――ここはおじいちゃんおばあちゃんの家です。

 お年寄りは孫を目に入れても痛くないほどにかわいがる。
 そんなステレオタイプなお約束は、私のおじいちゃんおばあちゃんも同じでした。
 多分これはあれなのです。
 自分たちをほっぽり出して、どこの馬の骨とも知れない男とくっついた愛娘の面影を孫に求めてるのだと思います。
 と、お姉ちゃんにその理由を説明したら苦い顔をされました。
 お姉ちゃんの真似をしてシビアに分析してみたと言ったら、今度はぶたれました。
 図星だからって暴力はいけないと思います。
 と、まあそんな話はさておき……。
 久々に家族連れでお邪魔したおじいちゃんおばあちゃんの家で、私はおばあちゃんから渡されたものに困惑していました。
「パズルなんですか?」
「ええ、パズルなのよ」
 ビニル袋にぎっしり詰まった破片の数々。
 確認しないでも、それがパズルのばらばらになったピースであることはわかりました。
 でも、どうしてケースではなくて、どこかのスーパーマーケットのビニル袋に入っているのでしょうか?
 ばらばらのピースが無造作に詰め込まれていて、ここにミカンの皮でも入っていれば、ほとんどゴミ袋です。
「そのパズルね、ボケ防止にっておじいさんが買ってきたものなんだけど……」
「あ、なるほどです。パズルって頭使いますもんね」
「おじいさんって、ほら、やる気になると調子に乗りすぎる悪い癖があるでしょう?」
「あー……」
 ため息をつきながら、説明してくれるおばあちゃん。
 だいたいそれでどういうオチがついたのか分かってしまいました。
「前も張り切ってジョギングして、足腰痛めて逆に川辺先生のお世話になったのよ」
「……健康のための運動で逆に不健康になってどうするんですか」
「今回も張り切って大きなジグソーパズルを貰ってきたのまではよかったんだけど……」
「完成させられなかったんですね」
「そうなのよ。酷い風邪をひいたって、心配して来てもらったけど」
「本当はただの知恵熱ですか」
「ええ、情けなくてこんなこと栞ちゃんくらいにしか言えないわ」
 おばあちゃんと二人で、家族がいるおじいちゃんの部屋に目を向ける。
 中からは「ワシはもうダメじゃあ」とか「お義父さん、しっかりしてください」とか「お祖父ちゃん、栞がお嫁に行くまではがんばるんでしょ!?」とか、どこかの陳腐なドラマのようなやり取りが聞こえてきました。
 どーでもいいですけど、お嫁に行きにくくなることを言わないでくださいお姉ちゃん。
 おじいちゃんもおじいちゃんで演技が入りすぎです。


 大袈裟なおじいちゃんの演技に、どこまで本気で相手しているのか分からないお姉ちゃん達はさておいて。
「でも、どうして私にこれを渡したんですか?」
「栞ちゃん、絵を描くのが好きだったでしょう」
「え、ええ。まあ……」
 うまいかどうかは別としてなら。
「そのパズルね、どこかの有名な絵らしいの。私も手伝ったんだけど、全然分からなくて……」
「ケースはどうしたんですか?」
「それが、貰い物で最初からケースもなかったのよ。その人の話だと、額に入れて飾ってたのを子供が落としてバラバラにしちゃって、それから何年もこの状態らしいわ」
 おばあちゃんは、申し訳なさそうに首を横に振りました。
 ためしに1ピース手にとって見てみましたが、黒いだけで何がなんだかさっぱり分かりません。
「つまり、パズルを完成させて、私にこれが何の絵だったか確かめて欲しいってことですか?」
「そう。気になって夜も寝られないのよ。お願いできないかしら?」
 そんなこと急に言われても、私はジグソーパズルなんてほとんどやったことがないし……。
 何よりビニル袋のずっしりとした質感。
 どう考えても尋常じゃない数のピースが詰まってます。
「おばあちゃん、このパズル何ピースあるんですか?」
 おそるおそる、おばあちゃんに尋ねてみました。
 すると、おばあちゃんは人差し指を口元に持っていってしばらく視線を上に漂わせると……。
「確か二千個とか最初おじいさんが言ってた気がするわ」
 と、言いました。その数を聞いただけで挫けそうです。
 やったことあるパズルなんて、子供用の50ピースもないようなものばかり。
 それも、分かりやすいように切れ目がバラバラになっているタイプで、どのピースもほとんど同じ形をしてるジグソーパズルなんて気が遠くなってきます。
 いくら大好きなおばあちゃんのお願いでもこればっかりは……。
 と、そう思ったとき、ふといいことが思い浮かびました。
 そうです。一人でやるから億劫なんです。
 ふふふ、思いついたら今から楽しくなってきました。

