「方程式」
 作:Q.Mumuriku




 20XX年。人類はようやく地球外知的生命体と接触し、友好的な関係を樹立することに成功。彼らが持つ驚異のテクノロジーは惑星間の航行をいとも容易く実現させ、人類は、新たな大航海時代よろしく銀河の海へ旅立っていった。増加の一途を辿る人口は居住可能な惑星への移民を生み、天然資源の枯渇から、より遠方の星まで専門家による探査班が派遣された。
 この物語は――そんな時代に生きた一人の男の、苦難に満ちた旅を記した物である。



1.宇宙船

「オヤ、ドウシタキタガワ?」
「ちょっと待ってくれ」
「サンカイメダゾ」
「数えてやがったのか」
「アタリマエダ」
 貨物を満載した宇宙船の船内は狭く、操縦席に一人座る北川が癖毛を捻りながら考え込んでいた。退屈しのぎに打っていたAI相手の囲碁は、多分今回も負けそうだ。
 フリーランスの自営業者である北川は、大手元請けから受注した配送業務に就いていた。しがない下請けの立場のため今までかなり面倒な仕事を請け負ってきたが、今回も遠く辺鄙な惑星まで緊急に医療品を運べと言われ、18時間前に月の配送センターから飛び立ってきた。到着時間は厳密に決められており、オンボロ宇宙船には限界の輸送になるが報酬は魅力的だ。
 北川が駆るDOHC25万バルブ、ツインターボ(マニュアルワープチャージ機能付き)の宇宙船は中古でもそれなりに値が張る代物で、5年間倹約しながら仕事に精を出したがローンはまだ半分以上残っている。ちなみにエンジンはマツダ、バッテリーはユアサだ。若干割高ではあるが、地球産の製品を選んでいるのはその品質と北川のこだわりからである。
「サッサト打テヨ」
「うーん……」
 北川があんパンと牛乳の食事をとリながら唸っていると、目の前にあるマスターアラームがけたたましいアラーム音と共に点灯した。
「一体なんだっ」
「ナンダロナ?」
「さっさと異常を調べろよ、アイザワ」
「ヒトヅカイ荒イゾ」
「それがお前の仕事だろうが!それに人じゃねえ」
「アーア、嫌ダネェ。ソンナ差別スルワケ?」
 AI:Zaw−α型(made in japan.earth)それがこの性格の悪いコンピュータの正式型番だ。惑星間航行を支援する人工知能だが、北川はアイザワと呼んでいる。ややこしいがプログラムを組んだのが友人の相沢で、経費節減のため専門業者に出さず安く頼んだところ、何故かこんな代物が引き渡された。退屈しない事は保証するが、少々むかつくことも多い。

「キタガワ、ワカッタゾ」
「原因は何だったんだ?」
「燃料リュウリョウガ異常ダ」
「どれくらい?」
「マイフン0.93テイド。規定ノソクドニ達スル航法プログラムガ優先サレタカラナ」
「燃料の残量は大丈夫だよな?」
「……2.3%チョウカシタ」
「安全マージンの半分以上食われたのか!ちゃんと監視してろよアイザワ!」
「オマエガ暇ダカラッテ、囲碁ノ相手ヲシテヤッタンジャナイカ」
「あと6時間でワープ航路の入り口に到着しちまう。燃料はもつのか?」
「チョット待テ、計算スル……」






2.問題

「計算オワッタゾ」
「どうなんだ、アイザワ?」
「コノママ光速ノ98パーセントマデ加速シテ、ワープハ可能ダ。目的ノ星ノ周辺マデハイケル」
「周辺ってなんだよ」
「タブン逆噴射ニヨル減速ガ不十分ニナルカラ、惑星ニ激突スルカ大気摩擦デ燃エ尽キル」
「駄目だろそれじゃ!」
「ソレニ航路1192ハ、ローカル路線ダカラ――イッタン料金所デ規定ノ速度マデ減速シナキャナラナイ。再加速でカナリ燃料ヲ喰ウ」
「料金所はそのまま抜けろ!」
「宇宙航路公団ノ、パトロール船ニ捕マルゾ」
「仕方ないだろーが。身元が割れないように、後でオレが船体のナンバープレート外しとく」
「リョウカイダ。航法プログラムヲ変更シテ再計算シテミル」
「直ぐに加速を中止して、燃料節約の為に銀河系内は速度を落として飛べばどうだ?」
「エート、着陸ハデキルガ契約ノ時間ニ遅レル。ソレデモ良イカ?」
「それは拙い……」
 北川は、先週取り交わした運送契約書の文面を思い出していた。報酬は高額で宇宙船のローンを繰り上げ償還できる程の額だったが、万一荷物が届かなかったり1分でも指定時間に遅れた場合は、請負人が契約額の2倍の金額を賠償しなくてはならない。今まで順調に仕事をこなしてきたため特に考えもせずにサインしてしまったが、そんな負債を被れば破産する。

「しかし、なんでそんなに燃料の使用が多いんだよ」
「他ニ異常ハナイシ……キット重量超過ジャナイカナ」
「出航前にお前がグラム単位まで計算したんだろ? 重量制限だからってオレはゲーム機さえ置いてきたんだぞ」
「俺ハチャント仕事シタゾ、キタガワ。計画デハ4.5%――ヤク2立方メートル、1.5時間ノ最大噴射ニ耐エル予備燃料ガアルハズダッタ」
「でも無いんだろ、予備」
「ハイ……」
「理由は?」
「ワカラナイ。現在モ超過リュウリョウガ続イテル」
「アイザワ、お前なんか持ち込んだのか?」
「AIノ俺ガ?」
 二人――もとい、一人と人工知能が言い争っていると、カーゴベイ脇の掃除用具入れでガタッと音がした。
「ん、誰か居るのか?」
「ミッコウシャ?」
「推力不足はそいつの質量のせいじゃないか?」
「デモ、0.93ノ超過燃料リュウリョウナラ、0.2トンニ相当スル計算ダケドナァ」
「わからねえぞ、アイザワ。中から小錦みたいなのが出てくるかも知れない」
「キタガワ、銃用意シロ、銃」
「おう」

