2月下旬

「調子……どう?」
 いい筈がない。でも、疲れ切った私の脳は気の利いた言葉を見つけてくれない。
 『学校の勉強がどんなにできたって、何の役にも立たない』と言うのは、劣等生のひがみでも何でもなく一つの真理だった。
 かつての妹の面影はない。
 益々体は細くなっている。
 綺麗だった髪はすっかり艶が無くなり、抜け毛のせいか所々うっすらと地肌が見えていた。
 沈黙が続く。
 投薬を始める前に、栞は医師から全ての説明を聞き、自分がどうなるかを覚悟していた。
 だが、ボロボロになっていく自分の体を見れば、嫌でもその覚悟は揺らぐ。
 死の不安、そして、あいつが離れていくかも知れない不安に常にさいなまれている。
 その上、鎮痛剤の投与を止めたせいか情緒不安定になり、先ほどの不安が膨れ上がって抑え切れなくなっていた。
 そのためか、栞は私が見舞いに行くと激しく感情を爆発させる。
 今度は私が、妹に拒絶されるのだ。
 もう、私たちは他人なのだ。
 また、私たちは他人になってしまったのだ。
 それでも私は、見舞いに通った。
 私に当り散らす事で、少しでも不安を忘れる事ができるなら……そう信じて。
 沈黙は続く。
 私が病室から出た時に、うめくような泣き声を聞いた事がある。
 栞はとても優しい子だ。
 だから、自制が効かず私に当り散らしてしまう事を激しく自己嫌悪しているのかもしれない。
 私なんか来ない方が、栞は楽なのかもしれない。
 ……他人なのだから。
 そのとき。
「……アイスクリームある? ……お姉ちゃん」
 口に指を当ててそう言うこの子は、やっぱり妹の栞だった。
 その、悪戯っぽい笑顔は、確かに栞のものだった。
「……栞」
 抱き締め、頭を撫でる。
「……ごめんね」
 栞は私の制服のケープを握り締めた。
「あたしも……ごめんね」
 撫でる手に力がこもる。
 余計に髪が抜けてしまいそうだが、今だけは大目に見て欲しい。
 私たちは……再び姉妹に戻れた。
 それに、私はひとつ、希望を見い出していた。
 鎮痛剤は投与されていない。にも関わらず激痛にのたうつ事はなくなっていた。
 痛みをもたらす病が治りつつある……と、いうことなのだろう。
 私たちは、ふたりでアイスクリームを食べた。
 昔のように、私が栞を拒絶する前のように。
 これから沢山食べて、体に肉をつけて、あいつが理性を失うようなグラマーな体になって……グラマーになり過ぎて、ダイエットという、女の子らしい悩みを抱えて。
 普通の女の子になる。
 その日が……必ず来る。

 きっと来る。






もう一つの可能性


四章 『それから』

        作者 OLSON

        原作 Key
            清水マリコ






       2月 1日 月曜日

 これまで通りの日常が始まる。
 何も感じない。
 何も考えない。
 体に染みついた習慣に従って、自動的に体が動く。
 学校に通い、飯を食い、コンビニでバイトする。
 それらを全自動で行う。
 俺は、ロボットになっていた。


 校内は騒がしくなっている。

     『蛍光灯が大量に割られていた』
     『床に真新しい傷跡があった』
     『中庭に沢山の足跡があった』
     『窓がまた割られていた』
     『屋上から誰かが飛び降りた形跡があった』
     『2パックの牛丼弁当がぶちまけられていた』
     『3年の倉田に続き川澄が大怪我をして入院した』

 それらの情報が脳に入力される。
 だが、自分の行動とは関係がなく、何の反応もする事はなかった。
 ある男が視界に入る。
 相沢はクラスメイトが休み時間騒いでいるのを、ただ遠巻きにひとり見つめているだけだった。
 相沢も自分のような状態……?
 ……どうでもいいか。
 関係ない事だ。
 美坂が沈痛な面持ちで俺を見ていた。
 美坂の姿が刺激を与えたのか、脳裏に記憶が再生される。
 様々な栞の表情、仕草。
 思考、感情が少しは蘇る。
 だが、それは苦痛でしかなかった。


