今日は学校は休みらしい。
理由はなんだったか思い出せないが、たしかホームルームでそう言っていた。
そのせいか、いつもより遅く目を覚ました。
「んっ……」
両手を伸ばし、背伸びをした。
昨日寝た時間が早かったため、睡眠時間は十分過ぎるぐらいだ。
「…病院、行くか」
パジャマを脱ぎ捨て、タンスから適当に服を選んだ。
そろそろ洗濯しないと…
脱衣所のカゴには洗濯物がたまるばかりだ。
いざ、家事をやる人がいないとこの有様である。
「俺って一人暮らし向かないタイプなのか…?」
いざ一人になったときにかなり苦労しそうで怖い…
今から危機感を感じてるぐらいだし…
簡単に朝食を済ませ、外に出た。
玄関のドアを開けた瞬間、冷たい風が肌に刺さるように吹いた。
「寒い…」
そういや、今日の天気予報で寒気がどうとか言ってたような…?
日が照っているのに気温が上がらない。
「早く病院に行ったほうがいいな…」
冷たい風を受け、病院へと走り出す。
風は止まず、責めるように吹き付ける。
…名雪、少しでも良くなってるだろうか?
ふと思ったこと。
今、一番の願いだった。
あの日、家から帰ってきた名雪は錯乱状態だった。
その日は何とか抑えることができたが、次の日からは名雪の容態は重くなっていった。
病院に連れて行った理由の一つ、それがこれだった。
「あら、相沢君じゃない」
自動ドアを抜けたところで俺に声をかけたのは香里だった。
名雪の病棟に向かっている所だったようだ。
「先に来てたのか」
「…やっぱり、気になるじゃない」
「………………」
沈黙が続く。
「…………病室、行かない?」
「…ああ」
二人、会話も無く歩き出す。
「………………」
「………………」
香里が何か呟いた気がしたけど、その声はわずかな喧騒にも消えてしまうほどだった。
エレベーターが3階に着くと、名雪の病室はもうすぐだった。
病室に入ると、中には名雪と白衣を着た男性がいた。
確かあの人は…
…そうだ、主治医の近藤先生だ。
背が高くて細い印象がある。
眼鏡をかけた顔は神経質というより温厚な印象があった。
どこか頼りなく見える部分は… きっと愛嬌だろう。
能ある鷹は爪をなんとかというやつだ。
「こんにちは。相沢君に… 水瀬さんのお友達かな?」
「まだ回診の途中でしたか?」
「いや、もうすぐ終わるよ。待っていてくれてかまわないよ」
「はい」
やがて、近藤先生はベッドから離れると、俺に軽く礼をして病室から出た。
「………………」
最初に交わした挨拶で言葉が途切れてしまっている。
何を話そうか、何をしたいか。
それら全てが躊躇いという壁に阻まれて止まってしまう。
名雪に気を使っているのは明らかだった。
お互い、傷つけないように腹を探り合って言葉を捜している。
…嫌な空気だ。
「相沢君、プリントは渡した?」
「あっ、そうだったな」
昨日渡されたプリントを名雪に渡す。
「もうすぐ… 期末テストだね」
「…そうだな」
「………………」
「………………」
「………………」
また、沈黙。
会話が続かない。
その時重たい空気を掃うようにドアが開いた。 そして、一緒にさんが入ってきた。
「水瀬さ〜ん、回診の時間ですよ」
若い看護婦さんだ。
看護婦さん一年生ってぐらいだろうか?
「…って、美坂さん?」
「っ!?」
「え…?」
突然、香里の表情が強張る。
「あの、香里の知り合いですか?」
「えっと… 知り合いというかなんというか…」
看護婦さんが口ごもっていると、香里は病室を飛び出した。
「名雪、相沢君。あたし、帰るから…!」
「え…?」
「お、おい香里!?」
慌てて追いかけようとしたが、すでに香里は見えなくなってしまっていた。
「………………」
「何がどうなってるんだ…?」
訳が分からなかったが、追求することもできないだろう。
「美坂さん…」
看護婦さんに聞いてみるのが一番かもしれない。
だが、なぜかそれができなかった。
聞いてはいけないことのように感じられたから…
「………………」
日も落ちた帰り道を一人で歩く。
最近は日が長くなってきたみたいだが、まだまだ冬の厳しさは容赦ない寒さとなって街を凍てつかせる。
3月近くでも雪は降るのだ。
環境が違うと生活も大幅に変わってしまう。
7年前、長い休みになると俺はこの街に遊びに来ていた。
特に、冬休みは名雪と一緒に雪合戦をしたものだ。
ほぼ一方的に俺が名雪に雪玉をぶつけるようなものだったが。
それがなぜ、7年前の冬を境に来なくなったのだろうか?
行こうと思えばすぐにでもいけたはずだ。
それが、今までなぜ行こうとしなかったのだろうか?
今まで考えたこともない事、突然湧いてきた疑問に頭を抱える。
「…君 ゆういち君」
「っ!?」
振り向いても誰もいない。
気がつけば、昨日声をかけられた気がした場所だった。
誰かが、俺を呼んでいるのか?
「…君 ゆういち君」
声は小さいながら、やけにはっきりと聞こえた。
確かに、俺を呼んでいる。
誰が? 何のために?
声の出所を探してみる。
周りには誰もいない。
周囲に音などを出すような機械も見当たらない。
だが、ただ一点気になる場所があった。
何気なくあるわき道。
普段なら何事もないように通り過ぎるところだったが、なぜかそこが気になった。
確証はない。
ただ、そんな気がするだけだ。
それでも、確かめてみないと胸焼けにも似た心の靄を消せないだろう。
わき道へと足を踏み入れる。
そこは街灯もなく、真っ暗な道が続いていた。
ひどく不気味な感じがするが、行かなくてはいけない。
「………………」
一歩ずつ足を進める。
…なぜだろうか? この道が怖く感じてしまう。
一体どうしたというのだろう…?
「………………」
足を進めるたびに恐怖感がのしかかってくる。
ドクン… ドクン…
心臓の鼓動が早くなる。
軽い眩暈を感じる。
…っ、この先に何があるっていうんだ?
狭い路地を抜けると、そこは何のことない道だった。
木が並んで生えている。
きっと、夏でも涼しいんだろうな…
「……君 ゆういち君」
ユウイチ君、ボクだよ
「っ!?」
頭が痛い。
開きかけた扉を無理矢理こじ開けるようにして、中から記憶が漏れ出す。
ダメだ
これ以上、ここにいたら
頭が、おかしく、なってしまう
ずきずき痛む頭を押さえながら、もと来た道を戻る。
「………………」
何があるのかは分からない。
だが、確実に俺の中に閉じ込められた物があるということだけは分かった。
でも、なぜそうする必要が?
どうして記憶を閉じてしまったんだ?
…分からない。
まだこれだけでは分からない。
いつも見慣れた道に出る頃には頭痛も治まり、視界もはっきりとしていた。
「いったい… なんなんだよ…?」
誰に言うでもない独り言は冬の風に流され、誰に聞かれることなく消えていった。
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