…ここはどこだろう?
   視界がはっきりとしない。頭もなぜだかボーっとしている。
   何が起きたのか、少し思い出してみる事にした。
   ………………
   ここは… 秋子さんの家だ。
   そして、今俺がいる部屋は冬休みの間の俺の部屋。
   …そうだ、俺は確か風邪をひいて…
  「くー」
  「………………」
   この間の抜けた寝息は…
   目を開ける。
   視界に飛び込んできたのは気持ちよさそうに眠っている名雪だった。
  「にゅ… ねこさん…」
   俺の体を枕にしている。
   夢の中で猫と遊んでいるんだろうな…
   近くには水が入っているボウルと、空になった茶碗があった。
   名雪が看病してくれたのか…?
   くすぐったい想いで、思わず赤面してしまう。
  「ん…」
   名雪が身じろぎをして、身体を起こす。
  「あ、起きてたんだ…」
   眠そうに目をこすり、体を起こした。
  「よぅ、起きたか?」
  「うん」
   まだ眠そうだが、これなら二度寝する事は無いだろう。
   俺は寝たままで、名雪はその場に座って話をした。


  「助かったよ。最終回なのに見逃したら本当にショックだ」
  「祐一、本当に楽しみにしていたよね〜」
   いつも見ているアニメを見過ごしたかと思っていたら、秋子さんがビデオで撮っていてくれた。
   とりあえず心配していた事は解決したな。
  「頭が痛い…」
   安心したらまた頭が痛くなってきた。
   どうやら、相当重症らしい。
   2日前からひき始めて、昨日は39度ぐらいまで熱が上がったみたいだった。
   …座薬とかされていないよな?
  「だいじょうぶ…?」
  「気合で治す」
   薬に頼ってばかりなのはいけないというのはよく母さんが言っている事だった。
   栄養あるものを食べて汗をいっぱい流せば治るものだ。
  「それじゃあ、祐一が治るまでわたしが看病するよ」
  「頼もしいな」
  「がんばるよ〜」
   こういう時、誰かがいる事のありがたさがよく分かる。
   一人で寝ているのって結構辛いんだよな…
   風邪をうつしてしまう心配もあるけど、こうしてそばにいてくれると嬉しい。
  「そういえば、何か食べたいものは無い?」
  「食べたいといえば桃缶だな」
  「風邪のときってなぜか食べたくなるんだよね〜」
  「そうそう」
   食べ終わったあとで、シロップを一気飲みするのがまたいいんだよな。
  「他には何か無いかな?」
   なんだか名雪をからかってみたくなった。
   暇だとこういう事ばかり思い浮かぶんだよな。
  「食べたいものは無いけど、して欲しい事はあるな」
  「どんな事?」
  「ディープキス」


   ………………
  「ディープ… キス?」
  「キスは分かるだろ?それをすごくしたものだ」
  「え、えーと…」
   案の定、名雪は赤くなってる。
   こういう反応は何度見ても楽しいな。
  「してくれると嬉しいんだけどなぁ…」
   もちろん冗談だ。冗談じゃなきゃこんな事言えるわけが無い。
  「………………」
   名雪はこういう冗談を本気に捉える方だからな。
   あまりにやりすぎると後が怖いから、適当に切り上げる事のがコツだ。
  「え、えーと… それじゃあ、するね?」
   お? 名雪が乗ってきたぞ。
   今までに無い反応に、ついつい面白くなる。
  「舌を絡めたりするんだぞ」
  「そ、そうなんだ…?」
   すっかり顔を赤くして、俺の話を聞いている。
  「そ、それじゃあやってみるよ」
   名雪が顔を近づける。
   …なんかドキドキしてきた。
   今までこうなる前に「そんなのできないよ〜」で終わっていたはずだが、今日は何かが違っていた。
   …いつの間に俺を騙すテクを身につけたみたいだが、俺はそう簡単に騙されないぞ?
   名雪が近づいてくる。
   ここまでするなんてなかなかやるな…
   気が付くと、名雪は目と鼻の先にいた。
   あと少し、身を乗り出したら…
   ヤバイ、なんかドキドキしてきた…
   じょ、冗談だよな…?
   名雪が目を閉じる。
   つられて、俺も目を閉じてしまった。
   その瞬間、名雪の唇が俺の唇と合わさった。
  「………………」
   一瞬、何が起きたのかわからなかった。
   これは夢で起きている事で、俺はこんなバカみたいな夢を見ているだけなんだと思った。
   だが、触れている唇はやわらかく、名雪の体温が唇から伝わってきた。
   息遣いや、わずかに香る女の子の匂いが、否応なしにこれが現実であると主張している。
   息ができない。
   初めてのキスは、頭の中を溶かすぐらい熱いもので、風邪をひいているせいなのか頭の中が痺れたようになっていた。
   やがて、息苦しそうにしていた名雪が俺から離れた。
   そして、ようやく俺は忘れていた息をした。
  「………………」
  「………………」
   お互い、何もいえない。
   微妙な空気がその場に漂っていた。
  「な、なぁ… 名雪」
  「な、なに?」
   その時、玄関から音がした。
   俺たち以外でこの家に用のある人は一人しかいない。
  「あら、名雪帰ってきていたの?」
  「う、うん! いるよ〜」
   どうやら、看病をする前はどこかにいたらしい。
   その後、缶詰は秋子さんが出してくれた。
   その後、名雪とはしばらくまともに話ができないまま、冬休みが終わる前の日には帰ることになった。








