ここは… どこだろう?
   すごく冷える… まるで外みたいだ。
   目をゆっくりと開ける。
   視界に飛び込んできたのは一面の闇。
   それと、たくさんの木々。
   木…?
   違和感を感じて起きる。
  「ここ… どこ?」
   起きて辺りを見回して、あらためてびっくりした。
   わたしが寝ていたのは夜の森だった。
   知らない間にこんなところに来ていたのかな…?
   いや、そんな事はありえない。
   こんな時間に出歩いていたら看護婦さんに連れ戻される。
   それに、森と病院は距離がありすぎる。
   この街に森がある事は知っている。
   でも、何でこんな場所なんかにいるんだろう…?
  「やっと起きたのね」
  「わっ!?」
   いきなり後ろから声をかけられたので、思わず飛び上がってしまった。
   かけられた声はあまりに冷たく、聞いているだけで背筋が凍りそうだった。
   声のしたほうを振り返る。
  「あなた… 誰?」
   振り返った先にいたのはまだ幼い女の子。
   雪のように白い肌に、長い睫。
   黒を基調にしたゴシック・ロリータ風の洋服を身にまとっている。
   そして、何よりも目立つのは長い髪。
   髪型自体はありふれているロングヘアーだが、色が違っていた。
   まるで、色素が抜け落ちたみたいな色。
   ブリーチしたとはちょっと違う感じのする髪の色は、ひときわ違和感を放っている。
  「あなたとは… 初めて会うわね」
  「う、うん…」
   不思議な子だ。
   年を感じさせない落ち着きが雰囲気から感じられる。
   わたしなんかより全然大人びている。
   でも…
  「どうしてここに来たのか… 分かる?」
   冷たい目で見つめながら女の子が語りかける。
   その口調は鳥肌が立つほど冷たくて、冷たく見下ろす目と合わさって怖さを生んでいる。
  「知らない… ここの事も、あなたの事も知らないよ…」
  「知らなくて当然。わたしを知るなんて一生に一度だもの」
  「一生に一度なんて…」
   嫌な予感がする。
   まるで、わたしが…
  「もう気づいているでしょう? あなたが、どうなっているのか…」
  「知らない… 知らないよ…」
   それを知ったら、大切な何かが壊れる気がする。
   知りたくない… 逃げたい…
  「ここは魂が行き着く森。あなたはもう元の世界の住人ではないわ」
  「嘘… うそ…」
  「…事実を受け止めなさい」
   どうして… わたしが死ぬなんて…
   あまりにいきなりすぎるよ…
   こんなの… ひどすぎるよ…
  「…少しあなたの中身を見せてもらったわ」
  「っ!?」
  「随分と色々なものが絡み合っているわね…こんな混沌久しぶりに見るわ」
   女の子の言っていることはどうも分からない。
   ただ、それが私自身の奥深くまで見透かされている気がする。
  「何もかも知ったみたいな事言わないで…」
   すごく気分が悪い。
   隠した事を隠せないで、すべて晒される。
   これ以上ない屈辱だった。
  「残念、もうあなたのことはすべて見せてもらったわ。たとえば… 何人もの男を相手にした事とか」
  「あ…」
   わたしの抱えている弱い部分。
   そこを攻撃されると、どうしようもなくなる。
   悪いのはわたし。弱いわたしが逃げた結果…
  「こんな記憶を見るなんて久しぶりだけど…すごいのね、あなたって」
  「やめ… て…」
   胸を掻き毟りたくなるほどに痛い記憶。
   二度と思い出したくなかった記憶。
   このまま記憶の奥に閉じ込めておきたかった。
   でも、それを女の子は許してはくれなかった。
  「辛い事から逃げて… 忘れる。確かに効率のいい防衛手段ね」
  「………………」
  「でもね… 本当にそれでいいの?」
  「…いい。何もかも忘れて、綺麗になりたい…」
   膝を抱え、耳を両手で塞ぐ。
   これ以上傷つきたくない。
   これ以上、痛い記憶はいらない。
   綺麗な記憶だけ選んで、綺麗なままでいたい。
   そうしないと… 祐一に嫌われる。
   そうしていないと… 辛くてどうしようもない。
  「…勝手にしてなさい」
   女の子が森の向こうに歩いていく。
   わたしは動かないで、そのまま小さい背を見送る。
   ふと、ある事を聞き忘れていた事を思い出した。
  「ね、ねえ…」
   まだ姿が見えなくなる前に女の子に声をかけた。
  「何よ?」
   女の子が面倒くさそうに振り向く。
   鋭い眼光がわたしを射抜く。
   一瞬、その迫力に気圧されたけど、知りたい事をしっかりと尋ねた。
  「わたし… どうすればいいの?」
  「…生きたいなら森を出なさい。出ないと本当の意味で死ぬわよ?」
   女の子は厳しい顔をこちらに向けたまま答えた。
  「う、嘘…」
   事実は予想よりもあまりに大きかった。
   わたしが… どうして?
  「時間はたっぷりあるわ。出る前に少しこの森で反省なさい」
  「ちょっと待って…!」
   慌ててその背を追う。
   だが、駆け出したときにはすでに女の子の姿は消えてしまっていた。
   女の子が歩いていった方には、ただ鬱蒼とした森が延々と続くだけだった。
  「………………」
   一人、取り残されてしまった。
   この森を出ないと死ぬ。
   だが、出口がどこにあるのかは分からない。
   見渡す限り同じ景色が広がっていて、方向もわからない。
   それでも、わたしは歩き出した。
   少しでも何かをしていないとおかしくなってしまう。
   ふと足元を見ると、わたしは裸足だった。
   地面を踏みしめている感触はある。
   だが、痛みは感じない。
   何度か小枝を踏んでいたはずだけど、刺さって痛かったりということはなかった。
   普段どおり歩ける。
   それが、唯一の救いだった。
   空を見上げる。
   木々の中に、夜空が広がっている。
   朝はまだ先みたいだ。
   気温は少し肌寒い程度だが、できる事なら日が差して暖かくなって欲しかった。
  



