7 職業選択――アンファン・テリブル
【1】
「パターン青!」
「……15日ぶりだな」
「ああ、間違いない。例外OEエラーだ」
PCの前で、なぜか男口調で話す腐女子ども。
「やはり、システム不安定か」
「ああ、Meのリカバリーでは役に立たんよ」
姉貴の呟きに、差し入れの麦茶と水羊羹が載ったお盆を持った俺は呆れる。
「いまどきOSがMe!? いや〜んな感じ」
ふたりとも相当に喉が渇いてたのか引ったくるように麦茶をあおり、お代わりを要求してきた。
「カウント、どうぞ!」
「3,2,1!」
腐女子どもはお互い片手が麦茶のコップで塞がってるため、ふたりで分担してCtrl、Alt、Deleteのキーを同時に押す。だが……。
「キーボードリセット信号、受け付けません!」
「……まさか、暴走!?」
PCの画面は暗転ならぬ青転したまま変化なし。
「動け! 動け! 動け! いま動かなきゃ、いま原稿仕上げなきゃ、夏コミに間に合わないんだ! もうそんなのやなんだよっ! だから動いてよ!」
千尋さんは必死の形相でキーボードの3つのキーを叩き続ける。
傍には大量のペン入れ済みの原稿とスキャナがあった。最近はPC上で原稿の仕上げを行っていたようだ。
ようやくリセットがかかり再起動するも、Meのロゴが出た後で再び画面は青転、Windows保護エラーの表示が出た。OSがぶっ飛んだらしい。
「起動確率0,000000001%、O9システムとはよく云ったものだわ」
遠い目をして呟く姉貴。
「それって、動かないのと同じじゃない」
「失礼ね。0ではなくってよ」
姉貴は千尋さんに言い返したのち、起動ディスクをFDDに挿入し再起動するが……。
「デスクトップ消失! 起動ディスクを拒絶! だめです、自作初号機、起動しません!」
「……あたしを拒むつもりか」
しばらく再起動やDOSコマンドの入力を繰り返した後……。
「……Windows Meは現時点をもって破棄。目標をウイルスと認識する」
姉貴が切れた。
「自作初号機、Cドライブ初期化。急げ!」
「しかし、取り込んだ原稿のデータをバックアップしないと……」
「初期化だ!」
どうやら、保存したフォルダはややこしい位置にあるうえファイル名も全角で長いものだったらしく、ちまちまとDOSコマンドでコピーしてられないようだ。
いまどきOSがMeなPCとの格闘を始める腐女子ども。俺の突っ込みはまったく耳に入っていない。
それを呆然としながら見ていたら、いつの間にやら傍に来ていたお袋が溜息をついていた。
「この調子じゃバイトは無理ね」
「バイト? 即売会の資金繰りだろうか」
「……そんなところね。潤、あんた代わりに行きなさい」
「へ? そんないい加減なことでいいの?」
「いいのいいの」
「……何たるアバウト」
「先方だって、本当は直接あんたに来て欲しかったんだから」
「……え?」
有無を言わさずメモを渡され、その住所へと向かう。
仕事の内容はまったく知らされていない。そもそも、姉貴が引き受けた仕事を俺に押し付けるなんて、それでいいのか母よ。
既視感を感じる町並み。
そして……。
「いらっしゃい、潤。大きくなりましたねぇ」
お袋より年上な感じの温和な顔立をした女性が出迎えてきて、ぽんぽんと全身をまさぐってきた。
脳裏によぎる光景。転んで泣いてるときに、怪我がないかどうか調べ、それだけでなく安心させるためにそうしていた女の人、ひよこのアップリケがついた視界全体を覆うエプロン。
「園長……先生?」
改めて見回す。
棒が少し曲がった見覚えのある柵、色が記憶と違うが形は同じジャングルジム、花が咲き乱れていた花壇、傷に見覚えのある滑り台……。
かつて俺が通っていた保育園だった。
あれだけ巨大に見えていた何もかもがちっぽけに見える。見上げるようだった園長先生も俺と同じくらいの身長だった。
いや、俺が、それだけ大きくなったんだな。
「……そういえば、恵ちゃんはお絵かきに夢中になって周りが見えなくなることがあったわねぇ」
事務室にて園長先生はお茶を淹れながら、かつて俺同様にここに通っていた姉貴の思い出を語る。
「でも、もう子供じゃないんだから許されません。お灸をすえないと」
園長先生の背中からゴゴゴ……と燃え盛る炎のような闘気を感じのけぞる。そうだった、園長先生からは安心感と共に、俺が悪さしたときの叱責というとてつもない恐怖も与えられていた。
そして差し出された湯飲みに手を伸ばしたときだった。
「しっこ汁ビュービューってでひゃうっ! あ゛み゛ゃあぁ〜〜〜っ!」
聞き覚えのある名古屋人的雄たけびと、園児たちの騒ぎ声。
「あらあら。潤、さっそくお願いね」
「……え”」
「長嶺クン、これ!」
バケツ片手にパタパタと駆け寄ってきたポニーテールの保育士さんがエプロンを放った。
安心感と恐怖の思い出と共にあるPIYOPIYOの文字に囲まれたひよこのアップリケ。でかいと思っていたがこんなに小さかったんだなと感慨にふける暇もなく俺は最前線へと投入された。
