1月 16日 土曜日

 校門を抜けると人だかりができていた。
 抜けることができず首を伸ばすと、山犬が目に入る。
 昇降口辺りをうろついていて、校舎に入るに入れない。
 餌がなくなって、また降りてきたようだ。
 と、そのとき聞き覚えのある声がした。
 振り向くと、相沢と倉田先輩がいた。
 朝からご一緒か。節操のない奴だ。
 あんな奴を7年も待ち続けていたなんて、水瀬があまりにも可哀相だ。
 あいつに対する疑念もあって、素直に声をかける気になれない。
 川澄先輩がいない。どうしたのだろう? と、周りを見回すと……。
 植え込みの中にしゃがみ込んで何事か、いそしんでいた。
 雪を固めて、植え込みから赤い実や葉っぱを取っている。何かを作っているようだ。
「きゃぁッ!」
 近くで悲鳴が上がる。
 振り向くと、ジャージ姿の新人教師が山犬に噛まれていた。
 近くに金属バットが転がっている。
 どうやらそれで殴りつけるつもりのようだった。
 教師側のメンツを保とうとして、見事に失敗していた。
 教師はあっさりと昇降口に逃げ込んで行く。
 あの教師は春に入ってきた時から何かと高圧的で、評判はすこぶる悪かったので痛快だった。
 これからは少しは大人しくなるだろう。
 などと呑気に考えていたら……こっちに来る!
 逃げようとしたが、後ろの奴がまごついていて下がれない。
 その上に、俺の前の奴らがパニックを起こして、ぐいぐいと押してくる。

 ガッ!

 足が絡まり、周りの連中に巻きこまれて転んだ。
 その上に、前に居た連中が俺を踏みつけながら逃げていく。
 見知らぬ女子のセクシーな黒の下着を拝めたのがせめてもの救いだった。

 ガキッ……!

 何かがぶつかった音がした。
 更に誰かが倒れたのか、どむっ、と鈍い音が聞こえた。
 こりゃ相当な怪我人が出てるな。と、思ったのだが……。
 きゅいん、と弱い鳴き声がした。
 周りに折り重なった連中の体をどうにか掻き分けて起き上がると、シャベルを手にした川澄先輩が山犬に肉薄していた。
 傍には相沢と倉田先輩。そして倒れた山犬。
 しかも、山犬は大きな弁当箱に口を突っ込んでいた。
 回りからは『虐待』『憂さ晴らし』といった嫌な単語が飛び出す。
 状況から判断すると、川澄先輩があのシャベルで山犬を打ち据え、静止させたらしい。
 その後、大人しくさせるために倉田先輩が弁当を餌に与えたようだ。
 俺は、幸い打ち身程度で済んでいる。
 先輩たちがああして山犬を静止させていなければ、パニックを起こした連中に更に踏まれて俺は洒落にならない大怪我をしていたかも知れない。
 だから回りの野次には、むっとしていた。
 だが、相沢もそこにいる。
 相沢と川澄先輩の夜の行動に対する疑念は強まっていった。
 そのうち、とんでもない事件を……。
「そのうち、なんだよっ!?」
 相沢が俺に啖呵を切っていた。
 いや、俺が居た方向の野次馬に対しての物だっただろう。
 相沢は川澄先輩と共に犬を撫でている。
 川澄先輩は無表情だが、優しい目をしている……ような気がした。

 教室に行く途中の階段で、かぐわしい香りに気づいた。
 醤油の効いた牛丼の匂い。
 周りをよく見ると……飯粒、茶色い汁、煮込まれたねぎ、そして……肉。
 それらがごく少量ずつだが、壁や天井、窓ガラス、床の隅っこに広範囲に飛び散っていた。
 一応掃除の形跡があるのだが、それは大雑把で至る所にこびりついている。
 周りの床には、まるで獣が暴れ回ったかのような妙な傷があった。
 そして、近くにあったゴミ箱に入っていた2つのカップは、昨夜、相沢が夜食を買っていた牛丼屋のものだった。
 一昨日の放課後に、ここの掃除をした班がゴミを片付けているはずだ。
 だから、これは一昨日の放課後から今朝までの間に捨てられた事になる。
 相沢は、一体何をやっているんだ?
『そのうち、なんだよっ!?』
 興味本位の無責任な疑念を抱き続ける俺の心に、相沢の啖呵が突き刺さっていた。


