「よう」
 病院の玄関から出てきた美坂が俺を見咎める。
「何やってるの? ストーカーさん」
「ストーカーはないだろう」
「ストーカーじゃなきゃ何なのよ?」
「……違わないか」
「警察への通報だけは勘弁してあげるわ」
「……ありがとう」


 翌日。
「雪、積もってるわよ」
「そりゃ、何時間も待ってるからな……」
「何を待っているの?」
「分かってるんだろう?」
「……分からないわ」
「そうか」
「ひとつだけ、訊いていい?」
「……ああ」
「寒くない?」
「寒い」
「これ、あげるわ」
 そう言って、缶コーヒーを1本差し出して去っていった。

 そうだ、俺は信じて待ち続けるしかなかった。
 美坂は、栞の病室に俺を案内しようとしない。
 会える状態でないのか、栞が俺と会うことを望んでいないのか。
 いずれにせよ、強引に会っても栞に苦痛を与えるだけなのだろう。
 携帯電話を買い、美坂に電話番号を教えておこうとも思った。
『栞に本当に何かあったら、その時こそ電話するから』
 美坂はそう言っていたからだ。
 だが、だからこそ、思いとどまった。
 俺が待ち望むのは、栞が賭けに勝つ事だけだ。
 電話する必要がある『何か』が栞に起きる事など、期待してはいない。
 だから、電話で連絡がつかないここで待ち続ける。

 時々相沢がここに来ていた。
 誰の見舞いかと考え、ある情報が脳裏に浮かんだ。
『3年の倉田に続き川澄が大怪我をして入院した』
 川澄先輩が自棄になっていた前日に倉田先輩に何かがあり、入院していたようだ。
 それから学校中が滅茶苦茶になる程の戦いがあり、相沢が2パックの牛丼弁当を買っていった後で、川澄先輩の身にも何かあったらしい。


 翌日。
「……何やってるの?」
「修行だよ」
「修行って何よ?」
「言葉通りだ」
「……だったら、滝にでも打たれていればいいじゃない」
「ここら辺には滝なんてないからな。ここで寒風にさらされて、その代わりにしてるんだ」
 やっぱり相沢のようには軽口叩けないな。
「……ま、自己満足でしかないがな」
 自分も栞のように、何らかの苦痛を味わい続ける。
 栞に比べれば、苦痛の内にも入らない苦痛。
 そんな事に何の意味があると言うのか。
「……勝手にしなさい」

 栞に会わずに、支えてやれる事はないだろうか?
 俺なんかにできる事は何かないだろうか。


 翌日。
「美坂、これを渡してくれ」
 そう言って封筒を渡す。
「……誰に渡すの?」
「分かってるんだろう?」
「……分からないわ」
「そうか」
「……でも、これは預かっておくわ」
「ありがとう」


 放課後……。
 相沢は相変わらずだった。
 抜け殻のようになった相沢を、水瀬は悲痛なまなざしで見つめていた。
 そして、意を決して話しかける。
 だが、反応は芳しくない。
「今日も、用事?」
「名雪、悪いんだけど、ちょっとつき合ってもらえるか?」
 水瀬は呆然としていたが……。
「……商店街?」
 ようやく反応らしい反応が返ってきたのを素直に喜んでいた。
「そうだな、少しだけは商店街だ」
「……よく分からないけど」
「どうしても、人手が必要なんだ」
「……うん。わたしは構わないけど……ふたりで大丈夫なの?」
「できれば、人数は多いに越したことはない」
「だったら……」
 俺を見た。
 ……よし、俺の出番だ。
 まだ結末ではないんだ、現在進行形だ。
 まだ『これから』がある。
 どうにかしてやる!