そこでは、さきほどの保育士さんがフローリングの床からカーペットへと侵食しつつある大海瘴を食い止めている。
他の保育士さんも手が塞がってるので、泣いてるツインテールの女の子を俺が抱き上げた。
その子が着ているスモックには赤いチューリップ型の名札がついていて『みかみ かえで』と書かれている。
よく見てみると、顔立ちはあの姉妹に似ていた。あのロリコン女にはもう一人妹がいたのか。
園長先生も電話の応対で忙しそうなので、他の保育士さんの指示でタオルやらおしめやらを用意し、シャワー室へ向かう。
「はいバンザイしてね〜」
銭湯における桜ちゃんのノウハウがあるので、文字通りションベン臭い小娘を丸裸にひん剥き洗ってやる作業はスムーズに行えた。
あの筋肉ロリコン女も妹にこうしてやってるんだろうか。
「ありがと、おにいたん」
「……ありがとう、楓ちゃん」
この子は俺を男としてみてくれた、嬉しい。
「くらえっ!」
「わぷっ!?」
感激してる隙を衝かれ、振り向くなりこっそりと背後に接近していた男の子に真水のシャワーをぶっ掛けられた。
「きゃははははっ、がんめんしゃわー♪」
「……そういう言葉は使っちゃだめだよ? 楓ちゃん」
「はーい」
あまりにも素直な返事が逆に不安だ……というか、どこでこういう言葉を覚えるんだ。
ずぶ濡れで動きづらいし冷たいが、まずは楓ちゃんの着替えを優先してやる。
楓ちゃんを送り出してから、体にぴったりと張り付いたエプロンとTシャツを脱いだ。
シャワー室の外は相変わらずの喧騒ぶり、相当な人手不足のようだ。早く戦線に復帰せねば。
ガチャ
「長嶺クン、ずぶ濡れになったついでにこの子もお願……い!?」
「おわぁっ!?」
俺にエプロンを渡したポニーテールの保育士さんが、ズボンの前がぐっしょり濡れて泣いている先ほどの顔面シャワー少年を抱きかかえて乱入し、サラシを巻いた俺の胸を見て呆然としていた。
【2】
じーっ
視線を感じる。
「わーいわーい♪」
「いはいいはい(痛い痛い)」
おんぶした子に頬を引っ張られたときも……。
「めでたしめでたし……」
「くー」
「ありゃ、寝ちゃったか」
絵本を読んでやったときも……。
「高い高〜い」
「あはー♪」
園児を抱き上げたときも……。
「とう!」
「ぐぉわ!」
園児に跳び蹴りを食らって派手に転倒し、
「くす、男の人だと、子供たちも遠慮しないのかな」
「は、はは……男の人ですか、ははは……」
他の保育士さんに消毒液をつけてもらってるときも……。
「コラッ」
ぴしゃ!
「あの、先生……叩いちゃっていいんですか?」
「いいのよ、ちゃんと力加減してるから。それに、あまりにも悪いことした場合は、お尻ペンペンぐらいはしてくれって親御さんから頼まれてるの」
「……でも、罰にはなってないみたいですけど」
保育士さんに抱えられてお尻を叩かれ恍惚としている男の子と、指を咥え羨望のまなざしで見ている女の子を見て俺が困惑しているときも……。
「トンネル開通ー」
「責任とってね、だーりん」
「よくわかんないよ……」
砂遊びしてるときも……。
「「じゃんけんぽーん」」
「……そのグーはやめようね」
人差し指と中指の間に親指が挟まった握りこぶしを修正してやるときも……。
「はーはー、なにいろのパンツはいてるの?」
「ぴんくー♪」
「こいつら……どこで覚えてくるんだ」
糸電話を作ってやったときも……。
「かえでのなかでしっこ汁ぶくろパンパンになってりゅうぅぅぅっ! いっぱいいっぱいしっこ汁でちゃいますうっ!!」
「もう大丈夫だ、トイレついたよー」
「あ”みゃ……って、えぇ〜」
「……なんで残念そうにしてるのかな楓ちゃん?」
楓ちゃんをトイレに連れて行ったときも……。
「かえで、もうオトナのおんな?」
「……どうして、そう思ったのかな?」
「オトコのひとといっしょにねたからー♪」
「キミの将来が心配だよ……」
お昼寝の布団を片付けるときも……。
「わぶっ!?」
「きゃははははっ、がんめんしゃわー♪」
「だから、そういう言葉は使っちゃだめだよ? 楓ちゃん」
「はーい」
おねしょした男の子のおしめを代えてやってるとき体内に残っていた尿をぶっ掛けられ、傍にいた楓ちゃんに喜ばれてしまったときも……。
「楓ー! 帰るよー……って、長峰クン、ここでバイトしてたの?」
「わ、佐藤と三上……お前らは、空手部の帰りか?」
ふたりはどういう経緯か不明だが、揃って空手部に入っていた。
「うん……って、どうして両手を広げてあたしの前に立ちはだかってるの? まるで変質者から子供たちを守るかのように」
「だって、お前……ああいう趣味なんだろ?」
「失礼ね! そんな小さな子達をどうこうしようなんて思うわけないじゃない」
「……え」
三上の憮然とした顔は、冷凍保存したいだの天使だの妖精だのと語りながらクネクネしてたときの恍惚としたものとは違っていた。
ロリコンが治ったのか? 武道によって健全な精神が宿ったのか?