「おばあちゃん、このミッション引き受けましたっ」

 しゅたっと敬礼をして、私、美坂栞二等兵は史上最大の作戦に志願したのでありました。
 なんて、今の私ちょっとかっこいいかもしれません。





ふたりは391/199900*1/?《Max Heart》






――次の日。ここは祐一さんのお部屋です。

 突然渡された、2000ピースのジグソーパズル。
 子供のパズルが50ピースとすると、難易度は単純計算でもその40倍。
 言ってみればこれはとんでもない試練でしょう。
 でも、そんな試練も二人なら簡単に越えられるはずです。
 これはきっと、私達の愛を証明しろという御仏の意志に違いありませんっ。
「……と思ったんですけど、どうでしょう?」
「いや、色々言いたいことはあるが、何で仏なんだ」
「金ぴかできれいじゃないですか」
「成金趣味だな」
「でも、いつも神様だと面白くないですから」
「……線香の匂いがしてきそうだからやめてくれ」
 疲れた顔をしてため息をつく祐一さん。
 むー、何なんですかその反応は。
 人をいつも冗談でからかうくせに、自分が冗談を言われるとそっけないなんてひどいです。
 ……ひょっとして、祐一さんは攻め専門?
 と、とにかく、話を進めないことには意味がありません。ここは強行軍です。
「つまりですね、たまには二人でジグソーパズルをやりましょう、ということです」
「おい、なんか『つまり』の使い方おかしいぞ。行間どこ行った?」
「気のせいです。懐かしい子供時代の思い出。感動、鼓動、躍動、喜びと哀しみのすべてがここに。私達のジグソーパズルはジェネレーション!」
 じーっ。
 ベッドに乗って熱弁してみましたが、何か痛い視線を感じます。
 ううっ、そんなに見つめないで下さい。
 ベッドの上で姿勢維持するのも辛いんです。
「……なあ栞」
「はい」
「それ、かなり無茶だと思わなかったか?」
「……言わないで下さい」
 勢いに乗ってみれば、無理も通ると思ったけど、やっぱり無理でした。
 普段そういうことばっかりやってる祐一さんに指摘されれば、ダメージも二倍です。
「それにな栞」
「はい?」
「ジェネレーションって『世代』だぞ。せめてそれを言うならエヴォリューションかレヴォリューションじゃないのか?」
 そ、そんなこと、そんなこと……。
「そんなこと、もちろん分かってますよ!」
「いや、泣きながら叫んでも説得力ないぞ」
 ボケなしで本当に間違えてました。
 これがテストや授業中だったら大恥です。
 学年一位のお姉ちゃんを持つ妹としては、それが誇らしくもあれば重荷になることもあります。
 これが違う学校ならともかく、同じ学校だから悲惨です。
 なぜなら、家族の中で比べられるだけじゃなくて、学校の人たちにも比べられてしまうのです。
 運の悪いことに、うちのクラスにはお姉ちゃんのクラスも受け持ってる先生に、お姉ちゃんと同じクラブの後輩もたくさんいます。
 おまけに、留年という立場で余計に注目されるという、状況はもう四面楚歌。
 まあ、お姉ちゃんはお姉ちゃん。私は私と開き直ってしまえばいいんですけど。
 以前祐一さんにそんなこと言われたとき、そういう考え方もあるとは思いました。
 でも、やっぱり、何度考えても……何かに『負け』を認めるのは大っ嫌いのようです。


「で、どうするんだ? パズル、やるんだよな?」
「ええ。でも、いいんですか?」
 負けず嫌いな性格ですが、意地と我侭は別だという感覚はあります。
 勢いつけて言ってみましたが、もし祐一さんが無理をして合わせてくれてるのなら……。
「こら栞」
 いきなり、ぽかりと頭をこつかれました。
「わ、何ですか!?」
 この状況で手が飛んでくるなんて思いもしてなかったので、軽くこつかれただけでもじゅーぶん痛いです。
 うーっと、威嚇するように祐一さんを睨みつけました。
 でも、祐一さんはたじろぐそぶりをまったく見せません。
 そう来ますか。なら私も本気を出しますよ。
 テレビかどこかでやってました。顔を大きく見せれば威嚇効果は増すのです。
 具体的には広げた両手を顔の左右に当てて……然る後に高速振動!