   あれから、しばらく歩いている。
   まだ出口は見えてこない。
   出口がこっちで正しいのか分からなくなってくる。
   でも、今更道を引き返してもどうしようもない気がする。
   どんな道を行っても森を抜けさえすればいいのだ。
   先にある木々はまだ晴れそうにない。
   道は延々と続いている気がする。
   …そんな事はない、きっと出口は見つかる。
   いくら大きな森といっても、限度はあるだろう。
   歩きながら、そう考えていた。
  

   何かがおかしい。
   そう気づいたのは少し前だった。
   出口が見つからない事。
   それだけじゃない。
   いつまで経っても朝が来ないのだ。
   森を歩いた事は久しぶりだが、こんなにも先の見えないのは初めてだった。
   遠足や部活での強化メニューで歩いた森とはまったく質が違う。
   目の前に広がるのはまるで迷路だった。
   永遠に続く迷路。
   終わりのない迷い道。
   それは、拷問に近い気がした。
   勘が正しければ、もう4〜5時間ほど歩いている。
   いくら日が短くてもそろそろ日も差すころだ。
   でも、その気配がまるでない。
   そして、最後の違和感。
   どんなに歩いても疲れが来ない。
   こんなに歩いていたら何かしら体に支障が出てくる。
   でも、そんな予兆はまるで感じられない。
   何時間歩いても平気。
   それは確かにありがたいかもしれない。
   でも… 怖い。
   得体の知れない恐怖が、わたしを包み始めた。
   このまま、永遠に帰れないのかもしれない…
   そんな考えまで、思考の隅に出始めてきた。
  

   あれからどれだけ時間が経ったか分からない。
   疲れを感じないせいで、歩いている時間の感覚がすっかりと麻痺してしまっていた。
   ただ、心はそうもいかなかった。
   心労が限界に来ている。
   少し休もう…
   近くに体を休める場所がないか捜してみる。
   少し先に見える木陰があった。
   休むにはちょうどいいスペースだ。
   そこまで歩いていって、ついて早々に腰を下ろした。
  「ふぅ…」
   ため息が出る。
   思ったよりも心のほうは疲れているらしかった。
   こうして休むとどっと疲れが押し寄せてくる。
   なんだか眠たくなってきた…
   この気温ならこのまま寝ても風邪はひかないだろう。
   そもそも風邪をひくのかどうかも怪しい。
   目を閉じる。
   視界が黒一色になる。
   やがて、思考も真っ黒で塗りつぶされていく。
  「にゅ…」
   わたしの好きな時間。
   眠りの時間。
   それが、訪れて来た。








   今日も、たくさんの人としていた。
   求めていたもの。
   欲しかったもの。
   求めていた時間。
   欲しかった時間。
   そんな時間が、今ここにあった。
   わたしが欲しかったものをいっぱいくれる男の人たち。
   幸せだった。
   すごく、幸せだった。
   不意に、空気が変わった気がした。
   入り口のほうから声が聞こえる。
   わたしを呼ぶ声が聞こえる。
  「な… ゆき?」
   世界が、凍りついた。
   心の内の逃げ場所が、崩れて壊れた。
   本当の居場所もなくなった。
   おしまい。
   ナニモカモオシマイ。


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