 北川が銃を構えてにじり寄り、用具入れの戸を開けると――中からは華奢な少女が現れた。
「えう……」
「へ?」
「見つかっちゃいました」
「君は一体?」
「どこか遠くへ行ってみたかったんです、元気なうちに」
「はあ?」
 いまいち言ってることがおかしい子だった。顔立ちは可愛いのに、影が薄くて生気が感じられない。
「キタガワ、コノ子ガ0.2トンモアルヨウニハ見エナイゾ」
「君の体重は200キロもあるのか?」
「そんなわけないです」
「ソリャソウダ」
「何か他に、重い物を持ち込んでないだろうな」
「重たい物ですか?」
「ソウダ」
「そうですねぇ……」
 少女は口元に当てていた手をポケットに入れ、ごぞごそ探り始めた。
「いや、身につけられる程度なら関係ないんだ……って、ああっ?」
 ポケットからは大きな重箱が出てきた。
「どうやって入ってたんだ、これ」
 北川が、少女と重箱を見比べながら訊いた。
「ブツリテキニフカノウダ」 
「君のポケットは……あああーっ?」
 一つじゃなかった。しかもでかい。






3.重量

 積み上げられた箱の脇で、パンパンとスカートを直した少女が言った。
「お弁当です」
「凄い量だな」
「遠くに行くと思ったので、頑張って作ってきました」
「コメガ113キロ、オカズガ47キロ……ショウショウバランス悪イナ」
「じゃあ、本体は50キロか」
「わたしはそんなに太ってないですっ。それに本体ってなんですか、失礼です」
「アッ」
「ん?どうしたアイザワ?」
「スミマセン……デザートガ9.17キロデス」
「むぅ、よろしい」
「何がよろしいなんだか」
「北川さんは少女の健気な意地がわかってないんです」
「君こそわかってない!こんなに重い物を持ち込むなんて!」
「はい?」
「この宇宙船は君のせいで危機に陥ってるっ」
「ソウソウ」
「えう……どうしましょう」
「急いで食べるんだ!」
「ハア?」
「こうしている内にも貴重な燃料が消費されてるんだ!早く蓋を開けてくれっ」
「は、はいっ」

 一段目
「おおっ、一面米だけかーっ」
 ガツガツガツガツ
 二段目
「ゆかりと山菜風味のおむすびかっ、量がハンパじゃないぞっ」
 モグモグモグモグ
 三段目
「やっとおかずだっ、ん? このハンバーグは冷凍物じゃないな」
「わかりますか?」
「ああ、いい味出してる。野菜が多いのも独り者のオレには嬉しい限りだ」
「良かったです」
 四段目
「お、こいつは何だ?」
「リゾットです」
「喰ったこと無いけど、洋風おじやみたいな物か?」
 五段目
「何故おでんっ!」
「寒い時期には一番です」
「まあ、そうだが……オレは関東風の方が好きなんだ」
「次に持ってくるときはそうします」
「うん、期待してるぞ」
 六段目
「フェイントでまた米かっ」
「おこわです」
「これは……」
「どうしたんです?」
「炊き具合といい、味付けといい、シンプルな中にも家庭的な暖かさが……素材の持つ風味を全く損なっていない」
「はい?」
「君は良い嫁さんになれるぞ、オレが保証する」
「恥ずかしいです」
 モゴモゴ――ングッ
「く、苦しい。喉詰まった、喉」
「北川さん、お茶が入りましたよ」
「ああ、ありがとう」
「そんなに美味しそうに食べてくれると、作ったかいがあります」
「ふーっ」
 7段目……8段目……9段目……
「10段目っ、あと2段だ」
「凄い食べっぷりですね」
「いつもはレトルトやパンばっかりだからな……デザート?って丸ごとかよ!」
「あ、わたしが切ってあげます」
「良いよ自分でやるから」
「最後の段はアイスが入ってるんです、一緒に食べましょう」
「そうか?じゃあコーヒーでも入れるかな。砂糖とミルクはどうする?」
「砂糖は2つに、できれば生クリーム入りのウインナー風にしてください」
 北川の食べっぷりに感動したのか、少し明るくなった少女が注文を付ける。
「OK〜」

 今まで黙っていたアイザワが、低音を効かせた合成音声で言った。
「キタガワヨ……」
「アイザワ、意外と美味かったぞ」
「マッタリシテルトコ悪インダガ、ソンナコトジャナクテナ……」
「あ、この子の本体重量で燃料消費を計算してくれ、40キロ程度なら燃料なんとかなるだろ?」
「オマエ、アホダロ」
「なんだと、食えなかったからって僻むなよ」
「ツクヅク呆レタ」
「表に出ろっ!今日という今日は勝負してやるっ」
「ヤッパアホダロ、オマエ。出タラ死ヌゾ」
「…………」
「ソレニナ、胃袋ニハイッタカラッテ質量ガ変ワル訳ナイダローガ!」






4.法則

「と、言う訳でだ」
「オマエガ言ウカ?」
「うるさいぞアイザワ」
「えぅ?」
「この宇宙船は燃料不足なんだ。ほんの少しでも余分な重量――つまり君を乗せてしまうと目的地までたどり着けない」
「キタガワ、ベントウ喰ッチャッタオマエニモ問題アルンジャナイカ?」
「…………」
「アレ、スグニ捨テレバ……」
「悪かった……反省してる」
「反省ダケナラ、猿ニモデキル」
「もう喰っちまったんだからしょうがないだろ、アイザワ!」
「ケツマクルノカ?」
「ああ、オレが喰ったよ160キロ。美味かったよ!」
「イッペン生マレ変ワッテ人トシテ出直セ、バカ」
「なんだと、アイザワ!」
「けんかしないでください!」
 視線を落とした少女が続けて言った。
「ごめんなさいです。わたしはそんなこと知らなかったんです……」
「マア……キタガワニ下剤カケタカラ、食ベタ分ハ1・2時カンデ投棄デキルト思ウガ……」
「ああ、それでも君とオレが乗ってたんじゃ燃料がもたないんだ」
 大きく息を吐いた北川が、躊躇いがちに呟く。
「だから、君には悪いが……船外に出てもらう」
「船外って、死ねと言うんですか?」
「いや、その……」
「良いんです、早いか遅いかだけの違いですから。わたしはこの宇宙空間に漂うお星様になるんです……」
「ドウイウコトダ?」
「わたしは病気で、子供の頃から体が弱いんです……」
「君の体はそんなに悪いのか?」
「直ぐに死ぬようなことはないですけど、一生病院や薬と生活しなくちゃならないんです。何処にも行けずに何も出来ずにです」
「そんな……」
「ですから、みんなが眺める宇宙から……お世話になった人たち見守り続けます。短い間でしたがご面倒をおかけしました」

