「…しい」
  「………………」
  「絶対におかしい! 何で忘れなきゃいけないんだよ!?」
  「だって… ボクの事を覚えていたら、祐一君はすごく苦しむよ。ボク… 祐一君が苦しむのはすごく嫌だよ」
   …何故だ。
   何故、たったそれだけの為にあんな事が言えるのか?
   それが本心なのか? それが本当の願いなのか?
  「…どうしても、忘れないといけないのか?」
  「…忘れて欲しいよ」
  「じゃあ、あゆが確かに生きていたって事は誰が覚えているんだよ!?」
  「…ボクは、もう十分だよ」
  「楽しい事をいっぱいできたし、祐一君にも会えたよ。そして、最後に祐一君に思い出してもらえたよ。
  これ以上は… 望んじゃいけないよ」
   あゆの瞳に大粒の涙が溢れ出した。
  「………………」
   どうしてなのか。
   どうして、この少女はそんな事が言えるのか…?
   どうして、そんな大粒の涙を堪える事ができるのだろうか…?
  「…あゆ」
  「だめだよ、祐一君。もう… お別れなんだから」
   あゆに近づく。
   あゆはそのまま動かない。
  「………………」
  「祐一君…」
   あゆに手を伸ばし、そのまま抱き寄せた。
  「………………」
  「………………」
   あゆの吐息を感じる。
   小さい体に響く鼓動を感じる。
   まだ暖かい。
   まだ、あゆは生きているんだ。
  「忘れるなんて… 絶対にダメだ」
  「………………」
  「あゆの生きていた意味って何なんだよ?」
  「うぐ… ボク…」
   あゆの声がかすれる。
   声に涙が混じる。
  「忘れちゃいけないんだ、絶対に…」
  「…ひどいよ、祐一君は」
   あゆが泣いている。
   俺の胸の中で、静かに涙を流している。
  「…祐一君は優しすぎるよ。だから、ボクは祐一君が…」
   自分の言葉にはっとする。
  「…ごめんね」
  「あゆ…」
   胸を締め付けられる想い。
   あゆがずっと抱えてきた想いがわかった。
   でも…
  「…ごめん、俺はその気持ちにこたえられない」
  「…そうだね」
  「…でも、あゆは大事な人だ。忘れるなんてできやしない」
  「………………」
   あゆは考え込むようにうつむいた。
   やがて、顔を上げた。
   そのときにはすべての悩み事を吹っ切ったような気持ちのいい笑顔だった。
  「それじゃあ… あらためてお願いするね」
  「ああ」
   あゆが俺から離れる。
   人形を胸元に抱き、瞳を閉じた。
  「ボクの… ボクの最後のお願いは… 祐一君と名雪さんがずっと幸せでいてくれる事… だよ」
   迷いのない笑顔で、言った。
  「…自分自身の事じゃなくていいのか?」
  「うん。ボクはもうすぐいなくなっちゃうから、ボクの事はもういいよ。でも、いなくなってから
  祐一君が不幸になったらすごく悲しいから… だから、ボクのお願いは祐一君が幸せになってくれる事だよ」
   あゆは自信のある声で、俺に向き合って言った。
  「…そうか」
   なにもできなかった俺。
   そんな俺が、せめて何かできる事があるなら…
   その事で、喜んでくれるなら…
  「わかった。約束する」
  「それじゃあ…」
   あゆが手を差し出す。
   自然と、手が指きりの形を作る。
  「…約束といったらやっぱりこれだな」
  「そうだね〜」
   俺が小指をあゆの小指に絡めると、嬉しそうな顔を見せる。
   大きい小指と、小さい小指が離れないように絡む。
  「…それじゃあ、始めるか?」
  「うんっ!」
   指が離れた。



   ゆびきりげんまん



   嘘ついたら針千本飲ます



   ゆびきった



  「ばいばい」
   声が聞こえた。
   さよならを告げる言葉。
   お別れの言葉。
   風が吹いた。
   つないだ指は、もうない。
   目の前にいた少女はもういない。
   風は、森と俺に吹き付ける。
  「…ありがとう、あゆ」
   自然と涙があふれてきた。
   こんなときは笑顔で送ってやらないといけないのに…
   どうしても涙が止まらない…
  「…俺、行くよ」
   気持ちを、想いを伝えたい。
   出口に足を向ける。
   切り株に背を向ける。
   その瞬間、一瞬だけ切り株がもとある姿に戻った気がした。
   切り株があるほうを見る。
   そこには、何一つ変わらない光景が広がるばかりだった。
  「…さよなら、あゆ…」
   俺は走って森を抜けた。
  「はぁ、はぁ…」
   病院までは結構な距離がある。
   すでに辺りは闇に包まれている。
   面会時間はとっくに過ぎているだろうが、なんとか忍び込もう。
   今伝えたい。
   明日まで待てない。
   自然と体が動く。
   抱えきれないほどの想いを胸に、走る。
   会いたい。
   名雪に会いたい。
   会って、色々話したい。
   この想いを、伝えたい…
   全速力で走る。
   自分がここまで走れたのかと思うと、すごく不思議に思う。
   色々な事が味方しているみたいだ。
   あともう少し走ったら…
   名雪に会えるんだ…
   視界の先、少し離れたところに病院が見えてきた。
   走るスピードが、さらに増した。
  







   結局、夕御飯はほとんど残した。
   食欲が出ない。
   最近、めっきりと食べる量が減ってしまった。
  「………………」
   名雪を叩いてしまった。
   とっさとはいえ、あんな事までするなんていくらなんてもひど過ぎたかもしれない。
  「はぁ…」
   ため息と一緒に、涙が出てくる。
   本当、ダメね…
   足は自然と、栞の部屋に向いていた。
   ガチャッ…
   ベッドに腰掛ける。
   部屋の隅には病院から持ち帰った栞の遺品がある。
   パジャマや下着。そして、いつも見につけていたストール…
  「…栞、あなたはあたしを許してくれるの?」
   誰もいない部屋で、いるはずの無い栞に呼びかける。
   いや、ここには栞がいるじゃない…
   部屋の隅まで歩き、ストールを手にした。
  「栞、ごめんね…」
   何度謝っても、許してはくれないだろう。
   あたしはひどい事をした。
   あたしが栞の姉である資格は無い。
   あたしは…
   どうしようもない、人間なんだから…
   ふと視線を動かすと、栞の遺品に目がいった。
   紙袋の中から、おもむろにワンピースを取り出す。
   あたしと体型はほとんど変わらないように思っていたけど、こうしてみるとあの子の小ささが改めて分かった。
   あたし、あの子の事をほとんど知らないのね…
   元の場所にしまうため、ワンピースをたたむ。
   そのとき、ポケットから何かが落ちた。
  「え…?」
   それは、白っぽい色の封筒だった。
   手紙などを入れておくのにちょうどいいようなサイズの封筒。
   中身は多分、手紙だろう。
   どうしてこんな物が…?
   手紙を手に取り、ゆっくりと封を切った。
  

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