだぞ、お前は基本がなってない!」
 北川は、肉を焼きながら不満を言う。厳しい訓練を共に受けてきた宇宙飛行士たちは正式な搭乗員の発表を受け、決まった者への壮行と、残される者への励ましのために、野外でバーベキューを催していた。

 実際に宇宙に飛び出す正規チームは、相沢祐一をリーダーとして、

  水 瀬 名 雪
  美 坂 香 里
  天 野 美 汐
  月 宮 あ ゆ

 そしてバックアップチームには、北川を始め、

  倉田 佐祐理
  川 澄  舞
  美 坂  栞
  沢 渡 真 琴
 
「北川、残念だろうがそんなに落胆するな」
 祐一が北川にビールを注ぐ。
「相沢、土産は月の石で良いからな」
「おいおい、俺達が行くのは宇宙ステーションだぞ」
「資材の運搬屋だよな」
「嫌な言い方をするな、北川」
「はははっ、まあ頑張ってきてくれ。次は絶対にオレの番だ」

「佐祐理……どうして行けないの?……」
「あはははーっ、舞、まだ決まっちゃった訳じゃないですよ〜正規チームの方に何かあれば、佐祐理たちが代わりに行けるんですよ〜」
「祐一に、もっと酷いいたずらしてやるんだからっ!」
「お姉ちゃんは、わたしを独り残して先に行っちゃうんです。そんな酷な事はありませんっ」
「栞さん、それは私の台詞です。もしかして酔ってますか?」
「むー、これしきのお酒で酔うはず有りませんっ!」
「栞、飛行ミッションは何回も計画されてるんだから、直ぐにあなた達も行けるわよ」
 香里は、絡む栞を宥めようとするが、
「祐一さんまでわたしを置いてけぼりですっ。えうえう」
 栞は泣き上戸だった。

「栞、飲みすぎだぞ」
「わたしは……一番最初にお姉ちゃんと宇宙に行きたかったんですっ」
 栞はふらふらと立ち上がると、同じ航法士のあゆにろれつの回らない口調で言った。
「むー、月宮しゃん!」
 いきなり大声で呼ばれて、あゆが狼狽する。
「うぐっ?」
「わたしの替わりに、お姉ちゃんをお願いしましゅ……」
「わ、わかったよ栞ちゃん。ボク頑張るよ」
 栞は一升瓶を2本引きずりながら、宿舎に戻っていった。

 短い宴の後、独りぼんやりと空を見上げている北川が居た。 
「北川君、何を見てるの?」
「月」
「きれいね」
「行きたいなあ、あそこに」



3.飛行プラン

「なんだって」
 祐一が不機嫌に訊く。
「いや、僕も反対したんだけどさ」
 飛行管理である久瀬の部屋に、正・副チームのリーダーである祐一と北川が呼び出されていた。
 技術屋の斉藤が説明を続ける。
「あの、旧式の情報収集衛星には小型の原子炉が搭載されてるんだ」
「だから?」
「2ヶ月前から調子が悪くなって、軌道を外れて降下してるんだよ」
「このままでは、数週間で地上に落下してしまうのだ」
「久瀬、だからって、なんでこの期に及んで飛行プランを変更させるんだ?小型の衛星なら、大気圏で燃え尽きちまうはずじゃないか」
 北川にも、打ち上げ直前の計画変更は疑問だった。
「そんなことも想定して設計されてるんだろ、斉藤?」
「もちろんだよ相沢。再突入して地上に激突したって、原子炉は絶対に放射能漏れなんか起こさないよ」
「だったら、被害の無いとこを選んで落としちまよ」
 宇宙飛行士の二人は、老朽化した衛星などに興味は無い。

「僕からも説明はしたんだがね、お偉いさんはどうしてもあの衛星を修理したいとのことだ」
「久瀬から話してもらっても、全然耳を貸してくれないんだよ」
 斉藤が情けない顔で訴える。
「衛星の制御が出来ないから、何処に落ちちゃうかわからないんだ」
「だけど陸地に落ちる可能性なんか低いだろ」
「確かにそのとおりだが、万が一北朝鮮に落ちでもしたら大事ではないかね?」
「で、俺達に修理しろと言うわけか」
「仕方あるまい。君たちが宇宙ステーションに運ぶ予定だった荷はNASAに頼むことにした。1週間ほど遅れるだけで特に問題は生じない」
「相沢、どっちみち宇宙に行けるんだから良いじゃないか。お前が嫌ならオレが行くぜ」
「いや、待ってくれ北川。解ったよ、俺たちにやらせてくれ」
「ははは、最初っから素直になれよ、相沢」
「それじゃあこの件はもういいね。後で詳しい資料を届けさせるよ」
「ああ」

 祐一と北川が席を立とうとするのを、久瀬が引き留めた。
「それと、もう一つあるのだがね」
「なんだよ、久瀬」
「栞君が、はしかに罹ったそうなのだ」
「子供の病気だな」
 今ごろ栞は、麻疹だらけでアイスでも食ってるんだろうと祐一は思った。
「いや、高熱が出て、人によってはかなり重い症状が出るらしい」
「そうなのか?」
「大人のはしかは結構辛いらしいぞ、相沢」
「でも、栞はバックアップチームじゃないか。なにが問題なんだ?」
「念のために一緒に暮らしている香里さんを検査したんだけど、陽性反応が出ちゃったんだよ」
「じゃあ、美坂は飛行停止になっちまうのか?」
「うむ、直前になって変更はしたくないのだが、搭乗員を交代させる」
「誰とだ?」
「北川、君だ」
「はえ?」