 栞と出会った並木道。
 相沢が話した場所の特徴を考えると、ここしか思いつかなかった。
「実は、探して欲しい物があるんだ」
「ここにあるの?」
 水瀬は、相沢に協力できるのが嬉しいらしく声が弾んでいた。
「ああ」
「それで、あたしたちは何を探せばいいの?」
 美坂も参加している、思う事は俺と同じらしい。
 それに、微笑みを浮かべている。
 少しでも気が紛れれば……と、言う事なのか。
 いや、誰かに力を貸す事は、自分自身を支える事にもなるのだろう。
「小さな瓶だ。中に人形が入ってる。この場所の、どこかに埋まっているんだ」
「人形……?」
 相沢の言葉に怪訝な顔をする美坂。
 そういえば、切り株の上で俺の頭に流れこんできた沢山の思いの中に、この遊歩道と、人形の記憶があった。
 そうだ、この場所に違いない!
「……埋まってるの?」
 きょとんとした水瀬が問う。
「たぶん、どれかの木の根本だと思う」
 そうだ、埋めたんだ。
 少女が、未来への希望を託して。
 だが……。
「……どれか、って。木が何本あると思ってるんだ」
 駄目だ……記憶が曖昧で、どの木かは分からない。
「それは、絶対にどこかにあるの?」
「間違いない」
「……分かったわ。やれるだけやってみる」
 と、美坂。
「そうだね」
 そして、やはり嬉しそうな水瀬。
「ふぅ……仕方ないな……」
 俺は水瀬みたいに素直にはなれなかった。
「……あたしはこっちから探すから。北川君、反対側お願い」
「OK」
 美坂が俺を信頼してくれている。
 そうする事で俺を支えてくれている、だからその信頼に答えよう。
「……ありがとう」
「大切な物……なんでしょ? あなたの表情を見ていたら分かるわよ」
 相沢の礼に美坂が答える。
 そうなのだ。深刻な気分になっている俺の神経をなにかと逆撫でした冗談を言う時の相沢のにやけた顔は、そこにはなかった。
「どうせ暇だったしな」
 嘘……とも言えるし本当でもある。
 俺にはもう、祈る事しかできない。
 物理的にはどうする事もできない。
 そして、針金とスコップという心もとない装備での戦いが始まった。

「こっちにもなかったぞ」
 くそ、やっぱり無謀だったか。
「こっちも同じ」
 と、美坂。
「わたし、眠い」
 と、水瀬。
 日は落ちたが、まだまだ日付が変わるような時間ではない。
 水瀬はいつも何時に寝てるのだろう?
「どうして見つからないんだ……」
「もう一度探して見ようよ」
 焦りに満ちた顔の相沢をなだめるように水瀬が言う。
「……そうね、見落としがあったって可能性もあるわね」
「なぁ、相沢。本当にあるのか?」
 珍しく前向きな美坂に対し、俺は弱気になっている。
 何とかしなければならないのに。
 俺にはひとつ確信があった。
 この探し物は、栞を救う事に繋がる……と。
 現実逃避なのかもしれないが。
「あるはずなんだ」
「誰かが掘り起こしたって可能性は?」
 と、美坂。
「それは、あり得るけど……」
 相沢の他にもそれを探している者がいたとしたら……?
 ……探し物?
 何かが引っかかった。
「でも、まだある可能性も残ってるのよね?」
 その問いに、相沢は頷いて答える。
「だったら、探しましょうか」
「そうだよな、話をしてても見つかるわけないもんな」
 体を動かそう。
「ふぁいとっ、だよ」
「……ありがとう」

 作業を行なっている内に、記憶は少しづつだが鮮明になってきた。
 とある少女が、少年と共に、ここに埋めたという確信がある。
 少女が抱いた未来への希望と共にあった記憶。記憶の中の並木と現実を重ね、一通りの木を見て回る。
 ……!
 枝振りがそっくりな木を見つけた。これだ!
 その周辺を重点的に針金で探る。
 一度探った所だ。だが、ここに間違いない。
 しらみつぶしに針金を刺し入れ……手応え!
 スコップで大まかに掘り下げ、それから少しずつ削り……。
「おいっ! これじゃないのか! ほら、一応瓶に入ってるし」
「でも……ひどいわね」
 それを見た美坂が言った。
 瓶の蓋が割れている。
 初めは俺が割ってしまったかと思ったが、断面や瓶の中の汚れは長い年月を感じさせるものがあった。
 瓶の中からは、小さな人形が出てきた。
 記憶の中にも、この人形があった。
 小さな天使の人形だ。
 ボロボロになっているが、流れ込んで来た記憶の中の天使の人形だった。
 ……もしかしたら、今は栞もこんな姿に……?
 ……考えちゃいけないな。
「これでいいの?」
「ああ、間違いない」
 美坂の問いに相沢は力強く答える。
 間違いない……か。
 やはり、あの切り株の上で流れ込んできた記憶の中の少年は相沢だったのか。
 だとしたら、その記憶の中にあったあの女の子は?
 ……どこかで会ったような?
「……祐一、わたしが直そうか?」
「できるのか?」
「うん。ほとんど作り直しってことになると思うけど……」
「だったら、頼む」
「うん。頼まれたよ」
 水瀬は、相沢に何かしてあげられるのが心底嬉しそうだった。
「じゃ、あたしはそろそろ帰るね」
「オレも帰るぞ」
 さすがに疲れた。
 でも、栞の所へ行きたい。
「本当にありがとうな、ふたりとも」
「いつかこの埋め合わせはしてもらうけど」
 美坂が不敵な笑みを浮かべて言う。
 ……もしかしたら、この一件自体が、埋め合わせになるかもしれないな。
「そうだな、約束する」
「じゃあね」
「またね、香里」
 水瀬に軽く手を挙げて、美坂が歩いていく。
「じゃ、オレも帰る」
「ああ、またな」