「あばばばばばー」
「何がしたいんじゃお前は!」

 すみません。これは私も何か違うと思いました。
 それに、ふと思い出しましたが……テレビでやってたのはエリマキトカゲの特集でした。
「ったく、ほら、パズルやろうぜ」
「え?」
「どうせ本当はやりたくてやりたくて仕方ないんだろう? いっつも栞はそうだ。本心にないこと言って遠慮する。もう少し我儘になってもいいんだぞ」
「え、えと、その……」
「まあ、そういう性格のおかげで、適度に機嫌取っとけば何も言わないし俺は楽でいいけどな」
「そんなこと言う人、嫌いです!」
 祐一さんは不思議な人です。
 口ではあんなこと言ってても、そのおかげで私は自由に自分を表現できます。
 昔から、体のことで迷惑をかけてきて家族にも遠慮を感じてしまう私なのに。
 祐一さんと一緒なら自然な自分でいられる、そんな安らぎのようなものを感じます。
 その優しさが嬉しくて、思わず抱きついちゃいました。
「でも、やっぱり大好きです」
「どっちなんだよ」
 私もよく分からないです。
 ひょっとしたら、嫌いなところまで好きになっちゃったのかもしれません。

「さぁて、じーさんばーさんの墓前に供えられるようにパズル頑張るか」
「二人とも死んでません! 勝手に殺さないでくださいっ!」

 ……こういうデリカシーのないところだけは大嫌いです。




 がばっ。ぱりぱり。
「先手、1五桂」
「後手、同香」
「十秒」
 ぱりぱり、ぽりぽり。
「二十秒」
「先手、2四銀」
「後手、1二玉」
 むー、将棋は見ててもあんまり面白くないです。

 カチッ。

「面白ペット大紹介ー。今日紹介するのは、猫のリュウイチ君。目の前に五円玉を吊るすと、目にも止まらぬ数の猫パンチを繰り出すんだそうです」
 どうして五円玉なんでしょう?
 あ、かわいいですー。
「す、凄い。一体、この一瞬の間にに何発打ったんでしょう!? まるでショットガンです!」
 十? いえ、十二? ダメです、四つまでは数えられましたが早すぎて何回手を振ったのか分かりません。
 かわいい顔して、とんでもない猫さんです。
「速水さんのお家のリュウイチ君でした。では、今日の天気予報です」
 ぱりぱり。きょろきょろ。
 見なくてもいい天気ですね。どうせおうちの中なので関係ないです。

 カチッ。

「ピーチ」
「マリオ この日を 信じてた〜」
「ピーチは この私の 后になる べき人だ〜」
「命 尽き果てよう とも 離し はしない〜」
「決闘だ!」
 ええと、何でしょうこれ?
 ドラマみたいだけどそうじゃなくて、ひょっとしてこれがオペラ?
 わ、凄いです。決闘です。まるでドラマですー。

 ばぁん! ばらばらばら。
 だんだんだん、ばらららら、ばりっぼりっばりっ、ごっくん。
 くしゃくしゃくしゃ、ぽいっ!