4.美坂家

「お姉ちゃんごめんなさい」
「いいのよ栞。悪いのはあなたじゃなくて、融通の利かない馬鹿な医官たちよ」
「怒ってないですか?」
「そんな訳ないじゃないの。さあ、病人は暖かくして寝てなさい」
「えう……」
「後で、アイスでも買ってきてあげるわ」
 香里はそう言ってリビングに戻った。

  はあ……
  本当はあたしだって悔しいわよ
  
”ぴんぽーん”

「誰?」
「オレだ、北川だ」
「こんな時間にどうしたの」
「いや、ちょっと気になったもんだからさ」
 北川はドアを開けようとしたが、香里がそれを止めた。
「北川君にまでうつしちゃ悪いわ」
「おっと、そうだったな」
 二人はインターホンで話している。
「なあ、今回のことは残念だけど、栞ちゃんを責めちゃ駄目だぞ」
「わかってるわよ、あたしだって7年前とは違うわ」
「そうだよな」
「あの子は私の妹よ」
「それを聞いて安心した」
「北川君、あの時のことは本当に感謝してるわ」
「いや、大した事じゃないって」
「北川君らしいわよね」
 香里がクスッと笑う。
「おっ、もう行かなきゃダメだったんだ。オレの腕じゃあ美坂に到底かなわないけど、ちゃんと仕事は果たしてみせるから安心してくれ」
「あなたなら大丈夫よ、頑張ってね」
「ああ」

 香里が振り返ると、ぶつぶつだらけでニヤニヤ笑う栞が居た。
「お姉ちゃん、7年前って何のことですか〜」
「え、栞?聞いてたの?」
「わたしの目を盗んで、夜中に密会とはお姉ちゃんもやりますねえ〜」
「そんなんじゃないわよ、あれは北川君よ」
「前々から怪しいとは思ってましたが、北川さんと何があったんです?」
「あたしの事じゃないわよ」
「え?」
「あなたが気を使うといけないから、今まで黙ってたんだけど……7年前の冬、あなたが酷い発作を起こしたことを覚えてる?」
「そんなことありましたっけ」
「そのときにね、北川君が奇跡を起こしてくれたのよ」
「えう?」
「いい機会だから話してあげるわ。栞、紅茶でも淹れてくれないかしら」



5.7年前の冬

「先生、何とかしてくださいっ」
「いつもの薬が効かないんです。私としてもこれ以上は……」
「あんたは医者だろう!」
 祐一が怒鳴る。
「医者も全能ではないんです」
「なにか方法は無いんですか」
 すがるように香里が聞く。
「無いわけでは有りませんが……」
「先生!お願いします」
「アメリカで、栞さんの病気に対する新薬が開発されたそうです」
「じ、じゃあ直ぐにそれを使ってください!費用がかかったって構いません!」
「残念ですが、まだ治験中で日本には入ってきていないんです。これから取り寄せるにも一週間はかかります」
「それまで栞は?」
「非常に厳しい状態です」
 医者は目線を合わそうとしない。

 どうしてあの子は、そんな辛い思いをしなければならないの?
 何年もこんなことの繰り返し
 もう疲れたわ
 妹なんて
 そう、あたしに妹なんて

「相沢君、あの子は何のために生まれてきたの?」
「香里……」
「奇跡は、起こらないから奇跡って言うのよね」
「まだわからないじゃないか。そうだろ北川!」
「ああ」
「何を根拠にそんな事を言うの?」
 あたしはもう嫌よ、妹なんて最初から居なければ良かったのよ……
「なあ美坂、人間ってのはみんなが平等に生まれてくる訳じゃないんだ。だけど栞ちゃんはお前を頼りにして、一生懸命頑張ってるんだぞ」
「わかってるわ、だから辛いのよ!」
「オレはさ、奇跡っていうのは可能性のことだと思ってる。少しでも希望があるんなら、出来ることをやるだけやってみるべきじゃないか?」
「もう、あたしには祈るくらいしかできないわ」
「なら、祈ればいい」

「相沢、ちょっと外に出よう」
 北川が、病室から祐一を連れ出す。
「どうした、北川?」
「ちょっと相談がある」

 ******

 深夜、新千歳空港。
「ん?なんだあの機は」
「空自の給油機ですね。滑走路に進入しようとしてます」
「そんな飛行プランが出てたか?」
「いいえ、該当ありません」
「そこの機、所属と識別を明らかにしろ」
「管制塔、こちら航空自衛隊相沢大尉。これからファイナルアプローチに移る」
「なんだと、そんな飛行計画は承認されていない!」
「おう、そんなもん貰ってないからな〜」
「もう1機。F−15です」
「同じく空自の北川だ、ちょっとアメリカまで行ってくる」
「貴様ら、何を考えてるんだ!」



6.姉妹

「そんな事があったのよ」
「むう……」
「北川君たちはね、NASDAに入る前は航空自衛隊にいたのよ。当時は宇宙計画なんて夢のような話だったから、ジェット機のパイロットが理想に一番近い仕事だったの」
「全然知りませんでした」
「奇跡なんて言う無責任な物じゃないわね、北川君は自分がやろうとしてる事を解ってたんだもの。結局、そのせいで自衛隊を首になっちゃったけど、NASDAが本格的な宇宙開発計画を発表したときに、あたし達と一緒に一期生として参加したってわけ」
「すごい人です」
「それがね、北川君はそんなに凄く見えないのよ。いつも飄々としてるし、こないだだって誘われて一緒にお昼を食べにいったんだけど、変な魚や見た事ない料理が出るたびに、『なんだこりゃあ〜』とか『美坂、これって食いもんなのか?』って大声で訊いてくるのよ。一緒にいるあたしのほうが恥ずかしかったわ」
 