そのとき、顔面シャワー少年がとてとてと駆け寄ってきた。
彼は俺と三上を交互に見たあと、俺の隣で同じポーズをとった。意味はよくわかってないようだが。
「あ、このコ……前途有望な顔立ち。あと数年経てば……」
三上の上ずった声と爛々とした目に恐れをなし、彼は俺の後ろに隠れる。
保育園児なら普通、ストライクゾーンは小学一年かららしい。大して変わらんように見えるが両者には大きな違いがあるようだ、奥が深い。
童顔の佐藤>小学一年生>(越えられない壁)>保育/幼稚園児
ということか?
武道などと大層なこと言っても所詮はただの運動。ロリコンの矯正は不可能だったか。
などと、童顔の佐藤を伴って楓ちゃんを迎えに来たロリコン筋肉女と頭痛を伴うやりとりをしていたときも……。
じーっ
「あの、何ですか?」
「……え? な、何でもない何でもない」
視線の主であるポニーテールな女性保育士、南 晴子(2X歳)は手をパタパタと振り自分の作業に戻っていった。
そして一人また一人と園児は帰ってゆき、他の保育士さんもデートやら買い物やらの用事でそそくさと帰っていった。
本来なら正式な職員より先にバイトである俺が帰るものだと思うが、どういうわけか俺は色々と仕事を任され、園には俺と南先生と園長先生の3人が残される。
そして仕事がどうにかひと段落し、園長先生が買い出しに出て行った。
気まずい。俺の秘密を垣間見た人とふたりっきりになってしまった。
しばしの沈黙の後、南先生が俺を見て、おずおずと口を開く。
「長嶺クン、キミ、もしかしたら女の子……」
恐れていた質問キター!! 俺の胸、ばっちりと見られていたか。
「……じゃないんじゃない?」
「え”? やっぱりばれたか……って、何で胸見ただけで、あ、いや、その、あの」
「あはは、予想的中。色々と心当たりあったからねー」
南先生は、俺の顔つきや体格、子供たちからお兄ちゃんとかお姉ちゃんと呼ばれたり胸見られたときのリアクションなど、俺が半陰陽だと判断した根拠を楽しそうに挙げる。
御堂先生同様に、この人も知識があったようだ。
「正解……なんだけど、あの程度の特徴で断定するにはちと短絡的では」
男装してる女とか、他にも表向きは男なのに胸が出ている状況ってのは色々と考えられる。なのになぜなのか。
「ん……? キミの名前は男でも女でも使えるし、ボク自身がかつて通った道だからね。細かい点も、よくわかるよ」
南先生はしみじみと呟いた。
「え? 南先生自身が……!?」
「うん、おかまさん……じゃない、お仲間さんだよ」
そう言って、他の園児にしていたように俺を抱き上げた。
「うわっ!? な、仲間って……それじゃ」
「そう。ボクも、昔はキミみたいに男の子として頑張ってたんだ」
俺が言うのもなんだが、南先生は華奢な体のどこから出てくるのかわからない力で俺を抱き上げたままはしゃぎ、くるくると回る。
「南先生が……元男?」
「うん。よかった……ボク一人じゃなかったんだ」
南先生の目に光る物が見えた。
仲間……俺だけじゃなかったんだ。一人ぼっちなんかじゃなかったんだ。
「あは、あはは、南……先生……」
視界がゆがむのは回転のため酔ったせいなのか、それとも……。
ぐき
生理的嫌悪感を抱かせる音と共に時間が凍りついた。
「……いくらなんでも、ガキどもと同じ感覚で高い高いしちゃダメでしょ」
頭痛を堪えながら、濡らしたタオルを電子レンジにかける。
「だって、嬉しかったんだもの……あたた」
南先生はソファの上で、背伸びする猫のような体勢で固まっていた。
「えっと……し、失礼します」
南先生のTシャツを捲り上げ背中を出す。仲間……俺と同じ、つまりは同性ということになるが、どう見ても女性にしか見えないため緊張を禁じえない。
柔らかい線で構成された背筋と胴体のライン。肩の辺りまではめくり上げていないが、Tシャツ越しに見えるブラの線が俺の心をかき乱す。
般若心経や円周率や歴史年表を脳裏に浮かべ、悶々としたものを追い出しながら、南先生の背中に暖めたタオルを乗せた。
だが、その刺激に南先生は怪しげな声を漏らし、俺の煩悩はあっさりと復活する。
俺がどぎまぎしているのを知ってか知らずか、南先生は色々と話し始めた。
俺同様に幼少期は男として暮らしていたこと、年頃になって女性化が始まったこと、染色体の異常も原因の一つだと言われているため親はふたり目を諦めざるを得なかったこと。
「家業を継ぐ人がいなくて、色々と大変だったんだ」
そう言って寂しげに笑う。
「家業……か。俺んとこもそうでした」
我が家のアルバムは、俺が生まれてから小学校上がるまでの数年間、父方の祖父母の姿が消える。
跡継ぎの問題だった。
父さんの実家は古い歴史を持つ伝統工芸を代々受け継いできたのだが、父さんは諸事情あって継げなくなり、孫の男子である俺に期待がかかっていた。
今でこそこだわりを捨てて性別も血のつながりも問わずやる気のある者を弟子にとっているが、当時は俺以外に跡継ぎ候補がおらず、その俺がこんな体だったことから大いに揉めたのだった。
「……嫌な話だね、そういうの」
「あ、今は仲直りしてます。俺のことすっごく可愛がってくれてるし、工房入らせてもらって、ちょっとやってみたら結構面白かったし」
祖父母は反省し、俺の両親と和解しようとしたのだがお互い意地になってしまい中々話を切り出せなかった。
それはちょうど俺が小学校上がるときだったので、ふたりは和解のしるしとして俺にランドセルを贈ろうとしたのだが……。
