日の光が刺激になって目が覚めていく。
ゆっくり瞼を開けるとまぶしい光が飛び込んできた。
まぶしすぎて一瞬瞼を閉じる。
そして、もう一度開く。
「………………」
朝。
いつもの朝。
何か肝心な事を忘れている気がする。
ただ、あまり気にとめなくてもいいような気もする。
それはつまり…
「どうでもいいって事だな」
よし、それではもう少し寝よう。
今日はいまいち寝足りない…
………………
ドタドタドタ…
廊下を走る音が聞こえてくる。
頼む、少し静かにしてくれ…
ちょっと寝たいんだ…
ドタドタドタ…
足音は止まない。
こうなれば足音を気にしないことにしよう。
頭の中で足音と思考を切り離す。
眠気が少しずつ染み込んでくる。
このまま目を閉じていれば…
ガチャッ!
「祐一! 遅刻しちゃうよー!!」
目が覚めた。
そして、同時にさっき疑問に思ってた事も解けた。
「…おはよう、今日は雪でも降るか?」
「ひどいよ〜 わたしだって早起きするよ〜 ってそれより大変なんだよ〜! もう遅刻の時間だよ〜!!」
「ああ、それなら大丈夫だ」
「大丈夫じゃないよ〜 一時間目は猪林先生の授業だよ〜!」
それは慌てても仕方がないだろう。
「あー… 実はだな… おとつい、終業式だったんだ」
………………
「…へ?」
そう、つい先日うちの学校は終業式だったのだ。
つまり、今日からは春休みで4月の頭までは学校には行かなくていいのだ。
連絡を受けた当日に言うはずだったんだが…
その時運悪く北川がコップをひっくり返して大慌てで後始末していたら言い忘れてしまったのだ。
それから言おうとするたびに何かしら邪魔が入ってしまったり忘れてしまっていたのだ。
昨日もついつい忘れていて今ようやく思い出したというわけだ。
「というわけでまだ寝ていて大丈夫だぞ…ってなんで目覚まし時計を持ってそんな目で見つめるんだ?」
結局起きてしまった。
「目覚ましはあんなふうに使うものじゃないぞ?」
まだ痛む額を押さえながら布巾でテーブルを拭く。
「………………」
無駄に早起きした事で名雪はまだ機嫌が悪かった。
「まぁ、あのままダラダラ寝ているよりは全然いいと思うぞ?」
「確かにそうだけど…」
どうしたんだろうか?
いつもならここで納得して引く頃合なんだが…
「イチゴサンデーでおなかいっぱいになる夢だったのに〜」
「………………」
食べ物の恨みはなんとやら…
この場合食べ物の恨みになるかどうかは非常に不明瞭だが。
共同作業で朝食を作って一緒に食べた。
今日もいつも通りトーストなのだが、せっかくなんで凝って作ろうという事になりサラダを加えてみた。
「そういえば…」
昨日の晩、気付いてしまった事。
この場で言うのは少し気が引けるが… あと回しもできない。
「どうしたの?」
「遺品整理とか… まだだったよな?」
「そう… だったね」
場の空気が重くなる。
秋子さんの思い出が詰まった色々なもの…
それは見ているだけで楽しい思い出が溢れてくる。そして、それは俺達にとって苦しみでもある。
「…このままにしておくのはいけないよな」
「うん… しなきゃいけない事だよね」
それからは無言で食べつづけた。
なんとかこの重い空気を払いたかった。
でも、言葉が見つからなくて、いつの間にか後片付けも終わってしまっていた。
「そういえば生ものとかってないよな?」
植物やそういうものがあったらかなり厄介だ。
秋子さんの部屋はしばらく見ていないし…
「それは大丈夫だと思うよ。あるとしたら乾燥ハーブぐらいだよ」
「それならいいか…」
ドアを開けたらそこは… なんて状態ではないみたいだ。
「開けるぞ」
「うん…」
ガチャッ
ドアはビックリするぐらいあっさり開いた。
でも、この心にのしかかる大きな不安は拭えない。
もし、ドアを開けたらそこにはいつも通り秋子さんがいて…
そんな希望をもってしまった自分が嫌になった。
ドアに力を込めて大きく開けた。
秋子さんの部屋は不思議な暖かさに包まれていた。
暖色系でまとめられた部屋はすごく秋子さんらしい感じがした。
秋子さんの部屋に入ったのは数えるばかりだった。
でも、ここはいつ来てもすごく暖かくて…
優しく迎えてくれる。
「………………」
名雪も部屋を見回している。
その表情からは思っている事を読み取る事はできない。
でも、どこか安心したような表情に見えた。
「…それじゃあ、はじめる?」
「ああ…」
まずは溜まっていた埃をはらうことにした。
布団を干して、掃除機やほうきで隅々の埃をはらっていく。
仕上げに雑巾がけをすれば完了だ。
「けっこう溜まっていたんだね」
「ああ、雑巾が真っ黒だ」