「くぉら栞! 何しとんじゃキサマ!」
「あー、酷いです。私のポテトチョップスコークスクリュー味を!」
「じゃかましいっ! 人がパズル必死にやってるのに、なんで菓子食いながらテレビ見てくつろいどるんじゃお前は!」
「それはもちろん、祐一さんが私のためにどれだけ尽くしてくれるのか見てみたいからですよ」
 そう言ってパズルを見てみました。
 埋まったピースは0。というか、祐一さんにひっくり返されてます。
「祐一さん……祐一さんの愛をパズルで表すと、最高値2000のうち0。愛なんてなかったんですね」
「なんだその嫌なパラメーター化は」
「冗談です」
 いつ怒るかなと思ってましたが、祐一さんは予想以上に長い時間堪えてくれました。
 祐一さんがどれだけ私を大切にしようとしてくれてるか、今さらなくらい十分に伝わってきます。
「それで、どうだったんですか? パズル」
「ダメだ。全然分からん。どのピースも似てるってのが痛いが、それに加えて見てみろこれ」
 首を振りながら、祐一さんは散らばったパズルのピースを鷲掴みにして私の前に突き出しました。
 黒、黒、黒、そうでない色も混ざってますが、とにかく黒だらけです。
 これでは絵柄から合わせていくのは厳しいです。
 ただでさえジグソーパズルは型が合わせにくいのに。
 ……型?
「あーっ!」
「どうした!?」
「型ですよ、型。昨日ちょっとだけチャレンジした時にどうして気付かなかったんでしょう」
「型? 型ってどういう……って、ああっ」
 二人して同時に閃いたようです。
 そうです。パズルが大きくなりすぎて基本を見失っていました。
 いくらジグソーパズルでも、型からハッキリ分かる場所があります。
 四隅の4ピースは直線面が二つ、それと外周の多分100ピース前後は直線面が一つあることになるのです。
「そうか、まずは外堀から埋めるべきだったんだな。栞、直線が混ざってるピースを探してくれ。まずはそこからだ」
「はい」
 ようやく見つかった攻略の糸口のおかげで気力充填。
 しばらく私達は、散らばったピースから目当てのピースを選別する作業を続けました。



 でも、2000ピースは圧倒的です。
 慣れてる人ならもっと簡単なのかもしれませんが、その日は外周を埋めるだけで精一杯でした。
「これは……想像以上に骨が折れるな」
「ええ、一日でこれだけしか進まないなんて予想外です」
 しかも、終わってみて途方に暮れました。
 外枠のないパズルで大きさが分からなかったのですが、姿を現した外周はなんと縦横約1メートルと約70センチもの長方形だったのです。
 世の中にこんなパズルがあるだなんて、それだけでもカルチャーショックを受けました。
「あ、待て。動かすな」
 これ以上祐一さんの家に長居するわけにもいかないので、パズルの下に繋ぎ合わせた画用紙を差し込んで持ち帰ろうとすると、祐一さんに止められました。
「それ俺の部屋に置いといてくれ。持ち運びして崩れたら苦労が水の泡だ」
「そうですね。でも、いいんですか?」
「ああ。俺もここまで手こずらせてくれたこのパズルの名画とやらを拝んでみたいし、このまま諦めるのもなんか癪だ。学校行く前とか1ピースずつでも埋めてやる」
「わ、それは嬉しいです」
「おう。それにこいつを置いときたい理由はもう一つある」
「え?」
 頼もしいな、と思ったのも束の間。
 祐一さんがにまぁーと嫌な笑みを浮かべました。
 うう、この顔は絶対ろくなこと考えてません。
「これ置いといたら、毎日栞が通い妻してくれるんだよな?」
「うー、やっぱりそういうオチですか」
「してくれるんだよな?」
 念押しするかのように祐一さんが尋ねます。というより、強制です。
 確かに私も毎日一緒に過ごせるのは嬉しい限りです。
「分かりました。毎日通って、次の日学校のない土曜日はここに泊まりですね」
「えっ?」
「女の子を堂々と同じ部屋に泊める居候さんに、家主さんも娘さんもびっくりドキワクです」
「な、な、な、ちょっと待てーーっ!」
 でも、頼み方が何となく邪だったのでちょっといじわる言ってみました。
 居候の立場は何かと肩身が狭いんだそうです。