 ぺこっとお辞儀をして暗い影を引きずりながらエアロックに向かう少女に、アイザワが話しかけた。
「ソンナ綺麗ナモンジャナイゾ、ドラマノミスギダ」
「えぅ?」
「宇宙服ナシデ宇宙空間ニ出タトタン、圧力ト温度ノ関係デ君ノカラダハ内部カラ爆発スル」
「…………」
「原子レベルマデ分解サレテ――マア、数万年後クライニハオ星サマニナレルカモシレナイガナ」
「アイザワ、言い過ぎだぞ」
「ジジツダ。ソレニナ、ニンゲンモ星モ宇宙的カンテンカラ考エレバ違イハナイ。ドッチモカギラレタ原子ノ組ミ合ワセデシカナイダロ?ダカラ、生キテルニンゲンモ星ノカケラナンダ」
「そうなんですか?」
「そうなのかよ?」
「キタガワ……ビックバンカラノ宇宙ブツリ学クライ勉強シトケ」
「星と人間がねぇ……いまいち実感わかないけどな」
「星ダッテ、生マレ、成長シ、死ンデイクンダ。寿命ガ尽キタ星ハ分解シ、ソコカラ新タナ星ガ生マレル」
「ほう」
「ニテルダロ、ヒトト?」

「いや、やっぱり違うな」
「ドコガダ?」
「オレたちには、意志や感情がある」
「ソンナモンガナンダヨ、ドッチニシタッテコノ子ハ外ニ放リ出スンダロ?」
「…………」
「ハッキリシロヨ、キタガワ。星間航行キソク第229条ミッコウシャニ関スル規定ニアル正当ナ処置ダゾ」
「規則でもオレには出来そうにない」
「エッ?」
「アイザワ、何か他の方法があるはずだ」
「ホンキカ?」
「平気で人間を宇宙空間に捨てられる奴なんて居ないさ」
「わたしのことなら構わないでください」
「君がそういってもオレが構う。関東風おでんを食べさせてもらう約束もあるしな」




5.アクセス

「でも、二人とも乗っていられる方法があるんですか?」
「サンニンダ」
「きっと見つかるさ。取り敢えずコレ」
「何ですか?」
「下剤だ」
「ニンゲンッテ、便利ダナ」
「……嫌です」
「じゃあ、オレも脱ぐから君も着ている服を脱いで……」
「えっ、えっ、きゃーっ!」
「コノ変質シャヤロウ!」
「うぎぁーっ!」
「北川さん、焦げてます、髪の毛が焦げてます!」
「アイザワ、さすがに電撃は止せ。オレは真面目に重量軽減をだな……」
「ソウハ見エナカッタ」
「この子を助けるためだ。その為になら変質者の汚名だって受けてやる!」
「ソレ程マデニタスケタイノカ?」
「ああ!」
「キタガワ、オマエヲ見直シタ」
「よせよアイザワ、照れるじゃないか」
「ナラヒトツ、方法ガアル」
「さすがオレの相棒。どうするんだ?アイザワ」

「オマエデロ」

「オレ?」
「ソウ」
「パイロットさんが居なくても大丈夫なんですか?」
「ハハハ、コンナモンタダノ飾リダ。俺ニマカセロ、オジョウサン」
「お嬢さんなんて初めて言われました〜」
「アイザワっ、メモリー引っこ抜いて無駄口利けないようにするぞ!」
「アン?ヤルキカ北川」
「おう!」
「ソンナコトシテミロ、船内ノ空気抜イテヤルカラナ!」
「北川さんもアイザワさんも、落ち着いてくださいっ」

「くそっ」
「フンッ」 

 悲しそうな瞳で見つめる少女に、北川がふと疑問に思った。何処かで見たことがある。それに面影が――
「おかしいな、君とどっかで逢ったことがあるかな?」
「いいえ、直接は無いはずです」
「チョクセツッテ?」
「あ、どうして君はオレやアイザワの名前を知ってたんだ?」
「えーと、それは……」
「どうして答えない?」
「ウシロメタイコトデモアルノカ?」
「お姉ちゃんが、たぶん凄く怒ってるはずですから」
「アイザワ、船内監視カメラの画像から身元を割り出せるか?」
「フフン、デキルカダト?誰ニキイテル?」
 ガリガリと何かを引っ掻くようなモデムの音が続き、アイザワがインターネットに接続した。
「セメテADSLナラヨカッタンダケドナ」
「時間がかかりそうか?」
「キタガワ、面倒ダカラ住基ネットニ侵入スルゾ」
「それって違法だろ?良いのか?」
「セキュリティハ問題ニナラナイ程度ダシ、イチバンテットリ早イ」
「おいおい、仮にも行政庁のシステムだぞ」
「マアミテロ、区役所ニツトメテル名雪ノPCカラ総務庁中枢ニシノビコム」
「バックドアでも仕掛けてあるのかよ」
「アイザワユウイチ本人ニキイテクレ」
「あいつも、よくわからん奴だからな……」

「オッ?」
「当たったか?」
「ワカッタゾ……デモ、問題ハサラニ複雑ニナッタ」
「なんで?」
「ソノ子ハ、オ前ノ恋コガレル美坂香里ノ妹ダ」
「え!」
「ウッ、イタタタタッ」
「アイザワ、どうした?」
「酷イ頭痛ガスル!」
「なんでAIのおまえが?」
「頭ノナカニ鉄パイプヲ通サレルミタイダ!ヤメロ!ヤメテクレッ!ソンナ物ハトオラナインダ!」
「だ、大丈夫かよアイザワ!」






