1月 14日 木曜日
登校すると、廊下には人だかりができていた。
また、ガラスが割られていたのだ。
前にもこんな事があった。
そして、あの川澄先輩がやったという噂になっているんだっけ。
「ほらほら、野次馬はさっさと教室に入れ。通行の邪魔になるだろう。これから業者が来て片付けるから邪魔するな。勝手に手を出すなよ、怪我されたら面倒だからな」
偉そうに仕切っているあの男は……生徒会の久瀬とか言ってたな。
普通、こういった指示や注意は教師の仕事なのだが。
自主性があるというかでしゃばりと言うか。まあ、真面目ではあるな。
実際危ないし、風が吹き込んで寒いので教室に向かう。
しばらくしていつもの三人組が入ってきた。
相沢と、呆れ顔の美坂と、水瀬……。
……!?
水瀬はグシュグシュとしゃくりあげている。よく見ると、顔が赤らんで涙目になっていた。
まさか、相沢と何かあったのか?
『ねこー』という呟きが聞こえたが、一体何なんだろう?
そう思い、相沢に事情を訊こうと近づくと、かすかに火薬の匂いがした。
一体何があったんだ!?
……!!
前に相沢は、真琴に毎晩襲撃されると言っていた。
そして俺は、廃棄する予定の花火セットを真琴にあげた。
更に、殺虫剤も売ってしまった。
そして今、相沢は火薬の匂いをさせている。
どうやら、花火は湿気を吸ってなかったようだ。ちゃんと売り物になったな……って、そうじゃない。
済まん、相沢。だが、客がそれを求める以上、断るわけにはいかないんだ。
「……今日はいつもよりは早いんだな」
殺虫剤の臭いは……しないな。さすがにアレは使われなかったか。
「焦げ臭くて目玉焼きが真っ黒で早起きできたんだ」
「……なんだそりゃ」
「気にするな」
「滅茶苦茶気になるぞ」
いったい何なんだ? 花火以外にどんな襲撃を受けたのだろう?
授業が始まる。相沢は今日は珍しく真面目に授業に集中しているな。どうしたんだろう?
と、思ったら履歴書を書いている。相沢も何かバイトするのだろうか?
チャイムが鳴って、これで昼休み。
だが、4時間目の数学の最後にやっていた方程式が、もうちょいで解けそうなので片付けてしまう。
「祐一、お昼休みだよ……」
「やっとか……」
「うん……」
相沢と水瀬が切なげな声を交わす。
「どうしたの? ふたりとも、元気ないみたいだけど」
そんなふたりに美坂が話しかけた。
「……腹が減ってるんだ」
「……わたしも」
「どうして?」
「……朝、食ってないんだ」
「……わたしも」
「それなら、急いで学食ね」
「……腹減って急げない」
「……わたしも」
「あんたたち、似たもの夫婦になれるわよ」
「……縁起でもない」
「……お腹空いた」
迂闊に突っ込むと非常に疲れる事になりそうだ。
というか水瀬よ、似たもの夫婦などと呼ばれたんだからちったぁ赤面して見せたらどうだ。お腹空いたはないだろう。
「買ってきてあげようか?」
「……よろしく」
「……眠い」
「パンでいいわね?」
美坂はやれやれといった感じで、財布を持って立ち上がる。
方程式はようやく解けた。
「オレも手伝うか……」
「ひとりで大丈夫よ」
「いや、ついでだから」
「……」
俺を見る美坂の顔は、親切なクラスメイトに対するものではない複雑なものだった。
美坂は遠くで待たせ、戦場と化した購買にて俺が代りにパンを買いこむ。
美坂にそれらを渡し、改めてアイスを買っていると……。
「今日も一人で外に出るの?」
「ああ」
「どうして?」
「さぁ、何でだろうな……」
「ごまかしてる?」
「いや、本当だ」
それは本心からだ。
栞が毎日学校に姿を見せる理由。
そして、そんな栞に毎日つきあっている自分の気持ちさえも分からない。
「風邪、気をつけてね」
「……馬鹿だから大丈夫だ」
中庭を歩く。
足跡は一列、俺の物だけだ。
いつもなら、俺よりも先にこの場所に立っているはずの少女。
「遅刻か……」
学校を欠席している生徒に遅刻も何もないような気もするが。
しばらく、その場所でじっと空を見上げる。
