むせ返るような臭いがした。
   精液、愛液、唾液… それら全てが混ざった独特な臭い。
   勉強をするはずの教室で、そんな臭いが立ち込めていた。
   そして、そこに名雪はいた。
   全身を精液で汚して、濁ったガラスのような瞳でどこともない空間を見つめ、狂人のようになっていた。
  「な… ゆき?」
   名雪はただ夢中に腰を振り、貪っている。
  「名雪っ!」
   おもわずその場で叫んでしまった。
  「あっ… 祐一…?」
   振り向いた名雪の顔は虚ろな目で精液まみれだった。
   信じられない光景だった。
   名雪は数人の男に貫かれ、快感を貪っていた。
   どういう経緯でこうなったのかは解らない。
   ただ、予想できるのは一つしかない。
   名雪が何かしらの弱みを握られて…
  「………………」
   許せなかった。
   名雪をここまで壊した奴らが許せなかった。
  「あ、あんた。お、お姫様がお待ちかねだぞ?」
   太った男が荒い息のまま俺に話しかけてきた。
   滑舌が悪くて聞き取りにくい部分があった。
  「ぐひひひっ、名雪ちゃんの舌は気持ちいいなぁ。こんな気持ちいい舌でま、毎日してもらってるんだな」
  「ほ、本当なら僕が一人じめしたいんだけど、みんなでする約束だから仕方がないな」
   男は不快感をいっぱい出しながらニヤニヤ笑っている。
  「で、でも俺のもお、おいしそうに舐めてくれるんだよな。ずっと憧れていた名雪ちゃんにしてもらってるんだぁ」
   いちいち癪に障るしゃべり方だ。
   こんな奴といつまでも話していたくない。
  「で、でもあんなになって喜んでいるなんて… な、名雪ちゃんはい、淫乱なんだなぁ。ぼ、僕はそんな名雪ちゃんも好きなんだぁ」
   刹那、俺の中の何かが壊れた。
  「テメェ…」
  「ん? どうした…」

   バキッ!

  「ぶべっ!?」
   近くにいた豚野郎の顔面に拳を喰らわせる。
  「ぴぎっ!? ば、ばながぁー!! いっ、いだいっ!!」
   殴られた男は鼻を押さえ、悶え狂った。
  「テメェ! 何してんだ!?」
   男の一人が俺を睨んで近寄ってきた。
   もう一人の男も俺を睨みつけている。
  「それはこっちのセリフだな… 人の女こうまでしやがって… タダじゃ済まないぞ?」
  「上等だテメェ、表出ろ!」
   ギリギリと奥歯を噛む。
   血が滲みそうなぐらい拳を握り締める。
   どうなっても構わない。
   今はただここにいる奴らを…っ!
  「止めろ」
  「村田?」
  「何だ…?」
   奥から来たのは短髪で、髪を金に染めた男だった。
   耳には数個のピアスを刺してある。
   男は苦虫を噛み潰したような顔で気まずそうにしている。
   何かを言う事をためらっているようにも見える。
  「…相沢、だったよな?」
  「ああ…」
   男は派手な外見に不釣合いなぐらい気まずそうにしている。
   それほど言いにくい事なんだろう。
   やがて、男は口を開いた。
  「…相沢、水瀬は自分から俺たちを誘ったんだ」
  「なっ…!?」
   男の言った事。
   それはあまりにありえなくて、すべての責任から逃れようとする言葉…
   そんな事はありえない。
   だから、瞬間的に怒りが限界を振り切れた。
  「ぐっ!?」
   男の襟首を掴んでギリギリと締め付けた。
  「ふざけるな! どうして名雪がそんな事を…!」
  「本当だよ」
  「え…?」
   名雪の声で、振り向く。
   俺のすぐ後ろに名雪は立っていた。
   全身の精液を拭き取る事もなく、ただ笑っていた。
   いつものような無垢な笑顔で、笑っていた。