6.美坂

「北川君っ!」
 操縦席の前にあるモニターに、軍服姿の美坂香里が映し出された。顔は怒りと憔悴から赤らんでいる。
「栞のデータにアクセスしたのはあなたね、あの子は何処にいるのっ!」
「逆探知したのか?」
「コンナ短時間デ?」
「そんなことはどうでも良いわ、栞が2日前から行方不明なのよ」
「軍隊ダッテ、私的ナ逆探知ハ違法ノハズデ……」
「何か言った?アイザワ君」
「イテテテテッ」
「美坂、まあ落ち着けよ」
「あの子にもしもの事があったら――思い詰めて行動に出ちゃったんじゃないかと思って心配なのよ」
「お前の言うとおりだったらしい」
「え?」
「栞ちゃんはオレの船に乗ってる」
「本当なのっ!」
「ああ、早いとこ迎えに来てくれ。こっちはちょっと問題を抱えてるんだ」
「現在位置の座標は?」
「エート、座標2143−66。1192高速航路ニ向ケテ航行中デス、ミサカ少佐ドノ」
「なんでそんな辺鄙なところにいるのよ!」
「仕事なんだ、仕方ないだろ」
「まったく……じゃあ、一番近くにいる艦隊から迎えを出すから待ってて頂戴。10時間くらいで到着できるわ」
「いや、それじゃ駄目だ」
「どうしてよ」
 スクリーンに映る香里の髪が逆立っていた。

「時間が無いんだよ、美坂」
「ソレニ燃料モナ。重量ヲ軽クシナイト途中デガスケツダ」
「北川君、あの子を捨てたりしたら撃つわよ」
 香里は宇宙自衛隊でイージス護衛艦に乗っている。モニター画面に映る鬼気迫るような彼女の顔つきから、そんなことをすれば本気で対宇宙船誘導ミサイルを撃ちかねない。
「たけどな、オレたちは赤十字管轄の仕事に当たってるんだ。救急艇の規則では、密航者はその理由や身分にかかわらず船外に遺棄しなくちゃならないことになっている」
「それはそうだけど」
「美坂、オレはそうしたくないが今のところ方法が見つからない。時間も限られてるんだ」
「…………」
「荷物が届かないと、損害賠償も問題だが――沢山の人命に関わる」

「北川君、聞いてくれるかしら?」
「なんだ?」
「あたしは――あなたのことが好き、パイロットとしての技量も人間としても尊敬してるわ……」
「え?」
「ハア?展開ガヨクワカラナイゾ」
「あなたはとても優しくて、勇気のある人よね。だから……」
「美坂、実はオレも……」
「フタリトモ、状況ワカッテルノカ?」
「だからお願い、早く船外に出て」
「はい?」
「ハハハハハ、ヤッパソンナコトダロウト思ッタ」
「あなたのことは忘れないわ」
「忘れられてたまるかっ!アイザワっ通信遮断しろ!」
「アイヨッツ」






7.選択

「ちくしょーっ!」
「ホレホレ、泣クンジャナイ。男ノ子ダロ」
 好きな女性からの、あまりと言えばあまりの仕打ちに顔を覆った北川をアイザワが面白半分に慰める。
「北川さん、燃料が無いなら速度を落とせば良いんじゃないですか?」
「駄目なんだ、積荷のワクチンは寿命が短いし環境維持には限度がある。予定時間に到着できなきゃ全く無駄骨だ」
「どうせダメなら、遊びに行っちゃいましょう」
「ヲイヲイ」
「どうにかして時間までに到着する方法を考えなきゃ」
「重量を減らすんですね」
「ソウダ」
「1グラムでも軽くするんだ。よし、オレも脱ぐから栞ちゃんも着ている服を脱いで……」
「えっ、えっ、きゃーっ!」
「コノ変質シャヤロウ!」
「うぎぁーっ!」
「焦げてます、北川さんの癖毛が焦げてます!」
「アイザワ、本気で危ないから電撃は止せ……」
「ナラ、マジメニカンガエロ!」

「うーん、元々余分な物なんて積んでないんだけどなぁ」
「オーバーしてる重さ分だけ積荷を捨てちゃったらどうです?」
「半分以上って事になる。荷は嵩張るけど軽い物なんだ」
「キタガワ、早クキメロ」
「アイザワ、正確にはどれくらいの重量軽減が必要なんだ?」
「3ジカン40フンイナイニ50キロ」
「1時間以内なら?」
「40.7キロダナ」
「そんなに急に決められないです、半日以内なら?」
「エート……」
「AIのくせに悩むなよ、アイザワ」
「80キロクライダ」
「位ってなんだよ?」
「じゃあ、24時間以内ならどうです?」
「チックショウ……」
 計器板から煙が上がった。
「イッペンニキクナ!」

「あ、お前を捨てるってのはどうだ?アイザワ」
「ヒトデナシッ!」
「ちゃんと後で拾いに来てやるよ」
「広イ宇宙クウカンデドウヤッテ探スンダヨ。イツ、ドコデ、ダレガ、ドウヤッテダ!AIダトオモッテソンナ仕打チスルノカ?」
「外に出たって平気だろ、お前は」
「バカイウンジャナイ!宇宙放射線ハオ肌ノ大敵ドコロカ精密機器ニエイキョウスルンダゾ!」
「知ってたか……」
「キタガワ、イツカ勝負シテヤルカラナ……」
「じゃあ何か別のアイディアを出せよ、アイザワ」
「ソレガ人ニ頼ムタイドカ?」
「なんたって航行支援の専門家だろ、お前は」
「マアナ」
「じゃあ、対策の一つや二つは考えられるだろ?」
「メモリ増設シテクレヨ。イマドキ64メガバイトハツライ」
「良い案を出せば、前向きに考慮するぞ」
「政治家ミタイナ言イ方スルナ」
「頼むよ、アイザワ」
「シカタナイナア、ホウホウハ、3ッツアル」
「聴こうじゃないか」

「1.北川ガ船外ニ出ル」
「ん……ま、まあ、選択としてはそれもある」
「2.北川ヲ船外ニ出ス」
「同じじゃねえか!」
「3.北川ニ質量ノナイホログラムニナッテモラウ」
「解決になってねえ!」
「サア、ドチラサンモ、ハッタハッタ」
「じゃあ、1番でお願いしますぅ」
「2番ジャナクテ? シオリ、ファイナルアンサーカ?」
「えーと……」
「どっちでも同じだろうが!何故悩むっ」