 椅子にちょこんと座って話を聞いていた栞が、くわえていたスプーンをテーブルに置いた。
「どうしたの、栞?」
「お姉ちゃん、ちょっとそこに座ってくださいっ!」
「さっきから座ってるじゃない」
「むー、話の腰を折らないでください!」
「な、なによ栞」
「お姉ちゃんは、そんな北川さんをどう思ってるんですか」
「はあ?」
「可愛い妹を助けてくれた、白馬に乗った王子様のような人じゃないですか」
「栞、いいかげん大人になりなさい」
「信じられません。だからお姉ちゃんは鈍感でなんです。北川さんが可愛そうですっ」
「確かに北川君は良い人よ。でもそれは、あなたのためにしてくれたことじゃないの」
「お姉ちゃんは全然解ってないです。北川さんはお姉ちゃんのことが好きなんですっ。恋に落ちるのが当然です」
「あたしも北川君のことは好きよ」
「え、えう〜?お姉ちゃん、今度は大胆発言ですう」
「あなたの思ってる恋とか愛とかとは、ちょっと違うわよ」
「お姉ちゃん、言ってることがよくわかんないです」
「本当に信頼できる仲間、どんな状況でもお互いのことを思いやれる……そんな関係かしら」
「?」
「まあ、栞にはまだ理解できないでしょうね」
「また私を子ども扱いですか?お姉ちゃんは、いつもそうやって大人ぶってるんです。だから年増とか言われちゃうんですっ」
「しーおーりー、そんな事を言うのはこの口かしら?」
「いひゃい、おねーはんやめてくだひゃい〜」

 真夜中の住宅街に、仲の良い姉妹の笑い声が響いていた。



7.打ち上げ

 種子島の大崎射場に現れたHOPEは、その雄姿で見るものを圧倒していた。日本による初の有人飛行。その打ち上げを一目見ようと多くの人々が島を訪れており、多数の報道陣も詰め掛けていた。
 全長53メートル、直径4メートルのH2Aロケットは、最大限の補助ブースターを装着しており、中央に配置されたLE−7Aと、それを取り巻くように取りつけられたSRB−A。また、推力増強のためLE−7Aを2機搭載したLRBまで加わっている。

「久瀬、足並み揃ったよ」
「よしっ。諸君、打ち上げシーケンス開始だ」

『打ち上げ30秒前』

 スピーカーからの放送に、外の観衆がざわめく。

「北川、どうだ?」
「すべて異常なしだ」
「あゆ?」
「問題ないよっ、祐一君」
「名雪?」
「ゴーだおー」

『20秒前』

「天野?」
「準備完了しました」
「天野さん……ベルトを着用してるとはいっても、正座は危ないと思うぞ」
 北川が真面目に心配する。
「そうですか?この方が落ち着くんですが」
「ははは、天野らしいな」
 祐一の言葉にちょっとむっとした美汐が、不燃材で作られた巾着をごそごそと探る。
「なんだ、天野?」
「皆さんに、これをお持ちしました」
「ほう、お守りか」
「霊験あらたかな神社から貰ってきました」
「ありがとう。うん?」
「天野さん、安産って書いてあるよ」
 名雪が不思議そうに聞く。
「案ずるより、生むがやすしです」

『10秒前』

「はははっ、そうだな。それじゃあ出発前の祈りを捧げよう、相沢頼む」
「わかった……A.シェパードの祈りを」

『神よ、ドジらせたもうな!』

「いよいよだな、相沢」
「ああ」
「うぐぅ、緊張するよ」
「こちらHOPEの相沢だ。久瀬、準備は良いぞ。早いところ火をつけてくれ!」
「心配するな相沢、僕はドジなど踏まない」

『5』

『4』

『メインブースター作動!』

『2』

『1』

『イグニッション!』

 轟音を響かせながら、シャトルがゆっくりと発射塔を離れ、加速していく。

『STS−101「HOPE」発進!』

「相沢、速度・高度とも順調だ!」
「姿勢軸、正常だよっ」
「推力、問題なしです」
「ロール制御開始なんだよー」
「よーし、スロットル上昇に移るぞ」

『どんっ!』
 推力を増したシャトルは、光の点となって空に吸い込まれていった。

 発射塔からかなり離れたところ。フェンスにもたれながら、打ち上げを見守る香里がいた。
「行ってらっしゃい、潤」



8.衛星

「北川、あれが偵察衛星に見えるか?」
 打ち上げから数時間が経ち、HOPEは既に衛星を視認出来る位置についていた。 
「変だな、相沢」
「祐一、すごい大きさだよ」
「ああ、軽く1トンは有りそうだ」
「当時の技術でも、もっと小さく作れるはずですが……」
「天野の言うとおりだな」
「それに、変な回転がかかっちまってる」
「うーん厄介だな、あれじゃあシャトルのアームで掴めない」
「まずは姿勢を安定させないとなぁ」
「出来るか?北川」
「ああ、先ずオレが泳いで行けるくらい近づいてくれ。衛星の内部に入って姿勢を制御させよう」

 あゆが、スラスターを噴射しながらゆっくりとシャトルを衛星に近づけた。
「よーし、これぐらいで良いだろう。俺と北川が船外に出る。シャトルのほうは頼んだぞ」
「了解だよっ」
「じゃあ、その間に私たちはご飯にするんだよ〜」
「そうですね水瀬さん。少々お腹が空きました」
「うぐう、ボクもだよっ」
「私が後部の倉庫に取りに行ってきますが、お二人は何にしますか?」
「やっぱりイチゴかな」
「ボク、タイヤキっ!」
「……そんな物を積んでる訳は無いでしょうに」 