 放課後……。
「ふ〜、1週間終わった」
「お疲れさま」
「とりあえず、風呂」
「ここ、学校……」
「だったら、メシ」
「わたしに言われても……」
「ノリが悪いぞ、名雪」
「そんなこと言われても、わたし困るよ……」
「こんなことでは、立派な社会人にはなれないぞ」
「祐一、言ってることが無茶苦茶だよ」
 やはり俺には、こいつらの相方は勤まらない。
 こうして見ると、相沢は只の変な奴だ。
 だが、節操なく色々な女性と付き合い、夜にはこの学校で何か……恐らく川澄先輩と何かをしている。
 決して公言できる事ではないのだろう。
 水瀬はこのことを知っているのだろうか?
 真琴も知っているのだろうか?
 あゆはどうなのだろう?
 相沢祐一とは……いったい何者なんだ?

 掃除が始まる。
 廊下の担当は相沢だ。だが、さぼっているらしく話し声が聞こえる。
 覗いてみると、そこにいたのは制服に緑のリボンをつけた一年生の女生徒だった。
 性懲りもなく、新たなる女の子に手を出しているようだ。
 呆れて物も言えない。


 今日は土曜日、昼休みはない。
 だが……。
『また明日です』
 栞はそう言っていた。
 いつものように直接中庭に出ようかとも考えたが、今日は校舎の中に戻ることもないだろうから昇降口へ移動する。
 そこに美坂がいた。
「……北川君」
「今から帰るところか?」
「北川君もそうでしょ……」
「いや、オレはまだ帰らない」
「……そう」
 どこか疲れたような表情だった。
「どうしたんだ?」
「……どうもしないわよ」
「そうか?」
「そうよ……。じゃあね」
 素っ気なく言い放って、校門の方に歩いていく。
 何か声をかけようかと思ったが、すぐに他の生徒の影に隠れて見えなくなってしまった。
 美坂の態度が引っかかったが、すぐに本来の予定を思い出し校門へと向かう。

 校門の外を見ると、川澄先輩が立っていた。
 手には棒状の物を持っている。
 学校に本物の剣を持ってきていると噂で聞いた事がある。
 本当だったのか?
 と思ってよく見ると……旗!?
 横断中の子供が描かれた黄色の旗。
 俺がピカピカの小学一年生だった頃、通学路にあれを持った人が居て車への注意を促していた。
 たしか、『ミドリのおばさん』と、呼んでいた気がする。
 しかし、少なくともこの地域では一年生が登校に慣れる夏……遅くても秋が来るまでには、やらなくなっていたはずだ。
 それに、ここら辺は小学校からは離れている。
 従って注意を促すべき小学一年生が通る事はあまりない。
 まして彼女は『おばさん』とはとても言えない。
 一体何をやっているんだ?
 と、疑問に思っていたら相沢が駆けつけてきた。
 あいつががやらせていたらしい。
 その時、先輩は目にも止まらぬ勢いで駆け出した。
 そして道路を渡っているお婆さんに寄り添って歩いていた。
 いい人なのか? 全く謎な人たちだ。
 相沢も川澄先輩も、一体何をやっているのだろう?
 ……。
 中庭行くか。

「潤さんっ、潤さんっ」
 弾んだ栞の声。
「そんなに呼ばなくても気づいてるって」
「今日は土曜日で学校が半日なので、ちょっと嬉しいんです」
「休んでるんだから、関係ないだろ」
「そんなことないですよっ。気分の問題ですから」
「そっか」
「そうです」
「栞、これからなんか予定ある?」
「ないですけど?」
「だったら、どこかに遊びに行かないか?」
「デートですか?」
 ……え? デートって、そんな。
「そうは言ってないけど」
「校舎裏でデートの待ち合わせしてるのって、私たちくらいですよね。きっと」
「デートじゃないけどな」
「そろそろ行きましょうか、潤さん」
「じっとしてても仕方ないか」
 まず立ち上がり、行く当てもなく歩き出す。




NEXT

SSTOPへ