「ランドセルって……色、どうしたの?」
「相当悩んだそうです。なにしろ男でも女でもないって話ばかりが先行して俺とは全然会ってなかったし、意固地になってたから俺がどんなふうになってるか聞くに聞けなかったんだって」
「そっか。ボクの場合は深く考えずに黒だったけど、変に予備知識持っちゃうと悩むよね」
「はい。で、送られたのは……赤だった」
「……女扱い、辛かった?」
「いや、それが……」
「……?」
「確かに赤だったから女の子向けといえるけど、ガンダムのジオン軍のマークが入ったとても男らしい代物でもあったんです」
「……シャア専用!? 通常の3倍のスピードで駆け巡る小学生になったんだ」
そう言って手を叩いてはしゃぐ南先生。腰の痛みはいつの間にか忘れたらしい。
俺もよく知らないファーストガンダムのネタにここまで食いつくとは、本当に男として暮らしてたんだな、この人。
「でも、ランドセルの赤色だったらシャアというよりジョニー・ライデンじゃないかな?」
いや、それは知らないっす。
しっかし、爺ちゃんも婆ちゃんもどのような入れ知恵の末にあのような暴挙に出たのやら。シャア専用ランドセル、嬉しかったけど。
【3】
南先生は、中学出てからは男子校に進んだという。女性化しつつある自分を認められず、男であろうと意地張ってのことだった。
だが、俺同様にサラシで胸を押さえつけていたものの、乳房は急激に発育しごまかしきれなくなった。
幼少期は男よりだったが、赤ん坊の頃はどちらかといえば女に近かったため戸籍は女として登録されていた。そのため男性化の治療を受けようにも保険は下りなかったという。
「親に負担かけたくなかったからね」
寂しげに笑う。
金の問題。本人の意思や努力とは関係のないところで人生が決まってしまう理不尽。
「でも、それは口実。踏ん切りつけるいい機会だったんだ。本当は親からそんな後押ししてもらわず、100%自分の意思で決めなきゃいけなかったんだけどね」
今度は、晴れ晴れとした笑顔だった。
「踏ん切り……?」
「キミは違うみたいだけど、ボクの場合は正直言うと男でいるのしんどかったんだ。ただの惰性でね、ただこれまで男だったというだけの何の意味もない意地。ふと我に返ると仕草がまるっきり女の子になってて、そのことに違和感を感じなくなりつつある自分に自己嫌悪しちゃって……」
「……わかります。俺も、ときどきそうだから」
その言葉に、南先生は暖かい笑みで頷いた。お互い、誰にも言えないことがたくさんあったんだ。
「おまけに、さっきキミの胸見ちゃったでしょ? ボクにもあんなアクシデントがあって、キミとちがって『きゃぁ!』って女の子みたいな悲鳴をあげちゃったし、それに……」
そこで赤面し俯いた。
「まあとにかく、そういうわけでもう引き返せないと思ってね、女として生きる決意固めたら、今度は女に適応するための荒療治で女子校、それも全寮制のところに転校しちゃっんだ」
強引な話の転換。なにやら言いづらいことがあったようだ。そこでふと、気になることが出てきた。
「男として暮らしてたってことは、アレ……どうなったんですか?」
俺の、非常に失礼かつ曖昧な問いに、南先生は自分の股間を指差して首を傾げた。
俺は神妙な顔で頷く。
「残してるよ、メス入れるの怖くてね。今でも結構元気」
「げ、元気って……」
「だから女子寮では大変だったよ。女として生きる決意したけど、元男ってことで色々考えちゃって、始めはやっぱり辛かった」
沈んだ顔だったが、一転して不敵な笑みを浮かべた。
「でも男としてのスケベ心はしつこく残ってたから発想の転換で、女装して女子寮に潜入って状況だと考えたらドキドキワクワクの日々でさ」
「ど、ドキドキワクワクだったんですか……」
「うん、一部の女友達以外にはなんとか隠し通せて、騒ぎにはならなかった」
その一部の女友達と一体どんなことがあったのか、なんだか興味深くもあり、怖くもあり。
「問題は卒業してからでさ、男子校から女子校というややこしい経歴。面接のときカミングアウトしないわけにはいかなくてね、もう少し後先のこと考えるべきだったよ」
「……」
性別。正式に組織に属するため何かの書類を書く以上、向き合わねばならない問題だった。
「だけど、最初に面接受けたココがあっさりと受け入れてくれて拍子抜けしちゃった。なんでも、昔、半陰陽の子を受け持ったことがあったんだって。たぶんキミのことだね」
「そのとおり」
「「あ、園長先生……」」
園長先生が大きな紙袋を抱えて戻ってきていた。買ってきた品を冷蔵庫や棚に収めながら話す。
「潤を引き受けるとき親御さんから簡単に説明はされてたけど、正直言うと困ったなーって思ってたのよ。どんな子なんだろう? どう接したらいいんだろう? 普通でいいと言われたけどさっぱりわからなくてね。でも拒んだら変な団体から差別だって叩かれないかって考えちゃって、ごめんなさいね」
「……いえ、気にしてないです」
そうだよな、わからなくて当然だ。普通と言われても漠然としすぎてる、親自体がどうしていいかわからなかったんだろう。これでいいのか、間違っているのか、誰にも相談できなくて不安で堪らなかったんだろうな。
それに園という集団を運営していかねばならない園長としては、そう簡単に異質な存在というリスクなんて背負えなかっただろうし。
「でもね、そんな私の心配をよそに、あなたは出会うなりいきなり私のスカートをめくりあげたのよ。思いっきり、がばぁーって」
