校門に戻ると……。
「きゃっ!」
「あうっ!」
 背後からふたつの悲鳴が聞こえた。
 振り向くと、栞に真琴がぶつかっていた。
 その向こう側では、手を突き出した相沢が気まずそうに硬直していた。
 相沢が、真琴を突き飛ばして栞にぶつけた? 何のつもりだ?
「えっと……あのっ……」
 これ以上は無理ってくらいに動転しながら真琴が口を開く。
「……はい」
「お友達……」
「お友達?」
「うん……」
「えっと、お友達に……なりたいんですか?」
「……あうーっ」
 真琴は逃げ出し、栞は慌てて目で追った。
 そして、相沢が真琴を追っていった。
 どうやら真琴に友達を作らせるつもりらしい。
 相沢なりに真琴の事を思いやっていたのだろうか?
「チョーサクさんと、あの女の子……どうしたんでしょう?」
 まだ訂正してなかったな。
「さあな」
 咳払いして話題を変える。
「それで、どこに行きたい?」
「私が決めていいんですか?」
「栞の言うデートとやらをした事はなかったからな。どこ行きゃいいのやら」
「今まで全くなかったんですか?」
「経験豊富に見えるか?」
「見えません」(即答)
「ひでぇ」
 などと他愛のない会話をしながら歩いているうちに商店街にいた。
「あ……」
 商店街の一角を指さして、栞が声をあげる。
「あれって、ゲームセンターですよね?」
「そうだけど、そんなに珍しがるような物か?」
「私、一度でいいからゲームセンターでゲームをしてみたかったんです」
「……一度もやったことないのか?」
「中に入ったこともないです」
「変な奴」
「変じゃないですよー。私は不良じゃないですっ」
 確かに、昔は不良の溜まり場だったらしいが。
「それで、何かやってみたいゲームはあるか?」
「ゲームは、インベーダーを撃つゲームくらいしか知らないです」
「栞……本当は何歳だ?」
「たぶん、潤さんのふたつ下です。私、早生まれですから」
「……ちなみに、今のゲーセンにはないぞ」
「え? そうなんですか?」
「そもそも、どこでやったんだ?」
「温泉旅館です。家族でよく湯治に行きました」
 納得。『ギャラ○シアン』や『平安京○イリアン』などの古い物が、ああいう所にはなぜか多いからな。
「うおおおぉ〜〜〜〜〜!」
 なんだか店内が騒がしかった。
 そこには相沢と倉田先輩がいた。
 その回りには人だかりができていて、まるで応援団のようにエールを送っている。
「あ、チョーサクさんがいます」
 今度は倉田先輩とデートか。やっぱり節操がないな。
「潤君っ!」
「おおうっ!」
 突然の声にのけぞる。
「うわっ!」
 あゆだった。
「急に話しかけるな……」
「うぐぅ……びっくりしたぁ〜」
 相手が相沢だったらタックルするんだろうな。怪我の心配はないけど、なんか悔しい。
「えっと……」
「お久しぶりだねっ、栞ちゃん」
 あゆは戸惑っていた栞に気さくに話しかけた。
「……栞……ちゃん?」
 栞は警戒するようにストールをぎゅっと握りしめる。
「あ……さっき潤君が名前呼んでるのを聞いたんだよ」
「そうですか……」
 少し表情が軟らかくなる。どうやら納得したようだ。
「えっと、お久しぶりです……」
「うんっ。元気だった?」
 緊張気味の栞に対し、あゆはまるで十年来の親友と再会したかのように話しかける。
「学校を休んでいますから、元気ではないですけど……」
「え……? そうなの?」
「風邪……ですから、もうすぐよくなると思いますけど」
「それは大変だね。ボクも気をつけないと。ところで、潤君たちは何してるの?」
「折角の土曜日だからな、栞と一緒に商店街を歩いてるんだ」
「デート?」
「そう見えるか?」
「ううん、見えない」
「どういうふうに見えますか?」
「うーん……仲のいい兄妹、かな?」
「そうですか……」
 栞は残念そうに肩をすくめる。
 そんなに俺が女連れってのは違和感があるんだろうか?
「違うの? それじゃホントにデートなんだ……」
「あゆはどうしてたんだ?」
「……探し物、だよ」
「探し物? まだ見つかってなかったのか?」
「……うん」
 寂しげに頷く。それほどまでに大事なものなんだろうな。
「私たちも手伝いましょうか?」
「い、いいよ、せっかくのデートなのに邪魔しちゃ悪いから」
 赤面したあゆは相変わらずの羽をぱたぱたと揺らして、まるで鯛焼き屋のおっさんを見たかのように走り始めた。
 そして一度立ち止まり、振り向いた。
「ばいばいっ」
「えっと……ばいばい……です」
「足速いな……」
「そうですね。……ところで、あそこにチョーサクさんがいること、教えてあげなくて良かったんですか?」
「いいんだ。お笑いトリオが揃うと疲れる」
「あはは……そうですね……」
 と、その時ゲーセンからむさ苦しそうな男の声がハモって聞こえてきた。
「お嬢、一同は明日も、ここでお待ちしておりやす」
「あははーっ……明日は来るつもりないんですけど……」
 倉田先輩が戸惑っていた。
「おっと、場所変えるぞ!」
「え? え? え?」
 走り出した。
 相沢とは会いたくなかった。
 栞とふたりっきりでいたかったのだ。
 ……それだけでもないか。
 相沢に対する疑念がまだくすぶっていた。