 ******

 不恰好な宇宙服を着込んで船外に出た祐一と北川は、完全に心を奪われていた。ソ連のユーリ・ガガーリンは地球を周回しながらずっと「わたしは鷹だ!」と叫んでいたそうだが、その気持ちが良くわかる。
 無重力に身を委ね、北川と祐一の二人は青く輝く地球を見下ろしていた。
「相沢、すげえよ」
「本当だな」
「地球ってこんなに綺麗だったんだな」
「なんか、厳かな気分になるな」
 仕事も忘れ、ぼーっと見とれていると、シャトルから通信があった。

「祐一っ!」
 自分の周りに、沢山のイチゴのへたを漂わせた名雪だった。あゆはタイヤキを”泳がせて”遊んでおり、古風な美汐は、今では珍しい水を入れて吸う宇宙食を不味そうに食べていた。
「どうした名雪?」
「二人とも、ずるいんだよー」
「いや、悪い。あんまり景色が良いもんだからさ」
「ボクたちも、外に出たいよっ」
「相沢さん、早く修理を終わらせてください」
「どうしてそんなに急ぐんだ?天野」
「残った時間で……私たちが船外にでたいんです。許可して下さい」
「物腰のおばさんくさい天野でもそうなるか?」
「失礼な。上品と言ってください、上品と」
「と、言うわけだ。北川、さっさとやっちまおう」

 北川は笑いながら衛星にたどり着くと、改めてその大きさに驚いた。それに、形態が一般的な偵察衛星とはっきり違う。
「よーし、相沢。中に入ったぞ」
「制御できるか?」
「おう、多少旧式だが何とかやれる」
 北川が衛星の中に入って数分後、内部のプログラムを修正し、衛星は回転を止めた。
「やるじゃないか、北川」
「これくらい軽いって。でも、こいつは一体ナニモンなんだ?」
「偵察衛星には見えないな」
「奥の方まで入ってみるかな?」 

 衛星の深部で、北川は信じられないものを見た。

「久瀬、内密な話がある」
 衛星内部に居る北川から、彼らしくない真面目な声の通信があった。
「どうしたのだ?北川」
「関係者以外に聞かれると、ちょっとまずい」
「解った。少し待ちたまえ」
 久瀬の指示で、管制センターが外部と遮断される。
「もう話しても構わんぞ、何かトラブルかね?」
「この衛星は、偵察衛星だと言ってたよな」
「ああ、そうだが」
「衛星の中に入ってみた……何があったと思う?」
「原子炉に問題でもあったのかね」
「ミサイルだ!」



 9.防衛庁

「一体どういうことなのだ?説明を求めるっ!」
 久瀬は、斉藤を連れて防衛庁に乗り込んでいた。
「まあ、落ち着いてください」
「宇宙空間の軍備は、条約で禁止されているはずではないか!」
「久瀬さん、何を今さらその様なことを言われるのです?兵器や戦争と言うものは、元々非人道的なものではありませんか」
「なんだと」
「ロケットといえども、その技術の開発には戦争の影響を受けてきたのです」
「日本は違うよ、僕たちは平和的な宇宙開発のために働いてるんだ」
「斉藤さん、日本初のロケットは何だと思います?」
「もちろんペンシルロケットだよ」
「違います。日本初のロケット推進機関は、『秋水』です」
「え?」
「終戦真近に、潜水艦でドイツから設計図がもたらされたのです。B29に対抗するための高機動戦闘機の技術として、ロケットエンジンの関連情報を入手した我が国は、その設計図を基に試作機の製作に成功しました。それが『秋水』です。悲しいことですが、日本はその他にも人間ロケット爆弾ともいえる物を開発していたのです」
「だが、終戦後それらの開発は連合国によって禁止させられたはずではないか」
「ええ、ですが秘密裏に基礎研究だけは続けられていた様なのです。そして1952年のサンフランシスコ講和条約によって、公式に日本のロケット開発が可能になったとき、一時、ロケット開発は自衛隊の管轄に置かれ、各国のミサイルや弾道弾の研究を併せて行っていたのです」
「うーむ」
 久瀬が渋い顔で唸った。
「でも、衛星に核弾頭を配備するなんて狂気の沙汰だよ」
「斉藤さん、何故核ミサイルだと思うのですか」
「じゃあ、違うのかい?」
「ええ、核だった方がよっぽどマシです」
「なに?」

