きっかけはどんな事だったのか。
きっと、些細な事だったと思う。
どうしてあんな事を言ったのか覚えていない。
ただ、一つの事実。
香里とケンカした。
昼休みに言い合いが始まって、終わる頃には一応沈静した。
それから午後の授業も、放課後もいっさい口を聞かなかった。
話すと爆発する。
そうなるともう止められない。
それ以前に、話し掛けたりする事すら嫌だった。
そのまま、わたしは香里を無視して部活に出た。
体を動かせばこのモヤモヤも消えるかもしれない。
香里が悪いのだ。
理由はわからないけど、そうする事でささくれ立った心は少しだけ和らいだ気がした。
その日は何故かうまく走れなかった。
最後に走ったときなんか、思いっきり転んで膝をすりむいてしまった。
これも香里のせいだ。
モヤモヤは消えなかった。
ケガ自体は大した事はなかった。
すぐに救急箱を持ったマネージャーが傷口を消毒して、包帯を巻いてくれた。
それからすぐに部活は終わった。
家に帰る間も、香里とのケンカの事が頭をグルグル回る。
香里が悪いのに…
どうして悩むんだろう…?
ケンカの原因も、膝をすりむいた事も全部香里のせいにした。
それでも、さっきは和らいだはずの胸の中にあるモヤモヤは消えなかった。
「ただいまー」
鍵を開けて、玄関に入る。
暖房がついていないせいで、家の中は外より少し暖かい位だった。
お母さんは少し遅くなるらしい。
今日はわたしが晩御飯を作らなきゃ。
部屋に戻って着替えてからすぐにシャワーを浴びた。
学校のシャワーを使ってもよかったけど、この時期は帰る間に冷えてしまうから、家に帰ってからのほうが風邪をひかなくてすむのだ。
ハンドルをひねると、シャワーヘッドから冷たい水が飛び出てきた。
それから少し出したままにするとお湯は温かくなって、適温になった。
シャワーヘッドを肩から腕、胸からお腹、脚に移動させていく。体に当たった水は大部分が流れ落ちて、一部ははじけて飛び散る。
すりむいた膝は染みるけど、我慢できないほどじゃなかった。
「………………」
そのままシャワーに当たり続ける。
全身がお湯で濡れ、大雨の中を走ってきたみたいにずぶ濡れになった。
体が熱い。
お湯にあたっているから、体温が上がっているのかもしれない。
冷え切った体はすでに温まりきっていた。
でも、わたしはそのまましばらくシャワーに当たり続けていた。
わたし、何やってるんだろ…
答えはない。
分からないから、答えはない。
キュッ
ハンドルを捻り、お湯を止めた。
シャワーヘッドから水が滴って、床に落ちている。
その音がやけに響いて、耳から離れなかった。
お風呂から上がったら、次はご飯だ。
今日は何を作ろうか…
考えようとしても、どうしても集中できない。
まるで、頭の中に靄がかかっているみたいだった。
そのとき、部屋に電話の呼び出し音が響いた。
しんと静まり返った部屋に響く電子音は、ボーっとしていた意識を覚ますには十分すぎるぐらいだった。
しばらく動けないで電話を見つめていたが、留守電になりかけるあたりであわてて受話器を取った。
「もしもし」
『もしもし、名雪かしら?』
受話器の向こうから聞こえてきたのはお母さんの声だった。
「うん、何かあったの?」
『ええ、ちょっとした事があって…』
それからの話をまとめると、お母さんの職場の人がケガをして、その付き添いで今夜は帰れなくなりそうだという事だった。
『本当にごめんね…』
「ううん、わたしは大丈夫だよ。それよりその人のほうが心配だよ…」
お母さんはたいした事ないなんて言っていたけど、かなり大きな事故なんだと思う。
『それじゃあ、お留守番よろしくね』
「うんっ、任せてよ」
カチャン
最後に戸締りとガスの元栓は寝る前にチェックしないとダメよ?といって、電話は終わった。
「今日はわたし一人なんだね…」
お母さんと二人でも広すぎる家に、一人ぼっち。
そう長い時間じゃないけど、なんだかとてもさびしく感じられた。
こんなとき、決まってする事といえば…
…いや、今日ケンカしたばかりなのにそんな事できない。
香里に電話をかけるなんて…
まだ、香里をどこかで許せないでいる。
もう怒りの原因なんてとっくに忘れてしまっている。
でも、この胸に残る苛立ちは消えてくれなかった。
「………………」
ふと、自分が本当に独りぼっちになったなんて想像をしてしまった。
ありえないはずの出来事が、なぜかリアリティのある想像に変わる。
…今日は絶対ツイてない。
きっと仏滅だ。
