今日はとてもよく晴れていた。
   新しい門出として、すごく縁起がいい気がする。
  「今日は暖かそうだね〜」
  「そうだな… このまま暖かくなって早く雪が溶けてほしいな…」
   毎朝の雪かきからそろそろ解放されたい。
   病室は綺麗に片付けられて、昨日までの生活感のある病室ではなくなっていた。
   今の病室はものすごく無機質で、乾いたようなイメージだった。
   もうここともお別れなんだな…
   そう思うと、なぜだか寂しい気持ちになった。
  「それにしても、早く傷が塞がってよかったな」
  「うん。不幸中の幸いだよ〜」
   名雪の傷は普通の切り傷よりも傷口が綺麗だったらしい。
   凶器が切れ味のいい刃物だった事と、一気に刃物が通ったため比較的細胞が死なない切り口だったとか…
   不幸中の幸いとはこの事かもしれない。
   傷跡も目立たないみたいだが、それでも少しは残ってしまうらしい…
   名雪はそれを証だと言った。
   なら、俺はそれに応えなければいけないだろう。
  「名雪、準備終わった?」
   病室から出ていた香里が戻ってきた。
  「うん、すぐにでも出られるよ〜」
  「よかった。まだ終わってなかったらどうしようと思ったわ」
   今日退院することはあらかじめ香里と北川に話していた。
   北川はバイトが入っていたらしく、欠席となった。
   香里は用事が入ってなかったらしく、こうして荷造りも手伝ってくれた。
  「よし、それじゃあ行くか」
   荷物を持って病室を出ようとした。
  「あ、その前にちょっといいかな?」
  「何か忘れ物か?」
  「えーと、そういうのじゃないんだけど…」
   名雪は部屋を思い出深そうに見回した。
   窓から見える風景や、使っていたベッドや冷蔵庫。
   すべての物の思い出を一つ一つ思い出しているようだった。
   そして…
  「短い間だったけど、お世話になりました」
   頭を下げてそう言った。
  「…これでよし、と」
  「病室にお別れの挨拶なんて初めて見るわ…」
  「え、普通はしないものなの?」
  「………………」
  「………………」
   なんというか、名雪らしいというか…
  「うふふっ…」
  「はっはっは…」
   香里と二人で大声で笑ってしまった。
  「えっ、えっ…? どうしてふたりとも笑ってるの〜?」


   病院の廊下をエレベーターに向かって歩いていく。
   こうして3人並んで歩いていると学校を歩いているような気分になる。
  「そういえば、香里ってこのあと予定はあるのか?」
  「特にないけど…」
  「それじゃあ快気祝いって事で百花屋でも行かないか?」
   百花屋という単語にすかさず名雪が反応する。
  「イチゴ〜 イチゴ〜」
  「…………名雪は確実に来ると思うけど、香里はどうする?」
  「そうね… せっかくだから行こうかしら」
  「やった〜 久しぶりにイチゴサンデーが食べられるよ〜」
   今までずっと病院食だったからな…
   よし、ここは奮発して…
  「それじゃあ今日は特別に俺が名雪の分を奢ろう」
  「え、いいの…?」
  「ああ、お祝いだ」
   喜んでくれるのが一番だ。
   それなら多少の出費も痛くはない。
  「やったー! イチゴサンデー食べ放題だよ〜!!」
   ………………
  「い、いや… できれば遠慮して欲しいかな…なんて」
  「………………」
   名雪が上目づかいで悲しそうな顔になる。
   うわ、その顔は卑怯だ。
   そんな顔されたらつい甘えて欲しくなるじゃないか…
  「食べ放題って… 何杯食べるつもりよ?」
  「今なら8杯は軽いよ〜」
   想像しただけで胸焼けしてきそうだった。
   さすがは名雪だ…
   香里も8杯のイチゴサンデーを想像して気分が悪くなったらしい。
  「晩ご飯のこと考えて言ってるの…?」
  「うん。晩ご飯のこと考えなかったらあと…」
  「頼む、それ以上言わないでくれ」
   本気で胸焼けしてきそうだ…




