下界を見下ろす。
   たくさんの人がこの世界で生きている。
   みんな生きるために一生懸命にがんばっている。
   でも、いずれは死が訪れる。
   それは避けられない事。
   絶対に来る終着点。
   いくつもの人の死を見た。
   いくつもの魂の死を見た。
   いくつもの消え逝く霊を見た。
   時間が経つごとに私の体は託された記憶でいっぱいになった。
   思い出の雪からの記憶、番人としての記憶…
   失っていく記憶と一緒に得られる記憶もあった。
   たくさんの霊に触れ、時に迷える霊に干渉をする。
   繰り返すたびに記憶が生まれ、やがて時が来たときに受け継ぐ記憶として蓄積される。
   あの人と話したことも記憶として受け継がれていくのだろう。
   少し前に消えたその人は想いが強すぎて、すぐに消える事はできなかった。
   地上に大切な人を残してきてしまった。
   その人はそう言った。
   生きていくうえでそういうことは日常の一つ。
   人の命にも限りはある。
   そのときに残される人は必ずいる。
   でも、その人の想いは摂理を捻じ曲げてしまいそうなくらい、大きなものだった。
   だからその人は迷わずに私のいる丘にたどり着いたのだろう。
   それからしばらくは想いが力を失うまで監視する事にした。
   その人と一緒に地上の様子を見ていた。
   少女は悲しみから逃避した。
   少年は悲しみに向き合った。
   残酷すぎる現実は何も変わらずに進んでいくばかりだった。
   やがて、想いの力を失ったその人は消えていった。
   最後に「あの子達を見守っていてください…」と言葉を遺して…
   それから私はふたりの行方を見続けた。
   本来ならこんな事は無意味でしかない。
   でも、ふたりから目が離せなかった。
   情が移ってしまったのかもしれない。
   自分らしくない。
   それでもやめなかった。
   そして、少女は森に来た。
   どうしてあの時干渉しようと思ったのか…
   今も分からない。
   あのまま干渉しなければ少女は息を吹き返す事はなかった。
   幸せな結末はなかった。
   結末などどうでもよかった。
   本来私は傍観者でいるべき存在。
   特定の人に肩入れするのはしてはならない事だ。
   下界にいる少女を探す。
   程なく、少女の姿が見つかる。
  



   下界にいる少女。
   ここにきたときとはまるで違う、意思の篭った目で格子で仕切られた先にいる男を見つめている。
   場所は裁判所のようだ。
   ただ、見覚えのあるそれとは少し違う部分があった。
  「罪状は以上で、間違いないかな?」
  「………………」
   皺の寄った男性の質問に、無言で頷く男。
   その男を殺してやりたいとばかりに睨みつける少年。
   この三人に何があったのかは知っている。
   だが、大して興味は湧いてこない。
   全て過ぎ去った事、過去の事。
   大事なのは、今。
  「被害者の… 水瀬名雪さん、なにか言いたい事はありますか?」
  「………………」
   少女はしばらく無言で男を見つめ続けた。
   そして、立ち上がった。
  「彼があんなことをしたのはわたしが原因です。わたしの心が弱かったせいで、彼の人生を台無しにしたくありません」
   男は目を見開いて顔を上げる。
  「だから、わたしは厳しい罰を望みません。裁判長さん、検事さん、彼に慈悲をお願いします」
   その瞬間、男は大声で泣いた。
   静かだった裁判所に男の泣き声が響いた。
   少年は少女の言葉に少々複雑な思いを抱いているようだ。
   やがて、判決が下される。
   罪を犯した少年に、罰が与えられる…