  「あ、あの制服…」
   名雪が、前のほうに歩く女の人たちを見ている。
   この街にいれば、何度も目にする制服だった。
   デザインがすごく独特で、最初は本当に制服なのか信じられなかった。
  「確かこの先にある学校の制服だったっけ?」
   結構古い学校だったはずだ。
  「すごくお洒落だよね〜」
  「なんだかゲームの魔法使いみたいに見えるぞ」
   最近やったやつはネコの耳が生えたフードをかぶっているキャラだったけど。
  「そういえばそうだね」
   あの格好で杖を持たせたら結構さまになるんじゃないかって思う。
   商店街を歩くお姉さん達の制服を食い入るように見つめている。
   見つめる表情は、憧れのまなざしだった。
  「祐一、わたしに似合うかな…?」
  「大丈夫、間違いなく似合わない」
  「ひ、ひどいよ〜」
  「あの服はもっと出る所がでていないと合わないぞ?」
   お姉さんの身体を上から眺めていく。
   サイズは分からないが、服の上からでも女の人らしい体型をしていると思う。
  「う〜 ひどいよ〜」
  「まぁ、名雪があのお姉さんと同じぐらいスタイルがよくなったら似合うかもな」
  「…がんばってみる」
   まぁ、すぐにどうこうできる問題じゃないからなぁ…
   それから、名雪はよく牛乳を飲むようになった。
   どうしてかと聞くと「牛乳は胸を大きくする」という噂があるためらしい。
  「まぁ、がんばれよ」
  「うんっ!」
   努力が報われるのかどうかは分からないけど、がんばることはいい事だ。
   …で、その努力は単純に俺に見せ付けるためなのか?
   ただ、あまり深くは考えない事にしておいた。








  「で、こうなるわけか」
   夕日が差す商店街。
   俺と名雪は福引をしに商店街に来ていた。
   もう夕方だし並ばないでも大丈夫かと思っていたんだけど、やっぱり甘かった。
   福引の行列はかなり長く続いていた。
  「いっぱいだね〜」
   並んでいる人のほとんどが俺たちよりずっと年上の大人だった。
   秋子さんが同じぐらいの歳だって事が全然信じられないな…
  「えーと、商品は…?」
   5等はお約束でティッシュ。
   4等は商店街限定の商品券で、3等がぬいぐるみとおもちゃだった。
   2等はお米3袋で、1等が1泊2日の温泉旅行。
  「狙うは3等かな…?」
   1等はまず当らないだろう。
   2等は当った所で運ぶのが厄介だ。
   理由はそれだけではなく、3等には俺の欲しいものがあった。
  「祐一、あのぬいぐるみが欲しいの?」
  「ん?」
   名雪が指差した先には、俺たちと同じぐらいの大きさがあるカエルのぬいぐるみがあった。
  「違うって、俺が欲しいのはその隣」
   カエルの隣にある箱を指差す。
   組み立てるタイプのおもちゃでかなり大きな箱だった。
   欲しかったけど高くて結局買えなかったんだよな…
   これは神様がくれたチャンスだっ!
  「でも、あれってなんだか怖いよ〜」
  「わかってないなぁ… あの無骨さがいいんだよ。電池を入れたら目が光って羽ばたきながら歩くんだぞ?」
  「わたしはカエルさんがいいなぁ…」
  「あっちの方が不気味な気がするぞ…」
   妙に笑顔だし、あの大きさだとかなり不気味なんじゃないか?
   夜になったら動き出すんじゃないのか…?
  「まぁ、券は3枚あるから俺と名雪が欲しいものを当てて、後は秋子さんのお土産でいいものを当てるぞ!」
  「うん! がんばるよ〜」