「お、覚えてない! それにしても俺、その頃は年増好みだったのか……はっ!?」
「ふふ……いいのよぉ、本当のことなんだし。それにどんな形でも好かれるのは嬉しいものなのよ?」
園長先生は、額に浮き出た青筋が今にも破裂して熱き血潮が噴水のように噴き出しそうな慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
「すいませんごめんなさいすいませんごめんなさい!」
深々と頭を下げる。
「ふふふ、それからは勝也クンと意気投合してふたりで大暴れ。あのコンビが一番手がかかったわね」
あの時代はもうおぼろげにしか覚えていないが、ここの仕事を経験した今ではどれほど大変な思いをさせたかはよくわかり、ひきつづき深々と頭を下げるしかなかった。
「いいのいいの、それが私達の仕事なんだから。それに、手のかかる子ほど可愛いって言うでしょ? あれ、本当よ?」
「そう……なんですか?」
傍らでは、思うことは同じなのか南先生も引きつっていた。
だが、園長先生が俺に注ぐ暖かいまなざしは、先ほどの発言が決して社交辞令ではないことを物語っていた。極めれば、そういうものなんだろうか。
親も、姉貴も、受け持った先生も、ややこしい俺のことをこんなにも温かい目で見守ってくれてたんだな。俺は……。
「そうそう、こんなことがありました。ある日、レインコートの下に何も着ていない変態さんがお庭に入り込んできて、ほーら見てごらんってアピールしてたの」
俺を見守ってくれたたくさんの人に対する照れくさくも暖かい感謝の気持ちに打ち震える暇もなく、物凄い話が飛び出した。
「ろ、露出狂ですか……」
「そう。そして、怯えてうずくまる女の子をかばうようにあなたが立ちはだかり、変態さんのアソコに見事な跳び蹴りを入れてやっつけたの」
「わぁ、長嶺クン英雄だー」
拍手する南先生。でもさっぱり覚えてないっす、俺。
「お巡りさんに連れてかれるとき、変態さんは神様から命令されたとか言ってたわねぇ」
「露出教!?」
俺の発言を聞いた南先生は顔をそむけて肩を震わせている。どうもツボだったようだというかどんな漢字を当てはめたかなぜわかる。
「でもね、それからは男女問わず見せっこがはやって大変だったのよ。たとえば、スモック着てる子が普通に遊んでると思ったら、よく見るとスモックの下には何も着てなくて、いきなりすそをがばっと捲り上げてアピールしてたの。園はもう大混乱」
「あはは、子供ってそういうのすぐ真似するからねー。同時多発テロならぬ幼児多発エロって感じ」
南先生は自分の発言に自分でウケていた。
「男の子のズボンより女の子のワンピースやスカートのほうがやりやすいせいか、男女で服の取り替えっこもしてたわねぇ。そのおかげでみんな着替えの自立やお手伝いができるようになったけど」
「楽でいいな、それ。あ……そういえば、ここは雨の日でもカッパ着せて散歩させてるけど、もしかして……」
「ええ、カッパの下にちゃんと服着てるかのチェックが大変だったのよ。でも、うまくかいくぐって実行しちゃう子もいたわねぇ。園の近くを歩いてて、近所の人と普通に挨拶したあとで、男の子と女の子数人でがばーって」
「……なんちゅう破廉恥な」
「こら、他人事みたいに言わないの。エロリストの筆頭は……潤、あなたよ」
「Noooooooooooっ!」
俺がムンクになってる傍ら、南先生はガニ股になって机をドンドン叩いて笑っていた。
【4】
一方、長嶺家では……。
OS入れなおすついででHDDをアクセス早いものに換装、セットアップと原稿の仕上げが長引き、千尋と晩ご飯食べてもう一仕事。で、ようやく完成したので解散、千尋を玄関まで見送った。
そのとき突然に物陰から飛び出してきたコをうまく受け止め、抱きしめてやる。
この頃はあたしが原稿にかかりっきりで構ってやれなかったため寂しかったのか、彼女はあたしに猛烈な勢いで擦り寄ってきた。
夜の闇が凝縮したかのような漆黒のつややかな髪を撫で、首をくすぐってやると心地よさげに喉を鳴らした。
だが更に抱きしめてやろうとすると、つい、と逃げ出す。この気まぐれなところがまた、たまらなく可愛らしい。
彼女は無防備な背中をさらし挑発的に振り向く。背筋をつつ、となぞってやるとゾクゾクとした感触が走るのか無言で目を瞑り、背を逸らして尻を突き出す。
「ん〜♪ 可愛い子猫ちゃん」
隙を突いて抱き上げ、見つめ合う。彼女の瞳は深い色をたたえ、見つめていると吸い込まれそうだった。
出会ったばかりの頃はこんなことなどできなかった。ここまで彼女と親密になれたのが嬉しくてたまらない。
いたずらっぽい仕草であたしの鼻頭を舐めた。こんな彼女がたまらなく可愛い。
「……ただいま。お前は猫構ってると我を忘れるな」
「あ、お帰りなさい」
愛猫、タチを抱いたまま、お父さんを出迎える。
焼き鳥のタレのかぐわしい香り(あたしはタレより塩のほうが好き)とともに玄関に入ったお父さんは、リュックを下ろし、靴や背広の上着を脱ぎ、所定の場所にしまう動作をあたしの手を借りることもなく右手一本で器用にこなしながらあたしを鋭い目で見た。
「恵、マンガにかまけてバイトさぼったそうだな」
「う……! で、でも、本当に向こうが来て欲しかったのは潤のほうだったんだし」
そもそも、潤を変に気負わせないため、バイトに行ってたあたしが潤に更なるヘルプを頼むという筋書きだったのだ。
「そういう問題じゃない! 仕事は仕事だ」
