森はいくつもの死を見つめてきた。
人が死ぬ瞬間を。
魂が死ぬ瞬間を。
死ぬという事は、その"モノ"の時間が停止する事を意味する。
死はいつか訪れる。
死から目をそらす事はいけない事。
だが、時に人は受け入れがたい事実から逃避しようとする。
逃げる方向はさまざま。
それまでの生き方、信念、想うものでいくつも方向が変わってゆく。
だが、行き着く先は結局一つ。
逃げても、受け入れるまでの時間を先延ばしにしてしまうだけだ。
森はそういう人間をもう何人も見てきた。
森の中で魂が一つ消えていった。
生きる意味をなくした魂はもう戻る事のできない場所に移る。
この森は最後の砦。
生きようとする意思のあるものを救うための箱舟。
Alice's labyrinthと名付けられたこの森は、はるか昔から存在していた。
魂という概念ができてすぐにこの森は作られた。
そして、森が作られると同時に番人と呼ばれる者が生まれた。
人がこの世界に生を受ける前は選ばれた神がこの森の番人をしていた。
そして、選ばれるべき人がこの森を訪れた時から悲しい連鎖は始まった。
選ばれるべき人は地位や年齢、男女の差はなかった。
時には老人が、また別の時にはとても幼い子供が番人を務めた事もあった。
なぜこの森がAlice's labyrinthと呼ばれるのか…
それは誰もわからない。
始めにこの森の番をした人物がアリスという名前だったのか、なにかの象徴としたのか…
番人から受け継がれる記憶にはこの事については一切なかった。
真実を知るのは神かそれに等しきもの…
ただそれだけであった。
現在番人を務めている少女も、この森に入った事があった。
そして、蘇った。
森を出るときに、そのときの"番人"に言われた。
「ここでの出来事は忘れなさい。そうでないと… あなたは悲しむ事になる」
その女の人の言葉がすごく印象的で少女はこの森の事を忘れられなかった。
そして、2度目にこの森へ来たとき…
少女は番人を引き継ぐ事になった。
否応なしで、あらかじめ決められていた事…
目の前で消えていった番人はすごく寂しそうな顔をしたまま、霧のように消えてしまった。
番人は永遠ともいえる時間をこの森で過ごす。
ここでの記憶が残っている者が訪れるまでの長い、長い間…
前の番人も気が遠くなるほどの時間をこの森で過ごした。
今度はその役を少女が引き継ぐだけ。
ただ、それだけだった。
時間が経てば経つほど、少女は自分の事を忘れていった。
自分が生きていた頃の記憶や友人たちの記憶。
家族との記憶や自分自身の記憶。
最後に忘れてしまったのは自分の名前だった。
失われたものは今の少女にとってまったく必要のないもの。
ただ、この森を守る事が少女に課された使命。
ただそのために存在し続けてきた。
ただ、そのために…
この森に迷い込んだ魂は二つの種類がある。
一つは生霊に近いもので、まだ助かる見込みがある霊。
もう一つは肉体が滅び輪廻の前に立ち寄る、助からない霊。
基本的に霊同士はお互いに干渉する事も認識する事もできない。
たとえ霊がすぐそばにいたとしても、それを知らずにいるのだ。
唯一霊に干渉するできる存在、それは番人だけ。
番人は森を見守り、霊を見守る。
時に摂理を捻じ曲げるような霊が現れたときには力を持って霊を無に還す。
それ以外は干渉する事はしてはならない。
霊も自分の力で道を選ばなければいけないのだ。
生霊に近い霊にも行き着く先は二つある。
出口を見つけて命を吹き返すものもある。
出る事をあきらめてそのまま消えるものもある。
消える際に霊は詰め込まれた記憶を森に残していく。
それらの記憶は番人の元へと集まり、この森で肉体を具現化する力となる。
記憶は楽しいものばかりではない。
悲しい記憶も数多くある。
番人は記憶を受け取るたびにそれらの喜びや痛みを感じる事になるのだ。
そして、記憶は雪に封じ込められていく。
番人の意思で記憶を読み出せる記録装置のようなもの。
思い出の雪と呼ばれるそれは霊から記憶が紡がれるたびに静かに降り積もっていく。
ただ静かに、記憶を蓄積させていく。
降り積もる雪の一つ一つが思い出の結晶として積もっていく。
この物語はただあるだけの現実。
誰も知らない、知ることのできない真実。
誰にも知られる事なく、この先続いていく現実。
誰にも話すことはできない、誰にも知ってもらえない。
ただそれだけの現実…
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