   列がどんどん先に進んでいく。
   ポケットティッシュが次々と消えていく。
   景品を渡している男の人の後ろの方にあるダンボールが全部ポケットティッシュだとしたら、5等は相当な量が用意されているように思える。
   気が付くと、俺たちの前に並んでいる人は残り3人になっていた。
   一人目のおばさんはポケットティッシュと商品券を当てて帰っていった。
   二人目の男の人は2回ともポケットティッシュだった。
   そして、三人目のおじさんの番になった。
   このおじさんの次は、俺たちの番だ。
   おじさんが渡した券は1枚。
   回せるのは1回だ。
   ガラガラッ
   ハンドルを掴んで、そのまま1回転させる。
   ゆっくり回った機械からは緑色の玉が出てきた。
  「おっ、3等か」
  「おめでとうごさいま〜す!」
   手元にあったベルを鳴らし、大声でおきまりの言葉を言った。
  「え〜と、景品は2種類ありますがどれにしますか?」
  「それじゃあ、これを」
  「ぐあ…」
   おじさんが指差したのは俺が欲しかったおもちゃだった。
   でも、もしかしたらいくつかストックがあるかも…
  「はい! 丁度最後の1個でしたよ!」
   泣きっ面に蜂ということわざを思い出した。
   おじさんは満足そうに景品を抱えると、商店街を歩いていった。
  「はい、それじゃあ次は君達の番だよ?」
  「がんばるよ〜」
  「…おう」
   最初は名雪が回そうとしたが、重くて回せないというので俺が回す事にした。
   1回目は白。ポケットティッシュだ。
   2回目は黄色。商品券(500円分)だった。
   そして、3回目。
   ゆっくりと回した機械からは…
  「あ」
  「あっ」
   緑色の玉が受け皿を転がり、隅のほうに当って止まった。
  「おめでというございま〜す!!」
   手元にあったベルを鳴らし、大声でおきまりの言葉を言った。
  「祐一、3等だよっ! 3等〜」
  「ああ」
   しかし、なんというタイミングの悪さなんだ…
  「えーと、景品はこれしかないんだけど、いいかな?」
   男の人がカエルのぬいぐるみが入った箱を見せる。
  「大丈夫です」
  「はい、それじゃあ気をつけて持ち帰ってね」
   ぬいぐるみは意外なほど重くなく、家に持ち帰るのは簡単そうだった。
  「名雪じゃ持てないだろうから、俺が持つぞ」
  「うん」
   名雪は目的のものが当って、幸せいっぱいの顔をしていた。


  「それにしても、目の前で無くなるなんてなぁ…」
   さすがにあれには参った。
  「わたしだけ欲しいものが当っちゃったね」
   名雪は少し申し訳なさそうに笑っていた。
  「これも運だから仕方が無いさ」
   そういい、抱えている箱を見る。
  「それにしても、ずいぶんとでかいな…」
   本当に名雪の背丈ほどある。
  「これだとぬいぐるみっていうより抱き枕だな」
  「抱き枕?」
  「頭の下に敷くんじゃなくて、こうやって抱きかかえて使う枕だぞ」
   ぬいぐるみを箱ごと抱きしめて、ジェスチャーで伝える。
  「そんな枕もあったんだぁ〜」
  「ほとんどの場合は長方形だったり円筒だったりするんだけどな」
   このぬいぐるみは抱き枕として作られたわけじゃないと思うが、このサイズなら仕方が無い。
  「それにしてもカエルか…」
  「うん、カエルさんだね」
  「本物はヌメヌメしているんだぞ」
  「本物のカエルさんは嫌だよ〜」
   確かに嫌だ。
   そんなものを抱いて寝ていては見る夢は悪夢だ。
   想像して、吐き気がした。
  「そろそろ家だな」
   遠目に、門が見えてきた。
   そろそろ夕ご飯も半分ができあがっている頃だろう。
  「けろぴー」
  「…何だそれは?」
  「カエルさんの名前。さっきから考えていたの」
  「けろぴー…」
   箱から見える、カエルの顔を見ながら名前を照らし合わせてみる。
  「その名前は可愛過ぎるぞ」
  「それじゃあ、祐一はどんな名前がいいの?」
  「佐藤さん」
  「意味不明だよ〜」
  「それじゃあ、アクアドン」
  「そんな名前嫌だよ〜」
   名雪が抗議する。
  「けろぴーで決定だよ」
  「けろぴーねぇ…」
   一丁前に名前までつけられているんだな、お前は…
  「とにかく早く帰るぞ。冷えてきた」
  「うんっ!」
   家に着いた時、雪が降り始めた。
  「明日も寒いんだろうな…」
  「ちゃんと暖かくして寝ないといけないね」
   今夜は体の心からあったまるものが食べたいなぁ…
   そんな事を考えながら、玄関のドアを閉めた。

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