目が覚めた。
  「………………」
   昔の事。
   すごく、懐かしい事。
   こうして機会がなかったら思い出せなかったかもしれない。
   それぐらい懐かしかった。
  「わたし… 謝らなきゃ」
   香里にも、祐一にも…
   色々な人に迷惑をかけた。
   なのに、わたしは自分の事だけで精一杯で…
   でも、遅くはないと信じたい。
   今戻って二人に謝れば…
   きっと、元に戻れる。
   もう一度、やり直せる…
  「記憶の扉を開けたのね?」
  「あっ…」
   目の前に女の子が立っていた。
   表情は最初に会ったときと変わっていない。
   でも、不思議と怖さは感じられなかった。
   女の子はしゃがんでわたしと目線を同じにした。
  「あなたの出口はもうすぐ。でも… そのまえに、ちょっと寄り道してくれる?」
   女の子は手のひらをわたしのおでこに当てた。
  「えっ? 寄り道って…」
   なに? と聞く前に意識は暗い闇に沈んでいった。
   眠りに落ちるのとは違う、本当に闇の中に堕ちていくような感覚…
   行き先は分からない。
   でも、自然と不安はなかった…
  







   この街にはカナシイ事がいくつもあった。
   小さい女の子が泣いている。
   女の子はお母さんをなくした。
   まだあんなに小さいのに、現実はただ残酷に親子の絆を引き裂いた。
   胸にぽっかりと穴が開いたような感覚。
   それは、わたしもよく知っている感覚だった。
   女の子は泣く事しかできない。
   どんなにがんばっても、死んだ人間を蘇らせる事はできない。
   事実は曲げられない。
   ただ、そこにあるだけ。
   受け止めなければいけない事がその女の子にとってはあまりに大きすぎた。
   視点が変わる。
   病室のベッドの上にいる幼い姉妹。
   姉や両親は知っている。
   ベッドの上でまぶしいぐらいの笑顔を向けている子のこの命が短い事を…
   やがて来る未来はどうなるのか…
   未来は分からないけど、この子の未来はきっと…
   たくさんの思い出がある。
   望まない力のせいで嫌われた女の子。
   すべての力を使って誰にも気付かれず消えていく少女。
   たった一人の友達が目の前で消えた女の子。
   弟を救えなかった女の子…
   色々な思い出が、雪に閉じ込められてそこにはあった。
   雪が一つはじけると、思い出はビデオを再生するように過去にあった事を映し出す。
   一つ、また一つ雪がはじける。
   色々な人の悲しみがそこにはあった。
   色々な人の後悔がそこにはあった。
   雪がはじけた。
   開けた場所にある一本の大きな木。
   あの森にあるあの木。
   7年前に切られたあの木。
   その木の根元で、血まみれの祐一と血まみれの女の子が蹲っていた。
   みんな、心に傷を背負っていた。
   大切な人をなくした。
   大切なものを失った。
   大きな悲しみ、小さな悲しみ。
   人は心を傷だらけにしてそれでも生きていく。
   傷はふさげない。
   どんなに癒しても、古い傷は時に心を苦しめる。
   でも、傷に縛られる事はない。
   だって、それを乗り越えないと…
   本当の出口は見つからないんだから…
   後悔するのは少しだけ。
   あとは未来に目を向けないと、どんな未来もやって来ない。
   雪がはじける。
   思い出の雪は、あの日の事をわたしに見せてくれた。
   お母さんがいなくなった日。
   胸に大きな穴が開いた日。
   悲しさで心がズタズタに引き裂かれる。
   でも、それでも…
   この傷はお母さんがいたという証。
   それすら忘れたら…
   お母さんの居場所はどこにもないのに…
   この傷はまだ痛む。
   でも、この傷を持って家に帰ろう。
   久しぶりに祐一に手作りの料理を食べて欲しい。
   香里や北川君も呼んで、ちょっとしたパーティーをしよう。
   だから、まずは戻らないと。
   この森を抜けて、祐一のもとへ。
   みんなが待っている現実に…
  