お父さんは右手に持っていた焼き鳥の包みを宙に放り上げた。
「打擲ぅぅぅっ!!」
「きゃいっ!?」
お父さんはあたしに軽くチョップを入れてから素早く身をかがめ、焼き鳥が床に落ちる寸前に掬い上げるようにキャッチした。
「恵、右の頬を打たれたら潤んだ瞳で相手を上目遣いで見上げ、左の頬を期待と逡巡と緊張と思慕と畏怖と羞恥と服従の念を込めて差し出しなさい」
焼き鳥の包みを持ったままビシ! とあたしを指差し言い放つ。
「ソレただのマゾだし打たれたのおでこだし意味不明!」
「即興で思いついたただの不条理ギャグだ、深く考えるな。それより、ちゃんと先方に謝っておくんだぞ」
「はぁ〜い」
お父さんは少し足を引きずりながらリビングへと向かった。あたしもタチもそれについてゆく。
「あ、お帰りなさい、あなた。お食事にする? お風呂? それとも……うふ♪」
「飯は済ませてきたから残りを同時だ!」
「きゃ♪」
食器洗いをしていたお母さんは、抱きついてきたお父さんに年甲斐もなくお帰りのキスをしていちゃつき始めた。
潤みたいな可愛いコの裸エプロンというシチュで書いたことはなかったないやそういうことじゃなく娘の前では慎め。
頭痛を堪えつつ、あたしは椅子に座りTVを適当にザッピングする。
すると、画面に稚拙な絵や詩が写った。自閉症を扱ったドキュメンタリーだった。
障がいは個性だ、世の中には色々な人がいて、みんなが違っていていいんだ。そんな主張をしていた。
ウチには潤がいるからその主張そのものはよくわかる。
しかし、あまりにも違いが大きすぎて発生した事件、それこそ害となった事例を知るあたしとしては素直に同意などできない。
我が家がアパート住まいだった頃、上の階に自閉症の子がいた。
あの子は潤が買ってもらったばかりの自転車を蹴倒したり(特定のルートを通ることにこだわりがあり、ルートに設定していたウチの玄関先に新しく加わった自転車という要素にパニックを起こしたらしい)、共同のトイレや洗面所を占領して延々水を流し続けて水びたしにするなど迷惑なことをしていた。
更には、特定のパターンでドタバタと飛び跳ねたり、何かを探しているのか「ない、ない」とわめきながらガタガタと部屋中を引っ掻き回す騒音や、赤ちゃんの夜泣きの数倍のボリュームになる意味不明の雄たけびが昼夜を問わず延々と続いた。
あんなの個性といわれても困る。そういう子なんだから仕方がないなんて言い訳して野放しにしてるかぎり、あの子は一生しようがない子のままだと思う。
まして、そういう実態から目を逸らして『害』という字を外し、『障がい』などと字幕に書き表すことには怒りを感じる。
タチが太ももに登ってきた。
躾が効果をなさず周りに迷惑をかける障害児がアパートに住むのはOKなのに、きちんと躾けられた無害な猫を飼うのは何故だめなのかと親に尋ねて困らせた記憶がある。
TVでは司会者が障害者の作品を気味が悪いくらいに絶賛していた。作者についての予備知識を一切与えずにその作品を見せたらどう評価したのかと小一時間問い詰めたい。
表現に携わるものの端くれとして憤りを感じ、TVを消す。
それからお父さんを見た。
不自然に左手がたれ下がり、右手だけでお母さんと抱擁している。
まだアパート住まいだった頃、居眠り運転で事故を起こし大怪我した後遺症だった。
さっきのドキュメンタリーの影響か、いけないとは思うのだが、どうしてもお父さんの居眠り運転、つまりその原因の寝不足と、自閉症の子がたてていた騒音を関連付けてしまう。
「恵、潤はどうした?」
「ん……? 仕事が長引いたから夕飯は向こうでご馳走になるって」
「そうか……いい先生に出会えてよかったな、潤は」
お父さんは遠い目をして呟く。それから缶ビールと焼き鳥を同時に片手で器用に持ち、晩酌を始めた。
あたしも、ちゃんと一緒に買っておいてくれた塩の焼き鳥(嗚呼、お父さん愛してます)をつまみに熱々のほうじ茶をすする。
タチが物欲しそうな目を向けてきたので、彼女のために鶏肉を串からはずして葱とよりわけ、タレを洗い落とす作業をしながら考えた。
事故の後処理やお父さんの治療とリハビリの末、この一戸建てを建てるまでにどれほどのお金がかかったか。
役所の人に難癖つけられ一銭も障害者年金が下りない状況で、生活の立て直しがどれほどに困難だったかは想像に難くない。
そんな状況でなおかつ、お金の問題を気にせず学校通わせてくれるお父さんにはどんなに感謝してもしきれない。
(まあ、障害をはねのけこれだけ仕事ができるのだから公的サポートは要らない、と言われりゃ何も言い返せないのだが)
珍しく殊勝な気持ちになり肩でも揉んでやろうかと思いたったが、お母さんと再びいちゃつき始めたので野暮なマネはやめておく。
「……トシ考えろエロ夫婦」
タレを落とした焼き鳥をタチの器に盛ってやると、彼女は待ちかねたようにむしゃぶりついた。
さて、なぜ潤を男か女のどちらかに合わせる治療を行わなかったのかをあたしは疑問に思っていた。あの状態では不便な生活を送り苦悩するようになるのがわからないわけがない。
両性具有な潤に萌えまくり破廉恥な行為に及んだあたしが言うのもなんだが、男か女どちらかに性別を決めてやれば、潤は楽に生きられたはずなのだ。
あたしが同人を始めて即売会に参加するようになった頃、ある仮説に思いいたった。
それは、きわめて下世話なものだった。
お金。
麻痺が残った体では収入も減っただろう。だから、経済的な事情から治療を行えなかったのではないか?