   エレベーターで一階へ降り、ロビーに向かう。
   自動ドアを抜ければそこは…
  「…外だ」
   日差しが眩しい。
   春が近いんだって感じられる。
  「う〜ん… こりゃ今日は本当にあったかいな」
  「そう… だね」
   名雪はボーっと空を見上げている。
   こうして外に出るのは久しぶりだから、色々思うことがあるんだろう。
  「………」
  「どうだ、やっぱり外の空気はおいしいだろ?」
  「…………うん。こうして出てみてあらためて分かったよ」
   病院の清潔な空気と違って、自然のままの空気。
   降り注ぐ日差しもそのままで、全身に日の光を浴びる事ができる。
   やはり、人は外に出て動いてないとダメなんだな…
  「さて、このまま百花屋へ直行だ!」
   名雪の手を引いて少し早足で歩いた。
  「わっ! わっ! ちょっと〜!」
  「本当、元気ねあなたたち」
  「元気なのがとりえだからな」
  「ふふふっ、そうね…」


   商店街に着いた。
  「さて、それじゃあ早速行くか」
  「うんっ!」
  「百花屋は逃げないと思うけど?」
  「逃げないけど閉店時間はあるよ〜」
  「一本とられたな、香里」
  「まったくね」
   子供みたいにはしゃいでいる名雪。
   こういうふうに無邪気に笑っているのが本当の名雪なんだ。
   いつまでも笑っていて欲しい。
   心からそう思った。


  「ごちそうさま〜」
   名雪はしっかりとイチゴサンデー8杯を平らげた。
  「なんていうか… すごいな」
  「まったくね…」
   見ていて気持ちいいぐらいの食べっぷりだった。
  「そういや香里はこのまま帰るのか?」
   もう日が傾いている。
   そろそろ帰るころだろうか…?
  「そうね… 今日はここでお別れね」
  「あれっ、もう帰っちゃうの?」
  「もう結構遅いしな」
  「あっ、本当だ…」
   時計を見て驚く。
  「それじゃあ、またね」
  「うん、またね〜」
  「寝る前には歯磨くんだぞ」
  「お約束なボケをありがとう」
  「それじゃあね」
   香里は手を振りながら家への方へと歩いていった。
   やがて、その姿も見えなくなる。
  「さて、それじゃあ俺たちも帰るか」
  「うん、そうだね」
   そのまま家のあるほうへと向かう。
  「………………」
  「………………」
   なぜかふたりとも黙ってしまう。
   久しぶりの帰り道。
   ちょっと緊張する…
  「…………手、つなぐか?」
  「えっ?」
   突然の事に名雪が驚く。
  「………うんっ」
   名雪の小さな手が俺の大きな手と繋がる。
   細くてきれいな指が俺の指に絡む。
  「………………」
  「………………」
   なんとなく気恥ずかしさでいっぱいになる。
   初めて手をつなぐわけじゃないのにすごくドキドキしている。
  「な、名雪」
  「ゆ、祐一」
  「………………」
  「………………」
   思いっきりハモってしまった。
   恥ずかしい…
  「………………」
  「………………」
   なんだか恥ずかしくて家に着くまでずっと無言だった。


   名雪の料理している姿を見つめている。
   エプロンをつけて料理をしている姿は主婦そのものだ。
  「若奥さんかぁ…」
   どうも人妻という言葉は危険だ。
   その一言だけでものすごく魅力的な響きができあがる。
  「どうしたの? さっきからボーっとしてるけど」
  「ん、なんだ…」
  「こういうのってなんだかいいな…って」
  「そうだね」
   名雪が笑顔で頷く。
   ああ、そうだ。
   やっぱりこの笑顔がいい。
   それだけで頑張ろうって気分でいっぱいになる。
  「晩ご飯期待しているぞ」
  「うんっ!」




   すっかり夜も更けた。
  「くー」
   隣で眠っている名雪を見つめる。
   傍にある温もり。
   この温もりを守りたい。
   まだやらなきゃいけない事はいっぱいある。
   まだ乗り越えなきゃいけない事もたくさんある。
   胸にぽっかりと開いた穴はまだ塞げない。
  「………………」
   秋子さんの存在の大きさ。
   こうして色々な事を経験してあらためて感じた。
   名雪にとっての秋子さんという存在。
   それはあまりに大きすぎて失うのは早すぎた。
   答えはまだ見つからない。
   でも、見つけていかなきゃいけない。
   俺も名雪もふたりで答えを見つけていかなきゃいけない…
   ………………
   一人じゃ絶対折れていたと思う。
   でも、俺は一人じゃない。
   名雪がいる。
   香里や北川、たくさんの友達がいる。
   だから、一人じゃない。
   乗り越えてみせる。
   だから頑張ろうな、名雪。
   意識が途切れ始めてきた。
   じわじわと眠気が染み出してくるように襲い掛かってくる。
   傍にいる温もりを感じながら…
   襲い掛かる眠気に任せて眠る事にした。


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