朝、気が付くと俺はソファーの上で寝ていた。
   体中の節々が痛い。
  「なんでこんな所で寝ていたんだ…?」
   昨日の夜の事を思い出していく。
   …そうだ、あまりに疲れていたからそのまま寝ちまったんだっけ。
   制服を着たままなのが何よりの証拠だ。
   昨日、俺は全てを知った。
   すっかり泣き疲れて、無意識のうちに家に戻り… 部屋に戻りもしないで寝てしまった。
  「あゆ…」
   思い出した瞬間、感情がオーバーフローして涙に変わる。
   枯らせてしまったと思った涙はまた溢れていた。
  「…俺、誰も守れていないじゃないか」
   あゆも、名雪も守れてなんかいない。
   俺は… 誰かを守るなんて資格は無いのかもしれない。
   ピーンポーン
   玄関からチャイムが響く。
   時計を見ると、既に学校は終わっている時間だった。
   …昨日に引き続き不良生徒をやってしまったな。
   着替えるのも面倒なので、そのまま玄関に向かった。
  「こんにちは」
  「よう、どうしたんだ?」
   ドアの向こうにいたのは香里一人だった。
   香里は鞄からプリントを出すと、俺に渡した。
  「はい、これ重要なプリントみたいだから」
  「そうか、ありがとう…」
   プリントを受け取る。
  「ところで、どうしたの? 制服のままで…」
  「いや、なんでもないんだ」
  「それならいいけど…」
   できるだけあの事は俺だけで解決したかった。
  「せっかく来てくれたんだし、コーヒーでも飲んでいかないか?」
  「それじゃあ、いただこうかしら」
  「はい、一応インスタントじゃないぞ」
  「ありがとう」
   部屋にコーヒーの匂いが広がる。
   お菓子でもあればよかったのだが、あいにく買い置きが無かった。
   クラッカーでもあればジャムを乗せたりして食べられるのだが…
  「そういえば、今日も行くんでしょ?」
  「え? ああ、行くつもりだけど…」
  「それじゃあ、着替えていった方がよさそうね。シワだらけよ?」
   よく見ると、制服のあちこちにシワがよっていた。
   着たままで寝るとやっぱりよくないな…
  「少し時間をくれ」
  「慌てなくても大丈夫よ」
   コーヒーを一気に飲んで、そのまま部屋に走った。
   飲み終わった後で少し濃く作りすぎたかと後悔した。




   何度見てもここは変わらない。
   秋子さんが担ぎこまれた時も今日みたいにうす曇りの日だった。
   見上げた建物は、清潔感のある白で統一されている。
   それがかえって無機質な感じがして、薄気味の悪さを感じた。
   中に入る。
   中も外と同じく、白い壁が広がっていた。
   無機質な空間にいると、自分もただ無意識に動いているタンパク質の塊だけじゃないのかと思ってしまう。
   足は自然と向かうべき場所に向かう。
   やがて、俺達はそこについた。

   コンコン

   ………………
  「…あれ?」
  「どこか出かけているのかしら?」
   もう一度戸を叩いてみる。

   コンコン

   ………………
   返事が無い。
   いつも中から響いてくるはずの声は全く聞こえなかった。
  「おかしいな…」
   ドアに手をかけ、開けてみる。
   鍵はかかっているわけが無いので、全く抵抗もなくドアは開いた。
   名雪はベッドの上にいた。
  「よう、返事が無いから心配したぞ」
  「………………」
   名雪は無表情で俺と香里を見つめている。
  「…もの」
   名雪がつぶやいた。
   つぶやいた声は、あまりに冷たく吐き捨てるようなものだった。
  「どうしたんだ…?」
   名雪の様子がおかしい。
   明らかに、普段とは何かが違う。
  「名雪、何かあったの?」
   香里が近づいた時だった。
  「裏切りもの!」
  「えっ? ど、どうしたの?」
   名雪が大声を出すなんて珍しい事だった。
   ましてや、内容が内容なだけにそれはあまりに異質だった。
  「…もう、誰も信じたくない。みんな裏切って、わたしを傷つけるだけだよ!」
  「な、名雪…」
  「…昨日、屋上で二人が抱き合っているのを見たよ」
   っ!?
   あれを… 見られたのか?
   決してやましい事をした覚えはないが、傍から見れば誤解を招くには充分だろう。
  「あれはあたしから抱きついただけなの。それに、変な気持ちでしたわけじゃないわ…」
  「………」
   香里が言った事に嘘や偽りはない。
   ただ、その言葉は名雪の感情を爆発させるには充分すぎるほどだった。


