「じゃあ、次の授業までにやっておくんだぞ」
   教師がそう言って授業を締めくくったところでチャイムが鳴った。
   教師が出るなり、教室は一気に喧騒に包まれた。
   昨日見たテレビの話題、最近流行っている物の事。
   俺たちも例に漏れず、いつものメンバーで他愛のない話をしていた。
  「(トイレに行ってくるか…)」
   椅子から立ち上がると北川は不思議そうな顔をした。
  「ちょっとトイレ行ってくる」
  「おう、気合入れていって来い」
   気合は入れる必要ないと思うんだが。
   まぁ、さっさと行ってしまおう。
   廊下にも人が溢れている。
   みんな、それぞれ自分の人生を歩んでいる。
   一人一人違った未来が待っている。
   そして、その未来を覗く事はできない。
   未来は… 希望も絶望も紙一重なのだから。
   気がつくとトイレは目の前だった。
   あまりボーっとしてばかりじゃ危ないな…
   それはおいおい反省するとしよう。
  「よし、混んでないな」
   立ち止まり、ポケットにハンカチがあるのを確認して…
   どんっ!
  「うわっ!」
  「きゃっ!?」
   いきなり後ろから人がぶつかってきた。
  「だ、大丈夫か?」
   転んだりしてないか心配になって振り向いた。
  「え…?」
   そして、驚いた。
   振り返った先にいたのは名雪だったからだ。
   どうして名雪が…?
   俺のあとをつけてきたのか…?
   ボーっとしていたから気づかなかったのかもしれない。
  「いきなり止まるからぶつかったよ〜」
  「…何で俺の後をつけてきてるんだ?」
  「えっ… その、どこに行くのかな? なんて…」
  「トイレに行ってくるだけだ」
  「そ、そうだよね? わたしってバカだよね〜」
   自分の頭を軽く小突くと、名雪は教室へと戻っていった。
  「………?」
   少し引っかかるものがあったが、特に気に留めなかった。




  「そういえば、部活はどうしてるの?」
   昼休みも終わる頃、教室に戻る途中で香里が名雪に聞いていた。
   なんでもないはずの質問。
   こうして学校に行っていればいずれ来るはずの質問。
  「…休んでる」
   名雪の声は、その話題に触れて欲しくないといっているような気がした。
  「そう… でも、部長なんだし少しずつ出るようにしないと」
  「…祐一と離れたくない」
  「!?」
   小声で聞き取り辛かったが、俺は確実に聞き取れた。
   香里は何を言ったか聞こえていないみたいだった。
  「え、何か言った?」
  「ううん、なんでもないよ」
   そのまま、話の話題は別の方向に移っていった。
  「………」
   少しずつ、何かが変わっていた。
   それは良い事なのか、もしくは…
   いつもと変わりなく見える名雪。
   でも、時々見たこともないような表情を見せる。
   俺は… 何に怯えているんだろうか…?
   俺は… 名雪をちゃんと守れているのだろうか…?
   俺は… 名雪をちゃんと愛しているのだろうか…?
  



   この日も、俺と名雪は抱き合った。
   名雪の体はいつものように、熱くて火傷しそうな気がした。
   終わったあとは、そのまま服も着ないで二人とも眠りについていった…
  



   翌日、昨日と同じように名雪がトイレまでついてきた。
   そして、昨日と同じように戻っていく。
   …何かが変わっている。
   そして、それは悪いほうに傾いている予感がした。
   そんな事考えちゃいけないのに…
   なぜか、不安な気持ちは拭えなかった。
   忘れてしまえたらどれほど楽だろうか…
   でも、それをする事はできない。
   俺も名雪と同じように、傷を受け入れなければいけないんだから…
   5時間目の授業は眠気との戦いだ。
   適度に腹が膨れ、この暖気だ。
   おまけに暗記系の授業だと戦いは厳しくなる。
   隣を見てみると… 名雪はすでに戦いを放棄したみたいだった。
   既に瞼が半分以上下がっている。

   俺も放棄してしまいたいが、そうもいかない。
   越してきて授業の内容が変わったというハンデがある上に、休んでいた分遅れも出ている。
   それに、ここで甘えてしまっては漢が廃る…っ!!
   …多分。
  「(耐えるんだ、耐えるんだ、俺…)」
   眠らないように、重い瞼を必死に開け続け耐える。
   乗り切るんだっ! 乗り切るんだっ!
  「ぁ…」
   名雪の声に気づいて、名雪の方に視線をやる。
   名雪が起きていた。
   目が見開かれ、小声ながら何か言葉を発していた。
   あの日の夢を見た後起こる症状。
   今の名雪はまさにそれが起こっている時だった。
   このときほど精神が安定しないときは無い。
  「(マズイな…)」
   ここは素直に保健室に…
   そう思った瞬間、チャイムが鳴って授業は終わった。
   思ったより時間が経っていたみたいだ。
  「名雪、大丈夫か?」
  「ぁ… ぁぁ… ぃゃぁ…」
   くっ… これは次の授業は無理だな…
  「歩けるか?」
  「………」
   小さく頷いたのを確認すると、肩を貸して立ち上がらせた。
   そして、そのままの姿勢で教室を出た。
   保健室は1階だ。
   こういうときにエレベーターがないのが悔やまれる。
  「ゅぅぃ… ち…」
   小さく、それでもしっかりと聞き取れる声で名雪は俺を呼んだ。
  「どうした、歩くの辛いか?」
  「トイレ… つれてって…」
  「え? トイレ…?」
   気がつくと俺は手を引かれ、近くの男子トイレに連れ込まれた。
  「名雪、ここ男子トイレだって」
  「だいじょうぶ、人… 来ないから…」
   確かに、ここは旧校舎に近いトイレで滅多に人は来ない。
   だが、何でトイレなんかに…?
   名雪はそのまま俺と一緒に個室に入り、ドアにロックをかけた。
  「お、おい… 何のつもりだよ…?」
  



   いまいち名雪のしようとしている事が…
   その時、俺ははっとした。
   名雪の顔が快楽を求めていることに…
  

   6時間目は幸いにも、自習だった。
  



   その夜、俺はベッドの上で昼間の事を思い出していた。
   名雪の様子は明らかに普段と違っていた。
   急に俺を求めたこと、それも不思議だ。
   もしかしたら、見た夢が原因なのかもしれない。
   たまたまそういった内容の夢を見たせいで、興奮したのかもしれない。
   …考えれば考えるほど眠れなくなる。
   隣で寝ている名雪は気持ちよさそうに寝息を立てている。
   こういう姿を見ると、昼間のことがまるで夢のように思えてしまう。
   どっちが本当の名雪なんだ…?
   ………………
   もういい、寝てしまえ…
   瞳を閉じる。
   視界は黒一色に染まった。
   隣に名雪の寝息を感じる。
   …あの日の夢は見ていないみたいだ。
  

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