相沢の周辺で、沢山の奇跡が起きた。
 水瀬のお袋さんが助かった。
 倉田先輩と川澄先輩が退院して、学園生活に復帰した。
 そして、コンビニのバイトを再開した時……。
「肉まんーっ」
 自動ドアが開き切るのも待てず、隙間から店内に飛び込んで来た少女は……。
「肉まん下さいっ!」
 真琴だった。
 呆然としていると、相沢と、ふたりの先輩が入って来た。
「わあっ」
「まったく、余計なことしやがって」
 相沢が真琴のGジャンの背中を猫みたいに掴み上げながら、ぶっきらぼうに川澄先輩に言い放つ。
「離してようーっ!」
 じたばたともがく真琴を押さえながらも、相沢は今にも嬉し泣きしそうな表情だった。
 余計なことって何なんだ? 川澄先輩が真琴を助けたってことか?
 そう言えば、あのウサ耳の少女はどうなったのだろう?
「わっ……」
「……こうしたかったから」
 川澄先輩はそう言って真琴の頭を撫でた。
「……あう……」
 初めは戸惑っていたが、やがて照れたような笑みを浮かべた。
 あまのじゃくな真琴が、素直に撫でられていた。
「先輩、妹さんは元気ですか?」
 ようやく、尋ねる機会ができた。
「……妹?」
 真琴を撫でる手が止まる。
「……私に妹はいない」
 いない? じゃあ、あのウサ耳の少女は一体?
 クローン人間のようにうりふたつのあの子が他人とは思えない。
 それとも、もしかして……弟?
「……あう……」
 真琴のなでなでを再開する。
 美坂のような何らかの事情でもあるのだろうか……?
 ……とも思うのだが、川澄先輩の表情からは美坂のような苦悩も、大きな悲しみを覆い隠した気丈さも読み取れない。
 ……もっとも、他の感情も全然読み取れない。
 久瀬や相沢や倉田先輩でないと無理だ。
「……?」
 先輩は真琴のなでなでを中断し、何かを思い出すように、俺の顔を穴が空くように見つめてきた。
 ……だが、やっぱり何を考えているのか分からない。
「……何ですか?」
 そして……。

 なでなで

「……へ?」
 川澄先輩は……俺の頭を撫でた。
「あの、川澄先輩?」
「……なんとなく」
 ……分からん。さっっっっぱり分からん。

「ありゃ、肉まんはないのか」
 残念そうな相沢の声。
「ああ、済まん。もう暖かくなったからな」
 そのため、蒸し器は品切れを機に撤去してしまった。
 今年は異常気象で、この頃は信じられない陽気が続いている。
 桜の開花時期は九州並みになる……という噂だ。
「肉まんーっ」
「わがまま言うな」
「だってぇー」
「あははーっ、佐祐理が……」
 と、倉田先輩は天真爛漫な声を上げるが、気まずそうに咳払いをした。
「私が、作りますよ」
 『私』という一人称を、自分に言い聞かせるように力強く言い直した。自分の一人称を変える事にしたらしい。
 心境の変化だろうか?
「ホント!? ありがとっ」
 真琴は満面の笑顔だった。

 あいつらは騒ぐだけ騒いで、何も買わずに去って行った。
 ただ、川澄先輩は去り際……。
「……上着、暖かかった」
 と言っていた。
 上着? 舞踏会の時にあの子の肩にかけてやったタキシードの事か?
 何で知っている? やっぱり妹なのか?
 それとも……あのウサ耳の少女は、過去の世界から現代にタイムスリップして来た川澄先輩本人……?
 それならうりふたつの外見も納得いく……が、そんな事あるわけないか。
 でも、『何か』が実在した訳だからな……う〜む。


 店長に頼み込み、肉まんを復活させる。
 再び真琴は常連となり、最近は栞のクラスメイトと一緒に来る。
 中庭では相沢の紹介をあれほど拒んでいたのに、結局は友達になったようだ。
 何はともあれ、心を開くことができて良かった。
 だが……お互いに栞の話はできない。
 春になっても、そこだけが凍結していた。


 ニュースで7年間昏睡していた少女が目覚めたと報道していた。
 その少女の名は、『月宮あゆ』……ミナミハルオと同じ名前であり、顔もそっくりだった。
 7年間の昏睡のために筋力が低下していて、一生懸命にリハビリしているらしい。
 水瀬のお袋さんと共にリハビリに励む『あゆ』の見舞いに、相沢たちは通っている。
 どういう訳か、あの『あゆ』と同一人物らしい。
 病院の前で見た夢の中で、『あゆ』はこう言っていた。
『ボクたちが本来居るべき所……どこかは分からな いけどそこに行く……いや、戻るんだと思う』
 『本来居るべき所』……それが、昏睡していた『月宮あゆ』の体なのだろうか?
 それでは、ウサ耳の少女はどこに戻ったのだろう?
 俺も見舞いに行き、レツゴー3匹を再結成したくなる……が、病院の中に入る勇気が持てない。
 ただ入り口で、待ち続ける事しかできない。


 結局、あゆは入院時の医療費を負担していた養父母の元に、そして真琴は身寄りがなく、水瀬家に引き取られるそうだ。


 卒業式……。
 相沢はふたりの先輩と相変わらずのやり取りをしている。
「先輩っ!」

 パシャ!

 シャッターを押す。
 中々面白い表情(?)が撮れた。
 相変わらず無表情な川澄先輩だけど、少しは感情が読み取れるようになった……ような気がしないでもない。
 俺も先輩たちの友達……とまではいかなくても知り合いにはなれたかな?
 相沢は沢山の少女に囲まれている。
 さて、誰を選ぶのか?
 選べるのか?
 いや、そもそも……既に真琴と結婚したのではなかったか?
 真琴は相変わらず相沢とケンカばかりしている。
 どうやら、赤ん坊のようになっていた頃の記憶はきれいさっぱり無くなっているようだ。
 いや、そうでもないか。
 この前、泥だらけで顔中擦り傷だらけの真琴を見たのだ。
 満身創痍の外見とは裏腹に、満面の笑顔で白い布を握り締めていた。
 汚れていたが、あの時に風で飛ばされたヴェールだった。
 根性で捜し出し、回収したらしい。
 結婚の記憶は残っており、しかも喜んでいるようだ。
 にもかかわらず、ケンカばかりしている。
 また、元のあまのじゃくに戻ってしまったようだ。
 そんな真琴を栞のクラスメイトが温かいまなざしで見守っていた。
 その傍らには、ふくれっ面でその様子を見ている水瀬と松葉杖をついたあゆがいる。
 これから相沢は……。
 全員の笑顔のために頑張っていた相沢は、相当な苦労をする事になるのだろう。
 ある意味、これまで以上に。
 そして俺は、相沢の周辺に更なる火種を放り込こもうとしている。
「ほら、これが最後のチャンスかも知れないんだぞ!」
「わ、わ、ぼ、僕は……」
「ほら、行け!」
「まだ、こ、心の準備が〜!」
「当たって砕け散れ!」
 久瀬を川澄先輩の方に押しやる。
 久瀬は、卒業式で送辞を読み上げる時の落ち着きが嘘のようにうろたえている。
 これで相沢の周辺も少しは緊張感が出るだろう。

 俺にも余裕ができていた。
 状況を楽しむ余裕ができていた。
 あの時の夢は正夢となりつつある。
 だから、信じて待つ。
 待ち続ける。
 校門で、
 中庭で、
 病院で……




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