  「…裏切り者」
  「………………」
  「…香里って、そういう人だったんだ。さんざん人を心配するふりをして、結局こうやって裏切るんだね」
  「…名雪がそう誤解するのも仕方が無いと思う。でも、名雪が思うような事は一切していないわ」
   香里はしっかりと意志を持った目で、名雪に向き合った。
  「よくそんな嘘が言えるね。わたしはもう騙されないよ」
  「………………」
  「わたし、香里は一番の親友だと思っていたよ。でも、こんな事する人だったなんて最悪だよ。どうして今まで気付かなかったんだろ…」
  「………………」
  「もしかしてわたしがこうなる前から祐一の事を狙っていたのかな? わたしがこうなっていい気味だって思っているんでしょ?」
   名雪の口から出た言葉とは思えないほど、辛辣な言葉が続く。
   やめてくれ… そんな姿は見たくないんだ…
  「…もっと相沢君を信じてあげて。このままじゃ、相沢君がかわいそうよ…」
  「余計なこと言わないで!」
   名雪の声が病室に響く。
   名雪は泣いていた。
  「何も分からないくせに… 大切な人をなくした事なんて無いのに、知ったかぶりで偽善なんて言わないで!!」
   そんな言葉が名雪の口から出る事なんて信じたくなかった。
   何か言わなきゃいけない。
   けど、言葉は出なかった。
   けど、頑張って何か言おうとした時、乾いた音が部屋に響いた。

   パンッ!

  「っ!?」
  「………………」
   香里が名雪の頬を平手で叩いていた。
   香里は泣いていた。
   泣きながら、名雪を正面から見ていた。
  「…自分の不幸に酔っているなら早く醒めて」
  「…どうして? どうして香里がわたしをぶつの?」
   名雪は怒ったように香里をにらみつける。
  「悪いのは香里じゃない! どうしてなの!?」
   ベッドから落ちてしまうんじゃないかと思うぐらい、勢いよく香里に掴みかかる。
  「二人とも止せっ!」
   俺が二人を引き離そうとした時、香里が勢いよく手を引いた。
  「っ!?」
   よく見ると、香里の手首に最近出来たような傷があった。
   それは1つではなく、複数あった。
   場所はほとんど同じ場所で、それが何を意味しているのかはすぐに分かった。
  「香里、それ…」
  「………………」
   香里はそのまま逃げるように病室を飛び出した。
  「…少し、一人にさせて」
  「…ああ」
   俺はそのまま病室を出た。
   バタン
  「………………」
   どうしてこうなってしまったのだろうか。
   俺には幸せな未来を作るなんて事はできないんだろうか。
   何も考えられないままただ歩いていた。
   いくつもの病室を抜け、出口に向けて歩いていく。
  「そういえば、203号室のあの子…」
  「容態が… 一時期は回復していたけれどね…」
   看護婦さんが何か言っているが、それが何の事かは分からなかった。
   それから、俺は病院を抜けて商店街に向かった。
   ただ、無意識に。




  「…もしもし、月宮さんでしょうか? あゆちゃんの事ですが…」
   ナースステーションで同僚が電話をかけている。
   月宮あゆさんか…
   7年間、植物状態で眠っている少女。
   203号室の眠り姫とも言われている少女。
   最近、容態が悪化している事は聞いていたが…
   医者として、患者の容態が悪化するのは非常に悲しい事だ。
   水瀬さんはこのまま良くなっていくのだろうか…
   それとも、彼女もまた… 眠り姫となってしまうのだろうか。
  「いけない、いけない。医者らしくもない」
   水瀬さんはなんとしても救わなければいけない。
   彼女のためにも、そして…
   僕のためにも。


   そう、これは決まったことなんだ。
   誰が何を言おうとも、曲げられない未来。
   もう迷う事はないんだ。
   このまま望むままの未来を作るだけだ。
   これはもう決定している事なんだ。
   さぁ、始めよう。
   二人の未来のために…
   握り締めた手がやけに汗ばんでいた。
  

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