1月 13日 水曜日

 朝、教室に行く途中の廊下の壁に真新しい傷を見つけた。
 やっぱり川澄先輩なんだろうか?
 そして床には、海苔の破片が散らばっていた。
 そう言えば、バイト先の系列のコンビニおにぎりは包装フィルムが独自の形式なため剥き方や海苔の巻き方にコツが要る。
 上手く剥いて丁寧に巻かないと、海苔が千切れてもったいないんだよな。
 それにしても妙だ。放課後にはここだって掃除するから綺麗になっているはずだ。
 大体、こんな所で飯食う奴などいないだろう。
 謎は深まるばかりだった。
 自分の席に座り、何気なく中庭を見る。
 まさか、こんな時間から栞が来ているはずはないのだが。
 ……!?
 窓にかかったカーテンに大きな切れ目が入っていた。
 一体どうなっているんだ? やっぱり川澄先輩なんだろうか?
 ……決め付けはいけないな。
 そのとき美坂が教室に入ってきた。
 栞の事が気になるので、もう一度訊いてみようかと思っていたが、どことなく不機嫌に思い断念する。
 続いて相沢と水瀬が入ってきた。
「おはようっ」
「おはよう、北川。今日も相変わらず同じ服だな」
 よし、その挑戦乗った!
「お前だってそうだろ」
「俺のは一見同じに見えるが、実は毎日着替えてるんだ」
 ほう、そう来たか。
「オレだって実はそうさ」
「嘘つけ。どっから見ても寸分違わぬ同じ物じゃないか」
「裏側が違うのさ」
 さあ、どうする?
「俺なんか、つけてるボタンが…」
「……くだらないことで張り合ってないで、ほら、石橋が来たわよ」
 美坂、もう少し温かみのある突っ込みが欲しい。
「勝負はお預けだな。北川」
「望むところだ。相沢」
「仲いいね。ふたりとも」
 水瀬はなぜか嬉しそうだった。
 予鈴がなり着席する。
 ……やっぱり無理だ。
 俺には、あゆ並みに息の合ったボケはかませない。かといって突っ込みに回っても逆に飲み込まれてしまう。
 やはり俺には相沢の相方など勤まらない。


 休み時間。
「なあ、北川、数学の課題やってきたか?」
「一応な。写させてほしいのか? 課題は自分でやった方がいいぞ」
「名雪みたいなこと言うんだな。一応やった。だが真琴に紙飛行機にされちまった」
 相沢が広げて見せたノートは正方形に切り取られていた。
「……ご愁傷様」
 苦笑しながらノートを貸した。