  「祐一とエッチしてるときに感じた真っ白な時間が欲しかったの。真っ白になっている間は何もかも忘れられるんだよ?」
   名雪は光を宿していない目で微笑んだ。
   それはあまりに名雪らしくない、女が男を誘うような笑みだった。
  「ねぇ、祐一もやろうよ。とっても気持ちいいんだよ」
  「な… 何言って…」
  「大丈夫だよ。この人たち、わたしが誘ったんだから。祐一とするのは好きだけど… 祐一だけじゃ足りなかったの」
  「………………」
   そんな… それじゃあ、名雪が望んでいたのは…
   全てを忘れさせる「何か」を与える事だったのか…?
  「わたし、寂しかったんだよ。忘れたくてこうしていても、結局一人ぼっちだったんだよ… 祐一一人だけじゃあ無理だったけど、やっぱり祐一じゃなきゃ…」
  「………………」
   俺は間違っていたのだろうか…?
   名雪のためになる事を一生懸命探し、実行してきた。
   それでも… まだ何か足りなかったのだろうか…?
  「でも、間違っていたね。こんな事… 他の人とエッチして… こんなに汚れちゃって…」
   名雪の目から涙が一筋流れ落ちた。
   先ほどまで名雪を貪っていた男達は気分的に萎えたのか、一人、また一人と名雪から離れていた。
  「名雪…」
  「祐一… ごめんなさい… ひっく… ごめんな… さい… えぐっ… ごめっ… うぐっ…」
   子供のように泣きじゃくる名雪を抱きしめた。
   全身から精液の匂いがする。
   むせ返るような匂いだが、そんな事関係なかった。
  「うわぁぁぁぁぁぁ…」
   俺の胸で名雪は子供のように泣いた。
  「いいんだ、名雪。俺が… 悪かったから」
  「うわぁぁぁっ、ひぐっ、えぐっ、うわぁぁぁぁぁんっ」
   気がつくと、男たちは着替えて俺たちを見ていた。
   さっきの怒りもすっかりと静まってしまったのだろう。
  「…今日のことは全て忘れておく。だから、あんた達もこの事を忘れてくれ」
  「ぞ、ぞんなぁっ! な、名雪ちゃんともっと…」
  「おい、やめろっ! もう諦めろ」
  「で、でもっ! ぼ、僕の名雪ちゃんがとられちゃうんだよ〜」
  「元々テメェのじゃねぇよ。ほら、行くぞ」
  「なっ、離せ! 離せよ〜!」
   太った男を2人がかりで押さえつけて3人一緒に教室を出た。
   教室を出る寸前、太った男子が俺を睨みつけたような気がした。
  「………………」
   つられて俺も男を睨みつけた。
   睨みあいは一瞬で終わったが、なぜかあの男子の敵意を持った目が頭に焼き付いて離れなかった。
   俺たちも早く帰ろう。
   こんなところにいつまでもいるわけにもいかない…
  「…相沢」
   名雪をつれて教室を出ようとしたときに呼び止められた。
  「………………」
   他の男たちと違い、心から罪の意識でいっぱいなんだろう。
   話せば分かり合えるやつなのかもしれない。
  「…謝って済むような事じゃないと思う。でも… 謝らせてくれ」
  「…ああ」
   俺と名雪はそいつを残して教室をあとにした。
  「あ、1階にシャワー室があるから先にそこに行ったほうがいいぞ」
  「そうか、ありがとう」
   礼を言って急ぎ足でシャワー室に向かった。


   幸い、シャワー室は誰も使っていなくて無人だった。
   蛇口を回すと、すぐに適温のお湯がシャワーから流れ出た。
  「………………」
  「………………」
   お互い無言でシャワーを浴び続けた。
   どんな言葉をかけていいか分からない。
   こういうとき、どうすればいいのか分からない。
   何もできないもどかしさで胸が苦しい。
   気がつくと、体にこびりついていた精液は全て落ちていた。
   あとは… 中を洗わなきゃいけないだろうが、さすがにそれは俺にはできない。
  「それじゃあ… その、中は名雪がしてくれ」
   どういっていいか分からず、結局ほとんど直球で言うしかできなかった。
   一人、シャワー室から出る。
   このあとはどうするべきだろうか…?
   汚れた制服はクリーニングに出すとして、後は名雪だった。
   あれだけの男を相手にしたとなると、性病や妊娠の心配があった。
   特に妊娠なんてことになったら…
   ガチャッとドアの開く音で意識が現実に戻された。
  「終わった?」
   こくりと縦に首を振った。
  「さて、それじゃあ着替えて帰るか」
   着替えは体操着しかなかったが、この際仕方がない。
   着替え終わるまで退散しておくかな…
  「ぁ…」
  「ん…?」
   ちょうど出ようとした瞬間、名雪の太ももを一筋の血が流れた。
   血は止まることなく、流れ続ける。
  「お、おい… まずいぞ…」
   ケガかもしれない。
  「な、名雪。急いで保健室… いや、病院かっ」
  「だ、大丈夫。これ…せ、生理だと思う」
  「何だ、生理…」
   言って赤面する。
  「と、とにかく急いで帰るか」
  「うん…」
   こくりと小さくうなずいた。