  「………………」
   目を開けると、そこは朝焼けの空だった。
   わたしはみた事のある丘の上に寝転がっていた。
   日が昇って、暗い空は隅に追いやられる。
   どんな時も日は昇って沈んでいく。
   新しい明日をつれて、お日さまはやってくる。
  「わたし… やっと分かったよ。香里の言ってる事…」

  『何かやろうとする事は大切な事だから…』

   何もやらないで停滞していても、それは何も生まない。
   だから、動くのを待っているなんてしたくはない。
   出口は自分から見つけなきゃ…
  「おめでとう、無事抜けられたわね」
  「うん… やりたい事、見つかったから」
   わたしは起き上がって、女の子に向き合った。
   こうしてみると、改めて女の子が小さい事がわかる。
  「ありがとう… 何だか、すごくお世話になっちゃったね」
  「これも使命のひとつ、礼は要らないわ」
   女の子は恥かしそうにそっぽを向いた。
   そんな仕草が、歳相応に見えてすごくかわいい。
  「…なんで笑ってるのかしら?」
  「なんでもないよ〜」
  「はぁ… 何だかいつも以上に疲れたわ…」
   女の子はため息をついて、疲れたように肩をすくめた。
   その姿が面白くて、また笑ってしまった。
  「私で楽しんでいるのはいいけど、早く出ないと時間が来るわよ?」
  「う、うん…」
   出口はどこか分からない。
   でも、わたしの歩く場所が出口なんだろう。
   それなら迷う事はない。
   このまままっすぐ…
  「あ…」
   大切な事を忘れていた。
   向かう足を止めて、女の子の方に向き合う。
  「名前… まだ聞いてなかったよね?」
  「…はい?」
  「ほら、せっかくだし名前は聞いておきたいなーって」
   女の子はあきれたような、不機嫌な顔になった。
  「私に名前なんてないわ。それに、ここの記憶はすべてなくなるの。聞いてもムダよ?」
  「えっ…?」
   名前を聞いてどうするのか。
   ここにいたという記憶は出た後はすべて消えてしまう。
   女の子の言葉は冷たく、突き放すような言葉だった。
   でも… それでも、聞いておきたい。
   お世話になったし、それに…
  「もしかしたら覚えているかも〜」
   また機会があったら、今度は友達として会ってみたい。
  「………………」
   女の子は不機嫌そうな顔で私を見ている。
   ふと、その顔が笑顔になった。
  「本当、あなたみたいな人は初めて」
  「うにゅ?」
  「はぁ… 呆れるぐらい平和ね」
   いかにも私を馬鹿にしているように肩をすくめてため息をつく仕草をする。
  「ひ、ひどいよ〜」
   抗議する私を、女の子はこれまで見せなかったとても柔らかい笑みで見つめていた。
  「私に名前はないけど… この森はAlice's labyrinth(アリスの迷宮)って呼ばれているわ」
  「アリスの… 迷宮?」
   不思議な雰囲気を持った女の子。
   名前らしいものはすでにあった。
   その子になら、きっと似合う。
   親しみを込めて、私は…
  「アリス… ちゃん」
  「……… はぁ… ひねりがなくて残念だわ」
  「う… だって、これしか思いつかなかったんだよ〜」
  「………………」
   女の子はしばらくわたしを見つめていたかと思うと、笑顔になった。
  「アリス… その名前を採用するわ」
   そんな笑顔ができるのかとびっくりするぐらい、女の子… アリスちゃんの笑顔は可愛かった。
   光が辺りを包む。
  「それじゃ、これでお別れね」
   アリスちゃんの笑顔が光に包まれ、輪郭がぼやけていく。
   世界は色を失い、白一色に染まっていく。
  「うん…」
   元の世界に戻っても、この事を忘れないでいよう。
   ここで知った大切な事…
   アリスちゃんの事…
   全部、大事な宝物…
   宝物をもって、祐一のいる場所に帰ろう。
   帰ったら一番最初にこう言うんだ。


  「ただいま、祐一」
  

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