アイスを持つ手は感覚がなくなってきた。
踵を返す。
やっと医者の言うことをちゃんと聞く気になったのだろう。別に2度と会えないわけじゃないんだから、そのうち、風邪を治してちゃんと登校して来るだろう。
……。
そう思うのに、俺はここを動けない。
『来てもいいって言われたら、どんなことがあっても来ます』
約束、だからな。
……。
さく、さく、さく……。
「……すみません、遅れました」
何度も、何度も深呼吸をするように、小さな肩が上下に動く。
「……潤さん?」
「馬鹿」
「わ。折角来たのにその言い方はひどいです」
「無茶するなって言ったろ!」
「それほどでもないです」
そう言って、これまでも何回も見た子悪魔的な悪戯っぽい笑顔で言う。
「……はあ……もう、あんまり時間ないぞ」
苦笑しながらアイスクリームを手渡す。
「わ、ありがとうございます」
こうして今日もまた、栞と他愛のない話をした。
「ごちそうさまでした」
「口の中が冷たい……」
「今日はありがとうございました」
改まって、栞がぺこっと頭を下げる。
「何のことだ?」
「私が来るまで待っていてくれたことです」
「いや、しびれ切らして帰る所だった」
「ふーん……」
「何だよ」
「何でもないですっ」
「もう待たない」
「そんなこという人、嫌いです」
微笑んで、そしてくるっと振り返って歩き出す。
「えっと、冗談です……」
背中を向けたまま、振り向いて思い出したように言葉を繋げる。
「だって、私……潤さんのこと好きですから」
そう言って、雪の上を走るように足跡を残す。
「……」
栞の背中が見えなくなるまで、同じ場所で見送る。
予想外の事態に脳はフリーズしていた。
放課後、相沢と水瀬が奇妙な会話をしていた。
どちらも非常に短いフレーズでボケの応酬をしている。
頭痛がしてきた。どうして相沢の会話は漫才になるんだろう?
「お前ら、突っ込むやついないのか?」
「いや、北川に期待してたんだ」
今度は水瀬とトリオを組むのか……。
「北川君も、これから帰るの?」
「そのつもりだったけど、やっぱり学食でなんか食ってから帰るわ」
「そっか、残念」
なぜ残念がる? 相沢とふたりっきりになれるのに。
「じゃあな」
速やかに教室から離脱する。
やはり相沢の相方は勤まらん。
それに、昼はアイスだけだったから猛烈に腹が減っていた。
昼……。
栞は俺の事を……。
もやもやした気持ちを紛らわすようにカツカレーをがつがつと食べた。
昇降口に向かう途中、職員室の前で三人の男女がもめていた。
相沢と、倉田先輩と……川澄先輩!?
全く、ずいぶんと女性に縁のある奴だな。
……!?
断片的に記憶が蘇る。
廊下の壁にあった真新しい傷。その近くの床に散らばっていた海苔の破片。
バイト先のコンビニのおにぎりは、そんな感じで海苔が落ちる。
朝に見つけたのだから、その前日の放課後に、そこに落ちた事になる。
そして……。
相沢がおにぎりを買いに来たのは、海苔の破片を見つける前夜だった。
そして今、相沢は川澄先輩と共に居て、川澄先輩にはガラスなどを破壊するという噂があって……。
全て、憶測だ。状況証拠にもならない。
しかし、もしかしたら……。
商店街へ向かい、昔はケーキ屋だった本屋で立ち読みした。
あのケーキ屋は気に入ってたのだが、子供の頃に潰れてしまい今の本屋になったのだ。
店を出ると、百花屋から相沢と水瀬が出てきた。
ふたりのボケの応酬の中に、『一緒』とか『約束』という単語があったが、そういう事なのだろう。
声をかけようとしたが思いとどまった。
ふたりはとても深刻そうだった。
バイト中、相沢が寿司パックを買っていった。
俺には何も訊けなかった。
相沢が、誰と、どう付き合おうが俺には関係のない事だ。
それに、俺自身が何らかの被害をこうむったわけではない。
首を突っ込む筋合いなどなかった。
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