頭を振って暗いイメージを振り払うと、わたしは台所に向かった。
こんな時でもお腹が減ってしまう自分が少し嫌だった。
今日は何を作ろうか…なんて思いながら冷蔵庫のドアを開ける。
ガチャッ
「あれ…?」
冷蔵庫の中には食材らしい食材がなかった。
そういえば、昨日お母さんが買ってこないと… なんて言っていた気がする。
…なんて事だ。
今日は本当に仏滅かもしれない。
「はぁ…」
ため息と同時に冷蔵庫のドアがバタンと音を立て、閉まった。
店屋物を頼むのもありだと思う。
でも、店屋物はあまり美味しくないのだ。
せっかく美味しい素材を使った料理も、もって来る途中で冷めてしまったりする。
麺類なんて、着いたころには伸びていたり…
「………………」
決めた。
今夜はもう寝よう。
さっきお風呂も入ったし、今から寝たらお腹が減っていても気にならな…
ぐぅ〜
体は正直だった。
…仕方がない、あの食材で何か作ろう。
お米はあったから、まずはそれを炊いて…
ピーンポーン
次に何を作ろうかと考えた時、玄関からチャイムが鳴った。
今日は本当に何かあるのかもしれない…
ちょっとだけ泣けてきた。
玄関に着くと、サンダルを履いてドアの鍵を開けた。
「はい、どちらさま…」
開けながら声をかけた。
「あ……」
あまりに意外なお客さんに、空いた口を閉じるのも忘れて呆然としていた。
「かお…り?」
「…こんばんは」
香里は気まずそうに視線を横に向けたままで玄関に立っていた。
「とりあえず上がって」
このまま外にいたら風邪をひく。
とりあえず話は中に入ってからしよう。
「お邪魔します」
香里の格好は特に変哲はなかった。
いつも着ているコートに、中は私服。
そして、手に下がっているビニール袋に入ったおなべ。
…おなべ?
「香里、それって何?」
「あ、これはおすそ分け。一晩寝かせたから美味しいわよ」
「あ、カレーなんだ」
一晩寝かせたカレーは本当に美味しい。
朝からでも食べられるのが不思議…
…じゃなくて。
「香里、夕食は?」
「まだよ」
「えっ、まだって…?」
それってどうして…?
「あー…詳しい理由はこれを温めながら話すって事でいいかしら?」
ちゃっかりしている。
「はぁ… 分かったよ」
「ありがとう」
香里と一緒にダイニングに行く途中、ふと考えた。
「…そのカレーって何人分ぐらいあるの?」
「………………」
「ご飯は提供するよ〜」
「はぁ… 名雪もまだだったのね」
なんだかんだ言って、わたしもちゃっかりしている。
カレーの鍋の火を保温できるぐらいに調整した。
ご飯はちょうど蒸らしに入ったところ。
あと数分で炊きたてのご飯ができる。
香里には、晩御飯がまだな理由を話した。
「なるほど… どうりで秋子さんもいないと思ったわ」
「それで、今度は香里の番だよ?」
「………………」
香里は途端に、視線をそらす。
できる限り理由は話したくない。という雰囲気が伝わってくる。
「ダメだよ、ちゃんと言わないと」
「……… はぁ… やっぱり言う羽目になるのね」
香里はあきらめたように、深くため息をついた。
それから、少し恥ずかしそうにしながら香里は話し始めた。
「今日ね、家に帰ったのよ」
「うん」
「そうしたらね、家に誰もいないのよ」
「………………」
なんとなく先が分かった気がする。
「前から今日はお父さんもお母さんも出かけるって言われていたのだけれど…」
「それをすっかり忘れちゃってたんだね」
「家に一人でいるのもさびしいし、あと…」
香里は視線をカレーの鍋がある方向に向けた。
「晩御飯にカレーを作ったんだけど… お米、切らしちゃってたのよ」
ピーッ ピーッ ピーッ…
言い終えると同時に炊飯器のタイマーが鳴った。
「………………」
「………………」
「ぷっ… ちょっと、それって本当…?」
できる限り笑いをこらえた。
「………………」
香里は真っ赤になったまま何も言わないでいた。
「でも、ちょうどよかったよ。今晩何作ろうか悩んでいたところだし…」
「めでたく利害が一致したってわけね」
学校でケンカしたのがうそのように自然に笑い合える。
…やっぱり、わたしたち本当に友達なんだね。
「香里… お昼はごめんね」
「あたしこそ… なんだかついカッとなっちゃったわ」
「それじゃあ仲直りって事で…」
「そうね。もうお腹が限界だわ…」
その日の夜はいつもよりもすごく楽しく過ごせた。
やっぱり、香里はすごく大事な存在なんだ。
このまま大人になっても変わらないよね?