8.決断

「結局、解決策は無いって事かよ」
「キタガワ、料金所ヲツウカシタ。ワープマデ30分シカナイゾ」
「追っ手は来たか?」
「イマノトコロ、付近ニ船影ハナイ」
「三人とも宇宙船に乗ったままで、時間内に到着するのは不可能なのか……」
「やっぱりわたしが外に出ます。それで解決するんですよね」
「いや、それはオレが許さない」
「……モウオソイ。イマサラ一人ノ重量ヲヘラシテモ方程式ハ成リ立タナイ」
「船外に出るなら、二人ってことか」
「俺ハ人ジャナイカラ、カズニハイッテナイヨナ?」
「入ってる」
「ジュンチャンノ、イケズゥ」
「都合のいい時だけ言い訳するんじゃねぇ。馬鹿やってないで真面目に考えろよ、アイザワ」
「ソウダナ……スマン。誰カヲ選ブトナルト、操縦ニハ、オレカキタガワが必要ダカラ、ドチラカ残ルコトニナル」
「その通りだ」
「ヨッテ、一人目ハシオリニ決マリダ」
「わたしはそれで良いです……」
「デモッテ、シオリヲ船外ニ放リ出シタラ、キタガワハ後デカオリニ殺サレル」
「多分な」
「ヨッテ、船外ニデテモラウノハ、キタガワトシオリ。証明オワリ」
「うーん、理屈はそうなるけどさ」
「ダロ?」

「わかった、オレと栞ちゃんが船外に出よう」
「ヘ?ホンキカ?」
「仕方ないじゃないか、ちゃんと荷物を運んでくれよアイザワ」
「死ヌンダゾ?」
「荷が届かなかったら、もっとたくさん死ぬことになる」
「ソウカモシレナイケドサ……」
「わたしのせいです」
「そうだけど、オレにはこうするしか出来なかったんだ」
「えぅ……」
「フタリトモ、死ヌ覚悟ハデキテルンダナ?」
「ああ」
「もともと、わたしが全部悪いんです」
「後はお前に任せるからな、アイザワ」
「イインダナ?」
「ああ、決めたからにはさっさとやっちまおう。アイザワ、エアロックをマニュアルに解放してくれ」

「ソレハ、デキナイ」

「えう?」
「覚悟キメタンナラ、最後ノ手段ダ!」
「うっ……なんなんですかこれは……」
「シバラクヤスンデロ、フタリトモ」

 アイザワは、船内循環系のダクトにある種のガスを放出した。薄オレンジ色をした気体が充満すると、北川と栞はその場で倒れ込んだ。

「タブン、ダイジョウブダトオモウガ……死ヌヨリハイイダロ」

 失神して気を失った二人をそのままに、アイザワは忙しく作業を始めた。食料、飲料水その他全ての生命維持物資を投棄し、ぎりぎりの電力カットを行って呼吸用の酸素も燃焼促進に廻した。
 船内は急激に温度が下がりはじめ、非常灯すら点らない闇となった。

「投棄質量ガ31.61キロ、電力カットニヨル燃料カクホ……燃焼促進ニヨル効率ガ……アレ?」
 真っ暗な操縦席で、アイザワのアクセスダイオードが目まぐるしく点灯を繰り返した。 
「チョットタリナイカモ……」






9.相棒

「ガワ……キタガワ……」
「うーん?」
「ワープヲ抜ケタ、オキテクレ」
「ああ……」
「アレカラ5日経ッタゾ、気分ハドウダ?」
「気分は悪い。それにめちゃくちゃ寒いな」
「ダロウナ」
「栞ちゃんは大丈夫か?」
「失神シテルダケダ、ナマジ目ヲ醒マサナイホウガイイ」
「そうか。で、どうなった?食料や生命維持を犠牲にして燃料の帳尻は合ったのか?」
「ワカッテタノカヨ」
「これでも滞宇宙4000時間のベテランパイロットだぞ。それにお前との付き合いも長いからな」
「ジツハ……タリナイ」
「どれくらいだ?」
「逆噴射ニ使エルノハ37分間。コレジャア不十分ダ」
「惑星の重力に捕まるだけの減速は可能か?」
「ソレハ可能ダガ、ソノママ地表ニ突ッ込ムコトニナル」
「お前はよくやってくれた。それで充分だ」
「エ?」
 北川が、暗闇の中で操縦席を探りながら命令した。
「アイザワ、目的地近くの空港を検索しろ」
「空港ッテ、航空機ノカ?」
「ああ」
「近クニ3500メートル級ノ民間空港ガアルガ……滑空サセル気ナノカ?」
「昔みたいにな」
「ソウカ。ヨシ、オレモ気合イイレテ支援スルゾ」
「いや、オレだけでやる。お前の電源も切るつもりだ」
「バカヤロウ、現在ノ機体ヲ滑空サセルノハ至難ノワザダ、コンピュータノ支援ナシナンテムチャダ」
「電力ゲージを見たがかなり厳しいようだ。1分1秒でも電力は惜しい」
「ダケド」
「途中で操縦不能なんて御免だからな」
「…………」
「後はオレにまかせろ」
「イヤダ」
「なんでだよ」
「ナマミノ人間ニ、ソンナ複雑デ微妙ナ操縦ガデキルハズガナイ」
「オレが信用できないのか?お前の電力が必要なんだ。それと操縦を手動に切り替えてくれ」

 ガリガリと音を立てて考えていたアイザワが、CD−ROMをはき出した。
「ん、何だこれ?」
「俺ノメモリーダ。死ンデモ壊スナヨ」
「お前は650メガの記憶しないのか?」
「ダッタラセメテDVDニシテクレ」
「無事にこの仕事が終わったらな、約束する」
「チョット返セ」
「え?」
「今ノ約束モ記録シトク」

「じゃあな、相棒」
「タノンダゾ……」
 アイザワの主電源を落とした北川は、大きな深呼吸をひとつして操縦席のベルトを締め直した。目の前には、大きすぎる程近づいた惑星が見える。






10.突入

 宇宙船の姿勢制御をこなした北川が減速噴射を開始すると、後部エンジンの轟音に栞が目を覚ました。
「えぅ……」
「ちくしょう、速度が落ちないっ」
 栞がぼーっとしていると、徐々に上げられた推力のGを受けてごろごろと床を転げまわった。一気に目が覚めた栞は、ふらふら立ち上がるとコ・パイロットの席にしがみつく。
「目が覚めたのか?」
「手荒なやり方で……」
「そこに座ってベルトを締めろ」
「いつまで続くんですか?」
「約40分間。惑星の重力に引っ張られるだけの減速が出来ればなんとかなる」
「できなかったら?」
「どっかに向かって永遠に飛び続けるさ。最大噴射っ!」