なんというかあらためて秋子さんに申し訳なくなる。
これからは毎日掃除しよう…
掃除が終わった後は押入れの中やタンスの整理。
必要なものがあれば出しておかなければいけない。
書類などはもう出したからあまり無いとは思うんだが…
「あ、ここにあったんだ〜」
名雪が押入れから見つけたのは料理道具らしいものだった。
「そういうのは台所だと思うんだけどなぁ…」
もしかしたら意外なところで抜けているところがあったのかもしれない。
「で、タンスの中は…」
引出しを開けると中には服ばかりだった。
タンスなんだから当たり前か…
「で、ここは…?」
上の方にある小さ目の引出しを引き出す。
中に入っていたのは色とりどりの下着だった。
一番手前にあったものを取り出してみる。
「おぉ…」
それは黒いショーツだった。
脇にレースの入ったそれはものすごく大人の魅力に溢れていて…
ばしっ!
「ぐぇ」
いきなり後頭部を殴られた。
その隙に下着を奪われ、元の場所に仕舞われた。
「…なぜ叩く?」
「そんな所見るからだよっ」
秋子さんの部屋にあった調理道具は全部台所に移す事にした。
出てきたノートで知ったのだが、秋子さんは夜な夜な部屋でハーブの調合や料理研究をしていたらしい。
昔のアニメに出てきそうな魔女の姿を一瞬思い浮かべてしまったがすぐにその考えを振り払った。
「で、これはこっちでいいんだな?」
「うん、そうだよ〜」
ついでというか俺たちは台所の整理もやる事にした。
どこになにがあるのかを把握しておく事は大事な事だ。
意外と場所がバラバラになっていたりする部分があって、結構本格的な片付けになっていた。
「ふぅ… 鍋はこれで全部だ」
さて、次はどこだ…?
「あ、そういえばこっちは何が入ってるんだ?」
床にある収納スペースが気になった。
台所に近い場所にあるから多分食品関係だと思うんだが…
「あ、そっちはジャムが入ってるよ」
「ジャム…?」
開けてみると、たしかに瓶詰めのジャムがあった。
それだけならまだ普通だが、驚くところはジャムばかりという事だ。
これは100%ジャムで埋まってるって状態だな…
「あ、イチゴジャムだ」
「一度にたくさん作るからそこに置いてあるんだよ」
なるほど… たしかにここなら適度に冷えるから保管場所としては最高だな。
瓶をいくつか取り出してみる。
ブルーベリー、マーマレード、あんず…
びわとかイチジクなんて珍しいものまであった。
「すごいな… 何種類あるのか分からないなこれは…」
秋子さんの趣味はジャム作りだった事が改めて知らされる。
「ん、これは…?」
一つラベルのない瓶があった。
その瓶にはオレンジ色のジャムがぎっしりと入っていて…
「………………」
「どうしたの? なんか変な汗流れてるけど…」
「な、なぁ… 例のジャムってラベル張ってなかったよな…?」
「う、うん…」
オレンジ色のジャム=例のジャムという事は俺と名雪の間での暗号の一つだった。
「それって… これぐらい鮮やかなオレンジ色だったよな…?」
名雪に瓶を見せる。
「………………」
名雪が固まっている。
やはり、これで合っているらしい…
「………………」
冷蔵庫に見かけないと思ったら、こんなところにあるとは…
色々ありすぎてすっかりこいつの存在を忘れてしまっていた。
でも、これも秋子さんに関わる思い出の一つなんだよな…
「なぁ、このジャム…」
「うん…」
名雪も同じ事を考えていたのだろう。
それが素直に嬉しかった。
ちょうど時間もいい頃だ。
俺たち二人は同じ目的を果たすために動き出した。
ジャムを持ってテーブルに移動する。
「食パンでいいよね?」
「ああ」
トースターのプラグをコンセントに繋いで電源を入れた。
名雪が持ってきたパンに薄くマーガリンを塗ってトースターにセットする。
「今日は朝もお昼もパンだね」
「たまにはいいだろ」
「うんっ」
やがて、パンとマーガリンの焼けるいい匂いと一緒にトースターから焼きあがったパンが飛び出した。
ジャムの蓋を開けてスプーンですくってパンに塗る。
ふたりとも鮮やかなオレンジ色のジャムの乗ったトーストを持っている。
「それじゃあ…」
「いただきます」
ふたり同時にパンにかぶりつく。
「………………」
「………………」
やはりというかなんというか…
やはりこの味は独特だ。
どうも慣れない…
「え… えーと」
名雪も同じようで反応にすごく困っているようだった。
「その… なんだ。こういうのもたまにはいいだろ」
「………た、たまには… ね」
秋子さんが一生懸命作った物だけど… やっぱりちょっと厳しかった。
でもいつかはこのジャムも食べられる日が来るのだろうか…?
