わたしは、その森で知った事を思い出していた。
幼い顔に不釣合いな憂いを秘めた少女が森の番人をしている事。
この森の存在の理由、いつから森はあるのか…
普通なら知る事ができない事らしいが、少女は突然教えてくれた。
もうすぐわたしの記憶はすべてリセットされて魂となって次の人生を迎える準備を始める。
積み重ねてきた記憶はすぐに消せるものではない。
積み重ねてきた分だけ記憶を消していくのには時間はかかる。
ただし、こうなってしまっては時間の概念はほとんどないに等しい。
今までの記憶を逆再生のように見つめながら過ごしていく。
そして、懐かしいなと思ったときにはその記憶はすでに無くなっている。
その間は時間を感じない。
昼なのか夜なのか何時間経ったのか何年経ったのか…
それはまったく分からないのだ。
わたしがまた現世に生を受けるにはどのぐらいの月日が経つのだろうか…?
…いや、それよりも気になることがある。
遺してきてしまった存在…
あのふたりの行方を最後まで見守る事はできなかった。
時間が来てしまったのだ。
できる事なら多少の無理をしてでも知りたい。
ふたりは幸せになることができるのか…
それとも…
信じたい。
あのふたりを信じたい。
でも、遺された立場の辛さはよく知っている。
しっかりと自分を保てたのはあのふたりのおかげだった。
それは遠い昔の事。
あの人を失った日、わたしは死ぬ事も考えた。
知っている知識を少し曲げて使う事で簡単に死ぬ方法はできあがる。
準備も大変ではない。30分もあれば終わってしまう。
だからだろうか。
死んでしまおうと思って、ここまで冷静でいられるのは。
目の前にはたった今調合した毒薬がコップに並々と入っている。
褐色のその液体は鼻をつく刺激臭さえなければコーヒーのようだ。
そっとコップに手を伸ばす。
これを飲めばすべて終わる。
そう、すべてが…
でも、そんな時だった。
あの子はもう覚えていないかもしれないけど、あの日わたしは真剣に叱られてしまった。
それも、自分の娘と同じ歳の子供にだ。
「バカバカバカ! どうしてそんなことするんだよ!」
目の前で起こっている事を理解できない。
調合した毒薬を飲もうとしたとき、突然湯飲みが叩き落されて床を転がった。
湯飲みを取ろうとする手を掴まれていた。
振りほどこうにもびっくりするぐらい力が込められていて手が動かせない。
その先に、あの子がいた。
「おばさんはバカだ! 自分のことを大事にできないやつは最低なやつなんだ!」
近くに調合に使ったレシピがあった。
材料にトリカブトが入っていたから、子どもでもこれが危険なものであると分かったのだろう。
おそらくこれを見て、あの子はわたしを助けようとしたのだ。
どうして邪魔をするのだろうか…
何も分かっていないのに、余計な事はしないで欲しい。
わたしはもう強くはなれない。
あの人はもういないのだから。
だから…
もう生きる意味はないのに…
どうして…
どうして邪魔をするの…!!
声を出そうとした。
空いている手で押しのけようとした。
最後の気力を使って行動を移そうと手を伸ばした。
「そんなことしたら… そんなことしたらあいつはどうしたらいいんだよ!!」
それはどんな励ましの言葉よりも暖かかった。
それはどんな叱咤の言葉よりも胸に突き刺さった。
子供だからできる、純粋な言葉をぶつける行動。
純粋な想いの塊がぶつけられた。
叱られるなんて何年ぶりだったのだろうか…
一人ではないと知ったとき、自然と力が出てきた。
まだ生きていけると思った。
わたしはそのままあの子を抱きしめた。
「ごめんね… ごめんね…」
叱ってくれた、命の恩人を胸に抱き、わたしは泣いた。
静まり返った部屋に自分の嗚咽が響いていた。 それからは、わたしは強くあろうとがんばってきた。
ふたりの未来のためにもがんばってきた。
仕事と家庭の両立は大変なことだと今でも思う。
それでも、自然と力がわいてきた。
自分でもこんなにがんばれるなんて知らなかった。
大切なものを守りたいという想いの強さ。
どんなに時間が経ってもその強さは色あせる事はなかった。
だから、いつかあの子が壁にぶつかるときが来たらわたしが力を貸そうと自分自身に誓った。
そして、7年前のあの日…
あの子の中の何かが壊れてしまったあの日。
今度はわたしがあの子を救う番。
できる事は限られているかもしれない。
それでもわたしは誓いを守りたい。
使命感だけではない。
あの子を救いたいという想いだった。
でも、結局それは果たせなかった。
わたしにできることは、これ以上傷が広がらないように見守ることだけだった。
自分の無力さが悔しくて、しばらくぶりに涙を流してしまった。
その後聞いた話では、心に大きな欠陥を抱えて生きるようであるといわれた。
誰に責任があるかなんて問うことなんてできはしない。
ほんの少し、運命が悪戯しただけ。
それだけで幼い子供たちの心や未来は引き裂かれてしまった…
7年間、この街を避け続けた男の子。
あの子の存在を待ち続けた女の子。
明けることのない夜に閉じ込められてしまった女の子。
現実はただ残酷に進むだけだった。
そんな時間がずいぶんと過ぎたある日だった。
あの子がこの街に来る事を知らされた。
嬉しいと同時に不安もあった。
もし、何かが引き金になってあの子が壊れてしまったら…
あの子は特に何もなく暮らしているという事は話には聞いていた。
でも、その平穏もどれだけ続くものであるか…
不安はつきなかった。
そして、あの子は7年ぶりにこの街で過ごし始めた。
7年前とは違い、しばらく生活する事を前提においた毎日。
楽しかった。
まるで7年前のあの日が戻ってきたみたいに楽しい毎日だった。
いつしか心配していた事も杞憂に終わるのではという希望になっていた。
そして、わたしは幸せな風景を見る前に死んでしまった。
事故の日の事ははっきりとは覚えていない。
体から力が抜けていく感覚と全身にある鈍い痛みがぼんやりと記憶として残っていた。
そのときにはもう気付いてしまっていた。
もう、わたしは何もできないのだろうという事を。
わたしは最後にふたりの心に深い闇を残す事しかできなかった。
迷惑だろう。
責められた方が楽だ。
できる事なら手を差し伸べたかった。
でも、それは許されない事だった。
わたしは見守る事しかできなくて、唯一できていた事もできなくなってしまった。
わたしは最後までふたりに迷惑をかけてしまった。
ふたりの幸せを壊して、めちゃくちゃにしてしまった。
わたしは…
わたしは何のために存在していたのだろうか…?
きっとわたしが行く先は地獄だろう。
天国なんて許されない。
きっと、わたしは記憶がある限り自分の事を許せないでいるだろう。
そうして自分を罰して、いつかその事も忘れて新しい生を受ける。
そのときにはふたりはどうなっているのだろうか…?
幸せな時間を取り戻すことができるのだろうか…?
せめて、それを知る事ができたら…
せめて、それを知りたい…
あの子達が幸せな未来を歩めるように祈った。
この祈りが届くように、心を全部空にしてただ祈りを込めた。
やがて、ヒカリがわたしを包み始めた。
意識が途切れて… いく。
もっと… 願いを込めなければ… いけないのに…
あの… 子達… の… 幸せ… を…
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