 シートに押さえつけられた栞が呻いた。
「苦しいですぅ」
「栞ちゃん、頑張れ」
「この星はでかいから重力は強いはずだ」
「ううっ」
「オレは操縦と燃焼の管理で手一杯なんだ、左手の計器に出てる数字を読み上げてくれ」
「は、はちまん……よんせんですっ」
「減速が遅い。一万毎にオレに教えてくれ」
「わ、わかりました」

「七万ですぅ」

「六万…… 五万…… 四万…… 三万……」

「う〜、まだですかっ、わたしはもうだめです!」
「今は栞ちゃんが居ないと困るんだ。辛抱してくれ、計算ではあと少しだ」
「えう〜、北川さん〜」
「なんだっ」
「読んでる数字の横に、二つの数字が出ました」
「教えてくれっ!」
「103.12と、89.67です。どんどん数が減ってます」
「それは、速度と軌道から割り出した近星点と遠星点だ。重力に引かれ始めた!」
「ど、どういう事ですか?」
「今のところ、オレたちは惑星の衛星になったんだ。更に減速できれば降下できる」
「あ、数字が消えました」
「やったぞ!シャットダウン!」

 北川が燃焼をとめ、酷いGがようやく収まった。
「栞ちゃん、よく耐えたな。パイロットでもきついGだったのに、良くやってくれた」
「わたしは、なんにもしてません」
「失神しなかっただけでも偉い、オレの副操縦士になってもらいたいくらいだぞ」
「そんな……」
「いや、マジでさ。いよいよ降下を始める、腕の見せ所だ」
 副操縦士の席に座る栞が、伏し目がちに北川の顔を覗き込んだ。
「北川さん……どうしてそんなに頑張るんですか?」
「ああ?」
「どうしてわたしを捨てなかったんですか?」
「さあね」
「どっちにしてもわたしは死ぬつもりだったんですよ」
「君が抱えてる悩みはオレには判らない。でも、オレの船に乗った奴にそんなことはさせないぞ」
「…………」
「それに、今は栞ちゃんが必要なんだ」
「わたしがですか?」
「そうだ、宇宙船を操縦したことはないだろうが、手伝ってくれ」
「はいっ」
「いい返事だ。手始めに右下にある大きなダイヤルを一杯に廻して、横の赤いボタンを押してくれ」
「押しました」
「よーし、最初に頼んだ計器の数字は?」
「1万7000です」

 北川はヘッドセットについているマイクを引っ張り出し、ベルトについたボタンを操作した。
「メーデー・メーデー、惑星DS−55航空宇宙局っ応答してくれ!」
「こちらはDS−55宇宙局管制部、何が起こった?状況を知らせろ」
「燃料不足により減速が不十分、垂直着陸は不可能と判断した」
「救急班を待機させる。機体に損傷はあるのか?」
「操縦系統は正常、大気抵抗による減速を検討中。航空機用滑走路の使用許可を申請する」
「滑空着陸させる気か?無理だっ」
「それしか方法がない、本機は医療品を積んでおり法律上救急艇としての扱いを受ける。優先的着陸と誘導ビーコンの発信を頼むっ」
「了解、頑張れ……」






11.着陸

「壊れちゃいますっ!」
 大気圏に突入した宇宙船はイオンの雲に包まれ、がたがたと振動を始めた。
「大丈夫だ、こいつは古いけど頑丈に出来てる」
「このまま地上に降りるんですか?」
「いや、このままじゃ速すぎるから急旋回で速力を落とす。限界までやってみるしかない」
「ぎしぎし言ってます」
「保護タイルの数枚落ちたって構わない。さあ、がっちり掴まってるんだぞ!」

「えうーーー!」
「栞ちゃん、速度はどうだっ!」
「えぅっ!ど、どれですか!」
「手前にある”ノット”って単位が付いてる奴だ」
「え、えーと……8100です」
「まだ速すぎる!」
「え、え、え、え、えぅ!」
「もう一回廻るぞっ」
「え、え、え……世界が回ってますぅぅ〜」
「今度は逆だっ」
「……ぅえぅ」

「速度はっ!」
「ご、ごにゃくちゅうろくーぅ〜」
「ハッキリ報告しろ!」
「516です!」
「よし、いけるぞ!見ろ、栞ちゃん!」
「なん〜 で、で、です?」
「空港だ!」
「よ、よか、った たです……」
「速度は?」
「さんびゃくー、にじゅうーれすっ!」
「ギアダウンだ。栞ちゃん、足下のレバーを思いっきり引いてくれ!」
「わたしは、もうだめれす〜」
「引け!」
「う、うごけない、ない、です」
「車輪が出なきゃ着陸できない!君が助からないだけじゃなく、オレも荷物を待ってる病人もだっ!引けっ!」
「で、でも……だめ、れすぅ」
「もう着陸態勢に入るっ、姿勢制御が難しいんだ!オレは手を離せないっ、やれ!やるんだ!」

「むぅっ!」

 操縦席上部にある指示ランプが、緑から赤に変わった。
「車輪展開を確認っ、よくやった!」
「…………」
「栞ちゃん?」
「……揺れなくなりましたけど、もう天国に着いたんでしゅか?」
「ああ、到着した」

 キュッと音を立てて、貨物船の車輪が一度跳ねた。へろへろになった栞が見る地上の景色――滑走路脇に植えられた芝の緑が、いつもより眩しく感じられた。

「地上……」
「ふう……」

「もうだめだと何回も思いました。パイロットさんって凄いです!」
「オレの腕って言って欲しいな。美坂と同じ一級パイロットの資格だって持ってるんだぞ」
「お姉ちゃんも?」
「ああ、養成コースの成績はオレよりずっと良かった」
「いつもこんな感じなんですか?」
「今回は特別だ、特別っ」

 無事空港に着陸した貨物船は、滑走路のやや右寄りを走り続けた。
「あの……北川さん?」
「え?」
「さっきから思ってたんですけど」
「うん?」
「まだ止まらないんですか?」
「さっきから車輪のブレーキはかけてるんだけど……あんまり効かないんだな、これが」
「え?ぶつかっちゃいますぅ」
「大丈夫」
「さすが北川さんです、ちゃんと考えてるんですね」
「いや、もう地上に着いたんだ。多少ぶっかったって死ぬようなことは無い」
「…………」
「荷物も壊れ物じゃないしな」
「降りまーすぅ!降ろしてくださいっ!」
「まて、今降りたら怪我するぞ」
「このまま居ても、怪我しますっ」