幸いにして潤はメス入れることも薬を飲むこともなく健康に暮らせている。だが、簡単な検診ぐらいでは済まず膨大な治療費がかかっていたとしたら、果たして今のような生活ができただろうか?
あたしの学校には、親の失業や家族の病気と介護といった経済、時間的な問題から部活や学校そのものをやめていった子がいる。
その子の友達に聞くと、友情に変わりはない、などと言うのは所詮は奇麗事にすぎず、あまりの困窮振りに引いてしまい、助けの手こそ伸べたがギクシャクした関係になってしまったという。
どっちが上とか下とかじゃなく、互いに引け目を感じてしまい対等の立場で接することは難しくなったそうだ。
また、学校を辞めていった子は、その原因となった病気もちの家族に恨みを抱いてしまったという。その人がいなければ……チラリとだがそう考えてしまい、そのことに激しく自己嫌悪しているという。
もし、あたしがそうなっていたら? 同人を辞め、学校を辞め、千尋をはじめとする友達と思い出を共有することが難しくなる生活。
それこそ今日みたいに千尋に夕飯食べてけと言おうにも、懐事情がネックとなる生活。お互いに気を遣い、万事がその調子になって積もり積もっていったとき、はたして友情は保てるだろうか?
そして、それを潤が原因だと考えてしまったら? それでもあたしは、潤を本当に可愛いと思えただろうか? なにより、潤は負い目に感じて萎縮して生きることになってしまわないだろうか?
リビングのコルクボードに張られた数々の写真を見る。
海水浴に行き海パン姿であたしと砂山を作る潤。
べそをかいてる潤のおでこにキスするあたし。
真っ黒に日焼けしたあたしと潤。
この家に引っ越したばかりの頃、まだ子猫のタチを抱きしめるあたし。
お婆ちゃんと一緒に凝ったデザートを作るエプロン姿のあたしと潤。
勝也クンをはじめとする男友達とサッカーをする潤。
お父さんの右手に嬉々としてぶら下がる潤。
赤ちゃんである潤のおちんちんを引っ張るあたし。
ソファの上で肩を寄せ合い仲良く眠るあたしと潤、そしてタオルケットをかけてやるお母さん。
お爺ちゃんが楽しそうに語る昔話を、神妙な顔で聞くあたしと由緒正しき正太郎的短パンを履いた潤。
お風呂で潤と洗いっこするあたし。
玄関先で、学生服に身を包み直立する潤を囲み一家そろって写るあたし達。
はたして、これだけの笑顔が撮れただろうか。
だが考えてみたら、子供の治療費より生活レベルを優先する親がどこにいるだろう。家族の治療費に事欠く家庭が一戸建てを建てられるわけがない。だから、治療をしなかったのは金の問題ではなく純粋に潤のことを考えてのことだと思う。
子のことを思わない親などいない。
潤の心や体がどっち寄りに発達していくかわからないこと。そして潤自身がどう思うか。男、女、現状維持、どれが潤の幸せになるか? いったん体をいじってしまったら、元には戻せないのだ。
そして考えに考えた末、本人があれだけ思い悩むとしても、あるがままの状態で本人に選択肢を残してやるのが潤の本当の幸せになるんじゃないかと考えたのだろう。
この両親の子で、よかったと思う。あたしも、潤も。
……だから父よ、母よ、しみじみとしている娘の前で、焼き鳥のタレとネギの味に彩られた甘辛いディープなキスを繰り広げるのはいかがなものかと思うのだよ。
※ この物語はあくまでもフィクションであり作中に登場する番組、思想、市民団体、登場人物等の設定は全て架空のものであり、実在する人物や団体、事件その他もろもろとは一切関係ありません、ありませんって。
【5】
一方、保育園では……。
「まったく、奇異の目で見られていじめられないように隠さなきゃ、男として生きようとしてるあなたの気持ちを汲んであげなきゃ、なんて考えて職員はてんてこ舞いだったのに、あなた自身がワンピース借りて、がばーって見せ付けちゃうんだもの」
「お、覚えてない!」
「まるで、余計なことするなと言わんばかりに堂々としてたわねぇ。なんか、普通って価値観にこだわる大人が愚かに思えて、色々と考えさせられたわ」
いや、必要なことだと思いますソレ。自覚がなかったとはいえ、俺、とんでもないことしてたんだな……。
「女になりたいってのと、女装はイコールじゃないんだね」
出前のラーメンすすりながらしみじみと呟く南先生。深い……。
「あ、あの……俺の体見た人が騒いだりしなかったんですか?」
そう訊いたとき、俺は無意識のうちに体を女みたいに抱きかかえていたことに気づき、愕然とする。
「ええ、大丈夫よ。私をはじめとする職員に追いかけられて見事なフットワークで逃げ回ってたから、よく見えなかったのね、きっと」
傍から見りゃ、その頃の俺の体つきは普通の男の子と大して変わらなかったか。
「幸い、おちんちんの根元をよく見る子は大していなかったから、あなたの体がみんなと違うって疑問に思った子は一人だけでした。それくらいだったわね、あなたが半陰陽で大変だったのは」