それはいつなんだろうな…
なんとか例のジャムを塗ったパンを片付けて本格的に昼食を食べることにした。
せっかくだからといろいろなジャムを試しながら食べている。
「そういえばジャムで思い出したんだけど…」
「どうしたの?」
名雪はイチゴジャムがたっぷりと載ったトーストを持っている手を止めた。
「このジャムの材料って結局分からないんだよな…」
「そういえばそうだよね… ノートにも書いてなかったし」
他のジャムは材料から作り方まで完璧にノートに書いてあるだけに謎は尚更深まる。
マーマレードに近い色なんだが、若干色が濃いようだ。
こうして見るとオレンジ系だと思うんだが… 実際に食べると全く別の味だから困る。
合成着色料を使ったんじゃないかと考えもしたが、秋子さんの性格からしてそれはないだろう。
水瀬家に残る最後の謎だな、これは…
「………………」
名雪はじっとジャムを見つめている。
時々匂いをかいだり少し舐めてみたりしている。
「…うん、決めた」
…なんだろうか。少し嫌な予感がする。
「わたし、このジャムの材料を見つけてみせるよっ」
「ぐあ…」
見つけるって事は当然見つけるまでの間は実験台になるんだよな…
「もしかしたら… このジャムはおかあさんからのメッセージかもしれないから」
メッセージ、か。
秋子さんも厄介な宿題を名雪に与えちまったな…
「がんばろうねっ、祐一」
「…おう」
あれからまた片づけを続けて、気が付くと大分遅い時間になってしまっていた。
外はすでに日が落ち、夜の帳が下りている。
「集中するとずいぶんとあっという間なんだな」
「そうだね。わたしもびっくりだよ」
こんなにも何かに集中したなんてすごく久しぶりかもしれない。
「一緒に何かをするのって… すごく楽しいよね」
「そう… だな」
なんとなく少し照れくさくって視線をそらしてしまう。
もっと素直に喜べよな、俺…
「さてと、それじゃあそろそろ晩ご飯の支度しちゃうね」
「おう、うまいのを期待しているぞ」
「任せてよっ」
自信に溢れたその笑顔がすごく可愛かった。
今日の晩ご飯は和食だった。
朝、昼とパン食だったのでなんとなく嬉しかった。
焼き魚にほうれん草のおひたし、冷奴にお漬物と味噌汁。
それと暖かいご飯が来たらこの上なく幸せだ。
「はい、おまたせ〜」
名雪が台所から藁で編んだ籠を持ってきた。
そこには山積みのパンが…
…ってパン?
「はて… 名雪さん、ご飯は? 白米は?」
「え、えーと… その… ご、ごめんねっ! 炊飯器が動かなくなっちゃってて…」
「………………」
目の前にある和一色のオカズたち。
しかし主食はパン。
「前からちょっと怪しいなって思っていたんだけどとうとう限界が来ちゃったみたい…」
うわぁ… なんか泣けてくるなこういうのって。
「えっ、祐一? どうして泣いてるのっ?」
「ご飯〜 俺の白米〜」
結局この日はパンを主食に残りのオカズを食べた。
これでまた結構おいしかったのが納得いかないのだが、うまかったものは仕方がない。
これも名雪の腕に感謝… だな
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