いつまでも…
「や、やっぱりやめようよ〜」
「名雪は気にならないのか?」
「う…」
事の始まりは小さな事だった。
祐一がおもしろい場所があるって言ってわたしを連れ出した。
祐一に連れられてきた場所は大きな木があるあの森だった。
森を少し行ったところに祐一の言っていたおもしろい場所はあった。
そこはほら穴になっていて、けっこう先の方まであるみたいでここからは奥の方は見えなかった。
「嫌なら俺だけで行くぞ」
祐一はわたしを置いてほら穴に入ってしまった。
「ま、待ってよ〜」
わたしはあわてて祐一を追いかけてほら穴に入った。
ほら穴の中はひんやりとしてて、外にいるよりも寒いような気がした。
「祐一寒くない…?」
「へ、平気だっ!」
寒そうに震えながら祐一は先を歩いている。
「………………」
「はい、祐一」
わたしは首に巻いてるマフラーを外して、祐一の首にかけた。
「い、いいって。名雪が寒いだろ?」
「ううん、わたしは慣れてるから大丈夫だよ」
これぐらいの寒さならちょっと冷える日ぐらいだ。
「…………ありがとう」
「え? 祐一なにか言った?」
「何でもないっ、さっさと行くぞっ!」
祐一は歩くスピードを上げてわたしを置いていくぐらいの早足で歩いていった。
「ま、待ってよ〜」
わたしは転ばないように気をつけて走った。
どれぐらい歩いたか分からない。
ほら穴は思ったよりも深くて、どんなに歩いても先が見えなかった。
「ひっく、うぐっ…」
途中から怖くなったわたしはいつの間にか泣いていた。
特に怖いものがあるわけじゃなかったけど、ずっと真っ暗な中を歩いていたらたまらなく怖くなった。
このまま戻れなかったらどうしよう…
もうお母さんにも会えなくなるし、友達にも会えなくなる。
そう考えたら涙が出てきた。
「ほら、泣くなよ… もうすぐ出口が見えてくるから」
祐一は何度もわたしを励ましてくれた。
でも、どんなに励まされても怖さは無くなってくれなかった。
「ゆういち… わたしたち、もう…」
「………………」
祐一は何も言わない。
祐一も気付いているのかもしれない。
わたしたちはこのまま出られなくて…
ぽかっ!
「あうっ」
いきなり祐一は私の頭を叩いた。
「あきらめるなっ、バカ名雪!」
「ひどいよ… 叩いたうえにバカって言った…」
「こんな所であきらめてるからだっ! ちゃんと出口は見つかるからあきらめるな!」
「でも、ずっと歩いてるよ… 出口なんて…」
「無いって思ったら本当に無くなるんだぞ! まだまだ歩けるなら歩くぞ!」
「でも…」
そのとき、わたしは気付いた。
祐一の足が小刻みに震えていた。
祐一も… 怖かったんだ。
でも、怖くないって自分を奮い立たせて、わたしを引っ張っていってくれている。
そういえば、前もこんな事があった。
わたしが泣いてばかりで何もできなくて、祐一はわたしを引っ張って連れて行ってくれる。
祐一だって怖くて泣きたいのに、そんな素振りを見せた事はなかった。
だから、わたしはそんな祐一が好きなんだ。
祐一のそばにいたら、どんな事も怖くないんだ…
「………わたし、がんばる…」
「よし、じゃあ歩くぞ?」
「うんっ!」
笑顔でうなずいた。
祐一が笑った。
そうか、祐一は私が笑うと嬉しいんだ…
それなら、わたしはずっと笑顔でいよう。
祐一が喜ぶなら…
わたしはずっと笑っていよう…
気が付くと、わたしと祐一は見たことのある丘についていた。
街を見下ろすと駅の方まで見えそうだ。
祐一はさっきの無理やりな元気じゃなくて、本当の元気な顔で笑っていた。
「ほら、出口見つかっただろ?」
「うん!」
わたしはそれに笑顔で返した。
祐一と一緒に真っ暗な丘の上を走った。
帰ったらおもいっきり怒られるって事は今は忘れてしまおう。
だって…
祐一の事が好きなんだって気付けたんだから…
その事が、何より嬉しいんだから…
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