 昼休み。
 水瀬と美坂は学食に行った。
 相沢はパンを買って、また、あのふたりの先輩とご一緒するようだ。
 そして俺は……。

 中庭に来ていた栞の注文で、またもアイスを買っていた。
 どんなに他の物を食べるよう薦めても、出てくる答えは『アイスがいいです』だった。
 そして、俺の分のまともな食い物を買い忘れ、今回は栞の空腹という理由でふたつ買って来ていたアイスの内の一つを勇気を出して食べる羽目になったのだ。
「そうそう、昨日はご馳走様でした」
「昨日……?」
 あ、小銭包んで暖かい物飲めって促したっけ。律儀な子だな。
「何飲んだ? コーヒーとか紅茶とか、何が好きなんだ?」
「えっと……」
 目が泳ぐ。
「……まさか」
「その……」
 目の泳ぎは平泳ぎからバタフライに切り替わった。
「あは、あははは……」
 織り返し点で見事なターンを決めた。
「アイス買ったのか、暖かい物って書いただろ……」
 俺が今感じている頭痛は、様々な意味でアイスのせいだった。
「暖かかったですよ?」
 悪戯っぽい笑み。
「どこが?」
「潤さんの気持ちが」
 滅茶苦茶恥かしかった。
 と、その時……。
「……腹が痛いような気がする」
 俺は普通の人間だ。雪女とは体の作りが違うようだ。
「お腹のお薬ならありますけど……」
「今、持ってるのか?」
「はい。常備薬のひとつですから」
「……そ、そうか」
「他にも……風邪薬、解熱剤、胃薬、頭痛薬、うがい薬……ある程度は揃っていますけど?」
「そ、そうか……」
「腹痛のお薬ですよね? ちょっと待ってください」
 ゴソゴソ……。
「あ……ありました。はい、どうぞ」
「今、どこから取り出したんだ?」
 何やら、ドラ○もんのアニメで聞き覚えのある効果音が聞こえたような気がした。
「スカートのポケットですけど?」
「……その中に、さっき言った薬が全部入ってるのか?」
「はい、そうですけど?」
 四次元?
 俺が薬を飲んでる間に栞はアイスを食べ終わった。
 それにしても寒い。アイスが止めを刺していた。
「明日、俺が風邪で休むかも……」
「よく効く風邪薬、教えましょうか?」
「薬には詳しいのか?」
「……色々試しましたから」
 少し表情が曇る。
「試しました……色々」
 それを見て不安になる。
 昨日から引っかかっている事がある。俺は思い切って訊いてみることにした。
「……栞」
「はい?」
「昨日、美坂……香里に、栞のことを訊いてみた」
「……!」
 目を見開く。
「そうしたら、自分はひとりっ子だって」
「……そう、ですか…」
 寂しそうな顔。
 やっぱり黙っておくべきだったかな。
 とりあえず冗談で茶を濁すことにした。
「もしかして……生き別れか、腹違いの隠し子か?」
「……少し、違いますよ?」
 茶は、濁らなかった。
「少しってことは、部分的には合ってるのか?」
「違うのは母親じゃなくて父親です」
「って事は、異母姉妹じゃなくて異父姉妹か?」
「そうです。だから違うのは腹じゃなくって、ま……!」
 ボンッ! と一気に赤面する。年頃の乙女が口にするのははばかられる恥かしい単語が浮かんだのだろう。
 そう言えば、腹違いに対する異父兄弟(姉妹)を指す単語はない。これも一種の男女差別なんだろうか?
「複雑なんだな」
 俺が深刻な顔をすると、栞は苦笑した。
「冗談です、そうだったら……ドラマみたいでかっこいいなって思っただけです。私とお姉ちゃんは、ごく普通の家の、血の繋がった姉妹です。だから……きっと、私の思い違いです」
 思い違い……に、しても無理があるような気がする。
「潤さんのクラスに私のお姉ちゃんと同姓同名の人が居たんですね」
 色々と事情があるんだろう。腑に落ちない物があるが、そっとしておく事にした。
「そろそろ昼休みは終わりだな」
「明日も、また来ていいですか?」
「はぁ……来るなって言っても来るんだろ?」
「来るなって言われたら来ません」
 ひと呼吸置き、真剣な顔で続ける。
「そのかわり、来てもいいって言われたら、どんなことがあっても来ます」
 本当に栞の事を考えるなら、俺は来るなというべきだろう。だが。
「分かった、来てもいい」
 そう言ってしまった。
「……え?」
「そのかわり、無茶はするなよ」
「はいっ」
「でも、先に風邪を治した方がいいと思うがな」
「あはは……そうですね」
「それでは、今日はこれで帰ります」
 お辞儀をして、ゆっくりと校門に向かう。
「潤さん……」
 振り返って、スカートの裾がふわっと風に舞う。
「また明日です」
 にこっと微笑んでいた。
 その後は、振り返ることもなく歩いていく。
「また明日か……」
 とりあえず、栞が制服姿で現れる事を願いながら、俺も校舎の中に戻った。

 教室に戻ると、相沢と水瀬と美坂が何やら話していた。
 どうやら水瀬が相沢の分の弁当を作ろうかと提案し、遅刻する、と美坂が忠告しているようだった。
 栞と美坂……一体どうなっているんだろう?
「あ、北川君、どこ行ってたの?」
「中庭でアイス食ってた」
 水瀬の問いに簡潔に答える。
「……寒いのにアイスクリーム食べる人なんていないよ?」
「原住民でもそうなのか?」
「祐一、変な言い方しないで」
 水瀬は忠告の後、真剣な顔で続ける。
「少なくとも、外ではとても無理だよ。何か理由があるのなら別だけど……」
「理由?」
「例えば、暖かくなるまで待てないとか……」
 と、そこで5時間目の担当が来て会話は中断する。
『例えば、暖かくなるまで待てないとか…』
 その言葉が妙に引っかかっていた。
 それと、その言葉を聞いたときの美坂の辛そうな顔も……。