「はあ……はあ……はあ……。潤さん……速いですぅ〜」
「あ、ごめん!」
 その時になって気付いた。
 俺は栞の手を握っていたのだ。
 お、俺が栞の手を……!
 今頃になってドキドキしてきた。
 そして、ここは見覚えのある場所だった。
 あの並木道だ。
 なんだ、俺、初めて会った時のあゆと同じ事してたんだな。
「潤さん、この場所を覚えていますか?」
「確か、あゆが食い逃げして相沢を巻き込んで逃げて来た場所だな」
「……そうなんですか?」
 笑いをこらえるような表情で問い返す。
「それで、栞と出会ったんだよな?」
「はい」
 穏やかに頷く。
「潤さん、その時のこと覚えていますか?」
「ある程度は覚えてるぞ」
 あゆと相沢を追いかけてたどり着いた、この場所……。
 小さな悲鳴が聞こえて、紙袋の中身を広げ、雪と同じくらい白い肌のその少女は、戸惑ったように俺たちを見ていた……。
「……運命」
 栞がぽつりと呟く。
「確か、あゆさんがそう言っていましたよね」
「そうだったか? そこまでは覚えてないけど」
「私は全部覚えていますよ。その日の事、全部。私にとって、本当に大切な思い出ですから」
「思い出って言うほど昔のことでもないだろ?」
「潤さん、思い出に時間は関係ないです。その人にとって、その一瞬がどれだけ大切だったか、どれだけ意味のあることだったのか……それだけだと思います」
「……そんなもんか?」
 思い返しても、奇妙な夫婦漫才に巻き込まれたという記憶しかない。
「だって、あのときの皆さん、面白かったですから」
「そうか?」
「私、あのあと家に帰ってずっと笑ってました」
「あのふたりはともかく、オレは普通だぞ」
「……そう、ですね……」
 今の間は何だ?
「……あ、お気に入りの場所があるんです。丁度ここから近いから行ってみましょう」

 それから10分ほど歩くと、大きく開けた場所に出た。
「ここです」
 くるっと振り返って、満面の笑顔で大きく両手を広げる。
 その後ろで、さらさらと水の流れる音が規則的に聞こえていた。
「……ここか」
 そこは、真っ白な木々に囲まれた、大きな公園だった。
「私のお気に入りの場所です」
「俺も昔、スケボーにはまってた時はよく来てたな」
「そうなんですか?」
「ああ。平らな場所や段差が適度にあったから、練習にはうってつけだったんだ」
「今は……やってないんですか?」
「子供にぶつかりそうになってな」
「そうなんですか……」
 あの時、飛び出してきた子供をよけようと無理なジャンプをして、思いっきり足を擦りむいた上にボードは真っ二つになってしまった。
 幸い子供は無傷で済んだが、いつまでたっても泣き止まず、ここに来てた露店の焼きそば食わせてなだめた記憶があった。
 あれをきっかけにスケボーやめたんだっけ。
 そうだ。あの時……。
『今度ここに来る時は彼女作ってデートで来よう』
 などと決意して、ここには来なくなったんだっけ。
 そんな淡い思いを、無粋な腹の虫がかき消した。
「……腹減ったな」
「そうですね……そろそろお昼にしましょうか?」
「もしかして、弁当でも持ってきてるのか?」
「……お薬ならたくさんありますけど」
 言いながら、スカートのポケットから薬瓶を取り出す。
「……」
「……えっと、これで全部ですね」
 あっという間に、噴水の縁がツル○ドラッグになっていた。……やっぱり4次元?
「……食べます?」
「やばいだろ……さすがに」
「そうですよね……」
 昔、ビオフェ○ミンをおやつ代わりに食って飢えをしのいだ経験がある。
 ほのかに甘かった……が、自分が非常に惨めに思えた。
「全部で何十個あるんだ……?」
「お薬以外にも色々と入ってますけど」
「……どうやって?」
「それは内緒です。それはいいですけど、お昼ご飯は困りましたね」
「全然よくないが、確かにな」
 少し時間はかかるが、商店街に戻るしかないかもしれない。
 さすがにこの季節に露店は……。
 カラフルな傘を開いていた。

