少しだけ、疲れました……
栞を背負う。
そうだな……今日は……たくさん歩いたもんな
走り出す。
……あはは……少しだけじゃないかもしれません……
きっと、遊びすぎだな……
……そうですね……
潤さん……
もう一度、訊いてもいいですか?
舞踏会の夜のこと……後悔していませんか?
私を受け入れたこと……
私と一緒にいること……
今日という日を迎えてしまったこと……
……後悔、していませんか?
約束しただろ……栞
オレは後悔なんてしていない
これから先もずっと同じだ
オレは、最後まで……
栞のすぐ隣にいたいと思っている
潤さんは、強いです
強いのは栞の方だ
それは、違いますよ……
私、自分の手を
カッターナイフで切ったことがあるんです
最初に出会った時のこと……覚えていますか?
その日に、私は手首を切ったんです
3学期の、始業式の日でした
普段は、ほとんど使うことのできなかった
このストールを羽織って……
このストール、お姉ちゃんから貰った物なんです
ちょうど1年前
プレゼントをせがんだ私に
お姉ちゃんが特別にって言って
1日早く渡してくれたんです
商店街のコンビニでカッターナイフを買って
必要もないのに、他にも色々な物を買って……
大きな紙袋を持って
最後の雪景色を楽しみながら家に帰りました……
その途中です
突然、雪が降ってきて……
そして
お笑いトリオの皆さんに出会ったんです
あの時の、何かに怯えたような栞の表情……
その向こう側にあった、悲壮な決意……
あの夜……電気の消えた、自分の部屋で
たったひとりで……
何も聞こえなくて……
何も見えなくて……
何も考えられなくて……
自分だけが
場違いな所に迷い込んでしまったような……
そんな、夜でした……
家に帰って……
黄色いカッターナイフを握って……
自分の左手に宛って……
右手に力を入れて……
左手に、赤い筋が走って……
それでも、何も考えられなくて……
ふと、笑い声が聞こえたような気がして……
それは、昼間出会った、あの人たちの声で……
あの笑顔を、あの楽しそうな声を思い出して……
今の自分がどうしようもなく惨めに思えて……
つられるように笑って……
本当に久しぶりに笑って……
次の誕生日まで生きられないと
お姉ちゃんに教えられた時にも
流さなかった涙が流れて……
笑って出たはずの涙が止まらなくて……
もう、おかしくもないのに涙が止まらなくて……
赤く染まった左手が痛くて……
自分が、悲しくて泣いていることに気づいて……
……そして
ひとしきり笑ったら……腕、切れなくなってました
もしかしたら、
これが奇跡だったのかもしれませんね……
それは、栞の強さだ……
起きる可能性が少しでもあるから
だから、奇跡って言うんだ
……私には、無理です
だったら、オレと約束してくれるか?
もし奇跡が起きたら、学食で昼飯おごりな
……分かりました、約束します
オレは、いっぱい食うぞ
その時は、たくさん用意します……
……
潤さんと出会って、たったの3週間でしたけど……
私は、幸せでした……
夕暮れの街で、初めて出会いました……
中庭で、再会しました……
一緒にアイスクリームを食べました……
ふたりで商店街を歩きました……
噴水のある公園を、一緒に散歩しました……
舞踏会で踊りました……
夜の公園で
初めて好きな人の温もりを知りました……
制服を着て、学校に行きました……
友達もできました……
好きな人と一緒に
学食でカレーライスを食べました
好きな人のために、一生懸命お弁当を作りました
喫茶店で、大きなパフェを食べました
その夜、本当に久しぶりに
お姉ちゃんとお話しできました……
たった3週間の間に
これだけたくさんのことがありました
全部、大切な思い出です
……でも……
おっきな雪だるまを作れなかったのは……残念です
……
私……死にたくないです
本当は
潤さんのこと
好きになってはいけなかったんです
でも……ダメでした……
私、笑っていられましたか?
ずっと、ずっと、笑ってることができましたか?
ああ、大丈夫だ
あと、どれくらいでしょうか……
そうだな……
腕時計のバックライトを点け、栞に見せる。
これで、私もやっと潤さんのひとつ下です……
ちゃんと、プレゼントだって買ってあるんだ
嬉しいです……
でも、まだだ……
そうですね……
PM11:58 54
もう……少しですね……
PM11:59 23
そうだ……もう少しだ……
PM11:59 59
……はい
ピピッ
アラームが鳴る。
……栞
誕生日、おめでとう……
美坂家に着く。
美坂の両親は俺に頭を下げていた。
こんな状態の娘を、夜遅くまで連れ歩いていた俺なんかに頭を下げていた。
美坂は、じっと見ていた。
沢山の思いを込めて、俺を見ていた。
二章『笑顔の向こう側に』 終わり
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