   自分のした事は間違っていない気がする…
   少女の姿を見て、そう確信できた。
   これが一番あるべき結末…
   今ある現実が一番の現実…
   地上を見るのをやめ、森に視界を移す。
   森からは霊の存在を感じない。
   命が失われる事で生まれる澱みを感じた。
   もうすぐ森に一つ霊がくるだろう。
   …一つ気になる霊があった。
   もう何年もの前にこの森に来た少女の事。
   意思の力で霊が具現化されていたらしいが、最近その姿を見かけない。
   できる事なら少女にはこの苦しみを味わっては欲しくはない。
   この苦しみは… 私で終わりにさせなければいけない。
   記憶を失う苦しみは…
   すべてを失って生き続ける苦しみは…
   風が吹いた。
   髪を軽くなぜる風。
   魂が森に来たときに吹く風。
   魂はまっすぐこちらに向かってくる。
   そして…
  「こんにちは… じゃなくてこんばんはかな?」
   声をかけられて私ははっとした。
   かけられたその声には聞き覚えがある。
   つまり、それは…
  「どうして… 覚えていたの…?」
  「えへへっ… この森の事… 忘れられなくて」
   風が吹いた。
   日が昇り始め、闇が隅へと追いやられていく。
   森に変化が訪れた。
   主が変わるそのときが訪れる。
   赤いヒカリが森を、世界を包んでいく。
   くるはずのない夜明け。
   永遠に夜が続くこの森に朝が来る。
   彼女は来てしまった。
   再びここに来て、残酷な時間への扉を開けてしまった。
  「輪廻の鎖から外れるのは私だけでいいのに… それを…」
   私の言葉。
   それは、使命の縛りのない純粋な感情の塊。
   霊に干渉する事はよほどのことがない限りしてはいけない。
   青い髪の少女に干渉したのも、本当はいけない事だ。
   もしできるならこのまま少女の霊を無に還したい。
   しかし、それはできなかった。
   体から力が抜け始めている。
   つまり、森はこの少女を番人に選んでいる…
  「…だって、それじゃああまりに悲しいよ」
  「………………」
  「そろそろ新しい世界に行く頃だって思うよ」
   少女は赤い瞳に魅入られ、そのまま動けなかった。
   真剣な目つきは、これから降りかかる事を受け止めているような目だった。
   その目に魅入られる。
   強い意思が込められたその目。
   私はその少女に対して畏怖の念を抱いている。
   少女の周りに雪が降り始めた。
   嬉しい思い出、悲しい思い出…
   色々な思い出が封じ込められている雪。
   思い出の雪が…
   世界は赤で塗りつぶされ始めていた。
   風はいまだ強く吹き続けている。
   雪は風に舞い、やさしく降り積もっていく。
   記憶があふれ出す。
   少しずつ、私の中に記憶が蘇ってくる。
   失った記憶がどんどん入っていく。
   セカイが変わる。
   すべて、新しくなる。
  「ところで、君の名前は?」
  「私の… 名前?」
   蘇った記憶が急ぎ足で私の中を満たしていく。
   自分自身の事が手に取るように分かる。
   名前。
   それは失われていたもの。
   私が私である事を示すもの…
  「………柊」
   大切なものを取り戻せた気分。
   自然と涙が溢れてくる。
   嬉しいだけじゃない、悲しい気持ちもいっぱいある。
   目の前にいる少女はこれから私と同じように大切な記憶を失っていくのだ。
   家族の事、友人の事、大切な人の事…
   自分の事も忘れていって、最後には…
  「どうして… どうして…っ!?」
  「………………」
   泣きながら森に問いかけた。
   答えは返ってこない。
   森はただそこにあるだけだった。
   森は赤で塗りつぶされて、真っ赤な木が周りを多い尽くしていた。
   時間の概念が狂ったこの世界。
   閉鎖されたこの世界が、一瞬だけ解放されるその瞬間。
   私はこの風景を見たことがある。
   それはもうはるか昔の事。
   まだ私が私の名前を覚えていたときの事。
   その一瞬だけ、世界は時間を取り戻す。
   記憶はほとんどすべて蘇っていた。
   同時に、指先から感覚が抜けていく感覚がした。
   彼女の輪廻の鎖が断ち切られる。
   代わりに、私が輪廻の鎖に縛り付けられる。
   これから私は普通の霊と同じように輪廻していく。
   記憶を消しながら次の生へ移る準備をする。
   それなのに、目の前の少女は…
   誰もが救われるのは現実ではない。
   でも、人は誰もが救われる事を望んでしまう。
   私も目の前の少女が救われる事を望んでいる。
   無理な事だと分かっていても…
   望む事を止められない。
  「とても、とても長い時間を過ごす事になる… それでもあなたは…」
  「うん、選ばれたならちゃんと果たさなきゃダメだよ。あと、今は考えたい事があるから時間があるのは助かるよ」
   そういって笑う姿はこれからの事を受け入れた上での笑顔だった。
   彼女はこれから起こる残酷な時間をすべて受け入れている。
   それなのに、彼女の声や顔はあまりに穏やかで…
   その視線はここではないどこかへと向けられていた。
  「それに…」
  「え…?」
   彼女の顔が寂しげなものに変わる。
  「それに、ここからなら…」

  大切な人たちを見守っていられるから…








                             labyrinth fin









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