――パズル開始から一ヶ月。悪戦苦闘中です。

 時には1ピースも埋まらず、時には脱線して、またある時は間違って巻き戻し。でも時には100ピース近く進んだり、そんなこんなでパズルは続けられていました。
 外周から埋める作戦を採っているので、ちょうどパズルの真ん中に大きなミステリーサークルが出来てる感じです。
 それもはじめに比べれば随分小さくなってきましたが、まだまだ先は長そうです。
 ジグソーパズル名人ならどれくらいで終わらせるものなんでしょう?
 ひょっとすると、ギネス級の達人はパズルの上にピースをばばっと振りまくだけで完成させてしまうのかもしれません。
 ……よく考えると、それは達人というよりマジシャンかエスパーの気がします。
「ふう、随分形が見えてきたな」
「そうですね。何でしょう、これ見覚えがある気がします」
「んー、そうだな。俺もどこかで見たことがある気がする」
 二人とも真ん中が中空の未完成な絵に見覚えがあると言います。
 確かにこの構図、どこかで見た気がします。
 でも、あの絵は人物画だったはずですし、周りに山水画のような風景はありましたっけ?
 なんとなく、風景を見ていると中国の絵のようにも見えてきます。
 図書館で調べればすぐ分かる気もしますが、それはカンニングということなのでしょう。
 完成させて答えを出す、というのは二人共通の意地だったのかもしれません。
「とにかく、がんばりましょう」
「おう」
 お互いに励ましあって、次のピースを手にします。

 ぎょろり。

 何かぞくっとしたものが背中を駆け巡りました。
 誰かに、見られてる?
 祐一さんはパズルに集中してるし、他に視線なんて……。

 ぎょろり。

「きゃあああああっ!」
「どうした!? ん? うわっ、なんだこれは!? 気持ち悪っ!」
 思わず投げ捨てたパズルのピース。
 舞い落ちるそれを手にした祐一さんも、毛虫でもつかんだかみたいに手を振ってそれを投げ捨てました。
「祐一さん、目です、めです、メデス! って、あれ? アルキメデス?」
「落ち着け栞。目だろ? 目だったよな!?」
「……混乱してるのは祐一さんもです」
「あ、ああ、そうだな。人人人、ごっくん。よし、落ち着いた」
 祐一さん、意外に迷信が身についてる人なんですね。
 今度雷が鳴ったら「くわばらくわばら」と言うか注意して見てましょう。
 って、そうじゃなくて。
 慌てて遠くに投げ捨てられたそのピースを拾いに行きました。
 大事な1ピースなんですから、こんなことでなくしたら大変です。
「目、ですね」
「ああ、アイだな」
 回収したピースを二人で見つめます。
 そのピースはどう見ても人間の『目』でした。人間の目の、瞳の部分です。
 なんだかじっくり見れば見るほど、こっちを観察してるようで不気味です。
「なあ、これ……呪いの絵とかじゃないよな」
「そんなことはないと思います。……多分」
 この1ピースだけ見ていると、自信がなくなってきます。
 どこかの黒ミサで使われていた黒魔術の象徴とかだったらどうしましょう。
「こうなると、いよいよ完成させてみるしかないな」
「そうですね。がんばりましょう」
 まだ、描かれている人物らしいものは、上のほうに髪の毛、下の方に指先のようなものが見えるだけで判別できません。
 周りは風景、遠景が描かれていて、その中央にいる誰か。
 絶対に見覚えがあるはずなのに、記憶にない背景とパズルが大きすぎるせいか、かえって分かりにくくなってる気がします。



 と、それはともかく。
 さっきの騒動でちょっとした悪戯を思いついてしまいました。
 ふふふ、祐一さんはパズルに集中してますし今のうちにっと。
 祐一さんが最後に驚く姿が楽しみです。






――パズル開始から二ヶ月。めいくみらくる、です。

 長い間続いたジグソーパズルも、ついに終わるときがきました。
 こう、何でしょう。これだけ長く付き合っていると、終わってしまうのが寂しい感じもします。
 残るは真ん中からちょっと上にそれた顔の下半分。
 どうしてこっちにずれたのかは……アレが原因でしょうか?
 よく考えるとここが残ってしまうように操作してしまったんですね。
 もちろん、もうほとんど完成しているので、絵の正体が何なのかは気付いています。
 でも、祐一さんも私も、気付かないふりをしています。
 きっと、それを言っちゃったら完成させる気がなくなっちゃうかもしれないから。
 確か、絵の世界ではこういうのを画竜点睛を欠くって言うんですよね。

 ぱちん、ぱちん……。

 始めたころは、一時間かかっても鳴らなかった音。
 それが、残り50ピース近くになった今ではリズムよく祐一さんの部屋に響きます。
 お互いに何も言わずに、黙々と最後の空白を埋めていきます。