 こんな調子が続いたある日、廊下を歩いていると栞のクラスメイトに出会った。
 目が合い、彼女は俺に近づいてきた。
 栞のことを訊かれるのか、と、思ったら……。
「……突然ですが、あなたは……相沢さんと、親しいのでしょうか?」
「あいつと? そんな事……ないけど?」
 親しくなんか……ない。親しくなんて。
 だが、なんだかんだで一緒に行動する事もあったからな。
 栞から、『チョーサク』の話を聞く事もあったのだろう。
「そうですか……どうしても連絡を取らねばならないのですが」
 連絡? 別れ話なのだろうか? とても深刻そうだった。
 相沢はようやく清算する気になり、誰かひとりを選ぶ事にしたのだろうか?
 でも、誰からも愛想つかされて、一人になるのがオチだと思うが。
 ……八つ当たりだな。
 俺は結局、栞に何もできなかった。
 結果はゼロだった。
 そんな無力な自分が嫌で、嫌な人間の仲間を作りたいだけだ。
 彼女は去っていく。
 去り際に、こんな呟きが聞こえた。
「あんな事……繰り返してはいけない……。私のようになってはいけない……」
 どう言う意味だ?
 彼女の目的は、俺が予想していたような下世話な物とは違うような気がした。
 相沢の連絡先……か。
 転校してきた相沢に電話番号を聞いて、水瀬の爆弾発言で大騒ぎになって……。
 ……全ては、あれから始まっていたんだな。
 ……。
「ちょっと待ってくれ!」
「……はい」


 数日後。
 バイトの後、店長が心配したのか『栄養をつけろ』と、近くにあるファミレスのサービス券をくれた。
 こんな俺でも、心配してくれる人が居たのだ。
 だから、倒れたら申し訳ないので、好意に甘えることにする。
 今夜は両親共に帰りは遅いので、晩飯を食べるとしたら外食となる。
 だから、丁度良いと言えば丁度良かった。
 一人ぼっちで飯食うってのはわびしい物がある。
 空腹感そのものは感じるのだが、食べる気力がない。
 それでも目の前の鉄火丼を口に入れると、俺の舌は素直に『美味い』と、感じた。
 体に滋養が行き渡るのを感じる。
 と、見知った顔を見つけた。
 相沢と、水瀬と、水瀬のお袋さんと……真琴。
 めまぐるしく表情の変わっていた元気なあの子が、まるで別人のように大人しく、無表情だった。
 足取りがおぼつかず、相沢と水瀬に支えられていた。
 最後に会ったあの日、うっすらと透けるように見えたあの時のようだった。
 そして食事を始めた……が、なんとも妙だった。
 真琴は箸も何も持たず、相沢たちが料理を差し出すと口を開けていた。
 まるで……赤ん坊に食事させるようだった。
 あの時、真琴に何があったのかは知らない。
 真琴がどうなってしまったのかは分からない。
 でも、今の真琴は幸せなのだろう。
 あの4人は家族になっていた。
 続柄はバラバラでも、暖かい絆で結ばれたとても仲のいい家族になっていた。
 記憶をなくしてあらゆる絆を失い、独りぼっちになっていた真琴は、新しい絆を手に入れたんだな。
「……」
 この鉄火丼……ワサビが効き過ぎのような気がする。
 それにしても、真琴をよくからかっていた相沢が、とても優しく、そして悲しそうな目をしていたのが気になった。
 食事を終え、出て行く一家の行き先を窓越しに見守る。
 水瀬の家からは逆方向に向かう……ゲーセンのようだ。
 よかったな、真琴。一緒に写真撮る仲間ができたんだな。
「……」
 一言、声をかけようと思っていたのだが、鉄火丼のワサビが効き過ぎなのか涙が止まらず、喋れなかった。




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