「ご説明しましょう」
 軍人は金庫から書類を取り出すと、久瀬に放り投げた。
「あの衛星は過去の遺産です。
 資料もほとんど残っておらず、私も詳しいことは判らないのですが、北朝鮮の核開発とミサイル配備におびえたわが国は、極秘にミサイルを開発して衛星に搭載した様なのです」
「核ではないとすると、通常弾頭なのか?」
「あの頃の日本には、それほど重い弾頭を打ち上げられるだけのロケットはありませんでした。お二人は、RM−500というものをご存じですか?」
「うむ、聞いた事はある」
「久瀬、それってなんなんだい?」
「宇宙空間で採取された、細菌の原種か何かではなかったかね」
「宇宙で生きてる細菌だって!」
「厳密に言いますと、細菌を媒体としたウイルスの一種のことです」
「研究室で、かなり厄介なことになっていると聞いた」
「ええ、過酷な宇宙空間でさえ生きているウイルスです。地上の環境では爆発的な速度で増殖します」
「その菌……いや、ウイルスがどうしたというのだ?」
「政府関係機関の科学者が眼をつけてしまい、もの凄い物を作り出したのです」
「作り出した?」
「放射線の照射や、継代培養による突然変異で出来た代物です」
「BC兵器という訳か……」
「なんだ、生物兵器なのかい?」
 斉藤は核弾頭でないことが解り安堵したが、
「斉藤さん、確かに現在知られている生物兵器は大したことはありません。炭疽菌などは空気中では生存できませんし、様々な条件下で予想通りの波及効果はまず見込めませんがRM−500系列のウイルスは全く違います」
「どれほど危険なのだ?」
「ウイルス自体の感染による死亡率は約65%。ですが複合感染の場合90%以上に跳ね上がります」
「我が国の世界最高クラスの医療機関でも被害を防げぬのか?」
「久瀬さん、ウイルス性疾患に効く薬がどれだけあると思いますか?」
「専門外のことで、良くは知らんが」
「たった4種類。特定のウイルス……ヘルペスウイルス性角膜炎の特効薬5ヨード2デオキシュリジンを始め、効果が確認されているのは、現在でもそれだけです」
「でも、そんな……」
「斉藤さん、これが現実です。インターフェロンも理論研究中ですし根本的な治療方法はありません。できる事と言えば対症療法くらいです」
「対症療法とはなんなのだ?」
「要するに、座薬を入れて暖かくして寝てろということです」
「信じられん!」
「だから私が言ったのです。科学的に被害が算定できる核弾頭のほうがよっぽどマシだと。あの衛星には、RM−519……生物兵器として改良された19代目のウイルスを載せたミサイルが5基配備されているのです」

「狂ってるよ」
 ショックを受けた斉藤が呟いた。
「私もそう思います」
「今さら何を言うのだ。自衛隊が指導した計画なのだろう?」
「久瀬さん、これだけははっきり言わせて下さい。こんな物を配備したいと思う自衛官は一人も居ません!」
「では、誰がやったというのだ?」
「政治家ですよ」



10.過去の遺産

「相沢、えらい事になっちまったな」
「中の様子はどうだ?北川」
「4メートル位のミサイルが5本ある。何十年も前から、こんな物が俺達の頭の上を飛んでたとはなあ」
「嫌な話だ」
「で、どうする?」
「ミサイルを外して、シャトルに積んで持って帰れないか?」
「無理だな。いま見てるんだが、ミサイル本体はかなり古い。こんなものを持って帰るのは危険すぎる」
「じゃあ、どうすればいい?」
「持ってきたPAMロケットを衛星に取り付けて、噴射させよう」
「だが北川、軌道面に戻しても根本的な解決にはならないんじゃないか?」
「相沢、今のところそれしかできないだろ。
 とりあえず降下を止めて、次の打ち上げで準備を整えた搭乗員を派遣すればいい」
「仕方ないな」
「俺はこのまま衛星の中にいるから、シャトルのアームで衛星を捕まえてくれ」
「わかった。あゆ、頼む」
「うぐう、了解だよっ」
 あゆはレーダーを作動させて、ゆっくりと接合部にアームを近づけていく。

『ピッ……ピッ……』
『ピッ・ピッ・ピッ』

「うん?」

 北川は、衛星が何かに反応するように制御板のランプを点滅させるのを見た。
「月宮さん、レーダーを切れっ!」

『ピピピピピピ』

「え?どうしたの北川君?」
「自己防衛機能がある!レーダー照射に反応してる!」
『バシューーー』
 衛星が推力を噴出させ、大きく回転し始めた。
「だおーだおー、危ないんだおー!」
「太陽電池パネルがぶつかるよっ!」
「月宮さん、早く回避を!」

『ガガガゴスッツ…ゴガガガガ……ガンッ』
 慌てたあゆの操作は間に合わず、衛星がシャトルに激突した。
「うぐうーーー、姿勢制御おかしいよっ」
「祐一、衝撃と揺れを確認。マスタアラーム点灯っ!」
「メインコンピュータが自動的に再起動してます」
「うにゅ、アームが折れちゃってるよ!」
「操作盤がショートしたよっ」
「か、火事だおー」
「内部気圧が低下してます。水瀬さん、各部の気密を確認してくださいっ」
「うぐぐっ、警告表示がほとんど点灯してるよっ」
「おい、あれを見ろ!」
 祐一の通信に、応急処置を急ぐシャトルの搭乗員が見た物は、北川を乗せた衛星が、どんどん地上に向けて降下していく姿だった。

「天野、久瀬と回線を繋いでくれ!」
「了解しました、相沢さん……どうぞ」
「すまん久瀬!衛星はもう手遅れだ。どんどん降下してる!」
「どういうことだ相沢!」
「衛星の自己防衛反応で接続アームが損傷。シャトルも被害甚大だ!北川は衛星に取り残された!」
「なんだと!斉藤、急いで落下予測を出すのだ。周辺地域に警告を出さねばならない!」

 数分後、久瀬の前に立つ斉藤の顔は蒼白だった。
「久瀬……94%の確率で、日本に落ちる……」



11.北川

 シャトルに戻った祐一に、北川からの通信が入った。
「相沢、無事か?」
「お前こそ、さっさと脱出しろ!」
「もう、無理だ」
「いいから直ぐに衛星から出るんだ!俺たちが拾ってやる」
「相沢、他の搭乗員のことも考えろよ。シャトルも結構やられてるんだろ?」
「確かにそうだが……」
「それにな、こいつが地上に落ちたらどうなる?」
「そんなこと、解るわけ無いだろう!」
「相沢」
「なんだ北川」
「もう、PAMロケットじゃ衛星を軌道に戻せない」
「何か方法があるはずだ」
「おう、1つ思いついたぞ」
「どうする気だ?」
「……オレは、子供の頃から宇宙に憧れてたんだ。アメリカのジェミニやタイタンロケット、ソ連のスプートニクの本を貪るように読んだぞ。でもな、一番好きなのはアトラスを使ったアポロ計画だ」
「何が言いたいんだ?北川」