 ぱちん、ぱちん、ぱちん……。

 リズムが加速しました。
 残り20。もう手に取ったピースが確実にどこかにつながっていきます。
 10、9、8、7……。

 ぱちん、ぱちん、ぱちん、ぱちん。

 音が止みました。
 感動のフィナーレです。
 でも、きっと祐一さんは「あれ?」と不思議な顔をしているでしょう。
 ドラマではこんな時、ハプニングがつき物なんですよ祐一さん。
 黙ってたら疑われます。ここはいかにも知らない振りをして、祐一さんと一緒に慌てるシチュエーションなのです。

「あれ? 一つ足りませんね」
「ん? 一つ足りないぞ」

 我ながらわざとらしいなと思った一言。
 でも、どういうわけか、同じような声がそこにハモりました。

「……はへ?」
「……あり?」

 今度は同時に間の抜けた声が響きました。
 見つめる先のパズルに空いた穴は一つ。
 一つのはずです。
 だって、残りの一つは一ヶ月前に私がポケットに隠したんですから。
 最後の一つが足りない、って祐一さんを慌てさせるために……。
 でも、そのときパズルに空いていた穴は、一つでしたが、ピースにすると二つ分の穴だったのです。
 うまい具合に、描かれている人物の唇の真ん中だけが、その横に並んだ2ピース分の穴でなくなっていました。
 でも、実際には2ピース足りないのに、二人が同時に確信を持って言ったのは「一つ足りない」でした。
 まさか、祐一さんも?

「ひょっとして、祐一さんも隠してました?」
「ひょっとしなくても、栞も隠していたのか?」

 お互いにポケットから隠していた最後の1ピースを取り出して、相手に見えるように手のひらに乗せました。
 間違いなく足りないピースです。
「栞、一体いつから隠していた?」
「一ヶ月前です。あの目を見て驚いたあとに、もし完成寸前で一つ足りなかったら祐一さん驚くだろうなあって思ってつい」
「……俺は結構最初のころ、ベッドの下に転がしてしまった時に思いついた」
 しばらく無言で見つめ合う私達。
 やがて、どちらともなく笑い出しました。

「ぶっ、ぶはははは」
「ぷっ、あはははは」

 何で私達、暗黙の了解で同じ悪戯しかけようとしてたんでしょうか。
 しかも、偶然にも隠し持っていた最後のピースは、隣り合う欠片だったのです。
 考えてみると、これって凄い奇跡なんじゃないでしょうか?
 確率にすると、どれくらいになるんでしょう?
 難しくて計算できませんが、そんな簡単には起きないはず……いえ、暗黙の了解でやるという条件をつけると天文学的な確率になるかもしれません。

「ったく、ほら、それよこせ。完成させるぞ」

 呆れた様子で手を差し出す祐一さん。
「嫌です」
「何? それがなきゃ完成できないじゃないか。ほらよこせ」
 むー、何なんですか。
 せっかくこんな凄い偶然が起きたっていうのに、ムード台無しです。
「嫌です。このピースはあることをしてもらえなければ渡せないのです」
「あること? なんだそりゃ?」
「祐一さんは鈍感ですね。唇ですよ。手に入れる手段は一つじゃないですか」
 目を閉じて、顔と口を前に出します。
 すると、祐一さんの顔が近づいてくる気配がして……。

 ちゅ。

 暖かくてやわらかいものが、私の唇に触れました。
「唇は奪うもの、か」
「はいっ。しっかり奪われました」
 目を開けると、照れくさそうに鼻の頭を掻いてる祐一さん。
 そんな祐一さんに、私は喜んで最後の1ピースを献上したのでした。




 こうして、ようやく完成したパズルは、秋子さんからもらったお古の額に入れて、おじいちゃんおばあちゃんのお家に送ることにしました。
 繋ぎ合わせた画用紙を下に通して、額の裏側に当てるベニヤ板まで二人でそぉっとそぉっと慎重に運びます。
 そして、ベニヤ板の上から額を乗せて、思い切ってひっくり返しました。
 あとは、ベニヤ板を一度外して、崩れたところがあったらパズルの裏側から直して額入れ作業は終わり……。