 美坂と歩く。
「……栞は、どうなっている?」
 過去形は使いたくない。
「……」
 沈黙。
 その表情からは……焦り、不安、恐怖、悲しみが伺える。
 だが……ゆっくりと笑みを浮かべた。
 そこから伺えるのは……。

 希望

「……そうか」
「相沢君たち、何とかなるといいわね」
「オレたちも……な」
「そうね」


 あれから数日が経った。
 相沢は相変わらず落ち込んでいる。
 事情を訊こうとも思った。
 力を合わせようと決意したのだ。
 だが、今の相沢は声をかけられる雰囲気ではなかった。
 無理に声をかけても辛いだけなのかもしれない。
 だから、向こうから協力を求めてきた時に、全力を持ってそれに答えようと決意する。

 授業中も、水瀬は相沢の事が不安でたまらないらしく小声で話しかけていた。
「……祐一、元気出しなよ」
 だが、応えはない。
「……最近、あゆちゃんの顔見ないけど……何かあったの?」
 そう言えば、最近あゆに会ってないな。
「……ほっといてくれ」
 その時だった。
 慌しい足音が近づいてきた。
 教室に見慣れない先生が入って来て、相沢と水瀬を呼んだ。
 それからふたりは早退して行った。
 担任の話では……水瀬のお袋さんが交通事故に遭い、病院に運ばれたそうだ。


 病院の前、美坂が出てきて、2、3言葉を交わしていたら……。
 そこに相沢と水瀬のふたりが出てきた。
 水瀬のお袋さんも、この病院だったようだ。
 とても声をかけられる雰囲気ではなかった。
 俺に、何がしてやれるだろう……。


 翌日、水瀬は学校を休んでいた。
「……名雪は、本当にお母さんと仲が良かったから」
 美坂が辛そうに言う。
「水瀬は、家で一人で大丈夫なのか?」
 昨日見た水瀬の表情。
 そして和解の日の、百花屋の前での水瀬の言葉。
『でも、お父さん……わたしがまだお母さんのお腹の中にいる間にいなくなっちゃった』
 これまでずっと、ふたりっきりで支え合って来たお袋さんがいなくなってしまうかも知れない。
 そんな時に一人ぼっちなのだ。
 相沢、お前が傍にいてやらなくてどうするんだ。
「あいつは心配だけど、少なくとも秋子さんがあの状態の時に自分が病院に運ばれるような馬鹿なまねをする事だけはないと思う」
 ……そうか、今は相沢を信じよう。
 俺よりも、相沢の方が水瀬の事を分かってるはずだ。
「……相沢君。名雪を、助けてあげてね、守ってあげてね」
 美坂が震えた声でそう言った。
 これまでにずっと、今の水瀬のような立場を味わってきたのだ。
「あたしね……前から、相沢君を知ってたわ。名雪が、いつも『いとこの祐一』の事を、嬉しそうに話していたから」
 水瀬のノロケ話……あれほどに好きになった相沢ですら、傍に寄せ付けないくらいに絶望しているのだろうか。

 放課後。
 今日、俺と相沢の班は掃除だが、今回は大目に見てやる。
「頑張れよ……そんなつまんない言葉しか思いつかなくて済まないが」
 やっぱり俺は無力だ……。
「秋子さん、良くなると信じてるわ」
 と、美坂。
 そうだな、信じるしかないんだ。
 それしかないんだ。
 だが、その言葉に答える元気すら無くしたように相沢は去っていった。


 翌日……。
 今日は相沢も学校を休んでいる。
 水瀬の傍にいるのだろうか、それとも……相沢まで学校に来れないような状態なのだろうか。




四章『それから』 終わり

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