 ******

 管制センターで仮眠をとっていた香里が、NASDAの職員に無理やり起こされた。その職員は不機嫌な香里をモニターの並ぶコンソールに座らせると、どこかへ行ってしまった。
「美坂……」
 誰もいない管制室で、モニターに北川の顔が映し出された。
「どうしたの北川君?」
「…………」
「らしくないわね、何か用なの?」
 数十もある大小のモニター全てで、アンテナが揺れていた。
「美坂、顔はぶつぶつだらけか?」
「あいにくだけど発症はしてないわ。栞ももう治ったみたいよ」
「だったら、そのマスクを取ってくれないか?」
「だめよ、他の人に感染っちゃうかもしれないじゃない」
「お願いだ」
「仕方ないわね」
 香里がマスクを外す。
「綺麗だ」
「な、なに馬鹿なこと言ってるのよ」
 香里が真っ赤になって慌てる。
「月なんかより、近くにもっと綺麗なものがあったんだよな」
 北川は、モニター越しにじっと香里を見つめる。
「…………」
「…………」
「北川君、なんかおかしいわよ?」
「…………」
「何かあったの?」
「いや、なんでもない……悪かったな、じゃあまた後で」
 にこっと北川が笑うと、アンテナがぴょこっと揺れた。
「うん、じゃあね北川君」
 映像が消え、通信が終了した。

「北川、これで良かったのか?」
「相沢、お前たちは早く帰還しろ」
「北川君、やっぱりこんなことおかしいよっ」
「これでいいんだ」
「北川さん、何故こんな事になってしまうんですか?」
「オレにも良くわかんないんだ」
「なあ、やっぱり何か他の方法が……」
「無い」
「だけど」
「水瀬さん、美坂や栞ちゃんによろしく伝えてくれ」
「うん……」

「さあ、あの月までぶっ飛ばしてくれ!」
 北川は衛星に自分の体を縛り付けると、月に向かって5基のミサイルに点火した。



12.地上

 消沈しながらも損傷したシャトルを操り、なんとか祐一たちは地球にたどりついた。北川は地球から充分に離れたところでミサイルを発射し、地上に弾頭が到達することはなかったが、一部の関係者を除いて今回の飛行ミッションの真意は厳重に隠蔽されたため、”事故”を起こしたNASDAと搭乗員へ、無責任な非難が浴びせられた。
 祐一たちは北川を失った悲しみを抑えながら、歯を食いしばってそれらに耐えた。

 帰還の日の夜、誰が言い出したわけでもなく宇宙飛行士たちが庭に集まった。
「祐一、北川君は月にいけたのかな?」
 名雪が夜空を眺めながら言う。
「ああ、奴のことだ……きっと行けたさ」
「あそこで、ずっと私たちを見守ってくれるのかな?」
「愚かしい俺たちをな」
「祐一君、どうして北川君がこんな事になっちゃったの?」
 あゆは泣きそうな顔をしている。
「北川さんは、何にも悪くないのにですう」
「ふえ……自己犠牲が強すぎますよ」
「そうだな、だけど北川が自分で決めた事だ」
「……でも、悲しい」
「馬鹿な連中の後始末を、いつも北川の様な奴がやらされるんだ」
「でも、北川さんがしたことは立派なことではありませんか?」
「違うな天野。北川はそうせざるを得なかったんだ。優しい、良い奴だからこそ、自分がやらなきゃならないと思ったんだろう」
「でも、私たちの他は誰も北川君がやったことを知らないんだよ」
「名雪、奴は英雄だよ」

「英雄ですって」
「香里?」
「相沢君、どうして英雄なんかが必要なの?どうして北川君を止めてくれなかったの?」
「……すまない」
「あたしは絶対に認めないわ!」
「香里、気持ちはわかるけど……」
「そんな話は聞きたくないわ!おかしいわよこんな事!北川君を……あたし北川君を勝手にそんな人にしないでよ!あたしは……不器用で、馬鹿みたいで、デリカシーの無い……だけど暖かい。そんな北川君が好きなのよっ!誰かの犠牲の上に成り立ってる世界になんて、あたしは生きて居たくないわ!」
「お姉ちゃん……」

 その日から香里は家に引きこもり、祐一や栞の説得にも心を閉ざしてしまった。



13.地球を目指す男

 4日後。ハワイにある天体観測所が妙な信号を捉えた。巨大な電波望遠鏡によって捕捉された、宇宙からのシグナルだった。

『み・ゃか・ああ〜……みし・ゃ・か…』

「ノイズでは無いようなんですがねえ」
「発信源は何処だ?」
「地球と月のちょうど中間辺りです」
「宇宙人か?」
 観測所の職員が冗談を言う。
「ははは、だとしたらかなり弱ってるみたいですよ」