「……あれ?」
「……ん?」

 返し方がよかったのか、パズルに崩れた場所はありません。
 でも、私と祐一さんの目はパズルの右上の一角に釘付けになっていました。
「なあ、栞。これお前に渡したのは、ばーさんだよな?」
「はい。……おばあちゃんったら」
「ぷぷ、なるほど。孫が孫なら、ばーさんもばーさんだ」
 完成させられなかったというのはウソではないでしょう。
 でも、全く埋められなかったというわけではなくて……必死に完成させた右上、表から見たら左上の部分におばあちゃんの真心がこもっていたのでした。

『いつまでも元気で幸せに』

 パズルの裏側には、筆で達筆に書かれたそんな文字が完成していたのです。
 孫の私に負けず劣らずの悪戯に祐一さんが笑うのも無理はありません。
「さて、どうする栞?」
 意味ありげに笑いながら二本のサインペンを差し出す祐一さん。
「もちろん決まってますよ」
 頬が緩むのを感じながら一本を受け取って、きゅっきゅっきゅっと力強く真ん中に文字を書き込みました。
 うん、ぐれいと。
 おばあちゃんに負けないくらい綺麗に書き上がった文字に満足しながら、額の裏蓋をしっかりと閉じました。


「しかし、モナリザかあ。よくこんなパズルあったな」
 額に入って、すっかり美術館の絵のようになったパズルを前に、祐一さんが感慨深げに呟きます。
 モナリザは私もよく知ってる絵でした。美術の教科書や歴史の教科書、それに街角でも見かけるくらい有名な絵です。
 こうやって完成させてみると、どうしてもっと早く分からなかったのか不思議になってきます。
 こんな大きなサイズを間近でじっくり見たことはなかったせいで、感覚を狂わされたのかもしれません。
 それに記憶の中のモナリザは描かれた人物だけが美化されて、背景はあまりに漠然としたままでした。
 多分、二人がモナリザであることに気付いたのは、特徴的なポーズの重ねた手がはっきりと浮かんだあたりからでしょう。
「大きなジグソーパズルには結構あるらしいですよ。世界の名画シリーズとか」
「ふーん。ところで栞、知ってるか?」
「はい?」
「ダ・ヴィンチのモナリザは『未完の傑作』らしいぞ。栞にピッタリだな」
「どういう意味ですか! そんなこと言う人、大っ嫌いです」
 ふんだ。いつか凄い絵を書いてぎゃふんと言わせてやります。
 こう見えても負けず嫌いですからね、私は。
 でも……。
「でも、やっぱり大好きです」
「ここのところ最後はいつもそれだなお前」
 私に色んな目標を与えてくれる祐一さんが大好きで仕方ないんです。






――パズル完成から一ヵ月後。後日談、です。

<こんな恋のおまじないはいかがですか?>   PN.菓子折りさん
【10ポイント進呈】
 まず、ピース数の多いジグソーパズルを買ってきます。
 そして、バラバラになったピースの中から、彼氏とお互いに1ピースずつ抜き取りましょう。
 パズルを組み立てていって、最後に残る2ピースの穴。
 その距離が、あなたと彼氏の距離です。
 となり同士だったら、あなたと彼氏の相性はバッチリ!



「祐一さん、祐一さん、これ見て下さい。念願の読者コーナーデビューです!」
「何で雑誌投稿なんかしてるんだお前はっ」
「だって、感動したんですよ?」
「感動ぶち壊しじゃ! 10ポイントってなんだよ、10ポイントって」
「それでですね、これ」
「人の話聞けよ。って、それまさか……」
「今度は3000ピースです。一年計画でおまじないかけてみませんか?」
「一年か……」
「今回は期限なんて野暮なものもないって、神様からサービスまでもらえました」
「それなら、気長に試してみるか」
「はいっ」


 新しいパズルはゆっくりゆっくり進めています。
 まだ外周も埋まってなくて、このままじゃ一年で終わるのかちょっと微妙です。
 でも、焦る必要はありません。今はあの時と違って、時間がたっぷりあるんですから。
 二年、三年、十年、ずっと祐一さんといられるなら一生かけて完成してもいいかなって思ってます。
 え? 完成したパズルの裏側に何を書いたかですか?
 もちろん、悪戯心を込めて――

『おかげさまで私達ふたりはとっても幸せです』
『じーさんばーさん、ふたりも長生きしろよ』

 って、祐一さんと一緒に書いちゃいました。







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