「え”!? そ、そのときは、どうしたんですか?」
「私もどうやってごまかそうかと焦ったのよ。で、苦し紛れに世の中にはいろいろな人がいると言ったらあっさり納得してたわねぇ」
「そ、そうですか……」
大変だったんだな。俺に限らず、みんなどこか違うところはあって、場合によっては周りの人が色々と配慮せにゃならなかったんだから。
でも、今日一日大変だったけど、この仕事は結構やりがいあったな。
保育士……か。俺、進路はどうしよう。
西友……じゃない、声優を勧められたことがある。声色によっては無理なく女声も出せるからな。
爺ちゃんに弟子入りってのも悪くないけど。
美雪はもう道を定めて、そのための努力もしてるんだよな……方法がちょっとアレだが。
「南先生はどーして先生になったんですか?」
参考にしようと何気なく口にしたが、先生は固まる。
訊いてはいけなかったか?
大抵の場合、俺たちみたいのは子供作れないという。俺は父親になれると御堂先生は診断したが、こういうのは極めてまれらしい。
南先生は女として生きる道を選んだが、体は女としても不完全で、産めない体だからこそ逆に子供に執着してしまったのだろうか。
壁にたくさん貼られた遠足のスナップ写真を見る。
園児を嬉々として抱き上げる南先生。
南先生は母親にはなれなくても、せめて母親になった人の手助けをしようと思ったのだろうか? 昔は女性の保育士のことを保母って呼んでたから、肩書きだけでも母の字が欲しかったんだろうか。
ここの子達が、南先生の子供……と、いうことなんだろうか。
「あらあら、はいお水」
「んぐ……んぐ……ふぅ。済みません、園長先生」
「……え」
「あは、失礼。ラーメンの煮卵が絶品でさ、ついがっついて喉に詰まっちゃった。さすがは老舗だね」
……確かに味が染みてて美味かったけど。
「で、なんで保母さんになったかだけど……」
南先生の真剣な顔に俺も釣られる。
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.. // /,イlllllllツ/''" ,ィ''"~‐''" 'illllllllllllllllllミi;;,_ /< 幼児とか >
..// / ,イlllllllll' ,ィ;;;.r''"~"''‐ 、;; ノ .i .'' "llllllllllllll'i ̄"/ . < 好きだから!! >
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ィ / ,illllィ-ミ,ィ'/  ̄ l'i,_ `' 、'lll,;;ト、i// ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
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「……」
俺が固まってたら、南先生のポケットから学校のチャイムが聞こえた。
「あ、ちょっと失礼」
懐から携帯電話を出して廊下へ向かう。なぜに携帯の着メロが学校のチャイムなんだ。
廊下での会話から時折聞こえる『お兄ちゃん』という発言が妙に気になる。
「ダンナさん?」
話を終えて戻ってきた南先生に園長先生が尋ねる。
「はい、新しい事業が軌道に乗ったって。収入も安定するから安心して産めます」
「え? 南先生、結婚してるんですか? お兄ちゃんとか言ってたような。それに産むって……!?」
「あ、アレね。ウチの人、幼馴染の兄貴分だったんだ。だから、そのときの癖で甘えるときはつい……ね」
そう言って赤面する。
「彼、必死で押さえつけてるボクの中の女を見つけて、全部ひっくるめて好きだって言ってくれて、色々とボクのために頑張ってくれて……女として生きるのもいいかなって。で、最近生理来ないのは女として不完全だからだと思ってたら……その、順調だって」
「順調って……えっと……お、おめでとうございます」
「ありがとう。ちゃんと産めるか不安は残るけど、頑張る」
下腹部に手を当て、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。ソレはもう母としてのものだった。
だが、ソレを見て厳粛な気持ちになる一方で、認めたくないものだが、自分自身の若さゆえの過ちで極めて失礼な想像をしてしまう。
ボクという一人称で中性的な人が、男性に『お兄ちゃん』と言って甘え、物凄い行為、つまりは子作りに及ぶ光景。
園長先生と南先生が産休やその間のヘルプ、更には、冗談交じりに俺や姉貴にソレを頼もうかと相談しているのを見ながら、妄想を膨らませることを俺は止められない。
ここに姉貴がいたら格好のネタだな……。
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