『みしゃかあ〜……かおりい〜』

「みさかかおり?」
「宇宙飛行士のか?」
「とりあえず、NASDAに問い合わせろ」

 ******

「信じられないけど、月からの自由帰還軌道に乗ってるよ」
 祐一は呆れた。北川の奴は、月を周って戻ってきたというのか?コンピュータも、外部誘導もなしに30万キロを飛んで?確かに北川は月に向かったし、引力の影響によって月の裏側を回ってUターンして、軌道修正を一切やらずに地球に帰ってくることも不可能じゃない。だが、自由帰還軌道と呼ばれる軌道の設定は非常に難しく、許される許容範囲も非常に狭い。
 まさに奇跡としか言い様がない……
「計算だと、北川を乗せた衛星はあと2日で地球に再突入するよ」
「本当に北川は生きてるのか?」
「斉藤君!どうなのっ!」
 香里が斉藤に詰め寄る。
「のまず食わずで1週間だけど、可能性はあるよ。北川はPAMロケットを持ってったんだよね」
「ああ、そうだ」
「あのロケットには燃焼用に液体酸素を積んでるんだ。もし北川がそれを使えれば、1週間は優に呼吸できるくらいの量があるよ」
「じゃあ、北川君は帰って来られるんだね?」
 名雪が嬉しそうに言う。
「ふえ〜、斉藤さん、突入角度はどうなってます?」
「6.45でいい感じだけど、衛星には遮熱板なんか付いてないよ、倉田さん」
「……4000℃」
「そう、川澄さんの言うとおり。このままじゃ衛星もろとも黒焦げになっちゃうよ」
「お願い、北川君を助けて」

 香里が懇願するが、久瀬が渋い顔で言う。
「もちろん、僕としてもそうしたいのだが……」
「久瀬、何でも良いから打ち上げられる物で救急チームを派遣しろ!」
「無理を言うな相沢。HOPEは修理中だし、2日では打ち上げ準備などできない」
「何か手はないのか?」
「先ほど、大臣と会議を行った」
「さすが行動が早いな。で、どうやって救出するんだ?」
「大気圏外で……迎撃、破壊することが決まった」
「なに言ってるのよ!あれは北川君よ!北川君は生きてるのよ!」
「僕だって解っている!」
「久瀬、まだ奴らの言うことを聴くつもりなのか?あいつらはミサイルを配備しただけじゃなく、今度はそれをもみ消すつもりなんだぞ」
「祐一君の言うとおりだよっ」
「しかし、政府の決定なのだ」
「あはははーっ、そんな国の言う事なんて佐祐理は聞きませんよ〜」
「……北川はいい人、だから助ける」
「あったりまえよ!真琴も協力するんだから!」 
「奴らが北川を殺すというなら、俺たちで助けるしかない」
「だけど相沢、どうやって救出するんだい?もうそんなに時間がないよ」
「うーん」
「なんだ相沢?あれだけ僕に説教をしたというのにプランは無いのかね」

「久瀬さん、打ち上げられるロケットは全く無いのですか?」
「そうだ天野君。残念だが有人飛行ができるロケットなど、日本では1基も用意できない」

 日本には?

「そうよ!まだ希望はあるわ!」



14.KANON

「うぐう……ホントにやるの?祐一君」
「そうだよ、こんなことしたら拙いよ相沢」
 あゆと斉藤は、さすがに怯んでいた。
「北川を助けるためだ!」
「あはははーっ、ちょっと借りるだけですよ〜」
「そう、ちゃんと返す……」
「皆さん人として不出来です。ですが、私も賛成です」
「男なら腹をくくりたまえ、斉藤」
 意外と久瀬も乗り気だ。
「よし、行くぞ!」

 佐祐理さんが手に入れたIDカードを使って、祐一たちが建物になだれ込む。
 行く手に、警備員が詰めるガラス張りのブースがあった。
「名雪、アレを頼む」
 言われて名雪が瓶を取り出すと、ドアの隙間から転がし込んだ。

 ころころ……ボムッ

 これで12時間は意識不明になる。後遺症も全く無い。だって、秋子さんのジャムだし。

「ふえ?ここだけセキュリティコードが変えてありますね〜」
「開かないの?……」
「あはははー、佐祐理に任せてください」
 天真爛漫の微笑で、佐祐理さんがプラスティック爆弾をドアに沿って貼り付けていく。
「いきますよ〜」
『どんっ!』
 ドアは、ものすごい勢いで吹っ飛んでいった。
「はえ〜、また量が多かったようですねえ〜」

 爆音の中、舞が剣をかざしながら飛び込む。
「川澄さん、本当に切っちゃダメですよ」
「峰打ちだから……」
「ちょっと待て舞、お前の剣は両刃だろうが」
「大丈夫……ほとんど切れない……」
「あはははー、佐祐理がちゃんと研いで置きましたよ〜」

 あゆがタックルで倒し、美汐がガムテープを使って警備員を拘束しながら、祐一たちは一気に管制室に突入した。管制室では、HOPEの替わりに宇宙ステーションへ機材を運ぶこととなったスペースシャトルの打ち上げを明後日に控え、最終シミュレーションが行われていた。
 壁に取り付けられた大きなカウントダウン時計は「00:10:40」を示している。

「あはははー、命が惜しかったら手向かいするんじゃありませんよ〜」
 武器を持った美少女たちの登場に、アメリカ人たちは呆然としていた。いや、それ以上に久瀬の格好にカルチャーショックを受けた。
「久瀬、恥ずかしくないのかい?」
「なにがだ斉藤?」
 久瀬は、さらしに六尺褌だった。
「久瀬家の家訓だ。男子、事に望むにはそれなりの出で立ちが求められる」
「いや、だけどさ」
「京都の老舗に特注した。君の分も用意してある、早く着替えたまえ」
 久瀬は一番高所のコンソールから、アメリカ人たちを見下ろしながら言い放った。
「作業をを再開したまえ!これはシミュレーションではない。本番の打ち上げだ!」
 褌に着替える斉藤を見て、女性の管制官がぎゃーぎゃー騒いでいるのを見つけると、久瀬は、ずんずん目の前まで歩いて行き、腰に手を宛てて言った。
「マーム、仲間を救うためなのだ。協力してくれたまえ」
 座っていた彼女は、顔を覆った手のひらからこわごわ覗きながら、小声で言った。
「グレイト……」