 放課後、商店街に寄る。今日もバイトがある。
 ゲーセンの前で真琴の姿を見つけた。
 新型のプリント機に並び、写真を取り合う女学生の姿をじっと見つめていた。
 寂しそうに、そして羨ましそうに。
 記憶喪失だと相沢が言っていたから、今は一緒に写真を撮るような仲間がいないんだろうな。
 『一緒に撮ろうか?』と誘おうとも思ったが、俺は所詮、赤の他人だ。
 同情されたら益々落ちこむだけだと思い、そっとしておく事にする。
 しばらく歩くと見知ったふたりを見つけた。
 相沢とあゆ、本当によく会うな。
「あ、北川君」
 振り向くと水瀬がいた。
「部活、早く終わったんだな」
「バレー部に体育館取られちゃってお休み」
「そっか、そりゃ残念だったな」
「あれ? あそこにいるのは祐一と……」
 相沢も俺たちの存在に気付く。
「おっ、北川と名雪じゃないか。部活はどうしたんだ?」
「お休みになっちゃった。ところで……?」
 あゆを見た。水瀬は初対面だったな。
「あの子はミナミハルオだ」
「……?」
「うぐぅ……違うもん」
 怪訝な顔をする水瀬と不機嫌なあゆ。俺のギャグは失敗だったな。
「こいつはあゆあゆ、職業は鯛焼き泥棒だ」
「……??」
「うぐぅ……おじさんとはちゃんと仲直りしたもん」
 疑問符増量の水瀬と涙目のあゆ。やっぱり相沢にはかなわない。
「あゆ、こいつが名雪だ」
 相沢の紹介、簡単過ぎ。
 紹介されたあゆは、緊張の面持ちで水瀬の姿を見ている。
「……????」
 そして、水瀬は事情が分からず首を傾げていた。
 とりあえず、俺が相沢を補足する。
 ……。
「えっと、あゆちゃんって呼んでいいのかな?」
 自己紹介が終わって、水瀬が先に話しかける。
「うん、あゆちゃんでいいよ」
「わたしのことも、なゆちゃんでいいよ」
「……なゆちゃん?」
 あゆちゃんと、なゆちゃん……。
「ややこしいから、やめてくれ」
 相沢は辟易した顔で言う。
「可愛くていいと思うが?」
「……うん。やっぱり名雪さんって呼ばせてもらうよ」
「残念……」
 あゆの答に水瀬は心底残念そうだった。
 もし、俺が水瀬と付き合うことになっていたら……俺は水瀬を『なゆちゃん』と呼んでたのか?
 ……寒っ。
「あゆちゃんは、これからどうするの?」
「ボクは……ちょっと、ね」
「まだ、見つからないのか?」
 相沢が驚いて言う。
「……うん」
 落とし物をしたって言ってたな。
「祐一君たちは?」
「特に予定はないけど」
「わたしも」
「オレは今日もバイト」
「あ、そうだ。もし良かったら、これから遊びに来る?」
「え?」
 思わぬ誘いだったのか、水瀬の提案にあゆが驚いたように訊き返す。
「お母さんも大歓迎だと思うよ? どうかな?」
「でも、日が暮れちゃうよ……」
「暗いのが怖いのか?」
「……うぐぅ」
 相沢の冗談めかした突っ込みにあゆは涙目で唸る。
 『うぐぅ』……この一言で、痛み、図星、返事、困惑、不満、怒り、否定、肯定など……あらゆる事象を表現している。
 使いこなすのは困難だな。
「それなら、泊まっていったらいいよ」
 凄い。水瀬は初対面で読み取った。
「そうだな、泊まっていったらいいんじゃないか?」
 呑気に言う相沢。
 羨ましい。水瀬親子と真琴に加えて、あゆともひとつ屋根の下でご一緒か?
 結局あゆは同意して、水瀬家にお泊りすることになった。
 やっぱり……羨ましい。


 バイト中……。
「……で、また夜食買いに来たのか」
「ああ、色々あってな」
「可愛い女の子に囲まれて羨ましいな」
「けっこう気苦労が絶えない。真琴は相変わらず襲撃してくるし、名雪は朝弱いし」
「それくらいで済めばいいだろ。し返しに風呂覗いたりしてるんじゃないだろうな?」
「覗いたぞ。でも、し返しと言うより女性に対する礼儀だろ?」
「はあ?」
「つまり、『あなたはそれだけ魅力的である』という意思表示だ」
 非常に真剣な顔で変なことを言う。こいつなりの冗談なんだろうか? 芸風の広い奴だ。
「……ってのは冗談だが」
 やっぱりな。
「大体、覗くも何も、ご一緒したぞ」
「何っ!?」
 ご一緒って……風呂か?
「裸の付き合い以上に分かり合えるものはないだろう」
 そう言って去っていった。
 冗談……だよな?




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