 そして、案の定栞はアイスを所望し、露店には信じられない事に置いてあった。
 俺はホロ苦い思い出の焼きそばを、そして栞はアイスを食べながら他愛もない話を続ける。
 いつまでもこんな時間が続けばいいのに……と、純粋に、そう思えた。

 そろそろバイトの時間なので帰ることにする。
 明日は日曜だからちゃんと休め、と、釘を刺しておくことは忘れなかった。
 ただ、帰り際……。
「潤さん、本当に時間いっぱいまでこうして居られたらいいですよね……」
「そうだな」
「はいっ」
 元気よく頷いたその笑顔の向こう側に……。
「どうしたんですか?」
 笑顔の向こう側に何があるというのだろう?
 突然ふってわいた形のない疑問。
 それが頭の中に渦巻いて離れなかった。


 栞と分かれてコンビニに行く途中で駅前にさしかかった。ふと上を見上げると、歩道橋の上に相沢と真琴が居た。
 倉田先輩の次は真琴か。本当に節操がないな。
 真琴は猫を抱いている。
 ……猫を道路に落とした!?
 残酷な光景を想像し、思わず目を瞑る。
 ……が、猫はトラックの上に落ちたらしく、猫の声は移動するトラックの荷台から聞こえてきた。
 トラックの荷台には見覚えがあるマークがついている。
「ばかあっ!」
 相沢が真琴を怒鳴りつけた。まあ、当然だろう。
 しかし……。
 真琴は相沢を突き飛ばし、凄い勢いで走り去っていった。
 沢山の女の子に手当たり次第に手を出した報いだろう。そう思い、声をかける気にはならなかった。


 バイト中……。
 相沢が夜食に巻きずしを買っていった。
 あれから、真琴にフォローを入れたのか? まだ真琴を探し続けているのか?
 それとも……放っておいて夜の校舎に向かおうとしているのだろうか?

 バイトはそろそろ上がり……という時間になって、ようやく商品補充のトラックが来た。
 猫が落ちたあのトラックだった。マークはこのコンビニの物だ。見覚えがあるはずである。
 まさか……と思いながらも耳を済ますと、信じられない事にあの猫の声が聞こえた。
 運転席の横にあるハシゴをよじ登ると、荷台の上で、あの猫がうずくまっていた。
 あれからずっと荷台にしがみついていたらしい。
 ちちち……と舌を鳴らすと、ぴん、と耳を立てて顔を上げた。
 ようやくトラックが停まった事に気付いたらしい。
 駆け寄ってきた猫を抱き止めてやろうとしたら……。
「痛ででででで!」
 俺の体に爪を立てながら、駆け下りて逃げていった。
 その先に……。
「猫ちゃん!」
 真琴だった。
「ごめんね……ごめんね……」
 泣きながら猫を抱き締めていた。
 髪の毛はバサバサに乱れ、どこかで転んだのか泥だらけだった。
 あれから今までずっと探し続けていたらしい。
 体は冷え切っているに違いない。
 何か暖かい物を奢ってやろうと思ったが、店長にサボるな! と怒鳴られ、仕方なく仕事に戻る。
 仕事が終わった後には……当然ながら真琴はいなかった。




1章『相沢祐一』 終わり

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