 ******

”パラパラパラパラ”
「あと5分ですよ」
 秋子さんが、サングラス越しに振り返る。
「じゃあ、そろそろ準備するね」
 真琴が装備の点検を始めた。
「あの、秋子さん?」
「なんですか、香里さん」
「何処からこんなものを持ってきたんですか?」
「機密です」
「ですけど……」
「今回は、時間が無かったので大変でした」
「赤い星がついてますう」
「栞ちゃん、あなたは何も見なかった。そして私はここに居なかった。いいですね?」
「えう?」
「私としては、Ka−50ホーカムの方が良かったんですけど」
 固まる香里と栞をよそに、秋子さんは、快調にソ連製攻撃ヘリコプター「Mi−24」を飛ばしていた。

「秋子さん、本当に済みません」
「あらあら香里さん、どうして謝るんです?」
「関係無い秋子さんまで、こんなことに巻き込んでしまって……」
「香里さん」
「はい?」
「名雪から話は全て聞きました。あの子ったら、自分の事のように私に助けを求めるんですよ。あなた方のやろうとしている事は間違いではありません。私も皆さんの仲間に入れていただきます」
「え?」
「こんなおばさんじゃ駄目ですか?」
 秋子さんが悪戯っぽく微笑む。
「あ、ありがとうございます。北川君は絶対にあたしが助けます!」
「わたしも一緒ですう」
「何が一番大切なことか、自分でちゃんと判断したんですね?」
「「はい」」
「北川さんを救出できても、その後あなた方がどうなるか解っていますね?」
「「はい!」」
「良い返事です。やっぱり若いって良いわね〜」
 秋子さんが頬に手をやりながら、片手で操縦桿を操る。
「私にもそんな頃がありました」
 なぜか嬉しそうに頷く秋子さん。

「そろそろですよ。香里さん、栞ちゃん、用意はいいですか?」
「あたしも栞も、こんな訓練を受けたことがありませんけど……」
「大丈夫です。ぴったり真上に付けます」

 ******

 一方管制室では、
「相沢、警備員が騒ぎ出してるよ」
「火災報知機のボタンを押せ、通路を遮断するんだ」
『ジリリリリーーー』
 耳障りなベルの音がして、防火シャッターが下りる。
「くそっ、香里たちはまだか?」
 祐一は、通信機に向かって怒鳴った。
「香里、どこにいるっ!」
「相沢君、これから降下するわ。あと5分だけ待って!」
「早くしてくれ!こっちは長くは持ちこたえられないぞ!」
 秋子さんの飛ばす攻撃ヘリから、香里と栞が発射塔の最上部に降下した。
「相沢君。今、ヘリから降りたわ」
「解った、急げ!」
『ドガッ ドスッ ベキッ ズズ、ズルズル……』
 通信機から、変なノイズと悲鳴が聞こえた。
「香里……今のは何の音だ?」
「搭乗員は引きずり出したわ!準備完了!」
 やっちゃったんですね香里さん……。

「では始めよう。斉藤、機器の取り扱いは解るな?」
「大丈夫だよ久瀬。アメリカも日本も使ってるハードは同じ台湾製だよ」
「それはそれで嫌な話だな」

『FIDE?』
 斉藤が確認を求める。が、アメリカ人は応じようとしない。
「……Do you copy?」
 舞が切っ先を向ける。
「はえ〜、頑固な方ですねえ〜」
 佐祐理さんがM−16を構えて、いきなり天井に向けて一連射した。
 天野が怪しげな呪具を取り出して言う。
「早くしていただけなければ、七代まで祟ります」
 あゆは、アメリカ人管制官の一人一人にタイヤキを配っていた。あゆ曰く「タイヤキをあげれば何でもしてくれるよっ」とのことらしい。

『FIDE?』
 斉藤が再び訊く。 
『GO……』
 発砲に怯えた男から確認が取られた。

『GUIDANCE?』
『GO……』
 美汐のまじない用に残り少ない髪をむしられ、泣きながら報告がある。

『EECOM?』
『GO!』
 太ったアメリカ人が嬉しそうにタイヤキを頬張っていた。

『GNC?』
『GO!』
 顔を赤らめながら、女性の管制官がうっとりと久瀬を見つめている。

『BOOSTER?』
『We're Go Flight!』
 研修でNASAに出向していた倉田一弥が、ニコニコしながら言った。

「久瀬っ、足並み揃ったよ!」
「よし、最終段階だ」
「香里!頼んだぞ!」



『T−Mainus 5seconds』

『4』

『Main Engine Start!』

『2』

「動くな!合衆国海兵隊だ!」

『1』

 ・

 ・



「ほう、僕は久瀬だ」
 褌一丁の久瀬が余裕で応える。

『IGNITION!』

 轟音と共に、フロリダの発射塔から予定に無いスペースシャトルの打ち上げが行われた。

『STS−261「KANON」LIFT−OFF!』





「今行くわ!待ってて、潤!」

「お姉ちゃん、かっこいいですうっ」

「潤を助けたら、そのまま一緒に月まで行っちゃおうかしら?」

「いいですねえ〜行きましょう、お姉ちゃんっ!」





 そう、それは北川君が教えてくれた

 遠い空の向こう






 終 劇



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