   家に帰って、すぐに名雪は部屋に閉じこもった。
   夕飯を作る気力も食べる気力もない。
   心が疲れていた。
  「名雪…」
   名雪を責めるつもりはない。
   俺が責める事なんてできない。
   でも、名雪自身がそれを許さないだろう。
   だから、俺は少しでも名雪が自分を許せるように努力をしたい。
  「………………」
   今日はもう寝てしまおう…
   このまま考え続けるのは辛い。
   少し休んで、それから頑張ろう…
   ベッドに倒れるように横になる。
   意識が少しずつ闇に侵されていく。
   何も… 考えられなくなる…




   翌日、俺は名雪を連れて病院で検査することにした。
   あれだけしてしまったから、心配なことがあった。
   妊娠、性病…
   そして、もう一つ。
   名雪の様子がおかしかったのだ。
   情緒不安定という感じに近い。
   でも、それは見過ごす事ができないぐらい怖かった。
   そのまま消えていってしまいそうな気がしてしまったのだ…
   検査の結果、幸い妊娠や性病の心配は無いとの事だった。
   だが…
  「精神が?」
  「…このままだと精神崩壊を招く危険性がある」
   医者から名雪の病状について詳しく説明を受けた。
   秋子さんの死で元々精神が不安定だった事。
   それの逃避から、今回の行動をとった事。
   逃避の手段を失い、最悪の状態を知られた事。
   これらすべてが名雪の精神面をひどいものにしているというのだ。
   体の傷はいずれ消えてしまう。
   だが、心の傷はどんなに努力をしても消す事はできない…
   状態が状態だけに、入院という処置を取ることになった。
   今日は検査などで名雪とは会えないとの事だった。
  「祐一君… だったかな?」
  「はい」
  「…彼女は今かなりギリギリの状態だ。君が支えて行かなきゃいけない」
  「…はい、頑張ります」

   バタン

   医者の最後の言葉が重くのしかかる。
   俺が… 名雪を支えていかなきゃいけない。
   今の俺にそれができるのだろうか…?
   ………………
   いや、やるんだ。
   俺以外にできる奴はいない。
   そして、俺自身… 名雪が傍にいることで心が安らいでいた。
   そうだ、簡単な事なんだよ。
   今までと同じように暮らせばいいじゃないか。
   秋子さんがいたあの頃の様に…




   家に着いた。
   ガチャッ
   ドアを開けて、玄関に入る。
  「………………」
   しんと静まり返った廊下はただ寂しくて、冷たかった。
   これからしばらくは一人でここにいる事になる。
   寂しさで胸が締め付けられそうになる。
  「ただいま…」
   つぶやいた言葉は冷たい空気に吸い込まれ、そのまま消えてしまった。
   晩飯は食う気がしなかった。
   疲れた体をベッドに投げ出した。
   そのままぼんやりと暗い天井を眺める。
  「………………」
   静まり返った部屋は俺の呼吸しか聞こえない。
   この家には俺以外誰もいない。
   広い家に一人きり…
   名雪を守れないでこうしている俺がいる…
   真っ暗な部屋の中で目を閉じる。
   思い出していく。
   昨日の事を思い出していく。

   視界を覆うぐらいの白。

   むせ返るような精液の臭い。

   壊れた瞳。

   名雪の声。

   名雪の肌。

   名雪の唇。

   名雪の…

   ………………
   涙が溢れてきた。
   名雪のした事にじゃない、名雪を守れなかった事にだ。


   …どうしてこんなことになってしまったのだろう?
   …どこで間違ってしまったのだろう?
   …何度問いかけても答えは出ない。
   …誰が悪くて、誰に責任があるのだろう?
   …何かが壊れ始めた。
   …歯車が狂い始めた。
   …間違った方向に道が進み始めてしまった。
   …俺たちの行き着く先はどこなんだろうか?
   …今いる場所はどこなんだろうか?
   …それはまるで、


   終わりのない迷宮のようだ…
  

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