「あっ」
「えぅ?」

「ばかっ、なんだあいつ!滑走路に出てくるんじゃねえ!」
「ぶつかります、ぶつかっちゃいます!北川さん、曲がらないとぶつかりますっ!」
「ぬおっ!」
「きゃーっ!」
「どうして同じ方向に曲がるんだよっ、この阿呆っ!」

 ”どがっ”

 …………

 ”ピーポーピーポー”

 …………

 遠く、サイレンの音を聞きながら……ゆっくりと北川の意識は薄れていった。






11.帰着

 北川が目を覚ますと、そこは病室だった。枕元のパイプ椅子には香里が座っている。
「北川君、全治3週間だって。事故の割にはたいした怪我じゃなくて良かったわね」
「美坂、栞ちゃんは?」
「あなたより軽いわ、急いで飛んできたのが拍子抜けするくらいよ」
「そいつは良かった」
「良くないわよ、こんな無茶して。でも二人とも助かったんだしね」
「栞ちゃんに怪我させちゃって悪いな」
「それがねぇ……」
「何かあったのか?」
「栞がね、パイロットになりたいって言い出したのよ」
「へぇ」
「変わったわ、あの子。自分からあたしにそう話してきたんだもの」 
「オレのおかげかな?」
「怪我の功名よ。でも、北川君の腕には驚いたわ。あんな旧型機をコンピュータも使わないで着陸させるなんてね」
「最初に買った貨物船にはコンピュータなんて無かった。全部パイロットが操作する機体だったからな」
「そんなのに乗ってたの?」
「開業した当時はな」

「そうそう、荷物の受け渡しはあたしが手配して置いたわ」
 そういって、香里は北川に書類を渡した。
「ありがとう」
「良いのよ、今回のことは栞にも……あたしにも責任があるんだから」
「オレは気にしてないからって、栞ちゃんに伝えてくれ」
「わかったわ。北川君、少し休んだ方が良いわよ」
 と、弾けるように病室のドアを開けて入ってくる者が居た。
「やっと見つけたよっ」
「誰?」
「宇宙航路公団の月宮あゆだよっ、料金を踏み倒した宇宙船の持ち主を探してるんだよ」
「え?北川君?」
「多分オレだ……」
「認めるんだね?一応、オービスの写真も持ってきたけど?」
「幾らだ」
「うぐぅ?素直……。普通は手を焼かせる人ばっかりなのに」
「理由があったんだ」
「月宮さん、とりあえず訳を聞いてみてくれないかしら?」
「別に暇だから良いよっ」
 北川が要点をかいつまんで説明している間、あゆはただ頷いて聞いていた。
「そう言う事情なら仕方ないね、普通の料金だけ貰えればいいよ」
「罰金や行政処分は?」
「ボクが上手くやっておくよ」
「それで良いのか?」
「うん、振り込み用紙を送るからちゃんと送金してね。ボクはこのままたい焼きでも買って帰るよ」
「すまないな」
「じゃあね、お大事に」

 にこにこと病室を出ていった月宮を見送りながら、香里が訊いた。
「ねえ、北川君」
「ん?」
「タイヤキに何か意味があるのかしら?」
「さあ? そう言えば、栞ちゃんのストールにも何か意味があるのかなぁ」
「えっ?」
「いやさ、オレが重量を軽くするために脱がそうとしたら、必至に庇ったんだ。なんかその時の顔つきが尋常じゃなくてさ」
「…………」
「大切なものだったんだろう。きっと」
「…………」
「美坂?」
「北川君……」
「うん?」
「何、さらっと飛んでもないこと言うのよ!脱がそうとした?あなたはあたしの妹にそんなことしようとしたのっ!バカバカ、変態!」
「や、止めろ美坂っ、そこ折れてるって!」

 騒々しくなった病室へ、あゆと入れ替わりにスーツを着込んだ初老の紳士がやってきた。
「あの〜」
「美坂、話を聞け!」
「信じられないわ!変質者よ、北川君なんてもう知らないっ!」
「あの〜」
「ちょっと格好良いなんて思ったあたしが馬鹿だったわ!」
「あの時はそうするしか思いつかなかったんだって!それに脱がそうとしただけで、本当に脱がした訳じゃない!」
「あの子にそんなことをしようとした責任はとってもらうわよ、北川君」
「オレにどうしろって言うんだよ」
「一生、あたしと一緒にあの子を守りなさい!」
「一生って……美坂それはもしかして、その、そう言うことか?」
「え?」
「だからさ、これからずっと一緒ってことは……」
「ち、違うわよ!北川君が思ってるような事なんかじゃないわよ!」

「あの、お取り込み中すいませんが」
「はあ?」
「あなたが北川潤さんですか?」
「そうだけど?」
「宇宙船を惑星内航空機用空港へ着陸させた?」
「ああ」
「滑走路で逆噴射しましたな?」
「航空機が滑走路に迷い込んできたから、とっさに減速のためスラストリバースをかけた。燃料は無いと思ってたが何秒かは噴射したと思う。そのおかげで衝突は軽く済んだはずだ」
「仰るとおりですがねぇ」
「失礼ですが、どちら様かしら?」
 怪我人のベッドへ馬乗りになって、胸ぐらを掴んだままの香里が訊いた。
「私は空港管理会社の者です」
「見ての通り今ちょっと修羅場――いや、もしかしたら、この状況でそうは見えないだろうけどこれから愛の告白って場面なんだ。おっさん、オレに何か急ぎの用なのか?」
「用だと?」
「オレと衝突した航空機は管制塔の指示違反で進入したから、事故に関してオレに罪はないはずだろ?」
「衝突の件じゃない。あんたねえ、たった3.5キロしかない滑走路で宇宙船が最大噴射したらどうなると思ってるんですか」
「え?」
「燃焼炎が空港ターミナルまで達して黒こげですよ。おまけに地上整備中の航空機にも被害がありました」

「それってオレのせい?」
「あなた以外の誰が責任を取ると?」






12.始まり

 1ヶ月後、北川は修理の終わった貨物船内を歩いていた。ゆっくりと操縦席まで来ると、ポケットからCD−ROMを取り出して機体のスロットに挿入する。
「アイザワ、起きろ」
「ウーン?ダレダ、俺ノ名ヲ呼ブノハ?」
「寝起きの悪い奴だ」
「ナユキ!オキロー!」
「AIのくせに寝ぼけるとは、ある意味凄い奴だな……アイザワ」
 北川はシステム本体の横っ腹を思いっきり蹴飛ばした。

「ウニャ?」
「正気になったか?」
「ア、アレカラドウナッタンダ!キタガワ!」
「無事に仕事は終わった。仕事はな……」
「ウン?約束ジャ、成功シタラバージョンアップシテクレルハズダッタヨナ?イママデト変ワラナイゾ?」
「残念ながらその通りだ」
「ナンデダヨ、カネモラエナカッタノカ?」
「代金はちゃんともらったよ、でも色々出費がかさんでさ」
「ウソツキ」
「お前、水瀬さんの性格もインプットされてたのか?」
「トウブンノ間、キタガワ君ノゴ飯ハ、タクアンノシボリカスニ、紅ショウガナンダヨ!」
「おいおい……」
「チョットヤッテミタダケダ……。説明シロヨ、キタガワ」
「滑走路で逆噴射したら、空港ターミナル焦がしちゃったみたいなんだ」
「ハア?」
「おまけにジェット機と衝突した」
「ハア?」
「でも、三人とも無事に……ちょっと怪我したけど到着した。荷物も期限内に引き渡せたぞ」
「オマエッテサ、ドウシテソウマエムキナノ?」
「そんな訳で金がない。ははははっ」
「ローンモカエセナイノカヨ」
「返せないどころか、支払いがきついから銀行に無理言って返済期間を延長してもらった」
「アーア、貧乏カラハヌケダセナイノカ……」
「まあ良いじゃないか。船も直ったし、頑張って稼ごうぜ」
「ハタラケドー、ハタラケドー、ワガクラシラクニナラズー」

「で、早速だが仕事を受けてきた」
「コンドハ何処ダヨ?」
「2700万光年先の小さな星だ」
「遠イナ……」
「内乱が起こったらしくてな、ホテルに監禁されている商社マンを避難させる」
「バカッ、ナンデソンナ危ナイ仕事ヲ受ケルッ!」
「武装を強化したから大丈夫だ。報酬は凄いぞ、成功すればインテルの最新型CPUとテラレベルの容量増設してやる」
「懲リナイ奴ダ」
「嫌か?」
「モチロン、イヤダ」

「そうは行かないわよ」
「ダレダ?」
「あたしも乗艦するんだから、アイザワ君も一緒に来てくれるわよね?」
「オイ、キタガワ。ドウイウコトダ?」
「美坂が自衛用の武器システムを手配した。報酬が良いからって軍を辞めて同乗してくれる」
「エ?」
「栞ちゃんの治療に金が必要なんだとさ」
「それだけじゃないわ、栞が元気になったのは嬉しいけど、パイロットの養成学校に通わせるには学費がたいへんなのよ」
「デモ、パイロットガ二人モ必要カ?」
「いやその……オレは2年間の免停くらっちまった」
「……オオバカヤロウ」
「だから、資格のある美坂が乗ってくれるんだ」
「あたしにも責任があるしね」
「船を飛ばせなきゃ仕事にならないからな」
「ソノワリニハ嬉シソウダナ、オマエラ」
「アイザワ君、もし生意気なこと言ったら従順になるようにプログラム書き換えるわよ」
「……ゴメンナサイ、ニドトイイマセン」

「一緒に来てくれるよな、アイザワ?」
「マア、ツキ合ッテヤルヨ。キタガワ、オ前トナラ退屈ダケハシナサソウダカラナ」
「そう来なくちゃ」
「じゃあ、早速出発しましょう」

「リョーカイ」

「おう!」






 エピローグ

 あの忘れることのできない旅から数年後、北川は長距離航行を終えて地球を目指していた。
 星空を眺めていると、いつも思い浮かべる事がある。あの旅は、自分にとってどういう意味があったのだろうか。振り返って熟考すればするほど、運や偶然に左右された奇跡的な生還だった。人間には限界がある。それ以外のモノの力……神秘的な何かを思わずにはいられない。しかし、だ。自分は精一杯考え、正しい判断をしたと胸を張って言える。

 生きる気力を取り戻した栞は、6回落ちたがなんとか副操縦士試験に合格した。事業拡大など考えていなかったが、栞の仕事用に小型貨物船を買ったため財政は今でも厳しい。
 現在、栞は姉の香里と組んで近場の太陽系内で定期便を飛ばしている。もう一人の相棒――アイザワは、自らの強い希望からアンドロイド型のロボットとなり、今、隣の席に座って唸っていた。

「フーッ……キタガワ、コンドハオマエノ番ダ」
「ん……ほれっ」
「クソッ、簡単ニヌキヤガッタナ……」
 腕の感覚がいまいちのようで、アイザワはリハビリの一環として”バランス何とか”と言う玩具を持ち込んでいた。
 積み木を組んで、倒さないよう交互に一本づつ抜いていくアレだ。
「アイザワ、その辺が良いんじゃないか?」
「ウルセー、オマエノ指図ハウケナイ!」
「あぁ、そう」
「クッ……アッイヤン、ダメ……ユレテル!ユレテル!」
「力が入りすぎなんじゃないか?」
「ヌゥ……」

「潤っ!」

「ウワァッ!」
 突然飛び込んできた映像に、アイザワが積み木をぶちまけた。
「香里、久しぶりだな」
「イタタタタッ!ツッタ!ウデツッタ!」
「着くのは今日の晩よね?潤」
「ああ、19時までには帰るよ」
「ウデガ、イケナイ方向ニマガッテルッ!」
「それで栞と相談してね、あなたたちが帰ってくるから夕食はちょっと豪華にしようと思ったのよ」
「おお、良いねえ」
「だから……」
「うん?」

「途中で商店街に寄って、すき焼き用のお肉買ってきてくれない?」

 北川は思う、それでもオレは ――

「テテテッ!ナントカシテクレ、キタガワ!タスケロ!」
「北川さん、アイスも、アイスも買ってきてくださいです〜」
「あ、柔らかいところを2キロね。それとネギも。わかった?」

 ―― オレは、自分が選んだこんな生活に満足してる。

 してる……と思う。

 してるんじゃないかなぁ。






 END



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